Date: 7月 15th, 2016
Cate: 瀬川冬樹
Tags:

AXIOM 80について書いておきたい(その2)

瀬川先生は、「世界のオーディオ」タンノイ号掲載の「私のタンノイ」の中でも、
AXIOM 80について少し触れられている。
     *
 S氏邸のタンノイからそれほどの感銘を受けたにかかわらず、それから永いあいだ、タンノイは私にとって無縁の存在だった。なにしろ高価だった。「西方の音」によれば当時神田で17万円で売っていたらしいが、給料が8千円、社内原稿の稿料がせいぜい4~5千円。それでも私の若さでは悪いほうではなかったが、その金で母と妹を食べさせなくてはならなかったから、17万円というのは、殆ど別の宇宙の出来事に等しかった。そんなものを、ウインドウで探そうとも思わなかった。グッドマンのAXIOM―80が2万5千円で、それか欲しくてたまらずに、二年間の貯金をしたと憶えている。このグッドマンは、私のオーディオの歴史の中で最も大きな部分なのだが、それは飛ばして私にとってタンノイが身近な存在になったのは、昭和三十年代の終り近くになってからの話だ。
     *
瀬川先生がS氏(新潮社の齋藤十一氏)のお宅でタンノイの音を聴かれたのは、
昭和28年か29年のこと。
そのころ瀬川先生はラジオ技術で編輯の仕事をされていた。

昭和28年(1953年)だとすれば、瀬川先生は1935年生れだから18歳。
《給料が8千円、社内原稿の稿料がせいぜい4~5千円》ということだから、
12000円か13000円ぐらいの月々の収入。
きままな独り暮しであっても、17万円のユニットはそうとうに高価なモノだ。

瀬川先生は《母と妹を食べさせなくてはならなかった》から、
ユニットだけで17万円は、ほんとうに別の宇宙の出来事に等しかった、と思う。

このころAXIOM 80は25000円だったのか、とも思う。
同じイギリスのユニットであっても、タンノイとグッドマンとでは約七倍違う。

AXIOM 80が欲しくて、二年間の貯金ならば、
タンノイのDC15は十年以上の貯金となる。

瀬川先生がタンノイを購入されたのは、約十年後の《昭和三十年代の終り近くになってから》とある。
その頃には、秋葉原で75000円になっていた、そうだ。
17万円のままだったら……、もっとかかっていたことになる。

もし瀬川先生が、そのころ裕福な暮しぶりであったなら、
AXIOM 80ではなくタンノイのDC15を購入されていたかもしれない。

欲しいモノがすぐに買えるだけの余裕があるのは悪いことではない。
そんなことはわかっている。
それでも、もし瀬川先生がAXIOM 80ではなくタンノイにされていたら……、
ここをおもってしまうのだ。

Leave a Reply

 Name

 Mail

 Home

[Name and Mail is required. Mail won't be published.]