Archive for category 人

Date: 2月 20th, 2018
Cate: ワーグナー, 瀬川冬樹

ワグナーとオーディオ(ワーグナーと瀬川冬樹)

ワーグナーの音楽と、瀬川先生が好まれて聴かれていた音楽とは、
少々印象が一致しない面があるようにも感じていた。

ワーグナーと瀬川先生ということで、
私が真っ先に思い出すのは、ステレオサウンド 38号の、黒田先生のこの文章だ。
     *
 普段、親しくおつきあいいただいていることに甘えてというべきでしょうか、そのきかせていただいたさわやかな音に満足しながら、もっとワイルドな音楽を求めるお気持はありませんか? などと申しあげてしまいました。そして瀬川さんは、ワーグナーのオペラ「さまよえるオランダ人」の合唱曲をきかせてくださいましたが、それをかけて下さりながら、瀬川さんは、このようにおっしゃいました──さらに大きな音が隣近所を心配しないでだせるようなところにいれば、こういう大音量できいてはえるような音楽を好きになるのかもしれない。
 たしかに、そういうことは、いえるような気がします。日本でこれほど多くの人にバロック音楽がきかれるようになった要因のひとつに、日本での、決してかんばしいとはいいがたい住宅環境があるというのが、ぼくの持論ですから、おっしゃることは、よくわかります。音に対しての、あるいは音楽に対しての好みは、環境によって左右されるということは、充分にありうることでしょう。ただ、どうなんでしょう。もし瀬川さんが、たとえばワーグナーの音楽の、うねるような響きをどうしてもききたいとお考えになっているとしたら、おすまいを、今のところではなく、すでにもう大音量を自由に出せるところにさだめられていたということはいえないでしょうか。
     *
ここにワーグナーが出てくる、「さまよえるオランダ人」も出てくる。
そして《それをかけて下さりながら、瀬川さんは、このようにおっしゃいました──さらに大きな音が隣近所を心配しないでだせるようなところにいれば、こういう大音量できいてはえるような音楽を好きになるのかもしれない》
と瀬川先生がいわれた──、
ここを読んでいたから、ワーグナーの音楽と瀬川先生の好まれる音楽が結びつきにくかった。

ついさっきまでKさんと電話で話していた。
彼によると、瀬川先生はNHK FMで放送されているバイロイトをエアチェックして聴かれていた、とのこと。

当時ラックスのショールームで定期的に行われていたなかでも、
常連の方とワーグナーについて熱心に語られていた、という話も聞いた。

聞いていて、意外だな、というおもいと、やっぱり、というおもいとが交錯していた。

瀬川先生は世田谷に建てられたリスニングルームでは、ワーグナーを聴かれていたのだろうか。

Date: 2月 1st, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その10)

(その9)での引用の続きを書き写しおく。
     *
保柳 実をいうと、菅野氏録音をですね、最近ちょっとやってみたのですけれど自分の音じゃないと思うんです。
菅野 そうでしょう。だからそこを聞きたい。
保柳 オーケストラを、LPで13枚作らされたわけです。オーケストラは変る、ホールは変る。ところが、シリーズとして出すんだから、一つの統一された音色がなければならない。私のやり方だと普通はそうじゃないわけです。そのホールとオーケストラのムードを出さなければならないわけです。たとえば、その使ったホールが、聴いた人にイメージアップするようなホールを使っていこうとするわけです。この13枚が一つのシリーズとなって出てくるんですね。再生される音は同じじゃなきゃ困るわけです。そのため、全部オンマイクになっているわけです。気分的に落ち着かないですよ。名古屋、東京、埼玉でとったのですが、それを同じ音にしていく。自分でいつも使っている反対の手法でいくわけです。非常に落ち着かなかった。しようがないので、実をいうと、最後の整音段階で、自分のイメージの中にある、一番きれいなホールをイメージアップする。好きな席に坐って聴いたその音を頭の中に入れておいて、全部その音に統一していくというやり方をするわけです。
菅野 私には、そのホールの響きを計るなど、そんな考えは頭からないんです。今思い出したのですが、私は盛んに青山タワーホールを使う。あれまでは、誰も使いませんでした。使うことを決めたときも、ずいぶんと反対意見が出ました。マイクロフォンのためには、あのホールを利用できるのです。ホールの響きをとったわけじゃない。つまり利用して、ある程度、自分の意図通りに成功したわけです。それから、あのホールがやたらと使われはじめた。そして、中には、実に変な録音があるんです。つまり、あのホールの音をとろうとして、アプローチしたのは全部失敗しているのですよ。
保柳 そうでしょうね。あのホールは、決していい音のホールではない。そこなんだな。あるホールでは、リサイタルを仕方がなくとったことはあるが、決して録音のために使おうという気はしないですね。
菅野 だから、あのホールでとったものは、中には非常に成功したものもありますが、失敗したものも多いですね。もし私と同じようなアプローチでいけば、あのホールも使えますよ。
     *
40年前に読んだときも、上に引用した箇所は強く印象に残っている。
40年前はまだ高一だった。
音楽の録音をやったことはなかった。
録音の基礎的な知識を、文字だけで知っていたころであっても、
この箇所は大事なところだな、と思っていた。

菅野先生の《ホールの響きをとったわけじゃない》と、
ピアノ録音におけるマイクロフォンの向きとが、
同じことを語っているように感じられる。

Date: 1月 31st, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その9)

江崎友淑氏の話は、曲と曲とのあいだだけだったから、
トータルしてもそれほど長くはなかった。
正直もっと話を聞きたいと思うほど、興味深い内容だった。

ピアノ録音についての話があった。
これは初めて聞くことだった。

どんな人でも、アマチュアであろうとプロフェッショナルであろうと、
ピアノを録音しようとした際、マイクロフォンの正面をピアノに向ける。

マイクロフォンの高さや角度、ピアノとの距離などは人によって違ってきても、
ピアノに向けずに、という人はいないだろう。

江崎友淑氏が菅野先生とピアノ録音をやったとき、
マイクロフォンのセッティングは江崎友淑氏がやられた。
その時、菅野先生が「こういうセッティングはどうだろう」とやられたのは、
マイクロフォンの正面をピアノではなく床に向けてのセッティングだった。

ピアノ録音については、ステレオサウンド 47号「体験的に話そう──録音と再生のあいだ」で、
保柳健氏と対談をされている中でも語られている。
     *
保柳 あなたのピアノのとり方を見ていると、確かに私なんかより、ずっとピアノに接近しているのですね。いつだったか、それこそ、深町純のピアノをいろいろな形でとってもらった。全体に私より、イメージがアップなんてす。あの場合スタジオでしたから、まわりの雰囲気というのは全くないわけです。
菅野 雰囲気でしょ、あなたは。そこが違うんです。私は雰囲気ではないんです。響きのよいホールでは、スタジオよりマイクロフォンを遠くへ置きます。それは雰囲気をとるためじゃないのです。それは、そういう音をとるためなのです。良いソノリティを持った複雑な成分、間接の成分を持ったホールの場合には、雰囲気ではなくて、そのようなホールで鳴っているピアノの音を、そうした方が良い音になるから、そうする。決して雰囲気のためではない。あなたをホールへ導きますよとか、こういうホールで鳴っているんですよと伝えるために、やっているのではないのです。だからスタジオへ行くと、全然楽器の響きを助けないわけです。無駄ですからね。むしろ、楽器そのものの音をとろうと、アップになります。
     *
この対談は47号だけでなく、48号、49号の三回連載であり、濃い内容だ。
40年前、ステレオサウンドは、こういう記事をつくっていたのだ。

この対談からは、もう少しばかり引用していく。

Date: 1月 28th, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その8)

オーディオラボでの録音で菅野先生が使われていたテープデッキは、
スカリーの280Bである。

オーディオラボのレコードジャケット裏には、使用録音器材についての記載があった。
そこにもスカリーは書いてあったし、
ステレオサウンド 41号の特集「世界の一流品」で、菅野先生は280Bについて書かれている。

38号、60号で菅野先生のリスニングルームが載っている。
そのどちらにも280Bはある。

スカリーのテープデッキについては、菅野先生から聞いていることがあった。
スカリーのデッキで録音したテープは、
スカリーのデッキで再生しないと冴えない音になってしまうそうだ。

他社製のテープデッキでも、多少そういうところはあるが、
スカリーは特に顕著で、他社のテープデッキで再生したら、がっかりする、らしい。

そのことを江崎友淑氏も、オーディオラボの復刻にあたっての苦労話のひとつとして話された。
まずマスターテープを探すことから始まった。
保管場所は判明したものの、
今度はそこに辿りつくまでがほんとうに苦労した、とのこと。

そのへんの詳細は、3月発売のステレオサウンドの記事でも紹介されるのではないだろうか。
やっと手にしたマスターテープであったものの、聴いてみると、冴えない音で、
これでは復刻は無理だ、と思わざるをえなかった、と。

そのことを菅野先生に話したところ、
「それはそうだよ、スカリーのデッキで録音したのだから、スカリーで再生しないと」
といわれ、それからスカリーのテープデッキ探しが始まる。

日本のレコード会社ではスチューダーやアンペックスの方がよく使われていた。
スカリーは、この二社ほどは有名な存在ではない。
最終的にはキングレコードの倉庫に眠っていた、とのこと。

長らく使われていなかったスカリーの整備に数ヵ月。
そうやって再生できたマスターテープの音は、
先週録音したばかり、といわれても、そう信じてしまうくらいに、新鮮な音が鳴ってきた、と。

Date: 1月 27th, 2018
Cate: 川崎和男

KK適塾 2017(一回目・その5)

すべてに寿命がある、といっていいのだろう。
人にもモノにも寿命がある。

オーディオ機器もそうだ。
どんなに高価で信頼性を重視、故障しないよう設計製作されたモノであっても、
乱暴な使い方をしていれば、故障を招くし、
どんなに丁寧に使ってきたとしても、いつの日か、どこかに不調をきたす。

そこを修理する。
しばらくは動作していても、またどこかが不調になる。
前回と同じ箇所のこともあるし、別の箇所のこともある。
また修理。直ってくる。

それでまたしばらく使っていると……。
そのくり返しが続くことがある。

そういう例をSNSで何例か見かけたことがある。
使っている人にとっては、そのオーディオ機器は愛機なのだろう。
これまで使ってきたことによる思い入れは、他人には理解できない。

それでもモノには寿命がある。
どんなにしっかりと修理をしてくれる人(ところ)に頼んで、
きちんとした修理がなされたとしても、そのオーディオ機器は、もう老人なのである。

寿命を延ばしたい気持。
それがPPK(ピンピンコロリ)を遠ざけてしまうような気もする。

人とモノ(オーディオ機器)とは違うのはわかっているが、
けれど、果してそれほど違うのだろうか……、とも思う。

その4)に書いた仕事関係の人のおじさん。
彼が定期的に病院で健康診断を受けていれば、癌は早い時期に発見されていた可能性はある。
その段階で手術を受けていれば、もっと長く生きていられたかもしれないが、
果して、元気であっただろうか、とも思うし、どちらがPPKなのか、とも思う。

久坂部羊氏はいくつかの例を話された。
そのことについては、ここでは書かない。誤解を招くかもしれないからだ。
生体検査について話された。
そういう可能性がある、ということだった。

だから思うのだ。
PPKには諦観が求められている、と。

Date: 1月 22nd, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その7)

そこでの音はともかくとして、江崎友淑氏の話はほんとうにおもしろかった。
そのひとつを、別項「オーディオの楽しみ方(つくる・その17)」で書いた。

江崎友淑氏は菅野録音のことを「かっこいい録音」と表現されていた。
菅野録音はかっこいい音である。
そうである。

バランスがとれていて、洗練されていて──、
その「かっこいい音」を具体的に説明していくとなると、意外に難しい。

私が思うに菅野録音のかっこいいは、野性味にあるように感じている。
「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」で、
スレッショルドのStasis 3の音について《もうちょっと野性味みたいなものがほしい》といわれている。
「THE DIALOGUE」を鳴らしての発言である。

野性味があからさまに出てきてしまっては、それはもうかっこいい音とはいえない。
けれど野性味の感じられない音で鳴ってしまった菅野録音からは、かっこいいは感じとりにくくなる。

この野性味も、結局はバランスなのだろう。
バランスではあっても、野性味は本質に関ってくることである。

そういう本質を持っていない人が鳴らせば、菅野録音からは野性味は消えてしまう。
そういう本質を持っていない人が、オーディオラボの菅野録音をマスタリングしていたら、
つまらない音のディスクになっていたはずだ。

現在オクタヴィアレコードから発売されているCD/SACDは、そうではない。

「菅野録音の神髄」が開場する前に、
菅野先生が江崎友淑氏の手をとって、
「君と出逢えてほんとうによかった」といわれたときいている。

Date: 1月 21st, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その6)

その4)、(その5)で引用したMC2500、Stasis 1での「THE DIALOGUE」の音の印象は、
ポジティヴな評価であり、「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」にはそうではない音の印象もある。

100機種ほどのアンプの総テストだけに、そうではない音の印象のほうが多い。
それらをここで引用はしないが、よく鳴ったときの音の印象、そうでないときの音のい印象、
自分「THE DIALOGUE」を真剣に鳴らしてみると、
どちらの意見も「たしかにそうだ」と感じられる。

それは「THE DIALOGUE」のCD/SACDのハイブリッド盤でも、まったく変らない。
「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」ではアナログディスク。
つまりは江崎友淑氏によるマスタリングは、
オーディオラボ時代の音の印象そのままが継承されている、ということでもある。

菅野録音の本質を理解されているからこその、出来であることは、
「THE DIALOGUE」の一枚を聴いただけでもはっきりとわかることだ。

今回の「菅野録音の神髄」での音は、その意味で江崎友淑氏の音ではない、といえる。
アキュフェーズのプレーヤーとコントロールアンプとクリーン電源、
B&Oのスピーカーシステム、
それにそれぞれのスタッフ。
杉並区の中央図書館のスタッフ。

今回の音は、誰による音なのか、とおもう。
そういえばステレオサウンドの編集長の染谷氏も来られていた。

染谷氏による今回の音だったのか。
そのへんははっきりとしないが、「THE DIALOGUE」にかぎらず、
他のディスクでも、音に関してはあきらかに足りないものがあった。

曲と曲とのあいだの江崎友淑氏の話は、来てよかった、といえる内容だっただけに、
足りないものが、はっきりとしてくる感じでもあった。

江崎友淑氏は、菅野先生のことばを引用されて、こういわれた。
「録音は、再生に始まり再生に終る」

そうである。
けれど、このことばが、より重みを増すために必要な音、
つまり再生がなされていたとはいえなかった。

Date: 1月 20th, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その5)

「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」では、
スレッショルドのパワーアンプは三機種取り上げられている。
Stasis 3、Stasis 2、Stasis 1である。

Stasis 3では、菅野先生はこういわれている。
     *
それから「ダイアローグ」も、全体に落ち着いた、力がないということではないんてずが、おとなしい雰囲気で鳴らしてくれます。
     *
この発言のあとに柳沢、上杉両氏の発言があり、最後のほうでは、こうもいわれている。
     *
 いや、ぼくももうちょっと野性味みたいなものがほしいと思います。「ダイアローグ」でちょっと不満をいったのは、実はその点なんですね。決して物足りないとか、弱々しいというんではないんですが、やはり音の鳴り方が端正なんでしょうね。
     *
Stasis 3は760,000円だった。その上のStasis 2(1,138,000円)となると、
「ダイアローグ」の鳴り方は
《明らかにステイシス3よりも力強くたくましく鳴ってくれました。スリリングという店ではこちらの方がグーッときましたね》
と変化している。

Stasis 1は、モノーラル仕様で3,580,000円していた。
Stasis 2の三倍である。
しかも出力はどちらも200Wである。

けれど菅野先生の「ダイアローグ」について印象は、
Stasis 3、Stasis 2とは別格であることを感じさせてくれた。
     *
「ダイアローグ」はソリッドな音で、ドラムスの音なんていうのはものすごく詰っていて、何かそこから飛び出してくるんではないかと思えるほど緻密な音が聴けました。ブラシでタンバリンを叩いた音が空間にサーッと抜ける情景などは、音が見えるような感じです。
     *
これを読んだときは《何かそこから飛び出してくるんではないかと思えるほど》の音で、
「THE DIALOGUE」を聴いていたわけではなかった。

その感じは、アナログディスクからCD、SACDとなっても、確実に残っている。
うまく鳴ったときは、何かが飛び出してくるような、
それゆえにスリリングな感じがいっそう増してくるところがある。

他にも「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」からは、
「THE DIALOGUE」についてまだまだ引用したいところはあるが、
このくらいにしておこう。

Date: 1月 19th, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その4)

「THE DIALOGUE」を、菅野先生のリスニングルームで聴いた経験は、ない。
いちど聴きたい、と思ってきた。
でも聴くチャンスはなかった。

「THE DIALOGUE」を聴かせてほしい、とお願いしてれば聴かせてくれた、と思うけれど、
なんとなく言い出せなかった。

そんな私にとっての「THE DIALOGUE」の鳴り方のひとつのリファレンスは、
熊本のオーディオ店で瀬川先生が4343で鳴らされた音である。
「THE DIALOGUE」を初めて聴いたのが、そのままリファレンスとなっている。

そのうえで、1981年夏に出た「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」を読んだ。
この総テストで使われている試聴ディスクは、
シェリングとヘブラーによるベートーヴェンのヴァイオリンソナタ、
シルビア・シャシュのドラマティックオペラアリア集からベルリーニの「ノルマ」、
そして「THE DIALOGUE」の三枚である。

試聴メンバーは上杉佳郎、菅野沖彦、柳沢功力の三氏で、
試聴記は鼎談形式である。

試聴ディスクが三枚ということもあって、
具体的なことがけっこう述べられている。
「THE DIALOGUE」についても、特にそうだといえる。
菅野先生は、「THE DIALOGUE」の鳴り方について、ほとんどのアンプで語られている。

読みながら、こんなにもアンプによって鳴り方が変化するのか、と、
当時興味深く読むとともに、
「THE DIALOGUE」はどういう鳴り方をするものなのかを、
くり返し読むことで頭のなかで構築していった。

たとえばマッキントッシュのMC2500のところでは、こう語られている。
     *
 確かにいわれたように、コントロールアンプのボリュウム設定、つまりコンスタントなレベル設定をした場合に、パワーに余裕があるために他のアンプと桁違いにダイナミックレンジは広いですから、ピークが悠然と出てくるわけで、音楽の躍動感の次元が違ってきてしまうわけです。特に「ダイアローグ」を聴いたときの躍動感は、他のアンプと比べて1桁も2桁も違うという感じですね。
     *
これはどういうことかというと、柳沢氏が冒頭で語られている。
     *
 全体的な印象としては、まず圧倒的な音量感を特徴として挙げます。もちろんアンプはデカイ音を出せばデカイ音が出て、小さい音を出せば小さい音が出るのですけども、たとえば最初の「ヴァイオリン・ソナタ」で、ある音量を設定しておいて、それに見合う音量にして「ダイアローグ」をかけるわけです。ところが、その音量感が他のアンプと全然違うんですね。「ダイアローグ」のときは、今まで他のアンプで聴いていた「ヴァイオリン・ソナタ」との比率が比べものにならないくらい音量感が増してきて、ボリュウムを間違って上げすぎたかなという感じがするくらい、ダイナミックレンジの大きさを出してくれたんです。
     *
これは喫茶茶会記でのaudio wednesdayで鳴らしても感じていることだ。
audio wednesdayではアンプは固定だが、
チューニングをしていくと、あきらかにそう感じる。
音量感が増して聴こえるのだ。

Date: 1月 18th, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その3)

「5 Saxophones」、「SIDE by SIDE 2.」、「THE DIALOGUE」、
この三枚のディスクがかけられるであろうことは、
オーディオラボの録音を全部とはいわないまでも、
けっこうな枚数を聴いてきた人ならば、予想できていたはずだ。

「THE DIALOGUE」、
何が残念だったのかといえば、その音以前に、ボリュウム操作だった。
SACDプレーヤーのPLAYボタンを押してからの操作であった。

もう音が鳴り始めてからボリュウムを上げていては、
このディスクの一曲目の「ベースとの対話」においては、なおさらである。

なぜ、この曲だけ、そんな鳴らし方だったのか、といまも残念に思う。

今回の講演は「菅野録音の神髄」であって、
「菅野録音の神髄を聴く」ではない。
だから、それほど音に期待していたわけではない。

ただ、こうして書いているのは、音量設定も、その操作も含めての音であるからだ。

優に百回以上は聴いている「ベースとの対話」。
どういう音が鳴ってくるのか、熟知しているといえるにも関らず、
この「ベースとの対話」がうまく鳴った時の出だしの音のインパクトの強烈さ。

その音が鳴ってくるとわかっているにもかかわらず、ドキッとする。スリリングである。
なのに音が鳴り始めてからボリュウムを上げていては、
「THE DIALOGUE」を聴いていないのか、と問いたくなる。
(ボリュウムを含めての操作は江崎友淑氏がやられていたわけではない。)

かけなおしてもいいじゃないか、と思っていた。
ボリュウムをあげてからPLAYボタンを押すようにして、もう一度かければいいのに……。

でも残念なことに、そのまま最後まで鳴っていた。

江崎友淑氏の話の中に、曲を最後まで聴くことの大切さがあった。
最後まで聴く、ということは最初から聴く、ということである。

そこが忘れられた「THE DIALOGUE」だった。

Date: 1月 18th, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その2)

菅野先生は挨拶をされて、すぐに楽屋にひっこまれた。

それからアキュフェーズと B&Oのスタッフによる器材の説明があって、
「菅野録音の神髄」が始まる。

最初にかけられたのは「5 Saxophones」だった。
この曲だろうな、と思っていた。
菅野先生のリスニングルームでも、「5 Saxophones」だったからだ。
もちろんSACDである。

それから「SIDE by SIDE 2.」、
そして「THE DIALOGUE」、
最後にアナログディスクで、宮沢明子によるモーツァルトのピアノ協奏曲だった。

四枚のディスクのあいだに江崎友淑氏の話があった。

「5 Saxophones」は菅野先生のところで 何度も聴いている。
その音が、私のなかではリファレンスとなっている。
なにも、菅野先生のリスニングルームで鳴っていた音のままで、
「5 Saxophones」が鳴るとは思っていない。

けれど、そうとうに違う。
録音の優秀さは伝わってきても、「5 Saxophones」の楽しさは、残念ながら伝わってこなかった。
音量も低めだな、と思っていた。

菅野先生は、けっこうな音量で鳴らされていた。
その音量も、私にとっては基準のひとつになっている。

「SIDE by SIDE 2.」のピアノはよかった。
いちばん残念だったのが「THE DIALOGUE」だった。

Date: 1月 17th, 2018
Cate: 川崎和男

KK適塾 2017(2月2日・補足)

今年度のKK適塾の二回目は、2月2日に行われる。
受付が始まっているが、ひとつだけ注意が必要だ。

スマートフォンから申し込む場合、Wi-Fiで接続していないと、
応募期間が過ぎています、というメッセージが出て、申し込みができない。

一回目のKK適塾、出先ということもあって、最初4G回線で接続していて、申し込めなかった。
帰宅してWi-Fiで接続して、やっと申し込めた。

今回、ある人を誘った。
その人から連絡があり、応募期限が過ぎている、と表示されて申し込めない、と。
スマートフォンからで4G回線での接続だった。
パソコンで接続したら、すんなり申し込めたそうだ。

あえてそういうふうにしているのかどうかははっきりとしないが、
もしスマートフォンで4G回線で接続していて、申し込めなかった人は、
Wi-Fiで接続するか、パソコンで申し込めば問題は生じない。

Date: 1月 17th, 2018
Cate: 川崎和男

KK適塾 2017(一回目・その4)

久坂部羊氏は、PPKといわれた。
ピンピンコロリを略して、PPKである。

健康で病院にもかからず、ピンピンしていて、ある日突然コロリと死んでしまう。
これは理想であろう。

私も昔、そんなふうに死ねたら……、と思っていたことはある。
私の周りにも、そんなことをいっている人は何人かいる。

昔から、細く長くか太く短くか、という。
けれど細く生きることを心掛けていたからといって、ほんとうに長く生きられるのか。
太く生きている人は、ほんとうに短い人生なのだろうか。

昔、山中先生がいわれていたことを思いだしていた。

細く長くとか太く短く、とかいうけれど、
人がコントロールできるのは太さだけであって、長さはどうすることもできないんだ、
細く短い人もいるし、太く長い人もいる、と。

そんなことをいわれていた。

昔の仕事関係の人のおじさんは、とても元気だったそうだ。
病院に行くことも、健康診断に行くこともなく、健康そのものだったらしい。

その人が、ある日突然倒れた。
病院に運ばれて検査の結果、癌だった。
末期の癌で倒れた日から、そう経たないうちに亡くなったそうだ。

もう手遅れ、ということで、治療も受けなかった、らしい。
この人は、PPKなのだろう。
倒れる日まで、ほんとうに元気(ピンピン)だったのだから。

KK適塾の翌日、12月23日には、ジャズ喫茶の閉店の話のほかに、
別の人からスピーカーがこわれてしまった、という連絡があった。

そのスピーカーシステムは、発売されてから25年以上経っている。
それほど数は売れていないけれど、私も欲しかったスピーカーである。

そのスピーカーでなければ聴けない音の魅力があった。
いま、そのメーカーはない。
純正の修理は無理ということになる。

スピーカーの故障の原因は、パワーアンプの異状である。
パワーアンプも同時期に購入されたモノだから、こちらもけっこう月日が経っている。

このことが重なったから、PPKについて、オーディオの場合なら……、ということを考えてしまう。

Date: 1月 14th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のスピーカーのこと(「菅野録音の神髄」でのBeoLab 90)

菅野沖彦氏のスピーカーのこと(その16)」で、B&OのBeoLab 5を挙げた。
そんな私だから、「菅野録音の神髄」でのスピーカーシステムがBeolab 90であったことは、
我が意を得たり、でもあった。

来場者のなかには、BopLab 90という選択に不満をもっている人もいたように感じる。
なぜBeoLab 90になったのかについては、中央図書館の方からの説明があった。

いくつかの事情が重なってのBeoLab 90であったようだが、
そういう事情がなくとも、私が担当者だったら、BeoLab 90を選ぶ。

開場前の音は、かなりよかった、とも聞いている。
60人以上の人が集まった空間では、開場前とは大きく音が違って当然であり、
そのあたりへの配慮が足りなかったのは、
おそらく中央図書館としても、こういうイベントは初めてであろうから、致し方ない面もある。

十全に鳴っているとはいいがたかったが、
BeoLab 90という選択は、正しい。

Date: 1月 14th, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その1)

今日は1月14日。
杉並区の中央図書館の視聴覚ホールにて、
オクタヴィア・レコードの江崎友淑氏による講演会「菅野録音の神髄」が行われる日である。

どんな器材なのかは、中央図書館のウェブサイトで紹介されていた。
スピーカーシステムはB&OのBeoLab 90、
SACDプレーヤー、コントロールアンプはアキュフェーズのフラッグシップモデル。
それからアキュフェーズのクリーン電源も用意されていた。

アナログプレーヤーもあった。
トーレンスのTD124にSMEのトーンアーム。
カートリッジはアキュフェーズのAC6にアキュフェーズのフォノイコライザーアンプ。

開場は13時30分。
私が着いたのは10分ほどすぎていたが、席は半分ほど埋まっていた。
どこに座ろうかと見渡していたら、最前列が空いていた。

そこまでの壁際には関係者の方たちが座っていた。
菅野先生の奥さまもいらっしゃった。
もう10年ぶりである。
挨拶をしたら、「うしろに……」といわれた。ふりかえると、
最前列の中央に菅野先生がおられた。

菅野先生が来られるとは、思ってもみなかった。

14時から「菅野録音の神髄」は始まった。
菅野先生の挨拶から始まった。

この時、あちこちからシャッター音がした。
振り返らなかったが、おそらく多くの人がスマートフォンやカメラをかまえていたんだろう。
私の隣の人も撮っていた。

おそらく個人のサイトやSNSに、公開する人もいると思う。
私は撮るべきではない、と思ったから、撮らなかった。
理由は書かないが、撮るべきでない、というのが私の判断だ。