Date: 1月 27th, 2018
Cate: 川崎和男
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KK適塾 2017(一回目・その5)

すべてに寿命がある、といっていいのだろう。
人にもモノにも寿命がある。

オーディオ機器もそうだ。
どんなに高価で信頼性を重視、故障しないよう設計製作されたモノであっても、
乱暴な使い方をしていれば、故障を招くし、
どんなに丁寧に使ってきたとしても、いつの日か、どこかに不調をきたす。

そこを修理する。
しばらくは動作していても、またどこかが不調になる。
前回と同じ箇所のこともあるし、別の箇所のこともある。
また修理。直ってくる。

それでまたしばらく使っていると……。
そのくり返しが続くことがある。

そういう例をSNSで何例か見かけたことがある。
使っている人にとっては、そのオーディオ機器は愛機なのだろう。
これまで使ってきたことによる思い入れは、他人には理解できない。

それでもモノには寿命がある。
どんなにしっかりと修理をしてくれる人(ところ)に頼んで、
きちんとした修理がなされたとしても、そのオーディオ機器は、もう老人なのである。

寿命を延ばしたい気持。
それがPPK(ピンピンコロリ)を遠ざけてしまうような気もする。

人とモノ(オーディオ機器)とは違うのはわかっているが、
けれど、果してそれほど違うのだろうか……、とも思う。

その4)に書いた仕事関係の人のおじさん。
彼が定期的に病院で健康診断を受けていれば、癌は早い時期に発見されていた可能性はある。
その段階で手術を受けていれば、もっと長く生きていられたかもしれないが、
果して、元気であっただろうか、とも思うし、どちらがPPKなのか、とも思う。

久坂部羊氏はいくつかの例を話された。
そのことについては、ここでは書かない。誤解を招くかもしれないからだ。
生体検査について話された。
そういう可能性がある、ということだった。

だから思うのだ。
PPKには諦観が求められている、と。

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