Archive for category 朦朧体

Date: 11月 30th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その31)

もし、当時、男性的、とか、女性的な音、という表現が使われてなかったら、
そしてアンプジラ、とか、GAS、という名前でなかったら、
そしてアンプジラの筐体の恰好が、まったく違ったものだったら、
私ももっと早くから、GASのアンプ、つまりボンジョルノに対して、素直な関心を抱いていたかもしれない。

Ampzillaに、Son of Ampzilla、 Grandsonと、パワーアンプの型番に、
これまた男性を意識させる名前をつけるボンジョルノのセンス。
実を言うと、嫌いではない。むしろ好きといってもいいかもしれない。
でも、この項の最初のところに書いているように、このころは私にとって、
クラシックと同じくらい(すこしオーバーな表現だけれど)、
女性ヴォーカルが、たまらなく魅力的に鳴ってくれるということは重要なことだった。

女性ヴォーカルがしっとり、しんみりと目の前で、私ひとりのために歌ってくれるような情景が再現できれば、
少なくともクラシックにおいても、ヴァイオリンはうまく鳴る。
そんなふうにも考えていた10代のころだった。

だからアンプジラに、その息子、さらに孫息子、というアンプの名前は、もうはっきりと男性的である。

ただ屁理屈をこねさせてもらうと、アンプジラはアンプのゴジラなのだから、実のところ女性的な型番でもある。
映画の中のゴジラには、ミニラという息子がいる。
ほかに家族はいないようだから、少なくともゴジラを子供を生めるわけだからオスではない……。

とにかく、当時、アンプジラ・ファミリーに対して、姉妹機、という言葉は使わなかった。
スレッショルドになると、800A、4000、400の一連のラインナップには、姉妹機という言葉がしっくりくる。

こんなささいなことにおいても、GASのアンプには女性的な要素を、あの時点では感じられなかった。

Date: 11月 29th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その27・補足)

スレッショルドの4000は、結局800Aの代りとなる存在ではなかった。
もちろん優れたパワーアンプだとは思っていても、それはどこか私にとっては他人事に近いものであって、
800Aとは違い、惚れ込むことのできる音では、決してなかった。

スレッショルドの回路図は、数年前にPASS LABのサイトで公開されていた(いまは削除されているようだ)。
おかげで、800A、4000 (400)、STASIS1、STASIS2 (3) の回路図をここから入手できた。
4000 (400)、STASIS2 (3) というふうに表記したのは、
回路図は、4000と400、STASIS2とSATSIS3はそれぞれ一枚にまとめられているからだ。
つまり4000と400の違い、STASIS2とSTASIS3の違いは、出力段のトランジスターの数である。

800AとSTASIS1はどうなのかというと、基本的にはそれぞれ4000、STASIS2と基本は同じだが、
出力段の規模が異なる。単にパワートランジスターのパラレル数が多いという違いではない。

言葉だけではかなり説明しづらいので、ひじょうに大ざっぱに書けば、
STASIS回路の特徴は、とうぜん出力段にあり、この出力段がSTASIS2 (3) は2ブロック構成なのに対して、
STASIS1は3ブロック構成となっている。そしてパワートランジスターのパラレル数も一気に増えている。
このブロックは、NPN、PNPトランジスターで構成されている。

800Aと4000 (400) の違いも、同じである。
4000 (400) の出力段が2段重ねであるのに対して、800Aでは3段重ねになっている。

スレッショルドのパワーアンプのラインナップにおいて、800AとSTASIS1は別格ともいえる。

ここで空想してしまうことは、800Aの回路構成のままのモデル、STASIS1の回路のままのモデル、
それぞれに出力段のパワートランジスターの数を減らし、
それに見合った電源部にしたパワーアンプをつくってくれていたら……、ということ。
800Aと400の関係はスレッショルドが示したものでよかったと思うが、
4000に関しては400のパワーアップ版とせずに、800Aの回路をそっくり受けついたモデルであってほしかった。
いまごろ、こんなことを書いていてもまったくの意味のないことではあるけれども……。

Date: 11月 29th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その30)

いまではあまり使われなくなった表現だが、1970年代から80年にかけては、
男性的な音、女性的な音、というたとえがわりとあった。

スピーカーでいえば、アメリカ生まれのスピーカーは男性的、
イギリス系のスピーカーは女性的で、同じイギリスのスピーカーでも、BBCモニター系のモノよりも、
タンノイ、ヴァイタヴォックスといったスピーカーは、より年上的とも表現されることがあった。

アンプでいえば、国産のモノならば、瀬川先生はよくオンキョーのプリメインアンプに対して、
女性的、という言葉を使われている。
具体的にIntegra A5、A7、A722nIIなどがそうだ。

男性的なアンプの代表となると、当時はやはりGASだった。すくなくとも私にとっての印象は、そうだった。

この「男性的」ということばが、実はGASのアンプを意識的に遠ざけることに、私のなかではそうなっていった。

Date: 11月 25th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その29)

ステレオサウンド 56号に、PM510は、瀬川先生の文章によって登場している。
これによって、PM510を知ることになり、読み進むにつれてPM510をとにかく一日でも早く聴きたい、
と思うようになり、このときの瀬川先生と同じように、いつかはJBLの4343とPM510──、
このふたつのスピーカーシステムを鳴らしたい、と思っていた。

この記事で、瀬川先生は、EMTの927Dst、マークレビンソンLNP2L、スチューダーのA68という組合せで、
一応のまとまりをみせた、と書かれている。
     *
とくにチェロの音色の何という快さ。胴の豊かな響きと倍音のたっぷりした艶やかさに、久々に、バッハの「無伴奏」を、ぼんやり聴きふけってしまった。
     *
ぼんやり聴きふけることのできる音、でもそれだけでは満足できないような気持があった。

PM510を聴く機会はすぐにはなかったから、何度も何度もくり返し読む。
読めば読むほど、瀬川先生には4343という、PM510とは対極の性格のスピーカーシステムがある。
それをマークレビンソンのアンプで鳴らされている。
プレーヤーはマイクロの糸ドライブに、オーディオクラフトのトーンアーム、
それにオルトフォンのMC30、そういうシステムで鳴っている音があるからこそ、
PM510を、ぼんやり聴きふけることのできる音にもっていくことができるのではないんだろうか。

オーディオ機器をそろえることを最優先にした生活を送ったとしても、
そうたやすく4343とPM510の両方を所有することなんてできないことはわかっている。
どちらかを手にいれるのだって、
さらにそれを鳴らすにふさわしい組合せを構築していくのだって大変なことなのに、
それにもしふたつのスピーカーシステムを手にすることができたとしても、
それをふさわしい組合せを持てたとしても、
これだけ性格の異るふたつのスピーカーシステムをきちんと鳴らし込む能力が、まず、そのときの私にはない。

……おそらく購入できるとしたら、価格的なことを含めてPM510であろう、
そのPM510から、4343のもつ良さを、ほんのすこしでも鳴らすことはできないものだろうか、と考えていた。

それが「凄さ、凄み」であった……。

Date: 11月 24th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その28)

この時代、つまりマークレビンソンが登場して以降、アメリカの新しい世代がつくり出してくるアンプには、
凄味みをもったものがいくつか、すでにあった。
なにもスレッショルドの800Aばかりではなかった。

でも、瀬川先生の表現にもあるような「清楚でありながら底力のある凄味を秘めた音」となると、
800Aがまっさきに思い浮ぶ。

マークレビンソンのML2Lも凄みをもっていた。
でも、清楚、とはいえなかった。
それにもうすこし凄みをはっきりと表に出している。

他のアンプ、たとえばボンジョルノの手によるGASのアンプジラ、SAEのMark2500あたりになると、
さらにその凄みははっきりとしてくる。

そして清楚な印象はなくなってくる。

組み合わせるスピーカーがPM510、つまりイギリスのスピーカーシステムでなければ、
800A以外の凄みを持つパワーアンプを選択したことだろう。

でもPM510、それに当時求めていた要素を出してくれる可能性が高いアンプとして、
800Aにずっと惹かれていたわけだ。

この「凄み」を、家庭でのレコード鑑賞に求めない人もおられるだろう。
でも、この「凄み」こそオーディオによる音楽鑑賞の醍醐味のひとつ、とまだハタチそこそこの私は強く思っていた。

Date: 11月 23rd, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その27)

もう30年ちかく前のことだから、かなり記憶が曖昧だけれども、
とにかくSG520をつないではじめて、
それまで試したどんなコントロールアンプからも出しえなかった低音の凄み──、
そういうものがパトリシアン800から鳴ってきた、そんなふうに私の中に刻まれた。

この「凄み」のところに、じつはとらわれていたように、いまは思う。

PM510は、いま新品同様のものがあれば、
いまいちど真剣に鳴らしてみたい、と心のどこかにそういう気持ちがある。
その一方で、当時もいまも、スピーカーから鳴ってくる音に、
どこか「凄み」を内包していてほしい、という想いがある。

PM510の一方に、当時の私の中にはJBLの4343があった。
PM510には、JBLの、アメリカのオーディオ機器のもつ物量を投入したことによる凄みは、かけらもない。
そこがPM510の良さでもあるけれど、やはり昔は若かった。
PM510を鳴らすにしても、どこかに凄みがあってほしい。

だからこそ、スチューダーのA68、ルボックスのA740という選択ではなく、
スレッショルドの800Aを組み合わせたいと思っていたように、いまははっきりといえる。

1978年暮に出た「コンポーネントステレオの世界’79」の巻頭に、
1978年のオーディオ界の動向をふりかえって、瀬川先生がこんなことを書かれている。
     *
パワーアンプ単体では、これといった収穫はなかったが、スレッショルドが、製造中止してしまった800Aに代るハイパワー機として4000Cを発表したのが、久々の高級機として注目されそうだ。800Aのあの独特の、清楚でありながら底力のある凄みを秘めた音の魅力が忘れられなかっただけに、大いに期待している。
     *
「凄み」をもったパワーアンプは、この当時も他にもあった。
でも瀬川先生の文章にあるように、清楚でありながら底力のある凄みを秘めたものは、そうなかったはずだ。

だから、800Aだったのだ。そしてSG520なのだ、と感じていた。

Date: 9月 9th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その26)

JBLのSG520は、マークレビンソンのLNP2に惚れ込まれていた瀬川先生が、
LNP2が登場するまでやはり惚れ込まれ、自宅で使われていたコントロールアンプであったことも、
もちろん大きな理由のひとつ。

でもそれだけではなく、これも瀬川先生が書かれたものと関係していることが、ひとつある。

瀬川先生はFMfanに連載記事を持っておられた。
そのなかで、あるユーザーのお宅の音について書かれていた。
瀬川先生が手術をうけられた熊本の外科医の方の音について、だった。

スピーカーシステムは、エレクトロボイスのパトリシアン800(おそらく復刻のほう)、
プレーヤーシステムは、トーレンスのリファレンス、アンプは、SUMOのThe Goldを決めてから、
あれこれコントロールアンプを試された結果、たどりついたのがSG520だった、とその記事にはあった。

LNP2も試されている。他の著名なコントロールアンプも試されたうえで、
すでに製造中止になっていたSG520をつないだときに、当時優秀録音として、
瀬川先生もステレオサウンドの試聴によく使われていたコリン・デイヴィスのストラヴィンスキーのレコードから、
いままで耳にしたことのないグランカッサの音が鳴ってきたからだった、というふうに記憶している。

これを読んだとき、SG520はやはりすごいアンプなんだ、とまた刻まれたからだ。

Date: 8月 29th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その25)

ロジャースのPM510をスレッショルドの800Aで鳴らすという案は、
けっこういい感じで鳴ってくれたのではないか、といまでも思う。

じつはステレオサウンドの巻末にあるUsed Component Market(売買欄)に「買います」のところに、
800A求む、と出したことがある。おふたりの方から連絡があった。
おひとりは4343を、もうひとりの方はQUADのESL63とタンノイのGRFを鳴らされていた。

あたらめて、いいアンプだと思っていた。
ただ、ハタチそこそこの若造には、PM510を買ったばかりだったこともあり、やはり無理だった。

コントロールアンプはどうするつもりだったかといえば、目標はマークレビンソンのLNP2Lだった。
けれど、これも無理な目標である。LNP2Lを買えるだけのお金があったなら、800Aをまず買っていた。
その800Aが無理だったのだから、LNP2Lはずっと遠くの目標だった。

800AもLNP2Lも、どちらも無理。でもいつかは800Aという気持はまだまだ残っていたから、
LNP2Lは無理でも、800Aに合いそうなコントロールアンプとして私が選んだのは、JBLのSG520だった。

SG520は当時、中古相場はそれほど高価ではなかった。
しかもたまたまある中古を扱っているオーディオ店にSG520があった。
極上品というほどのモノではなかったけれど、
そこそこ程度のいいSG520が、えっ、と思うような値段がつけられていた。

これなら買える、とそう思った。
なぜSG520なのかには、実は理由があった。

Date: 8月 26th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その24)

ロジャースのPM510をなんとか自分のものにしたけれど、惚れ込んだスピーカーだけに、
とにかく手もとにあるアンプをつないで、とりあえず音を出してみる、ということはしたくなかった。
少なくともPM510に見合うもの、ふさわしいアンプで鳴らしたい、
とくに最初の音出しは、できるかぎり良質のパワーアンプで鳴らしたい、
それがこのスピーカーに対する気持のあらわれ、であるとそんなふうに考えていた。

価格はとりあえず無視して、PM510にふさわしいパワーアンプはいったい何があるのか。

もちろんスチューダーのA68、ルボックスのA740のことは頭にあったが、
他に必ずいいアンプがあるはずだ、とすこしムキになっていたのは、若さゆえだったのかもしれない。

たとえばSAEのMark 2500はたしかにいいパワーアンプではあったけれど(すでに製造中止になっていたが)、
PM510に合うかといえば、試すまでもなく合うようにはどうしても思えない、思い込むこともできない。

マークレビンソンのML2Lも、4343をスピーカーに選んでいれば、迷わずこのアンプをどうやって手に入れようか、
その購入計画を立てたことだろう。でもPM510には、ML2Lも合うとは思えない。

スレッショルドのSTASIS1は、あまりにも高価すぎて検討の対象には最初から外れていた。
その下のモデル、STASIS2、STASIS3はどうだろうか、といったところで、やはり浮かんできたのは800Aである。

800Aだったら、かなりいい感じで鳴ってくれる、そういう予感が湧いてきた。

Date: 8月 23rd, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その23・余談)

いまやっている、このブログとはちがう作業中に、PM510についての瀬川先生の記述を見つけた。
ステレオサウンド 57号である。
この号の特集記事はプリメインアンプ34機種の試聴で、瀬川先生は試聴用のスピーカーとして、
メインはJBLの4343。それにアンプのスピーカーへの適応性をさぐるためにアルテックの620Bも使われている。

少々話ははずれるが、このプリメインアンプ試聴における瀬川先生の「しつこさ」は、
なぜ、ここまでやられるのか? という想いがしてくる。

ACプラグの極性のよる音の差、から、
カートリッジも5機種用意され、そのうちMC型カートリッジの昇圧手段として、
トランスを3種類、適宜つなぎかえられている。
いったいひとつのアンプを聴くに、どれだけ時間を費やされていたのだろうか。

カートリッジを5機種交換して調整して、という手間だけでも、
いくらオーディオ機器の扱いに慣れているといっても、
34機種のプリメインアンプを聴くとなると、それだけでもけっこうを時間になる。

ここの調整がいいかげんであれば、アンプの差を聴いてるのか、
カートリッジの調整のバラつきによる音の差を聴いているのか、はっきりしなくなってくる。

瀬川先生ほどのキャリアがあれば、これほどの時間をかけなくても、編集部が要求してくる原稿枚数を、
編集部が満足するだけの質の高さで書きあげるだけの「もの」はお持ちのはずだ。
なのに、しつこいほどに、アンプを各部、細部にわたり試聴されている。

「なれあうな」という声がきこえてきそうである。

このテストでスピーカーはJBLとアルテックと書いたが、じつは1機種用意されている。
発売になったばかりのロジャースのPM510である。
ただ、これはうまく鳴るであろうと確信をもてるアンプだけで使われている。

なぜかといえば、
PM510が「アンプのクォリティおよびもち味によって、鳴り方の大きく左右される」スピーカーだから、である。

瀬川先生の試聴記には「スピーカーへの適応性」という項目があった。
そこにアルテックについては、すべてのアンプで書かれている。
ところが、PM510がどう鳴ったのかについては、1機種のみである。

最初に確信がもてるアンプだけで鳴らされた、
とあるようにそう多くの機種で試されたわけでないことはわかるが、
それでも試聴記に書けるだけの音で、PM510を鳴らしたのは、その1機種だけということになる。
しかも、そのアンプは、34機種最高価格のものではなかった。108,000円のビクターのA-X7Dなのだった。

ステレオサウンド 56号のPM510の記事を読んで以来、次に買うスピーカーはPM510と決めていた。
そのとき使っていたスピーカーからすると一気にグレードアップすることなる。
それでも途中で段階を踏むよりも、PM510までよそ見をすることなくつき進んだほうがいいと考えたからだ。

PM510を買う、なんて高校生にとっては無謀な計画をたてる一方で、
アンプはセパレートアンプなんてとうてい無理だから、そのとき使っていたサンスイのAU-D907 Limitedか……。
現実的に考えていた。でもPM510と合うかといえば、そぐわない気もしていた。
そこに、A-X7Dの、瀬川先生の試聴記。

こう書いてあった。
     *
ロジャースPM510のように、アンプへの注文の難しいスピーカーも、かなりの満足度で鳴らすことができた。テスト機中、ロジャースを積極的に鳴らすことのできた数少ないアンプだった。
     *
これだ、A-X7Dを買おう! と、そのときは決めていた。なのに……、である。

Date: 8月 22nd, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その23)

ステレオサウンドで働きはじめたころ、うまいぐあいにロジャースの PM510があった。
仕事が終ったあと、先輩編集者のNさんと試聴室で、アンプをいくつか替えながら PM510を鳴らしたこともある。

そのころのステレオサウンドのリファレンスアンプはマッキントッシュの C29と MC2255の組合せだった。
これでも鳴らしてみた。それからたまたまあったマイケルソン&オースチンの TVA1も接いでみた。
そのほか、いくつか聴きながら思っていたのは、少なくとも私にとって、
アンプの違いによる音の差がはっきりと聴きとりやすいのは、JBLの4343よりもPM510だということ。

4343で聴いていたときには気づかなかった、気づきにくかったところが PM510では、
しかっりと提示される。だからといって、これみよがしではなく、さりげなくであるところが、またいい。

もちろんすべの面において、4343よりもPM510のほうが音が聴き分けやすいわけではなかろう。
アンプの音の違いにしても、また違う側面に関しては4343のほうが明瞭に鳴らし分けるところもあるだろうし、
また人によっては4343のほうが聴きとりやすい、と感じてもなんら不思議ではない。

とにかく買える買えないは関係なく、そのとき試聴室の倉庫にあり、気になるアンプは片っ端から試してみた。
そして私の中に芽生えた結論は、スレッショルドの800Aで鳴らしてみたい、だった。

瀬川先生はステレオサウンド 56号の記事中では、スチューダーのA68を接いで「うまくいった」と書かれている。
PM510の「音が立体的になり、粒立ちがよくなってくる」のは、アメリカ系のアンプや国産のアンプではなく、
スチューダーのA68で鳴らしたとき、である。

瀬川先生は、「ルボックスのA740をぜひとも比較したいところ」とも書かれている。
スチューダーのA68か、そのコンシューマー版のルボックスのA740。
そのどちらかで鳴らすことで、PM510の音の世界が完結するだろうけど、
瀬川先生は4343も所有されている。だからそ対極の世界として、こういう組合せはたしかに素晴らしいだろうけど、
私にとってはPM510しかない。
これがメインスピーカーシステムだけに、
もうすこしその「世界」を拡大したい、と欲張った気持、若さゆえの諦めの悪さみたいなものもあって、
素直にA68もしくはA740にしようとはまったく考えていなかった。

Date: 8月 21st, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その22)

800Aに対する私の思い入れは、続いていてた。
ステレオサウンドで働くようになってからも続いていた。

1982年、まだ19歳の時にロジャースのPM510を買った。
ステレオサウンドで働いていたおかげで、輸入元オーデックスのYさんのご好意によって、なんとか手が届いた。

ステレオサウンド 56号に掲載された瀬川先生による紹介記事を読んだときから、
PM510は4343とともに、自分のものにしたいスピーカーシステムの筆頭候補になっていた。
     *
全体の印象をまず大掴みにいうと、音の傾向はスペンドールBCIIのようなタイプ。それをグンと格上げして品位とスケールを増した音、と感じられる。
     *
瀬川先生のPM510の文章の中で、音については、まずこういう表現からはじめられている。
このわずか数行だけで、もう魅了されていた。

なんどか書いているように、熊本のオーディオ店で瀬川先生は定期的に「オーディオ・ティーチイン」という、
あるテーマによる試聴会を行われていた。

その中で、スペンドールのBCIIとJBLの4341を鳴らされた回があった。
たしかに4341はすぐれたスピーカーだ、ということは、それが万全な調子で鳴っていなくても明らかだった。
それにくらべると、BCIIの鳴り方は、どことなくこじんまりしている。

スピーカーそのものの大きさの差以上に、BCIIはこじんまりと鳴る。
音の表現の精確そのものが対照的であるために、よけいにそう感じたのだろうが、
それでもBCIIのほうを「いいスピーカーだなぁ」と思っていた。

4341(4343)まではいかなくても、これがもう少しスケールが大きくなってくれたら、
どんなに素晴らしいだろうか、とBCIIの音をはじめて耳にしたときからずっと思い続けてきていた。

Date: 8月 21st, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その21)

The Gold の記事が載ったステレオサウンド 55号は、1980年6月に出ている。
日本に輸入された台数は、おそらくそれほど多くないであろうスレッショルドの800Aなのに、
想い続けていると不思議と縁もうまれてくるのか、
800Aよりも多く輸入されていたはずの GAS のアンプジラを聴く機会はなかったのに、
このときまでに800Aは地元のオーディオ店で聴く機会が二回あった。

思い入れたっぷりだっただけに、どれだけ冷静に聴いていたのは、いまとなってははなはだあやしいけれど、
それでも800AとJBLとの組合せから鳴ってくる響きには、清楚な心地良さがあったように記憶している。

あぁ、やっぱり、素晴らしいアンプなんだぁ……、と感じていた。
だから「スレッショルド」というブランドへの思い入れも深くなっていた。

なのに、そのスレッショルドのSTASIS1(おそらく800Aを超えるであろうアンプ)よりも、
The Gold のほうがすぐれている、とは信じたくなかった。

だから瀬川先生が、The Gold と STASIS1 をどう評価されるのかが、とにかく一日でもはやく知りたかった。

Date: 8月 20th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その20)

スレッショルド STASIS1の記事が載ったステレオサウンド 53号の表紙は SUMO の The Gold だった。
そのThe Goldの記事がのるのは半年後の55号。

ちなみに The Power は52号の新製品紹介記事と
53号の特集記事「いま話題のアンプから何を選ぶか」に登場している。

このふたつの記事を読んでいて、SUMOのことがすこし気になっていた。
そこに55号の The Gold の記事。この記事もやはり井上・山中両氏による対談で構成されている。

いくつか気になるところを抜き書きしてみる。
「音の深み、切れ込みなどもザ・パワーと比べて格段のクォリティが得られます。特にエネルギー感は比類のないもので、これまでに聴いたアンプの中でも抜群といっていいと思います。」(山中)

「力で押すタイプのザ・パワーに対して、ザ・ゴールドからはいくらでもエネルギーが出てくる。」(井上)
「レコードの録音の差も明確にわかります。」(井上)
「こういうアンプは言葉では表現しにくいですね。一定の姿形がありませんからあらゆるいい言葉がいえてしまう。」(井上)

「このしなやかな反応は大変なものですね。(中略)反応が非常にフレキシブルなためにどれが本当の持味なのかわからないのです。」(山中)

読んでいくと、STASIS1で語られたことがもっとよくなっている感じを受けるし、
おふたりの発言にも熱がこもっている、そんな感じを受けた。

そして井上先生のつぎの言葉。
「以前紹介したスレッショルドのステイシス1とよく似た印象がありますが、このアンプはもっと反応が速いしより変化自在だと思います。」

ショックだった……。
STASIS1よりも、すぐれたパワーアンプが、ボンジョルノによるSUMOのアンプだということが。

ほんとうは素直に喜ぶことである。
STASIS1の予価はペアで3,000,000円。The Gold は1,450,000円とほぼ半分なのだから。

なのに、そのころの私は、そうじゃなかった。
私のなかでイチバンのアンプは、つねにイチバンであってほしかったから、ということも関係している。

Date: 8月 18th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その19)

ステレオサウンド 53号に載ったSTASIS1の価格をみて思ったのは、
この機種と4000 Customのあいだをうめる機種が、ないということ。

4000 Customは798,000円。STASIS1は予価の時点でその4倍の値づけ。
これだけの規模(価格)のモノをつくるのであれば、
なぜ800Aを採算がとれない、という理由で製造中止にしたんだろう? と思う。

登場時の価格(1,100,000円)で採算が合わないから、価格をあげればすむことだろう、と。

800Aがなくなり、4000 Customが最上機種だったのがつづいていたときは、
スレッショルドは、むやみに高価なモノは作らない主義なのかもしれない、と思ったこともあるが、
STASIS1の発表でそれは違っていたわけだ。

800Aの音を、4000 Customで実現できていたとは思えない。
もしかする……、と思いつくことはあるが、これについて書きはじめると、
いつまでたっても先に進めなくなるので、項を改めて、いつか書こうと考えている。

日本には紹介されていないが、じつはSTASIS1の前に、800Sというモデルが存在している。
800Sの「S」は、STASISをあらわしている。