ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その31)
もし、当時、男性的、とか、女性的な音、という表現が使われてなかったら、
そしてアンプジラ、とか、GAS、という名前でなかったら、
そしてアンプジラの筐体の恰好が、まったく違ったものだったら、
私ももっと早くから、GASのアンプ、つまりボンジョルノに対して、素直な関心を抱いていたかもしれない。
Ampzillaに、Son of Ampzilla、 Grandsonと、パワーアンプの型番に、
これまた男性を意識させる名前をつけるボンジョルノのセンス。
実を言うと、嫌いではない。むしろ好きといってもいいかもしれない。
でも、この項の最初のところに書いているように、このころは私にとって、
クラシックと同じくらい(すこしオーバーな表現だけれど)、
女性ヴォーカルが、たまらなく魅力的に鳴ってくれるということは重要なことだった。
女性ヴォーカルがしっとり、しんみりと目の前で、私ひとりのために歌ってくれるような情景が再現できれば、
少なくともクラシックにおいても、ヴァイオリンはうまく鳴る。
そんなふうにも考えていた10代のころだった。
だからアンプジラに、その息子、さらに孫息子、というアンプの名前は、もうはっきりと男性的である。
ただ屁理屈をこねさせてもらうと、アンプジラはアンプのゴジラなのだから、実のところ女性的な型番でもある。
映画の中のゴジラには、ミニラという息子がいる。
ほかに家族はいないようだから、少なくともゴジラを子供を生めるわけだからオスではない……。
とにかく、当時、アンプジラ・ファミリーに対して、姉妹機、という言葉は使わなかった。
スレッショルドになると、800A、4000、400の一連のラインナップには、姉妹機という言葉がしっくりくる。
こんなささいなことにおいても、GASのアンプには女性的な要素を、あの時点では感じられなかった。