シフのベートーヴェン(その7)
(その6)を書いてから気づいたことがある。
結局のところ、なぜベートーヴェンを聴くのか、
その理由を知りたいことに、いまさらながら気づいた。
そして、こんなことをおもうのはベートーヴェンだけである。
モーツァルトを、ワーグナーを、マーラーを、ブラームスを、バッハを、
なぜ聴くのか、ということを、これまで考えたことはなかった。
ベートーヴェンだけである。
なぜ、ベートーヴェンを、私は聴くのだろう……
(その6)を書いてから気づいたことがある。
結局のところ、なぜベートーヴェンを聴くのか、
その理由を知りたいことに、いまさらながら気づいた。
そして、こんなことをおもうのはベートーヴェンだけである。
モーツァルトを、ワーグナーを、マーラーを、ブラームスを、バッハを、
なぜ聴くのか、ということを、これまで考えたことはなかった。
ベートーヴェンだけである。
なぜ、ベートーヴェンを、私は聴くのだろう……
アンドラーシュ・シフはハンガリーのピアニストである。
ハンガリーのピアニストには、私の好きなアニー・フィッシャーもいる。
アンドラーシュ・シフは1953年12月21日、
アニー・フッシャーは1914年7月5日うまれ。
二世代ほど離れている。
アンドラーシュ・シフは男、アニー・フッシャーは女。
こんな違いをならべたところで、
二人のベートーヴェンの演奏の違いに、どこかつながっていくとは思っていないけれど、
まったく無関係とも思っていないところが、私にはあるようだ。
だから、つい書いてしまうのだろう。
アニー・フッシャーもベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を録音している。
フンガロトンから出ている。
録音は、1977年から78年にかけて行われている。
2002年にCDが出た。
買いそびれてしまっていた。
2014年にふたたび出た。
アニー・フッシャー自身は、この録音に満足していなかった、とも伝えられている。
それでも聴いていると、素晴らしいベートーヴェンだ、と私は思う。
どこが不満なのか、どこに懐疑的だったのかは、いまのところ私にはわからない。
おそらく、これから先もわからないままなのかもしれない。
でも、ずっと聴きつづけていくであろう、とおもっている。
最初は、「アニー・フッシャーのベートーヴェン」というタイトルで書こうと考えていた。
なのに、ここで書いているのは、二人ともハンガリー出身という共通点を思い出したからだ。
とはいえ、二人のベートーヴェンの演奏を逐一比較しながら書いていこう、とはまったく考えていない。
書きたい、というよりも、私自身がその理由を知りたいのは、
私にとってアンドラーシュ・シフの演奏は、デッカ時代、いまのECMの録音をふくめて、
聴いてしばらくは何度も聴いていたのに、ある時からパタッと聴かなくなってしまう。
素晴らしいピアニストだ、ということを疑ってもないのに、
なぜ、そんなふうになってしまうのか。それが知りたいだけである。
別項「ベートーヴェン(動的平衡)」でも、
「挑発するディスク(余談・その4)」でも、
ベートーヴェンの音楽を、動的平衡の音の構築物とした。
私は、ベートーヴェンの音楽の最大の特徴は、ここにあると考えているし、
動的平衡の音の構築物として、ベートーヴェンの音楽のレコード演奏を目指している。
そういう捉え方、聴き方をしているわけだから、
ベートーヴェンの音楽から、何かを取りのぞくことは不可能だとも考えている。
ベートーヴェンの「第九」から歓喜の歌を取りのぞいたら──、
もしそんなことが可能になったら、
もうそれはベートーヴェンの音楽ではなくなる。
つまり動的平衡が崩壊してしまう。
もう音の構築物でもなくなってしまう。
もちろん、これは私の聴き方であって、
そんなふうには聴かない聴き手がいる。
どちらがベートーヴェンの音楽をよく理解しているとか、そういうことではなくて、
ベートーヴェンの音楽の聴き手であっても、
動的平衡の音の構築物という捉え方をまったくしていない聴き手もいる、というだけのことだ。
動的平衡の音の構築物という捉え方をまったくしていないベートーヴェンの音楽の聴き手であれば、
「第九」から……、という発想が出てきても、なんら不思議ではないし、
動的平衡が歓喜の歌を取りのぞくことで失われてしまっても、
ベートーヴェンの音楽のままなのだろう。
ベートーヴェンの「第九」、私は名曲だと思っているけれど、
音楽を聴く人のすべてが、
「第九」を名曲だと思っていなければならないと考えているわけではない。
「第九」をつまらない曲と思っている人がいてもかまわない。
それでも、こんなこんなことを書いているのは、
「第九」から歌を取りのぞけば──、そういう発想をする人がいることに、
少々驚いているからだ。
「第九」の四楽章から歌を取りのぞく、
そんなことを考えたことは一度もなかった。
なかっただけに、
「歌が入っていなければ、いい曲なのに……」という発言の裏には、
「第九」の四楽章から、
歌を取りのぞける(取りのぞけたら)という考えがある、というふうに受け止めてしまう。
歌は、オーケストラの演奏と一体となっている。
いままでこんなことを考えてみたことがなかっただけに、
「歌が入っていなければ、いい曲なのに……」を聴いて、
よけいに一体となっていることを改めて感じた。
それだけに「歌が入っていなければ、いい曲なのに……」、
四楽章で歌が入ってくることでだいなしに、しかも演歌にしている──、
そういったことを聞いたり読んだりすると、
この人たちは、「第九」に涙したことはないんだな、と思う。
私が小澤征爾/ボストン交響楽団の「第九」を聴いて涙したのは、
四楽章の歌が始まってからだったし、
年末に刑務所で「第九」を聴いて号泣した受刑者も、たぶんそうであろう。
受刑者の、その人は、おそらく「歓喜の歌」のことはまったく知らなかったのではないか。
ドイツ語もまったく理解していなかったのではないか。
それでも「第九」の四楽章で、
“O Freunde, nicht diese Töne!”(「おお友よ、このような音ではない!」)と、
バリトン独唱が歌う、そのところで涙したのではないのか。
そして、そこからは最後まで涙していたようにおもう。
そういう力が「第九」にはある。
6月5日のaudio wednesdayでは、
フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団によるベートーヴェンの「第九」も鳴らした。
ライナーの「第九」のことは、(その1)で触れている。
1989年の映画「いまを生きる」(原題はDead Poet Society)で使われていた。
この映画を観ていて、ライナーの「第九」と出逢えた。
私はステレオ録音の「第九」では、ジュリーニ指揮ベルリンフィルハーモニーの録音とともに、
このライナー盤を聴きつづけてきている。
今回は四楽章だけを鳴らした。
鳴らし終って、常連のKさんが「歌が入っていなければ、いい曲なのに……」といわれた。
Kさんと同じことを、ある雑誌でもみかけたことがある。
どの雑誌で、どの人が書いたことなのか記憶しているけれど、ここでは書かない。
その人もまた、四楽章で歌が入ってくることで、
「第九」をだいなしにしている。
さらには、演歌にしてしまっている──、
そんなことを書かれていた。
音楽の聴き方も、ほんとうに人によって、大きく違ってくる。
もう人さまざまという言葉だけでは足りないとおもえるほどに、
こうまで違ってくるものか、ともう諦めるしかないのか。
30代なかばだったら、ムキになって説得しようと試みただろうが、
いまは、もうつもりはない。
一応、反論めいたことはちょっと言ったけれど、
それ以上はあえて言うまい。
でも、(その10)で書いている、昔の新聞で読んだ記事のことを思い出す。
年末に受刑者に「第九」を聴かせた、という話だ。
受刑者の一人が剛球した、という内容だった。
「第九」をもっと以前に聴いていれば、
罪を犯すことはなかっただろう……と。
私も、ベートーヴェンの「第九」を、
小澤征爾指揮ボストン交響楽団の演奏で、人見記念講堂で聴いたとき、
四楽章でバリトンが歌い出したところから、もう涙が止まらなかった経験がある。
五味先生の「西方の音」を読んだのは、ハタチぐらいだったか。
「日本のベートーヴェン」が、最後に収められている。
そこに、こんなことが書いてあった。
*
私は『葬送』の第一主題に、勝手なその時その時の歌詞をつけ、歌うようになった。歌詞は口から出まかせでいい、あの葬送のメロディにのせて、いちど自分でうたってごらんなさい。万葉集の相聞でも応援歌でも童謡でもなんでもいいのだ。どんなに、それが口ずさむにふさわしい調べかを知ってもらえるとおもう。ベートーヴェンの歌曲など、本当に必要ないくらいだ。日本語訳のオペラは、しばしば聞くにたえない。歯の浮くような、それは言語のアクセントの差がもたらす滑稽感を伴っている。ところが『葬送』のあの主旋律には、意味のない出まかせな日本語を乗せても、実にすばらしい、荘重な音楽になる。これほど見事に、全人類のあらゆる国民が自分の国のことばで、つまり人間の声でうたえるシンフォニーをベートーヴェンは作った。こんな例は、ほかに『アイネ・クライネ』があるくらいだろう。とにかく、口から出まかせの歌詞をつけ、少々音程の狂った歌いざまで、『英雄』第二楽章を放吟する朴歯にマント姿の高校生を、想像してもらいたい。破れた帽子に(かならず白線が入っていた)寸のつまったマントを翻し、足駄を鳴らし、寒風の中を高声に友と朗吟して歩いた——それは、日本の学生が青春を生きた一つの姿勢ではなかったかと私はおもうのだ。そろそろ戦時色が濃くなっていて、われわれことに文科生には、次第にあの《暗い谷間》が見えていた。人生いかに生きるべきかは、どう巧妙に言い回したっていかに戦死に対処するかに他ならなかった。大きく言えば日本をどうするかだ。日本の国体に、目を注ぐか、目をつむるか、結局この二つの方向しかあの頃われわれのえらぶ道はなかったと思う。私自身を言えば、前者をえらんだ。大和路に仏像の美をさぐり、『国のまほろば』が象徴するものに、このいのちを賭けた。——そんな青春時代が、私にはあった。
*
『葬送』とは、ベートーヴェンの交響曲第三番の葬送行進曲のことだ。
その第一主題に、《勝手なその時その時の歌詞》をつけて歌う。
真似をしたことがある。
けれど、すんなりいかなかった。
それには、少し気恥ずかしさもあったからだろう。
そんな私がいま何をやっているかというと、
ベートーヴェンの「第九」の四楽章で、同じことをやっている。
《勝手なその時その時の歌詞》をつけて歌っている。
意識して始めたことではない。
ふと旋律が浮んできて口ずさんだ。
その時に、勝手な日本語をつけて歌っていた。
やってごらんなさい、というつもりはない。
第三番の葬送行進曲で、やっと歌えそうな気がしている。
《人は幸せになるために生まれてきたのではない。自らの運命を成就するために生まれてきたのだ》
ロマン・ロランがベートーヴェンをモデルとしたといわれている「ジャン・クリストフ」に出てくる。
「歓喜の歌」の歓喜とは、そういうことなのか、とも思う。
これからなされていく「第九」の録音で、私が聴きたいと思う演奏(指揮者)は、
もう現れてこないかもしれない──、そんな予感とともに、
パブロ・カザルス指揮のベートーヴェンの「第九」は聴きたい。
どうしても聴きたい。
録音は残っている、という話は聞いている。
ほんとうなのかどうかはわからない。
残っているのであれば、たとえひどい録音であろうと、カザルスの「第九」はぜひとも聴きたい。
カザルスの第七交響曲を聴いて、打ちのめされた。
第八交響曲もよく聴く。
第七、第八と続けて聴くこともある。
続けて聴くと「第九」を聴きたいという気持は高まる。
どうしようもなく高まっていく。
それはカザルスの演奏だから、いっそうそうなるともいえる。
カザルスのベートーヴェンの交響曲を聴いていると、
「細部に神は宿る」とは、このことだと確信できる。
カザルスとマールボロ管弦楽団によるベートーヴェンの交響曲は、
細部まで磨き抜かれたという演奏ではない。
むしろ逆の演奏でもある。
なのに「細部に神は宿る」は心底からそう思うのは、
細部までカザルスゆえの「意志」が貫かれているからだ。
細部まで熱いからだ、ともいえる。
音が停滞することがない。
すべての音が、次の音を生み出す力をもっている、と感じるから、
カザルスのベートーヴェンを聴いて、
「細部に神は宿る」とはまさしくこの演奏のことだと自分自身にいいきかせている。
ジュリーニ/ベルリンフィルハーモニーのあとも、「第九」の新譜は聴いてきた。
すべてを聴いていたわけではない。
聴きたいと思った指揮者の「第九」は聴いてきた。
けれど2011年のリッカルド・シャイー/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、
2012年になって輸入盤が入ってきたクリスティアン・ティーレマン/ウィーンフィルハーモニー、
これ以降なされた録音の「第九」を聴いていない。
ベートーヴェンの「第九」を聴いてみたいという指揮者がいないというのが、
シャイー、ティーレマンで留っている理由である。
聴いてみたい、と心が動かない。
そうなってしまったのは、老化なのだろうか、とも思う。
このまま、新しく録音された「第九」を聴かずに、
いままで聴いてきた「第九」をくり返し聴いていくのだろうか。
(その9)で引用した五味先生の文章を、もう一度読んでほしい。
*
ベートーヴェンのやさしさは、再生音を優美にしないと断じてわからぬ性質のものだと今は言える。以前にも多少そんな感じは抱いたが、更めて知った。ベートーヴェンに飽きが来るならそれは再生装置が至らぬからだ。ベートーヴェンはシューベルトなんかよりずっと、かなしい位やさしい人である。後期の作品はそうである。ゲーテの言う、粗暴で荒々しいベートーヴェンしか聴こえて来ないなら、断言する、演奏か、装置がわるい。
(「エリートのための音楽」より)
*
ソニーのポーダブルCDの音は、決して優美な音ではなかった。
安っぽい音といってはいいすぎだが、価格相当の音でしかなかった。
それでもジュリーニの「第九」に涙した。
ソニーのポータブルCDの音は、優美な再生音ではなかったけれど、
それまでの私は、優美な再生音を出そう、優美な再生音でベートーヴェンを聴きたい、
その一心でオーディオをやってきた。
優美な再生音が出せていたのかよりも、
出そうとつとめてきた日々があったからこそ、といえる。
だから音楽を聴いてきてよかった、
ベートーヴェンを聴いてきてよかった、とともに、
オーディオをやってきてよかった、ともおもっていた。
ベートーヴェンの前に出ていた、ウィーンフィルハーモニーとのブラームスも素晴らしかった。
だからベルリンフィルハーモニーとのベートーヴェンも期待していた。
期待していたからこそ、無理をしてでもCDと聴くためのポータブルCDを購った。
ソニーのポータブルCDだった。
質屋にあったくらいだから最新機種でもなく、普及クラスの型落ちモデルである。
どんな音なのかはまったく期待していなかったし、その通りの音しかしてこなかった。
それでも、聴いていて涙がとまらなかった。
男は成人したら、涙を流していいのは感動したときだけだ、と決めていた。
つらかろうが、くやしかろうが、涙は流さないのが大人の男だと思っていた。
こんなにも涙は出るものか、と思うほどだった。
一楽章がおわり、二楽章、三楽章と聴いて、四楽章。
バリトンの独唱がはじまると、もっと涙が出た。
大切なもの、大事にしてきたものがほとんどなくなってしまった狭い部屋で、
ひとりでいた。ひとりできいていた。
音楽を聴いてきてよかった、と思った。
ベートーヴェンを聴いてきてよかった、とも思っていた。
1990年8月に左膝を骨折した。
一ヵ月半ほど入院していた。
真夏に入院して、退院するころは秋だった。
退院したからといって病院と縁が切れるわけではなく、
リハビリテーションがあるから毎日通院していた。
骨折して脚が一時的ではあるが不自由になると、
健康なころには気づかないことが多々在ることを知らされる。
普段何気なく歩いているのはどこにも故障がないからである。
片膝が曲らないだけで、歩き難さを感じる。
道の断面が平らではないから、端を歩くのが大変だし、
歩道に電柱があったりする。
そういう歩道に限って狭いのだから、電柱をよけるのもいやになる。
階段もそうだ。
昇るのが大変だと思われがちだが、昇りはゆっくり進めばいいだけで、
怖いのは降りである。
昇りのエスカレーターはあっても、降りのエスカレーターはない駅が大半だった。
なぜ? と思う。
リハビリに通い始めのころは歩くのも遅かった。
高齢の方に追い越されもした。
そんな日々が一ヵ月以上続いた。
リハビリから戻ってきても、部屋には何もなかった。
音楽を鳴らすシステムが何もなかった。
それでもリハビリからの帰り道、ジュリーニ/ベルリンフィルハーモニーの「第九」の新譜をみかけた。
聴きたい、と思った。
といっても聴くシステムがないから、
当時住んでいた西荻窪駅近くの質屋でポータブルCDがあったのを買った。
(その6)で書いたことを、また書いているのは、
この時のジュリーニの「第九」は不意打ちだったからだ。
ジュリーニの「第九」だから買った。
期待して聴いた。
それでも不意打ちのような感動におそわれた。
そのときの私は、仕事をしていなかった。
ひとりでいた。
リハビリだけの日々。
日常生活を送っていた、
とはいえ、みじめな生活といえばそうである。
どことなく社会から取り残され隔離されているように感じていたのかもしれない。
ポータブルCDだから付属のイヤフォンで聴いた。
少し大きめの音で聴いた。
今年の秋で、「五味オーディオ教室」と出逢って40年になる。
40年のうちに、いろんな変化があった。
そのひとつに、ベートーヴェン交響曲全集がある、と思う。
レコード会社にとって、全集モノは、いわゆる金のかかる企画である。
時間もふくめて、金のかかる企画である。
そうである以上、ある程度、もしくは十分に採算のとれる見込みがなければ、
レコード会社も手を出さない、といえる。
まして全集モノの再録音となると、それをやれる演奏家はごく一部に限られる。
カラヤンがそういう存在だった。
ベートーヴェン全集を再録音している。
その全集はレコード雑誌だけでなく、オーディオ雑誌でもとりあげられていた。
演奏の変化とともに録音の変化について語られることがあった。
隔離された場所での、不意打ちのように流れてきた音楽に接した聴き手と、
クラシック音楽が好きで、自分でレコードを買い、オーディオを介して接する聴き手とで、
演奏家に対しても違いがある。
レコードを買って聴く聴き手は、
レコードを棚から取り出すときすでに、曲とともに演奏家を意識している。
ベートーヴェンの「第九」をカラヤンで聴きたい、とか、トスカニーニで聴きたい、といったように。
隔離された場所で「第九」、「フィガロの結婚」に接して聴き手は、
流れてきた曲が誰が作曲したのかもわからない人が多いかもしれないし、
たとえ曲名は知っていても、誰が演奏しているかどうかまでは知らずに聴く(聴かされる)ことになる。
何も知らずに、突然鳴ってきた音楽を聴く。
音楽との出逢いにおいて、この不意打ちのように聴こえてきた音楽は、
ときとして意識して聴く音楽以上に、聴き手の心に響くのかもしれない。
隔離された場所での不意打ちのように鳴ってきた音楽──。
(その1)で書いた映画「いまを生きる」(原題はDead Poet Society)の中盤、
突然鳴ってきたベートーヴェンの「第九」は、私にとってまさに不意打ちであった。
あのシーンで「第九」が使われるとは、とも感じたけれど、
やはり、あのシーンでは「第九」だな、と思いながら、
誰の演奏なのかわからない「第九」を初めて聴いていた。
映画館も、いわば隔離された場所といえなくもない。
大きな映画館では千人以上の人が入り、暗がりの中、皆スクリーンを見つめている。
自分の意志で入場し、出ようと思えば映画の途中でも退場できる。
そんな隔離された場所は、刑務所という出入りが自由にはできないところとは、
隔離の意味合いがずいぶんと違うのはわかっている。
私は映画館というある種隔離された場所・時間の中で、ライナーの「第九」と出逢った。