ベートーヴェンの「第九」(その13)
1990年8月に左膝を骨折した。
一ヵ月半ほど入院していた。
真夏に入院して、退院するころは秋だった。
退院したからといって病院と縁が切れるわけではなく、
リハビリテーションがあるから毎日通院していた。
骨折して脚が一時的ではあるが不自由になると、
健康なころには気づかないことが多々在ることを知らされる。
普段何気なく歩いているのはどこにも故障がないからである。
片膝が曲らないだけで、歩き難さを感じる。
道の断面が平らではないから、端を歩くのが大変だし、
歩道に電柱があったりする。
そういう歩道に限って狭いのだから、電柱をよけるのもいやになる。
階段もそうだ。
昇るのが大変だと思われがちだが、昇りはゆっくり進めばいいだけで、
怖いのは降りである。
昇りのエスカレーターはあっても、降りのエスカレーターはない駅が大半だった。
なぜ? と思う。
リハビリに通い始めのころは歩くのも遅かった。
高齢の方に追い越されもした。
そんな日々が一ヵ月以上続いた。
リハビリから戻ってきても、部屋には何もなかった。
音楽を鳴らすシステムが何もなかった。
それでもリハビリからの帰り道、ジュリーニ/ベルリンフィルハーモニーの「第九」の新譜をみかけた。
聴きたい、と思った。
といっても聴くシステムがないから、
当時住んでいた西荻窪駅近くの質屋でポータブルCDがあったのを買った。
(その6)で書いたことを、また書いているのは、
この時のジュリーニの「第九」は不意打ちだったからだ。
ジュリーニの「第九」だから買った。
期待して聴いた。
それでも不意打ちのような感動におそわれた。
そのときの私は、仕事をしていなかった。
ひとりでいた。
リハビリだけの日々。
日常生活を送っていた、
とはいえ、みじめな生活といえばそうである。
どことなく社会から取り残され隔離されているように感じていたのかもしれない。
ポータブルCDだから付属のイヤフォンで聴いた。
少し大きめの音で聴いた。