Date: 4月 27th, 2018
Cate: ベートーヴェン
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ベートーヴェンの「第九」(その19)

五味先生の「西方の音」を読んだのは、ハタチぐらいだったか。
「日本のベートーヴェン」が、最後に収められている。
そこに、こんなことが書いてあった。
     *
 私は『葬送』の第一主題に、勝手なその時その時の歌詞をつけ、歌うようになった。歌詞は口から出まかせでいい、あの葬送のメロディにのせて、いちど自分でうたってごらんなさい。万葉集の相聞でも応援歌でも童謡でもなんでもいいのだ。どんなに、それが口ずさむにふさわしい調べかを知ってもらえるとおもう。ベートーヴェンの歌曲など、本当に必要ないくらいだ。日本語訳のオペラは、しばしば聞くにたえない。歯の浮くような、それは言語のアクセントの差がもたらす滑稽感を伴っている。ところが『葬送』のあの主旋律には、意味のない出まかせな日本語を乗せても、実にすばらしい、荘重な音楽になる。これほど見事に、全人類のあらゆる国民が自分の国のことばで、つまり人間の声でうたえるシンフォニーをベートーヴェンは作った。こんな例は、ほかに『アイネ・クライネ』があるくらいだろう。とにかく、口から出まかせの歌詞をつけ、少々音程の狂った歌いざまで、『英雄』第二楽章を放吟する朴歯にマント姿の高校生を、想像してもらいたい。破れた帽子に(かならず白線が入っていた)寸のつまったマントを翻し、足駄を鳴らし、寒風の中を高声に友と朗吟して歩いた——それは、日本の学生が青春を生きた一つの姿勢ではなかったかと私はおもうのだ。そろそろ戦時色が濃くなっていて、われわれことに文科生には、次第にあの《暗い谷間》が見えていた。人生いかに生きるべきかは、どう巧妙に言い回したっていかに戦死に対処するかに他ならなかった。大きく言えば日本をどうするかだ。日本の国体に、目を注ぐか、目をつむるか、結局この二つの方向しかあの頃われわれのえらぶ道はなかったと思う。私自身を言えば、前者をえらんだ。大和路に仏像の美をさぐり、『国のまほろば』が象徴するものに、このいのちを賭けた。——そんな青春時代が、私にはあった。
     *
『葬送』とは、ベートーヴェンの交響曲第三番の葬送行進曲のことだ。
その第一主題に、《勝手なその時その時の歌詞》をつけて歌う。
真似をしたことがある。

けれど、すんなりいかなかった。
それには、少し気恥ずかしさもあったからだろう。

そんな私がいま何をやっているかというと、
ベートーヴェンの「第九」の四楽章で、同じことをやっている。
《勝手なその時その時の歌詞》をつけて歌っている。

意識して始めたことではない。
ふと旋律が浮んできて口ずさんだ。
その時に、勝手な日本語をつけて歌っていた。

やってごらんなさい、というつもりはない。
第三番の葬送行進曲で、やっと歌えそうな気がしている。

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