598というスピーカーの存在(KEF Model 303・その3)
ひとりのオーディオ評論家を過大評価しすぎ、といわれるであろう。
それでも、瀬川先生が生きておられたら、
598戦争なる消耗戦は起きなかった、と私は思っている。
単なる偶然なのだろうが、そうとは思えないのが、
1981年に瀬川先生が亡くなられたこと、
それから二、三年後にKEFの輸入元が日本から消えてしまった。
そして598戦争である。
瀬川先生が生きておられたら、
KEFの輸入は、どこか引き受けていたであろう。
瀬川先生が生きておられたら、
KEFのスピーカーシステムの展開も違っていたであろう。
303は303.2、303.3となっていった。
303と303.2の外観は同じだが、なぜだが303.3では一般的な外観になっている。
そのころのKEFは輸入元がなかったころであり、
303.3の音がどうだったのかは、知りようがない。
《ところがその点で近ごろとくにメーカー筋から反論される。最近のローコストの価格帯の製品を買う人は、クラシックを聴かない人がほとんどなのだから、クラシック云々で判定されては困る、というのである》、
こんなことをステレオサウンドに書く瀬川先生を、
メーカーのスピーカーの担当者はどう思っていたのだろうか。
煙たい存在、小うるさい存在……、そんなふうに思っていた人もいたはずだ。
それでも、瀬川先生は厳しいことを日本のスピーカーメーカーの技術者に、
しつこいぐらいいい続けられていた──、と私は信じている。
《あの、わがままで勝手な人間のことだったから、ずいぶん誤解されたり、嫌われたりもしたらしい》、
菅野先生が、サプリームに書かれていた。
瀬川先生を嫌っていたメーカーがあったことは、聞いている。