ベートーヴェンの「第九」(その15)
(その9)で引用した五味先生の文章を、もう一度読んでほしい。
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ベートーヴェンのやさしさは、再生音を優美にしないと断じてわからぬ性質のものだと今は言える。以前にも多少そんな感じは抱いたが、更めて知った。ベートーヴェンに飽きが来るならそれは再生装置が至らぬからだ。ベートーヴェンはシューベルトなんかよりずっと、かなしい位やさしい人である。後期の作品はそうである。ゲーテの言う、粗暴で荒々しいベートーヴェンしか聴こえて来ないなら、断言する、演奏か、装置がわるい。
(「エリートのための音楽」より)
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ソニーのポーダブルCDの音は、決して優美な音ではなかった。
安っぽい音といってはいいすぎだが、価格相当の音でしかなかった。
それでもジュリーニの「第九」に涙した。
ソニーのポータブルCDの音は、優美な再生音ではなかったけれど、
それまでの私は、優美な再生音を出そう、優美な再生音でベートーヴェンを聴きたい、
その一心でオーディオをやってきた。
優美な再生音が出せていたのかよりも、
出そうとつとめてきた日々があったからこそ、といえる。
だから音楽を聴いてきてよかった、
ベートーヴェンを聴いてきてよかった、とともに、
オーディオをやってきてよかった、ともおもっていた。