Archive for category オーディオ評論

Date: 9月 28th, 2016
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(先生という呼称・その3)

2016年ショウ雑感(その11)」で書いているように、
インターナショナルオーディオショウの主宰者である日本インターナショナルオーディオ協議会は、
各ブースで行われているプレゼンテーションを、講演と呼んでいる。

その一方で出展社の中には、講演、講演スケジュールといわずに、
アクシスはステージプログラム、ステラ/ゼファンはデモスケジュール、
ノア/アーク・ジョイアは演奏スケジュール、ヤマハは試聴スケジュールといっている。

私は講演ではなく、それぞれに表現しているアクシス、ステラ/ゼファン、
ノア/アーク・ジョイア、ヤマハを支持する。

日本インターナショナルオーディオ協議会は、いつまで講演と呼ぶのだろうか。
これはオーディオ評論家と呼ばれている人全員を、先生と付けて呼ぶのと根は同じではないのか。

日本インターナショナルオーディオ協議会だけではない。
オーディオマニアも、あれを講演と呼ぶ人がいる。
私にはオーディオ漫談としか思えない話を、講演と呼ぶ。
話がおもしろくても、講演と漫談ははっきりと違う。

私が漫談と感じている話を講演と思って、
講演という呼称と先生という呼称を使っているのだろうか。

まわりがそういっているから、つい講演、先生といっているだけかもしれない。
そんなふうに思ってしまうこともある。
とりあえず失礼がなけれはそれでいい──、
という事なかれ主義からの講演、先生のように感じてしまうし、
健全なことでは決してない。

Date: 9月 21st, 2016
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(先生という呼称・その2)

ラジオ技術1957年5月号に「誌上討論会 OTL是非論」が載っている。
十人の方が、それぞれにOTLアンプに対する私論を述べられている。

OTLアンプは無線と実験1951年4月号に、最初に登場している。
アメリカの技術誌にOTLアンプが発表される八ヵ月前のことだそうだ。
つまり日本の方が、OTLアンプに関しては先駆けていたともいえるし、
それは日本が当時は貧乏国で、満足な出力トランスを用意するのが大変だから……、
ということも関係している、とのこと。
(OTLアンプの最初の発表者、乙部融郎氏がそう述べられている)。

「誌上討論会 OTL是非論」には、それぞれの書き手の肩書きが文末にある。
 木塚茂(アマチュア)
 田丸一彦(田丸研究所)
 乙部融郎(アマチュア)
 今西嶺三郎(今西研究所)
 瀬川冬樹(LP愛好家)
 浅野勇(プリモ音響KK技術部長)
 高城重躬(音楽家・音響技術者)
 山根雅美(福音電機技術部)
 鴨治儀秋(東通工)
 加藤秀夫(加藤研究所)

括弧内の肩書きは、ラジオ技術編集部が勝手につけたわけでもないだろう。
おそらくそれぞれの書き手の自己申告によるものと思われる。

瀬川先生は「LP愛好家」である。

Date: 9月 21st, 2016
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(先生という呼称・その1)

オーディオ評論家を「先生」と呼ぶ。
私も、先生とつけて呼んでいるし書いている。
ただし先生とつける人とそうでない人がいて、そうでない人のほうが圧倒的に多い。

私はそうだが、オーディオ評論家全員を先生と呼ぶ人もけっこう多い。
オーディオ業界の人たちだけでなく、オーディオマニアの中にもそういう人も多い。
評論家ごときに先生とつけるなんて、という人もいる。

いったい誰が、いつごろからオーディオ評論家を先生と呼ぶようになったのか。
ステレオサウンドからだ、という人もけっこういる。

ステレオサウンドはそういわれても仕方ない面ももつが、
ステレオサウンドが最初ではない。

あくまで私が目にした範囲でわかっているかぎりでは、
レコード芸術のほうがステレオサウンドよりも早くから、先生と呼んでいる。

レコード芸術1961年11月号に「オーディオ相談室の質問をめぐって」という記事がある。
若林駿介氏が司会で、江川三郎氏と瀬川先生が登場されている。

この記事に、瀬川先生、江川先生とすでにある。
ステレオサウンドが創刊される五年前から、「先生」が使われている。

丹念に探していけば、もっと古いのが見つかるかもしれない。
誰が、いつごろから、に正確な答はまだいえないけれど、
少なくともステレオサウンドが最初ではないことだけははっきりといえる。

Date: 9月 5th, 2016
Cate: オーディオ評論

「商品」としてのオーディオ評論・考(その3)

同じ商品であっても、オーディオ機器とオーディオ雑誌は同一視できない。
アンプしろスピーカーにしろ、ジャンルに関係なく、
オーディオ機器においての商取引は、メーカー(もしくは輸入商社)とユーザーとで成り立つ。

実際には流通系路の関係で直接取引ではなく、問屋、小売店が間にいるわけだが、
それでもメーカーの商取引の相手はユーザーである。

オーディオ雑誌も、出版社と読み手とのあいだで商取引は行われるが、
前回書いているように、出版社は広告主とも商取引をしている。

メーカー、輸入商社には、この商取引はない。

メーカー、輸入商社はオーディオ雑誌に広告を出している。
ということは出版社と商取引をしているではないか──、という反論は成り立たない。

ここでの商取引は、商品においての商取引である。
メーカーが製造したオーディオ機器、
輸入商社が輸入したオーディオ機器、
これらが商品であり、この商品においての商取引はユーザーとのあいだに成り立っている。

メーカー、輸入商社がオーディオ雑誌に広告を出すのは、別の商取引である。
けれど出版社にとっては、別の商取引とはいえない。

株式会社ステレオサウンドにとっての商品は、季刊誌ステレオサウンドであり、
他の雑誌、HiViであったり、管球王国であったりする。
ここでは季刊誌ステレオサウンドに絞って話を進める。

季刊誌ステレオサウンドという商品は、読み手とのあいだの商取引、
広告主とのあいだの商取引、このふたつの商取引をもつ。
これが雑誌という商品の特徴でもある。

同じ出版物でも書き下しの書籍は、雑誌とは違ってくる。
そこに広告はないからだ。
書籍の商取引の相手は読み手のみである。

Date: 9月 4th, 2016
Cate: オーディオ評論

「商品」としてのオーディオ評論・考(その2)

オーディオ評論家という書き手の商取引の相手は、誰かというと出版社である。
ステレオサウンドの書き手にとっての商取引相手は、株式会社ステレオサウンドという出版社である。

商取引に金銭の授受があるのだから、
書き手と読み手との間に直接的な金銭授受はないわけだから、
オーディオ評論家という書き手は出版社と商取引をしている。

その場合のオーディオ評論という「商品」は、
オーディオ評論家という書き手とステレオサウンドという出版社とで商取引されるもの、となる。

このことは今も昔は変らない。

出版社としての株式会社ステレオサウンドにとって、
季刊誌ステレオサウンドは、誰と商取引をするものなのだろうか。

読み手と株式会社ステレオサウンドとで商取引されるものが季刊誌ステレオサウンドなのだろうか。
厳密には読み手と直接商取引することは基本的になく、
取次と呼ばれる会社との商取引となるわけだが、
ここでは便宜上読み手ということにする。

読み手は株式会社ステレオサウンドにとって商取引の相手ではあるが、
読み手だけが商取引の相手ではなく、広告主もまた株式会社ステレオサウンドの商取引の相手である。

Date: 9月 4th, 2016
Cate: オーディオ評論

「商品」としてのオーディオ評論・考(その1)

8月は三人に訊かれた。
今年は、十人ちかい人に訊かれたことがある。

このブログで収入を得ているんですよね──、そんな感じで訊かれることがあった。
昨年まではほとんどそんなことはなかった(ゼロではなかった)。
でも、今年は訊かれることが急に増えた(といっても十人に満たないのだから少ない)。

このブログで収入は得ていない。
つまりここで書いていることは、「商品」として足り得ていない、ともいえる。
「商品」として認められれば収入となるだろうが、
「商品」ではないから、ここで書くことで収入を得ることはできない、ともいえる。

いつのオーディオ雑誌に載っているオーディオ評論と呼ばれている文章は、
それを書いている人たちに収入をもたらしているのだから、「商品」といえる。

商品とは辞書には、商取引されるもの、とある。
商取引には、買い手という対価を払ってくれる人がいなければ成立しない。

例えばこのブログを有料化してでも読んでくれる人がいるとすれば、
ここで書いていることは「商品」となる。
そうなった場合、読んでくれる人と私との間には誰も介在しないから、
ここでの商取引は、読み手と私のあいだで行われることである。
商取引の相手がはっきりとしている。

だがオーディオ雑誌の場合、そこまではっきりしているだろうか。
ステレオサウンド、オーディオアクセサリー、ステレオ、アナログといった雑誌には、
読者がいる。読者は二千円前後のお金を払ってこれらを買う。

けれどステレオサウンドなどに書いているオーディオ評論家の商取引の相手は、
読者なのだろうか。はっきり読者といえる人がどれだけいるだろうか。

Date: 7月 5th, 2016
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(評論とブームをめぐって・その3)

毎年暮の恒例となっている各オーディオ雑誌の賞。
賞は本来ならば、優れた人、モノ、作品に光を当て、特別に輝かせるためにあるはず。
そうであれば賞を与える側(選ぶ側)は、光を発していなければならない。

ところがいまはどうだろうか。
発した光で特別に輝かせている、とは到底思えない。

賞そのものを全面的には否定はしない。
本来のかたちである賞であることを期待しているだけである。

けれど、そのために必要な太陽となる存在が、いまはいない。
少なくとも私はそう見ている。

いまは、だからオーディオに関する賞は、賞として成立していない、といえる。
にも関わらず毎年、どのオーディオ雑誌も(ラジオ技術以外は)、賞をやる。

State of the ArtからComponents of the year、
さらにStereo Sound Grand Prixと賞の名称が変っていくごとに、
光を発していく力が失われていった。

月は太陽が発した光を反射することで、
太陽の光が直接当らないところ(モノ)へと光を届け、そこにあるモノをほのかに輝かせ、
その存在に気づかせる。
そういう役目があるから、月の存在を決して否定はしない。

けれどくり返していうが、太陽の光がなければ……、である。

Date: 7月 5th, 2016
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(評論とブームをめぐって・その2)

月と太陽の違いは、そのまま批評と評論の違いにあてはまる。

私が月と太陽の違いに思い至ったのは、
ある人の独り言に近い、ある発言を聞いたからだった。

その人はその人本人に、瀬川冬樹と同じくらいの才能があれば、
あのスピーカーの実力を、もっと広く知らしめることができたであろう……、
そんな趣旨のことを一度となく聞いたことがある。

その人の心情はわかったうえで、このことを書いている。
それは才能の違いなのだろうか。

才能の違いからきたのであれば、
オーディオ評論家としての才能について考えていかねばならないわけだが、
私には才能の違いではなく、資質の違いのように思えてきたのだった。

最初に聞いた時は、私も「才能の違い」だと思った。
けれど二三度聞いていくうちに、ほんとうにそうなのだろうか……、
他の要素があるような気がしてきたことが、月と太陽に思い至るきっかけのひとつになった。

そのオーディオ機器の実力を正しく評価するのが批評であるとすれば、
評論とは、そのオーディオ機器に光を当てて輝かせることにあるはずだ。
惚れ込んで、自分で買い込んでしまったオーディオ機器を、いかに輝かせることができるか、
輝かせることができなければ、それはオーディオ評論とはいえないレベルのものである。

太陽は光を発している。
その光で、対象となるオーディオ機器を輝かせる。

瀬川先生によるオーディオ評論が、まさにそうだった。
このことに気づいてほしい、と思う。

月は残念ながら光を自ら発することはできない。
太陽の光を反射させるだけなのだから、輝かせることができたとしても淡い輝きに留るし、
太陽の存在がなければ、その淡い輝きすらも望めない。

月としての才能が高ければ高いほど、光を発することができないジレンマに陥る。

Date: 7月 1st, 2016
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その17)

トスカニーニのオペラで、
それも黒田先生が書かれていることの中から、これも引用しておきたくなる。
     *
「Morro!」(死んでしまいます!)
 ヴェルディのオペラ「椿姫」の第一幕第二場です。アルフレードと別れてほしい。アルフレードの父ジョルジョから、執拗に嘆願されたヴィオレッタは、切羽つまって、そういいます。この場面での「Morro!」のひとことは、ヴィオレッタのつらさや悔しさ、つまり愛するアルフレードと別れなければならない無念の思いを背負い、ほとんど悲鳴のようにきこえます。このことばがヴィオレッタの口をついてでるのは、オーケストラが総奏によって緊迫感をたかめていった後です。このことばの前におかれた、ほんの一瞬の静寂が、「Morro!」のひとことを真実なものにします。
 ヴィオレッタは、さぞやつらいであろう。さぞや悔しいであろう。「Morro!」のひとことをきいたききては、それがオペラでの出来事であることも忘れ、ヴィオレッタに同情しないでいられなくなります。あやうく、涙をながしそうにさえなります。しかし、どのような演奏でも、その「Morro!」のひとことが、飛来する矢となってききての胸を射貫くとはかぎらない、ということをぼくが理解したのは、「椿姫」というオペラの魅力に気づいた後、しばらくたってからでした。
 あなたの指揮なさった全曲盤で、ぼくはオペラ「椿姫」を知りました。それまでのぼくは、わずかに、このオペラのうちの有名な前奏曲とかアリアを知っている程度でした。当時は、レコードがSPからLPに変わりつつある時期で、まだオペラの全曲盤の種類もそうは多くありませんでした。その頃に入手可能だった「椿姫」の全曲盤はふたつありました。失礼をもかえりみず書かせていただきますが、ぼくがあなたの指揮なさった全曲盤を選んだのは、ただ単にあなたの指揮なさった全曲盤が二枚組だったからでした。もう一方の、レナータ・テバルディがヴィオレッタをうたったほうの全曲盤は三枚組でした。いろいろな畑の作品をきいてみたくてしかたのなかった、したがって一枚でも多くレコードのほしかった当時のぼくとしては、同じオペラなら三枚組より二枚組のほうが得だ、と考えただけのことでした。
 もし、あなたの指揮なさった全曲盤が三枚組で、テバルディがヴィオレッタをうたったほうの全曲盤は二枚組であったら(誤解のないように書きそえておきますが、テバルディのほうの盤も後に二枚におさめられて発売されました)、ぼくは、いささかもためらうことなく、テバルディのうたったほうの盤を買ったにちがいありませんでした。それにしても、ぼくは、大マエストロであるトスカニーニさんにむかって、なんと無礼なことをいっているのでしょう。
 そのようないきさつがあって、あなたの指揮なさった「椿姫」の全曲盤をききました。当時は、ぼくもまだ若かった。時間も充分にありました。ぼくは、くる日もくる日も、一日に一度はかならず、あなたの指揮された「椿姫」の全曲盤をききつづけました。そうやってきいているうちに、ぼくは、オペラが音のドラマであるということを、理屈としてではなく、感覚的に理解できるようになりました。
 それからしばらくして、テバルディがヴィオレッタをうたったほうの「椿姫」の全曲盤を、友だちに借りてききました。そして、遅ればせながら、ヴィオレッタによる「Morro!」が、いつでもあなたの指揮された演奏でのような鋭さをあきらかにするとはかぎらない、ということを知りました。テバルディがヴィオレッタをうたった全曲盤ではモリナーリ=プラデルリが指揮をしていました。ヴィオレッタをうたうソプラノの実力からしても、さらにはあの場面で求められる声からしても、あなたの指揮なさった全曲盤でのリチア・アルバネーゼより、レナータ・テバルディのほうが上だと思います。にもかかわらず、テバルディによる「Morro!」は、アルバネーゼの「Morro!」のようには、ぼくを刺しませんでした。アルバネーゼの「Morro!」が手裏剣にたとえられるとすれば、テバルディの「Morro!」はほんの飛礫(つぶて)にとどまりました。
 そのとき、ぼくは、オペラではたす指揮者の役割の大きさに気づいたようでした。そして、同時に、ぼくは、それをきっかけに、一気にオペラにひかれはじめ、さらにトスカニーニ・ファンにもなりました。
     *
マガジンハウスから出版された「音楽への礼状」からの引用だ。
音楽の礼状」は、いまは小学館から復刊されている。

この黒田先生の文章を読んで、トスカニーニの「椿姫」のディスクを買って聴いた。
カルロス・クライバーの「椿姫」のあとに聴いたことになる。

ヴィオレッタの「Morro!」(死んでしまいます!)は、
黒田先生が書かれているまま聴こえてきた。
モノーラル盤で、音質的にも優れているとは言い難いトスカニーニ盤での、
リチア・アルバネーゼによる「Morro!」は、まさに手裏剣だった。

だからモノーラルで、お世辞にもいい音とはいえない録音であっても、
聴き手を刺すことができる、聴き手の胸を射貫くことができる。

ここでも「ボエーム」のレコードと同じであって、
トスカニーニの強い演奏によってもたらされるものに、聴き手は心をうたれる。

実は、このところよりも別のところを読んでもらいたくて引用している。
《そうやってきいているうちに、ぼくは、オペラが音のドラマであるということを、理屈としてではなく、感覚的に理解できるようになりました。》
ここである。

Date: 7月 1st, 2016
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その16)

黒田先生と粟津氏の対談から、あと少し引用しておきたい。
     *
黒田 さっき「ボエーム」を例に出したから、また「ボエーム」でいうと、このオペラは精神性とか本質とかいったことをいいだすと、すべてが吹っとんでしまうような作品なんです。すべてが感覚の喜びというか、つまりエンターテイメントです。で、さっきのミミの死のところをまた引き合いにだすと、トスカニーニのレコードのあのひどい音でも、それがわかる。トスカニーニは強い演奏をしますから、ある和音が強くひびく。それでミミの死を知るわけ。
 ところがカラヤンがベルリン・フィルを指揮したレコードでは、たしかに和音をそうひびかせているんだけれど、オーケストラの色調をそこでガラッと変えるんです。色調を変えることによって、ミミの死を伝え、また感覚的な喜びを聴きてに味あわせているんですね。
 トスカニーニとカラヤンのそうしたちがいが、本質なのか瑣末的なのかといえば、枝葉末節といわざるをえないでしょう。しかし、それは枝葉末節だときめつけてしまうと、この「ボエーム」というオペラは成り立たなくなってしまう、とぼくは思うのですよ。
     *
この対談が載っているステレオサウンド 58号は1981年3月に出ている。
私はまだ18だった。
クラシックの聴き手として、そうとうに未熟だったことはわかっていた。
だから、この対談から、クラシックの聴き方を学んだともいえる。

オペラのコンサートはまだ観たことがなかった。
レーザーディスクもまだだった。
「ボエーム」を聴いたことはあっても、観たことはなかった。

レコード(録音物)という音だけのメディアで聴く前に、
コンサートもしくはレーザーディスクで観ていたら、「ボエーム」の聴き方は変っていたかもしれない。

それにこの対談を読みながら、トスカニーニの演奏のことも考えていた。
まだこの時点では、トスカニーニの「ボエーム」は聴いていなかった。

でも、黒田先生のいわれるとおり、ある和音を強くひびかせることで、
ミミの死を伝えているのは、
トスカニーニの演奏がそうであったことも理由のひとつだろうが、
もしかしたら、当時の録音のレベル、再生のレベルを考慮したうえでの、
そういう演奏だったのではないか。

もしかするとカラヤンのようにオーケストラの色調も変えたかったのかもしれない。
けれど、そこまでは当時の録音・再生では無理であったから、
あえて和音を強くひびかせることだけで、ミミの死を伝えたとは考えられないだろうか。

私が「ボエーム」を観たのは、この対談の七年後だった。
スカラ座の引越公演で、カルロス・クライバーの指揮だった。

Date: 6月 28th, 2016
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(評論とブームをめぐって・その1)

昨晩、二時間ほど電話で話していた。
ほとんどがオーディオのことである。

あることについてたずねられたから、
以前書いたことと同じことを話した。
彼は同意してくれた。

わかってくれるだろうと思って話したことだし、すぐにわかってくれた。
彼は私より少し上の世代で、
相当にオーディオにのめり込んできているから、
オーディオが、いわば輝いていた時代を知っている。

だからこそ、彼ならば、すぐにわかってくれるだろうという予感があった。

昨晩話したことは「オーディオ評論をどう読むか(その2)」で書いていることだ。

輝いている、という表現をする。
けれど、その表現の裏には、その人・モノ・ことが光を発して輝いていいるのか、
誰か・何かの光を反射して輝いているのかがある。

つまり太陽と月との関係と同じである。
太陽ばかりの世界がいいとはいわないが、
月が自らを太陽と勘違いしてもらっては困る、とは思っている。
だから、別項で書いたようなことが起る、といえる。

何も人ばかりではない。
オーディオ雑誌もそうだ。
ステレオサウンドはある時期、輝いていた、といえる。
その輝きは、なぜあったのか。

そのことを考えている人は、編集部にいるのだろうか、とさえ思う。

ブームといわれる現象もそうだと思う。
ブームとは、ある種の輝きと捉えれば、
その輝きが何によってもたらされているのかを見極めれば、
繰り返しやって来るブームであっても、違いがはっきりとしてくる。

オーディオ評論家は読者の代表なのか(その14)

ステレオサウンドがオーディオの雑誌なのか、オーディオの本だったのかは、
別項で書いている「オーディスト」のことにも深く関係している、と私は感じている。

ステレオサウンドは2011年6月発売の号の特集で、オーディストという言葉を使っている。
大見出しにも使っている。
その後、姉妹誌のHiViでも、何度か使っている。

「オーディスト(audist = 聴覚障害者差別主義者)」。
その意味を調べなかった(知らなかった)まま使ったことを、
おそらく現ステレオサウンド編集長は、何ら問題とは思っていないようだ。

当の編集長が問題と思っていないことを、
こうやって書き続けることを不快と思っている人もいるけれど、
この人たちは、ステレオサウンドをオーディオの雑誌と捉えている人としか、
私には映らない。

オーディオ評論の本としてのステレオサウンド。
そう受けとめ、そう読んできた人たちを「オーディスト(audist = 聴覚障害者差別主義者)」と呼んで、
そのことを特に問題だとは感じていないのは、
もうそういうことだとしか私には思えない。

いまステレオサウンドに執筆している人たちも、誰一人として、
「オーディスト(audist = 聴覚障害者差別主義者)」が使われたことを問題にしようとはしない。
つまりは、問題にしていない執筆者も、
ステレオサウンドをオーディオの雑誌と捉えているわけで、
オーディオ評論の本とは思っていない──、そういえよう。

Date: 6月 23rd, 2016
Cate: オーディオ評論, ジャーナリズム

オーディオ評論家は読者の代表なのか(その13)

これは断言しておくが、
いまのステレオサウンド編集部は、ステレオサウンドをオーディオの雑誌と捉えている。
というよりも、オーディオ評論の本とは捉えていないはずだ。

でも、それは致し方ない、とも一応の理解を示しておく。
私もステレオサウンド編集部にいたころは、そのことに気づかなかった。

なぜ気づかなかったのか。
理由はいくつかあると思っているが、
もっとも大きな理由は、オーディオマニアにとってステレオサウンド編集部は、
とても楽しい職場であることが挙げられる。

もちろん大変なことも少なくないけれど、
オーディオマニアにとって、あれだけ楽しい職場というのは、
他のオーディオ関係の雑誌編集部を含めても、ないといえよう。

このことが、ステレオサウンドは、以前オーディオ評論の本であったこと、
いまはオーディオの雑誌であるということに気づかせないのではないか。

そうはいってもステレオサウンドが、真にオーディオ評論の本であった時代はそう長くはない。
おそらくいまの編集部の人たちはみな、
ステレオサウンドがオーディオ評論の本であった時代を同時代に体験していないはずだ。

そういう人たちに向って、いまのステレオサウンドは……、ということは、
酷なことである、というよりも、理解できないことなのかもしれない。

ステレオサウンド編集部が私のブログを読んでいたとしても、
私がステレオサウンドに対して書いていることは、
「何をいっているだ、こいつは」ぐらいにしか受けとめられていないであろう。

編集部だけではない、
ステレオサウンドがオーディオ評論の本であったことを感じてなかった読者もまた、
「何をいっているだ、こいつは」と感じていることだろう。

ならば書くだけ無駄なのか、といえば、決してそうではない。
私と同じように、
ステレオサウンドが以前はオーディオ評論の本であったことを感じていた人はいるからだ。

Date: 6月 21st, 2016
Cate: オーディオ評論, ジャーナリズム

オーディオ評論家は読者の代表なのか(その12)

ステレオサウンド 26号からある連載が始まった。
わずか四回で、それも毎号載っていたわけではない、
しかも地味な、といえる企画ともいえた。

タイトルは「オーディオ評論のあり方を考える」である。
26号の一回目は岡先生、28号の二回目は菅野先生、30号三回目は上杉先生、
31号が最後の四回目で岩崎先生が書かれている。

瀬川先生、長島先生、山中先生が書かれていないのが残念だが、
この記事(企画)は、どこかで常に読めるようにしてほしいと、ステレオサウンドに希望したい。

そしてできるならば、200号で、
ステレオサウンドに執筆されている方全員の「オーディオ評論のあり方を考える」を載せてほしい。

難しいテーマである。
書けそうで書けないテーマでもあるからこそ、
その書き手のバックグラウンド・バックボーンの厚さ(薄さ)が顕在化してくるはずだ。

華々しい企画で200号の誌面を埋め尽くそうと考えているのならば、
こういう企画は無視させるであろう。

だから問いたいことがある。
ステレオサウンドは何の雑誌なのか、である。

オーディオの雑誌、と即答されるはずだが、
ほんとうにステレオサウンドはオーディオの雑誌なのか、と思う。

私も10代のころ、まだ読者だった頃はそう思っていた。
けれどステレオサウンドで働くようになり、
それも瀬川先生不在の時代になって働くようになってわかってきたのは、
それもステレオサウンドを離れてからはっきりとわかってきたのは、
ステレオサウンドはオーディオ評論の本であった、ということだった。

こういう捉えかたをする人がどれだけおられるのかはわからない。
でも、同じようにステレオサウンドをオーディオ評論の本として捉えていた人、
ステレオサウンドにははっきりとオーディオ評論の本と呼べる時代があった、と感じている人は、
絶対にいるはずだ。

Date: 6月 20th, 2016
Cate: オーディオ評論, ジャーナリズム

オーディオ評論家は読者の代表なのか(その11)

長島先生が、サプリームNo.144(瀬川先生の追悼号)に書かれたことを憶い出す。
     *
オーディオ評論という仕事は、彼が始めたといっても過言ではない。彼は、それまでおこなわれていた単なる装置の解説や単なる印象記から離れ、オーディオを、「音楽」を再生する手段として捉え、文化として捉えることによってオーディオ評論を成立させていったのである。
     *
私はそういう瀬川先生が始められた「オーディオ評論」を読んできた。
菅野先生もステレオサウンド 61号に書かれている。
     *
この彼の純粋な発言とひたむきな姿勢が、どれほどオーディオの本質を多くの人に知らしめたことか。彼は常にオーディオを文化として捉え、音を人間性との結びつきで考え続けてきた。鋭い感受性と、説得力の強い流麗な文体で綴られる彼のオーディオ評論は、この分野では飛び抜けた光り輝く存在であった。
     *
少なくとも、ある時期のステレオサウンドに載っていたオーディオ評論は、
「オーディオは文化」という共通認識の上に成り立っていた。

けれど、どうもいまは違ってきているようだ。
「オーディオは文化」と捉えていない人が、オーディオ評論家と呼ばれ、
オーディオ評論と呼ばれるものを書いている。
それがステレオサウンドに載っている……、そう見ることもできる。

それはそれでもいいだろう。
長島先生がいわれるところの、瀬川先生が始められたオーディオ評論とは違うものだからだ。
別のところから始まったオーディオ評論があってもいいとは思う。

だが、「オーディオは文化」と捉えていない人が、
瀬川先生について書いているのを読むのと、一言いいたくなる衝動が涌いてくる。