ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(先生という呼称・その3)
「2016年ショウ雑感(その11)」で書いているように、
インターナショナルオーディオショウの主宰者である日本インターナショナルオーディオ協議会は、
各ブースで行われているプレゼンテーションを、講演と呼んでいる。
その一方で出展社の中には、講演、講演スケジュールといわずに、
アクシスはステージプログラム、ステラ/ゼファンはデモスケジュール、
ノア/アーク・ジョイアは演奏スケジュール、ヤマハは試聴スケジュールといっている。
私は講演ではなく、それぞれに表現しているアクシス、ステラ/ゼファン、
ノア/アーク・ジョイア、ヤマハを支持する。
日本インターナショナルオーディオ協議会は、いつまで講演と呼ぶのだろうか。
これはオーディオ評論家と呼ばれている人全員を、先生と付けて呼ぶのと根は同じではないのか。
日本インターナショナルオーディオ協議会だけではない。
オーディオマニアも、あれを講演と呼ぶ人がいる。
私にはオーディオ漫談としか思えない話を、講演と呼ぶ。
話がおもしろくても、講演と漫談ははっきりと違う。
私が漫談と感じている話を講演と思って、
講演という呼称と先生という呼称を使っているのだろうか。
まわりがそういっているから、つい講演、先生といっているだけかもしれない。
そんなふうに思ってしまうこともある。
とりあえず失礼がなけれはそれでいい──、
という事なかれ主義からの講演、先生のように感じてしまうし、
健全なことでは決してない。