Date: 7月 1st, 2016
Cate: オーディオ評論
Tags:

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その17)

トスカニーニのオペラで、
それも黒田先生が書かれていることの中から、これも引用しておきたくなる。
     *
「Morro!」(死んでしまいます!)
 ヴェルディのオペラ「椿姫」の第一幕第二場です。アルフレードと別れてほしい。アルフレードの父ジョルジョから、執拗に嘆願されたヴィオレッタは、切羽つまって、そういいます。この場面での「Morro!」のひとことは、ヴィオレッタのつらさや悔しさ、つまり愛するアルフレードと別れなければならない無念の思いを背負い、ほとんど悲鳴のようにきこえます。このことばがヴィオレッタの口をついてでるのは、オーケストラが総奏によって緊迫感をたかめていった後です。このことばの前におかれた、ほんの一瞬の静寂が、「Morro!」のひとことを真実なものにします。
 ヴィオレッタは、さぞやつらいであろう。さぞや悔しいであろう。「Morro!」のひとことをきいたききては、それがオペラでの出来事であることも忘れ、ヴィオレッタに同情しないでいられなくなります。あやうく、涙をながしそうにさえなります。しかし、どのような演奏でも、その「Morro!」のひとことが、飛来する矢となってききての胸を射貫くとはかぎらない、ということをぼくが理解したのは、「椿姫」というオペラの魅力に気づいた後、しばらくたってからでした。
 あなたの指揮なさった全曲盤で、ぼくはオペラ「椿姫」を知りました。それまでのぼくは、わずかに、このオペラのうちの有名な前奏曲とかアリアを知っている程度でした。当時は、レコードがSPからLPに変わりつつある時期で、まだオペラの全曲盤の種類もそうは多くありませんでした。その頃に入手可能だった「椿姫」の全曲盤はふたつありました。失礼をもかえりみず書かせていただきますが、ぼくがあなたの指揮なさった全曲盤を選んだのは、ただ単にあなたの指揮なさった全曲盤が二枚組だったからでした。もう一方の、レナータ・テバルディがヴィオレッタをうたったほうの全曲盤は三枚組でした。いろいろな畑の作品をきいてみたくてしかたのなかった、したがって一枚でも多くレコードのほしかった当時のぼくとしては、同じオペラなら三枚組より二枚組のほうが得だ、と考えただけのことでした。
 もし、あなたの指揮なさった全曲盤が三枚組で、テバルディがヴィオレッタをうたったほうの全曲盤は二枚組であったら(誤解のないように書きそえておきますが、テバルディのほうの盤も後に二枚におさめられて発売されました)、ぼくは、いささかもためらうことなく、テバルディのうたったほうの盤を買ったにちがいありませんでした。それにしても、ぼくは、大マエストロであるトスカニーニさんにむかって、なんと無礼なことをいっているのでしょう。
 そのようないきさつがあって、あなたの指揮なさった「椿姫」の全曲盤をききました。当時は、ぼくもまだ若かった。時間も充分にありました。ぼくは、くる日もくる日も、一日に一度はかならず、あなたの指揮された「椿姫」の全曲盤をききつづけました。そうやってきいているうちに、ぼくは、オペラが音のドラマであるということを、理屈としてではなく、感覚的に理解できるようになりました。
 それからしばらくして、テバルディがヴィオレッタをうたったほうの「椿姫」の全曲盤を、友だちに借りてききました。そして、遅ればせながら、ヴィオレッタによる「Morro!」が、いつでもあなたの指揮された演奏でのような鋭さをあきらかにするとはかぎらない、ということを知りました。テバルディがヴィオレッタをうたった全曲盤ではモリナーリ=プラデルリが指揮をしていました。ヴィオレッタをうたうソプラノの実力からしても、さらにはあの場面で求められる声からしても、あなたの指揮なさった全曲盤でのリチア・アルバネーゼより、レナータ・テバルディのほうが上だと思います。にもかかわらず、テバルディによる「Morro!」は、アルバネーゼの「Morro!」のようには、ぼくを刺しませんでした。アルバネーゼの「Morro!」が手裏剣にたとえられるとすれば、テバルディの「Morro!」はほんの飛礫(つぶて)にとどまりました。
 そのとき、ぼくは、オペラではたす指揮者の役割の大きさに気づいたようでした。そして、同時に、ぼくは、それをきっかけに、一気にオペラにひかれはじめ、さらにトスカニーニ・ファンにもなりました。
     *
マガジンハウスから出版された「音楽への礼状」からの引用だ。
音楽の礼状」は、いまは小学館から復刊されている。

この黒田先生の文章を読んで、トスカニーニの「椿姫」のディスクを買って聴いた。
カルロス・クライバーの「椿姫」のあとに聴いたことになる。

ヴィオレッタの「Morro!」(死んでしまいます!)は、
黒田先生が書かれているまま聴こえてきた。
モノーラル盤で、音質的にも優れているとは言い難いトスカニーニ盤での、
リチア・アルバネーゼによる「Morro!」は、まさに手裏剣だった。

だからモノーラルで、お世辞にもいい音とはいえない録音であっても、
聴き手を刺すことができる、聴き手の胸を射貫くことができる。

ここでも「ボエーム」のレコードと同じであって、
トスカニーニの強い演奏によってもたらされるものに、聴き手は心をうたれる。

実は、このところよりも別のところを読んでもらいたくて引用している。
《そうやってきいているうちに、ぼくは、オペラが音のドラマであるということを、理屈としてではなく、感覚的に理解できるようになりました。》
ここである。

Leave a Reply

 Name

 Mail

 Home

[Name and Mail is required. Mail won't be published.]