ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(評論とブームをめぐって・その1)
昨晩、二時間ほど電話で話していた。
ほとんどがオーディオのことである。
あることについてたずねられたから、
以前書いたことと同じことを話した。
彼は同意してくれた。
わかってくれるだろうと思って話したことだし、すぐにわかってくれた。
彼は私より少し上の世代で、
相当にオーディオにのめり込んできているから、
オーディオが、いわば輝いていた時代を知っている。
だからこそ、彼ならば、すぐにわかってくれるだろうという予感があった。
昨晩話したことは「オーディオ評論をどう読むか(その2)」で書いていることだ。
輝いている、という表現をする。
けれど、その表現の裏には、その人・モノ・ことが光を発して輝いていいるのか、
誰か・何かの光を反射して輝いているのかがある。
つまり太陽と月との関係と同じである。
太陽ばかりの世界がいいとはいわないが、
月が自らを太陽と勘違いしてもらっては困る、とは思っている。
だから、別項で書いたようなことが起る、といえる。
何も人ばかりではない。
オーディオ雑誌もそうだ。
ステレオサウンドはある時期、輝いていた、といえる。
その輝きは、なぜあったのか。
そのことを考えている人は、編集部にいるのだろうか、とさえ思う。
ブームといわれる現象もそうだと思う。
ブームとは、ある種の輝きと捉えれば、
その輝きが何によってもたらされているのかを見極めれば、
繰り返しやって来るブームであっても、違いがはっきりとしてくる。