Date: 7月 5th, 2016
Cate: オーディオ評論
Tags:

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(評論とブームをめぐって・その3)

毎年暮の恒例となっている各オーディオ雑誌の賞。
賞は本来ならば、優れた人、モノ、作品に光を当て、特別に輝かせるためにあるはず。
そうであれば賞を与える側(選ぶ側)は、光を発していなければならない。

ところがいまはどうだろうか。
発した光で特別に輝かせている、とは到底思えない。

賞そのものを全面的には否定はしない。
本来のかたちである賞であることを期待しているだけである。

けれど、そのために必要な太陽となる存在が、いまはいない。
少なくとも私はそう見ている。

いまは、だからオーディオに関する賞は、賞として成立していない、といえる。
にも関わらず毎年、どのオーディオ雑誌も(ラジオ技術以外は)、賞をやる。

State of the ArtからComponents of the year、
さらにStereo Sound Grand Prixと賞の名称が変っていくごとに、
光を発していく力が失われていった。

月は太陽が発した光を反射することで、
太陽の光が直接当らないところ(モノ)へと光を届け、そこにあるモノをほのかに輝かせ、
その存在に気づかせる。
そういう役目があるから、月の存在を決して否定はしない。

けれどくり返していうが、太陽の光がなければ……、である。

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