「虚」の純粋培養器としてのオーディオ(その5)
1966年と2016年とでの、アンプ選び(別にアンプに限らないけれど)は、
市場に出廻っている現行製品の数の違いだけでなく、
これまで発売になってきたアンプも、そこには含まれる。
往年の名器と呼ばれるアンプも選択肢に含まれるようになるわけで、
1966年における選択肢と2016年における選択肢とは、
予算が制約がなければないほど、選択肢の数の開きは大きくなるといえる。
中古市場には、まれにではあるが、驚くほどの美品が登場することがある。
数十年前のオーディオ機器が、これほどのコンディションで残っているのか、
よくこれだけのモノを見つけ出してきたな、と感心してしまうほど、
そういうモノが、もちろんそれだけの値札を下げてではあっても、現れてくる。
予算に制約がなければ、そういう美品をポンと買える。
予算に制約がある場合でも、そのアンプはかろうじて予算内に収まっていることだってある。
とはいえ、そのアンプの一般的な中古相場からすると、そうとうに高いわけだから、
いくら新品同様といえるコンディションであっても、それは法外な値段と感じることもある。
マランツのModel 7の、極上といえるコンディションのモノは、
聞いたところでは150万円以上するらしい。
いくらコンディションのいいモノが少なくなってきたとはいえ、
ここまで値がつり上がるのか、と私は驚く方である。
私は150万円以上するのは、高い、高すぎると思う感覚だ。
けれど、150万円という価格自体は、いまの高騰化しているオーディオ機器の中にあっては、
法外な価格とはいえないわけで、オーディオマニアならば、
コントロールアンプ一台の予算として、このくらいは考えている人は少なくないであろう。
予算に制約のある場合でも、それが予算内におさまっていたとしても、
150万円以上するModel 7は、選択肢となるだろうか。
なる人とならない人がいるわけで、
なる人にとっての「虚」と、ならない人にとっての「虚」とはどういうものだろうか。