「商品」としてのオーディオ評論・考(その1)
8月は三人に訊かれた。
今年は、十人ちかい人に訊かれたことがある。
このブログで収入を得ているんですよね──、そんな感じで訊かれることがあった。
昨年まではほとんどそんなことはなかった(ゼロではなかった)。
でも、今年は訊かれることが急に増えた(といっても十人に満たないのだから少ない)。
このブログで収入は得ていない。
つまりここで書いていることは、「商品」として足り得ていない、ともいえる。
「商品」として認められれば収入となるだろうが、
「商品」ではないから、ここで書くことで収入を得ることはできない、ともいえる。
いつのオーディオ雑誌に載っているオーディオ評論と呼ばれている文章は、
それを書いている人たちに収入をもたらしているのだから、「商品」といえる。
商品とは辞書には、商取引されるもの、とある。
商取引には、買い手という対価を払ってくれる人がいなければ成立しない。
例えばこのブログを有料化してでも読んでくれる人がいるとすれば、
ここで書いていることは「商品」となる。
そうなった場合、読んでくれる人と私との間には誰も介在しないから、
ここでの商取引は、読み手と私のあいだで行われることである。
商取引の相手がはっきりとしている。
だがオーディオ雑誌の場合、そこまではっきりしているだろうか。
ステレオサウンド、オーディオアクセサリー、ステレオ、アナログといった雑誌には、
読者がいる。読者は二千円前後のお金を払ってこれらを買う。
けれどステレオサウンドなどに書いているオーディオ評論家の商取引の相手は、
読者なのだろうか。はっきり読者といえる人がどれだけいるだろうか。