ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その16)
黒田先生と粟津氏の対談から、あと少し引用しておきたい。
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黒田 さっき「ボエーム」を例に出したから、また「ボエーム」でいうと、このオペラは精神性とか本質とかいったことをいいだすと、すべてが吹っとんでしまうような作品なんです。すべてが感覚の喜びというか、つまりエンターテイメントです。で、さっきのミミの死のところをまた引き合いにだすと、トスカニーニのレコードのあのひどい音でも、それがわかる。トスカニーニは強い演奏をしますから、ある和音が強くひびく。それでミミの死を知るわけ。
ところがカラヤンがベルリン・フィルを指揮したレコードでは、たしかに和音をそうひびかせているんだけれど、オーケストラの色調をそこでガラッと変えるんです。色調を変えることによって、ミミの死を伝え、また感覚的な喜びを聴きてに味あわせているんですね。
トスカニーニとカラヤンのそうしたちがいが、本質なのか瑣末的なのかといえば、枝葉末節といわざるをえないでしょう。しかし、それは枝葉末節だときめつけてしまうと、この「ボエーム」というオペラは成り立たなくなってしまう、とぼくは思うのですよ。
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この対談が載っているステレオサウンド 58号は1981年3月に出ている。
私はまだ18だった。
クラシックの聴き手として、そうとうに未熟だったことはわかっていた。
だから、この対談から、クラシックの聴き方を学んだともいえる。
オペラのコンサートはまだ観たことがなかった。
レーザーディスクもまだだった。
「ボエーム」を聴いたことはあっても、観たことはなかった。
レコード(録音物)という音だけのメディアで聴く前に、
コンサートもしくはレーザーディスクで観ていたら、「ボエーム」の聴き方は変っていたかもしれない。
それにこの対談を読みながら、トスカニーニの演奏のことも考えていた。
まだこの時点では、トスカニーニの「ボエーム」は聴いていなかった。
でも、黒田先生のいわれるとおり、ある和音を強くひびかせることで、
ミミの死を伝えているのは、
トスカニーニの演奏がそうであったことも理由のひとつだろうが、
もしかしたら、当時の録音のレベル、再生のレベルを考慮したうえでの、
そういう演奏だったのではないか。
もしかするとカラヤンのようにオーケストラの色調も変えたかったのかもしれない。
けれど、そこまでは当時の録音・再生では無理であったから、
あえて和音を強くひびかせることだけで、ミミの死を伝えたとは考えられないだろうか。
私が「ボエーム」を観たのは、この対談の七年後だった。
スカラ座の引越公演で、カルロス・クライバーの指揮だった。