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Date: 7月 14th, 2012
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past)を入力していて……(続×七・作業しながら思っていること)

KA7500とKA7300の内部写真を見ていると、
このふたつのアンプが、同時期に同じ会社から出た、
価格的にも大きな差のないプリメインアンプとは思えぬほど多く異っている。

KA7300は、デュアルモノーラルコンストラクションのパワーアンプかと思える造りである。
シャーシーのほぼ中央に左右独立した電源トランスをふたつ配してその両端にパワーアンプ部、ヒートシンクがある。
KA7500はというと電源トランスは1つで、
いかにもこの時代のプリメインアンプといえるコンストラクションである。

KA7500とKA7300の音は聴いたことがない。
KA7300Dの音は聴いているけれど、その前身のKA7300は聴く機会がなかった。
KA7300Dは型番末尾のDからわかるように、KA7300をDCアンプ化したものである。

KA7300を開発・設計担当者と同じ人がKA7300Dを手がけたのかは知らない。
仮に同じ人だとしても、KA7300のときには新婚ほやほやだった人も、
KA7300Dの時には、そうではなくなっている。
そう考えると、KA7300DよりもKA7300の音が好き、という人がいることも、
なんとなくではあるけれど理解できる。
アンプとしての完成度はKA7500よりもKA7300のほうが、
さらにKA7300よりもKA7300Dのほうが上、といえる。

それでも、音の魅力ということに関しては、
アンプの完成度が増しているからといって、音の魅力度も増している、とはいえないから、
中野英男氏の「音楽 オーディオ 人びと」にもあるように、
KA7300の音を酷評しKA7500の鳴らすブラームスやブルックナーの音楽に精神性の深味を感じとっている人が、
少数とはいえ、いるということ。

この人たちはKA7300Dの音は、さらに酷評されただろうか、
それとも新婚ほやほやの幸せ気分が抜けているであろうから、KA7300よりも高く評価されたかもしれない。

こんなことを考えつつ、
KA7500の開発・設計担当者がのめり込むように聴いていたブラームスのレコードは何だったか、をおもうわけだ。

Date: 7月 12th, 2012
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past)を入力していて……(続×六・作業しながら思っていること)

トリオのKA7500はいつ登場したのか、ステレオサウンドのバックナンバーを手にとってみた。
35号のトリオの広告に出ている。だから1975年6月には市場に登場していたことになる。
ステレオサウンドの記事に出たのは36号の井上先生による新製品紹介のページにおいて、である。

KA7300は、というと、広告ではステレオサウンド 36号で登場し、
記事では37号の、やはりこちらも井上先生による新製品紹介のページに出ている。

ステレオサウンドの広告からだけでは、正確な発売日まではわからないものの、
KA7500登場の2、3ヵ月後にはKA7300が登場している。

35号、36号、37号は1975年発売のステレオサウンドである。

発売時期が近いためであろう、
KA7500とKA7300のパワーアンプ部はどちらもモジュール化されている。
KA7500に搭載されているモジュールの型番がTA100W、KA7300に搭載されているのがTA80Wで、
内部の回路構成と同等と思われ、型番の数字が表すようにパワーの違いだけとも思える。

つまりKA7500もKA7300もパワーアンプ部に関しては、まったくとはいわないものの、ほぼ同じである、といえる。
にも関わらず、このふたつのプリメインアンプの音楽表現は、異るわけだ。

こうなってくると、KA7500の開発・設計担当者が、
開発・音決めのときに、彼がのめり込んで聴いていたブラームスの交響曲とヴァイオリン・ソナタは、
誰の演奏によるものだったのか、と、やはり想像してしまう。

1975年に登場しているわけだから、
KA7500の担当者が恋に悩んでいたのは1974年、1973年ごろということになる。
このころ日本で手に入れることのできたブラームスの交響曲、ヴァイオリン・ソナタのレコードは、何があったか。

カラヤン/ベルリン・フィルハーモニーは1977年、78年だからまだ登場していない。
バーンスタイン/ウィーン・フィルハーモニーのレコードも、もちろんまだである。

ヴァイオリン・ソナタはどうだろう。
グリュミオー/シェベックのレコードも間に合っていない。
ズッカーマン/バレンボイムが1974年で、ぎりぎり間に合っているかどうかだ。

Date: 7月 11th, 2012
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past)を入力していて……(続×五・作業しながら思っていること)

何度か取り上げている「音楽 オーディオ人びと」(トリオの創業者・中野英男氏の著書)のなかに、
次のようなことが書かれている。
     *
 自社のことでまことに申し訳ないが、一時代を劃したアンプKA−7300が発売され、その響きの透明感と定位感の見事さが評判になったとき、
「トリオはどうしてあんなアンプを作ったのか。ブラームスやブルックナーのような音楽を、7300で聴けというのか。私はKA−7500の鳴らす後期ロマン派の音楽を最高と考える。トリオは堕落して精神性の深味を失ったのではないのか」
 と酷評を加えた有力ディーラーが少なくとも二軒はあった。私が云々するまでもなく、その後の経過と世評はこのディーラー氏の意見の逆になった。しかし、私はこの人々の意見を全て間違ったもの、と言い切ることはできない。確かにアンプの特性という見地から見る限り、値段の安さにも拘わらず、KA−7300の性能は兄貴分のKA−7500をかなり上廻っていた。7500のユーザーには申し訳ないが、音も良かったと言わざるをえないだろう。だが、ブラームスの交響曲を鳴らしたとき、KA−7500の音がKA−7300にまさるという感想は、或いは正しかったのかもしれないのである。
 KA−7500の設計に携わり、その音質を追求していた男は、当時恋に悩んでいた。ことは個人の問題にかかわるので、いかに私は創業者・会長であるといっても、その全てを語るわけには参らず、またその表裏のすべてを知っているわけでもない。確かなのは、その男が粘り強さをもって自他共に許す青年であり、しかもその恋愛がその辺にザラに見られるような甘酸っぱいものではなくて、「暗鬱」ないし「凄絶」とも称しうべき重苦しさを湛えたものであったこと、更には、その頃この青年が、かねて好きだったピンク・フロイドに加えてブラームスの四つの交響曲と三つのヴァイオリン奏鳴曲にのめり込んでいたことである。KA−7300を批判したディーラーのひとりは、東北の方であった。私はその方がこのアンプの音を聴いて、製作者の心の深淵を探りあてた能力に櫟然とした。もとよりKA−7500は彼ひとりによって作られたものではない。しかし、彼はこのアンプの「音質」の担当責任者であった。
 そのあと、確かKA−9300を出した時だったと記憶するが、評論家の長岡鉄男氏が『電波科学』に「トリオのアンプは、300番シリーズと500番シリーズとでは明らかに音が違う。設計者のチームが違うのではないか」という趣旨のことを書かれたことがあった。私は言葉が出なかった。7500と5500は同じ彼が担当責任者であり、7300、9300の責任者とは別人であった。電源の供給方式が異なり、開発時点が異なり、更には設計・開発の人間が異なる以上、差が出るのは当然でもあろうが、かくも鮮やかに本質を指摘されてはメーカーとしては脱帽せざるをえない。それにしても、〇・〇何%というオーダーの歪率を問題にするアンプで、これだけの差が出るということ、しかも、製作に携わる男の性格から心理状態まで反映することの恐ろしさは如何なものであろうか。ちなみに、300番台のアンプの音質を担当し、大当りをとったエンジニアは新婚ホヤホヤの青年であった。
     *
このころのトリオのプリメインアンプには、KA7300D、KA9300の300番シリーズ、
KA7100D、KA8100の100番シリーズ、KA7500、KA5500の500番シリーズがあった。

私が聴く機会があったのはKA7300DとKA9300の300番シリーズだけである。
「音楽 オーディオ 人びと」を読めば、
300番シリーズだけでなく、100番シリーズ、500番シリーズとまとめて聴いてみたい、と思う。
なかでもKA7300DとKA7500だけでもいいから、
このふたつを、もちろんコンディションのいいものを比較してみたい、と思う。

恋に悩み、ブラームスの交響曲にのめり込んでいた開発・設計担当者による500番シリーズ、
新婚ほやほやの開発・設計担当者による300シリーズ、
「音楽 オーディオ 人びと」には出てこないが100番シリーズの開発・設計担当者は、
クラシックよりもポップスを愛する人だったかもしれない。

ステレオサウンド 43号(ベストバイの特集号)のなかで、瀬川先生はKA7100Dについて書かれている。
     *
型番のうしろ三桁に300のつくシリーズが最もオーソドックスなのに対して、100番のつくのは若いポップス愛好家向きで、メーターつきはメカマニア向きというような作り分けをしているのではないか、というのは私の勝手なかんぐりだが、ともかく7100Dは、調味料をかなり利かせたメリハリの強い、5万円台の製品の中で独特の個性を聴かせる。
     *
こういう話を読んでいると、オーディオはほんとうにおもしろい、と感じてしまう。
開発・設計担当者の精神状態(音楽の嗜好・のめり込み・聴き方)が音に現れてきている。

トリオが、いわゆるガレージメーカーならば、そういったことが音にはっきりと出るのは容易に想像できるが、
トリオくらいの規模の会社がつくり出す製品であっても、
こういうことが音に出てくるところが、オーディオなんだ、と思ってしまう。

こういうおもしろさ(興味深い)ことが、トリオのセパレートアンプには、ないように私は感じている。
だから、私にとってトリオといえば、プリメインアンプがまず頭に浮ぶわけだし、
プリメインアンプに積極的であったメーカーであったわけだ。

Date: 7月 10th, 2012
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past)を入力していて……(続々続々・作業しながら思っていること)

すべてのものが変化していくわけだから、
オーディオのブランドもすべからく変化していく。

名門と世間ではいわれているブランドでさえ、創業当時から同じイメージを保ち続けているわけでもない。
時には失墜に近いところまでいくことすらあって、そのまま終ってしまうブランドもあれば、
復活してくれるブランドもある。

1976年からオーディオに関心をもちはじめてから今日まで、
まったくイメージの変化しなかったブランドは、ないんじゃないか、と思うほど、
変らなかったブランドをまったく思いつかない。

the Review (in the past)の入力をやっていると、
このブランドには、こういう時代があったんだなぁ、とか、いまとはずいぶんイメージが異るんなぁ、とか、
よけいにそんなことを思う。

私が知っているトリオは1976年からのトリオである。
トリオのプリメインアンプは、KA7300Dのあとは、がらっと変ってしまった。
シグマドライヴを搭載したことを、外観上でもはっきりと表すためなのか、
フロントパネルのデザインをすっかり変えてしまった。
KA1000、KA900、KA800といった一連のプリメインアンプのデザインは、
KA7300D、KA9300、KA7100D、KA7700Dといった路線のイメージはまったく感じられない。

どちらのデザインが優れているのか、ということではなくて、
KA1000、KA900のフロントパネルを見ていると、
しっとりした質感ある音が聴こえてくるとは、どうしても思えない。
KA7300Dに感じた良さが、デザインの変更とともにすべて払拭されたかのような印象を受けてしまう。

トリオは変ってしまった……、と思った。
でもケンウッド・ブランドでL01Aを出していた。L01Aになると、これはこれでいいかな、とも思っていた。

ケンウッド・ブランドが、この時まま、トリオの高級機のブランドとして続けていてくれてたら、
トリオの製品で、いまも手に入れたいモノはKA7300DかL01Aで迷ったところだが、
残念ながらケンウッド・ブランドも、また変化していった。

Date: 5月 26th, 2012
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past)を入力していて……(続々続・作業しながら思っていること)

トリオ・ブランドでの製品、ケンウッド・ブランドの製品の中からひとつ選ぶのは、
プリメインアンプのKA7300Dである。

1977年当時、78000円だった、いわば中級クラスのプリメインアンプが、
いまも欲しいトリオのオーディオ機器である。

L02T、L02Aの例を持ち出すまでもなく、このころのトリオはケンウッド・ブランドで意欲的な製品を出していた。
完成度の高いモノもあったし、どこか実験機的な未消化の部分を残したモノもあったけれど、
ケンウッドは次はどんなアプローチをしてくるんだろうか、という楽しみ、期待もあった。

そういうケンウッド・ブランドの製品と較べると、KA7300Dには際立った特徴はない、といえばない。
トリオ・ブランドの他の製品と較べても、どこか際立っているところがあるかといえば、あまりない。

型番末尾のDからわかるように旧作KA7300をDCアンプ化したKA7300Dの登場は私が中学3年のとき。
いつかはマークレビンソンLNP2、SAE Mark2500……、そんなことを妄想している日々において、
KA7300Dはがんばれば手の届きそうなところにいてくれた、良質なアンプだった。

KA7300DとKEFの104aBを組み合わせることができたら─……、この組合せを手に入れることができたら……、
そんなことを思っていたから、いまでもトリオのオーディオ機器として真っ先に頭に浮び、
そして欲しいと思うのは、このKA7300Dとなってしまう。

このころのトリオのプリメインアンプは型番の下三桁の番号によって、
設計者が違うためなのか、音の傾向も異る、といわれていた。
300がつくシリーズはクラシックがうまくなるプリメインアンプだったようで、
KA7300Dの上級機としてKA9300もあった(価格は150000円)。

KA9300の音は聴いたことがないけれど、評判の良かったアンプである。
KA7300Dと聴き比べれば、そこには値段の差がはっきりと音に表れてくるだろうが、
KA9300には思い入れもないし、なぜか欲しいと思ったことは一度もない。
KA9300ならば、ケンウッド・ブランドのL01Aが、その後に透けて見えてくる感じがあるからだろうか。

いま冷静に振り返ってみても、この時代のプリメインアンプは充実した内容のモノが割と多かったと感じる。
だからといって、それより後に登場したアンプよりも音がいい、というわけではない。
いまとなっては旧いアンプだし、中級機だったからそれほど耐久性のあるパーツが使われているわけでもない。
手入れも必要となってくる。内部に手を入れることになったら、私だったら、少し手を加えることになる。

面倒といえばたしかにそうなんだけれども、この時代のプリメインアンプのいくつかは、
そうやって使ってみるのも楽しいだろうな、と思わせてくれる。

KA7300Dは、私にそう思わせてくれるプリメインアンプの中で、価格的に安いモノだ。

Date: 5月 22nd, 2012
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past)を入力していて……(続々・作業しながら思っていること)

チューナーの名器といえば、まず浮ぶのはマランツの10Bと、
その設計者であるセクエラが、自分の名前をブランドとしたセクエラのModel 1が、
それぞれ真空管、トランジスターのチューナーの、価格的にも性能的に最高のチューナーとして存在している。

国産メーカーでは高周波に強いメーカーとしてトリオがある。
ケンウッドと社名を変更したいまでもアマチュア無線機を製造しているトリオは、
1957年に日本初のFMチューナーを開発したメーカーであり、その前身は高周波部品を手掛ける春日無線である。

社名がトリオ時代だったころ、アメリカでは使用していたブランド、ケンウッドを,
国内では最高級ブランドとして使いはじめたのが、1979年に発表したプリメインアンプL01A、
チューナーのL01T、アナログプレーヤーのL07Dからである。

いまではすっかり昔のケンウッド・ブランドのイメージはなくなってしまっているけれど、
1981年のL02T、翌82年のL02Aのころのケンウッドのブランド・イメージはマニア心をくすぐってくれた。

プリメインアンプのL02Aの価格は55万円。
いまではプリメインアンプでも100万円を超すものが珍しくなくなっているけれど、
この時代に55万円という価格は、きちんとしたセパレートアンプが購入できる金額でもあった。

L02Aよりも先に登場したケンウッド・ブランドのセパレートアンプ、L08CとL08Mはトータルで48万円。
プリメインアンプのL02Aの方が価格的に高かっただけでなく、
トリオという会社がケンウッドというブランドにかける熱意が感じられるモノだった。

L02Aは測定データも良かった。
ステレオサウンド 64号で長島先生がやられた、
負荷インピーダンスを8Ωから1Ωへと順次切替えを行っての測定で、
もっとも優秀な結果を出したのが、実はL02Aだった。

64号ではプリメインアンプだけでなくセパレートアンプも含まれている。
価格的にはL02Aよりもずっと効果で物量も投入されているパワーアンプよりも、L02Aは優っていた。

このL02Aとペアとなるチューナーとして開発されたL02Tが、
国産チューナーとしては最高のモノといってもいいだろう。

けれど、トリオの現在までの製品で、ひとつだけとなったら、L02Tは選ばない。

Date: 5月 16th, 2012
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past)を入力していて……(続・作業しながら思っていること)

まず国内メーカーでやってみた。

国内メーカーとして思いつくままあげていくと、
アキュフェーズ、ヤマハ、ソニー(エスプリ)、トリオ(ケンウッド)、パイオニア、テクニクス、デンオン、
ナカミチ、フォステクス、ラックス、ダイヤトーン、サンスイ、オーレックス、Lo-D、オンキョー、
オーディオテクニカ、オーディオクラフト、フィデリティ・リサーチ、サエク、コラール、スタックス、ティアック、
ビクター、マイクロ、こういったところがぱっと浮ぶ。

これらのメーカーの中で、まず最初に「欲しい!」という意味で浮んできたのは、
自分でもやや意外なのだが、ヤマハのCT7000である。

型番からわかるようにチューナーである。
スピーカーやアンプ、カートリッジでもなく、個人的にもあまり関心のないチューナーが真っ先に浮んできた。

ヤマハには代表的なオーディオ機器はいくつもある。
まず浮ぶのは、やはりスピーカーシステムのNS1000M。
それからプリメインアンプのCA2000(もしくはCA1000III)、
コントロールアンプのC2かCI、パワーアンプではBI、あとはカセットデッキのTC800などが、頭にすぐ浮ぶ。
1970年代の製品ばかりになってしまう。
もっと新しいヤマハの製品を思い出そうとしても、私にとってはヤマハというイメージと強く結びついているのは、
やはり上に挙げたモノということになる。

NS1000Mがこれらの中ではもっともヤマハを代表する製品かもしれない。
1970年代なかごろにはスウェーデン放送局で正式モニターとして採用されたし、
上に挙げた製品の中でもロングセラーといえるのはNS1000Mである。

MS1000Mは、ステレオサウンドの試聴室で井上先生が鳴らされた音は良かった。
一般にイメージされているNS1000Mの音より、ずっとこなれた鳴り方をしてくれて、
やっぱりいいスピーカーなんだぁ、と認識を改めたことがある。

私にとってのヤマハのオーディオ・イコール・NS1000Mであっても、
あえてひとつだけ選ぶとしたら、実物を見ることもなかったCT7000である。

Date: 5月 16th, 2012
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past)を入力していて……(作業しながら思っていること)

the Review (in the past)のために入力作業をしていると、
そういえば、こういうオーディオ機器もあったな、とか、
これは聴いてみたかったけど聴く機会がついになかったな、とか、
そんなことなどをついあれこれ夢想してしまうとともに、これはいまでも欲しいと思うこともある。

欲しい、といっても、なんとかして手に入れたいと欲しいものあれば、
美品がたまたま目の前に現れてきて、それがたまたま購入できる金額であったら欲しいだったりするし、
ずっと手もとに置いとくわけではないけれど、数ヶ月とかもっと短くて1ヶ月でもいいから、
いちど自分のモノとして使ってみたい(確認してみたい)、という欲しいもある。

そんないくつもの欲しいを感じながら入力作業をしているわけで、
せっかくそんなことを思いながら入力作業をするのであれば、もう少し楽しみながらという気持から、
各ブランドから欲しいモノをひとつずつ選ぶとしたら、何になるだろうか、という考えつつ作業を進めている。

国産のオーディオメーカー(ブランド)はすでに消えていったものを含めるとかなりの数がある。
それらのメーカーがこれまで出してきた製品の数は、ほんとうに厖大で、すべてを聴いてるわけではなくて、
雑誌でしか見たことのないモノのほうがはっきりいって多い。

実際に聴いて憧れているモノもあれば、聴くことがかなわず憧れているモノもある。
そういったモノをふくめて、これまで聴いたことがあるなしに関係なく、
いまでも欲しいと思えるモノを、各メーカーからひとつずつ選ぶという行為は、
私だけなのかもしれないけれど、意外に楽しい。

すぐに、これ! とひとつ選べるメーカーのものあれば、
いくつかの候補の中から絞り込んでひとつにする場合もある。
選ぶにあたっては記憶を掘り起すことにもなる。
そして選んだ理由を、自分なりに考えてみると、何か浮び上ってくるものがあるのではないだろうか。

Date: 4月 24th, 2012
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past) についてのお知らせ

もうひとつのブログ、the Review (in the past)ですが、
これまで記事の公開日時は、そのまま記事を公開した日時のままにしていましたが、今日から変更しています。

実はfacebookに同タイトルページをつくり、
そちらのほうを掲載する記事が書かれた年代順に並べるようにリンクを書きこんでいましたが、
特定の年月日にある一定以上の記事が集中すると、書込みエラーが頻繁に発生するようになったため、
参照元でもあるthe Review (in the past)を年代順に並べ替えるようにしました。

すでに公開記事が5000本を超えていますので、一度に年代順に並べ替えることは無理ですし、
新しく公開した記事がわかりやすくするために、公開して7日間はトップページで公開、
その後、記事がそれぞれのオーディオ雑誌に掲載された年月日に移動するようにしました。

せっかく年代順に並び替えるので、
the Review (in the past)をオーディオの年表としても使えるようにしていく予定です。

Date: 4月 17th, 2012
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past)を入力していて……(写真のこと)

もうひとつのブログ、the Review (in the past)で、
今日黒田先生がテクニクスのSB007について書かれた文章を公開した。

こんなことを書かれている。
     *
マニア訪問とか、あるいはオーディオ装置のある部屋とかいったページが、オーディオ雑誌等には、かならずといっていいほどある。そして、いわゆる名器といわれるアンプやプレーヤーがみがきあげられて棚に並んでいる写真がのっている。しかもごていねいに、カラーであることさえすくなくない。ぼくもこれまでに、そういう写真を何度か、とられたことがある。恥しかった。それに、なんとなく、無駄をことをしているように思えてしかたがなかった。その写真をうつす人の腕が、いかにすぐれていても、この部屋でなっている音はうつせないのだから、うつされていて、申しわけなかった。
その雑誌の編集者だって、本当は、音そのものをうつしたかったのだろうが、それができないので、やむをえず、再生装置というものとか、それをつかっている人間といういきものをうつさざるをえなかったのだろう。音はみえないので、あくまでもやむをえずの処置だったにちがいない。
     *
誌面からは音は出てこない、とはつい最近も書いたばかりである。
文章であっても写真であっても、そこから音は鳴ってこない。
鳴ってこないこと、つまり音は写せないことが当り前になりすぎていたことを、
今日黒田先生の文章を読んでいて気がついた。

写したいのは、目に見えない音であること。
その人が使っているオーディオ機器ではない。
音が写せないから、部屋の雰囲気だったりオーディオ機器だったり、
ときにはそのリスニングルームの主があまり人に見られたくないようなところまで写真におさめたりする。

カット数を多くして、あれこれ撮った(撮ってもらった)ところで、その写真からは音は鳴ってこない。
写真から音が鳴ってくれれば、それこそ1カットだけで、いい。

「音そのものをうつしたかった」けれど、それが不可能だから……、という気持を、あの頃は忘れていた。
だから、今日、黒田先生の文章を入力していて、どきっ、とさせられた。

Date: 9月 10th, 2010
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past) を入力していて……(その45)

プログラムソースからテープデッキ、アンプはもちろんのこと、
スピーカーに至るまですべてマーク・レヴィンソンの手によるHQDシステムに対する、瀬川先生の試聴記を読むと、
やはりマークレビンソンは、アメリカ東海岸のメーカーだということを感じてしまう。

1970年代の後半、わが国では瀬川先生の文章によって、
JBLの4343(4341)とマークレビンソンのアンプの組合せから得られる音こそ、
最尖端であると受けとめられていたはず。すくなくとも私は、そう受けとっていたし、
いまもあの時代を代表する音だと言い切れる。

JBLはいうまでもなくアメリカ西海岸のメーカー。
対する東海岸には、ボザーク、AR、KLHなどのスピーカーメーカーがあった。

これもよく云われていたことだが、同じアメリカのスピーカーでも、西海岸と東海岸の音は大きく異る。
たしかKLHのスピーカーだったはずだが、レベルコントロールにふたつのポジションがある。
ひとつはFLATで、もうひとつはNORMAL。
FLATポジションは無響室での周波数特性(正しくは振幅特性)が、
ウーファーとトゥイーターがほぼ同じレベルであるのに対して、
NORMALではトゥイーターのレベルを明らかに抑えてある。

つまり、少なくともKLHの技術者たちは、特性上のフラットレスポンスよりも、
聴感上でもトゥイーターのレベルを抑えてあることがすぐにわかるレベルを「ノーマル」と判断した、というよりも、
そう感じているのだろう。

そういう傾向はKLHだけでなく、東海岸の、少なくともこの当時のスピーカーシステムには共通していたこと。
その東海岸にあって、マークレビンソンのLNP2やJC2の、とくにJC2のアナログディスク再生の、
あきらかに高域にウェイトのおかれた、ともいいたくなる性質は、異質だったのではなかろうか。

このことは、マーク・レヴィンソンとジョン・カール、
マーク・レヴィンソンとトム・コランジェロという因子とも深くかかわってくる。

Date: 6月 13th, 2010
Cate: Mark Levinson, the Reviewの入力, 瀬川冬樹

the Review (in the past) を入力していて……(その44)

ステレオサウンド 46号に、
瀬川先生によるHQDシステムの記事「マーク・レビンソンHQDシステムを聴いて」が載っている。

試聴の場所は、ホテルの宴会場で、マーク・レヴィンソンによると、HQDシステムにとってやや広すぎて、
デッド過ぎる音響特性だったらしい。

最初に鳴ったのは、レヴィンソン自身の録音によるギターのソロ。
瀬川先生の次のように書かれている。
「ギターの音色は、スピーカーがそれを鳴らしているといった不自然さがなくて、全く誇張がなく、物足りないほどさりげなく鳴ってくる。左右のスピーカーの配置(ひろげかたや角度)とそれに対する試聴位置はマークによって細心に調整されていたが、しかしギターの音源が、椅子にかけた耳の高さよりももう少し高いところに呈示される。」

つぎに鳴ったコンボジャズの印象は
「かなり物足りなさを憶えた。音質の点では、24インチ・ウーファーの低音を、予想したようなパワフルな感じでは彼は鳴らさずに、あくまでも、存在を気づかせないような控え目なレベルにコントロールして聴かせる。」

このコンボジャズもレヴィンソンによる録音で、一般市販のアナログディスクは、
セル指揮の「コリオラン」序曲をかけたとある。
「ハーモニィはきわめて良好だし、弦の各セクションの動きも自然さを失わずに明瞭に鳴らし分ける。非常に繊細で、粗さが少しもなく、むしろひっそりとおさえて、慎重に、注意深く鳴ってくる感じで、それはいかにもマーク・レビンソンの人柄のように、決してハメを外すことのない誠実な鳴り方に思えた。プログラムソースからスピーカーまでを彼自身がすべてコントロールして鳴らした音なのだから、試聴室の条件が悪かったといっても、これがマークの意図する再生音なのだと考えてよいだろう。」

4343をオール・レビンソンで鳴らした音の印象とはずいぶん異るように感じられる。

Date: 5月 13th, 2010
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past) についてのお知らせ

audio identity (designing) も the Review (in the past)
どちらのブログもMovable Typeで作り管理していますが、
すこし前から the  Review (in the past) の方だけ、ときどきエラーが出るようになり、
今日、さらに更新しようとしたところ、記事の作成・更新をしようとすると、エラーが出てしまい、
まったく新規記事や過去の記事の校正もできなくなりました。

思いつくかぎりあれこれ試してみましたが、いまのところ回復できていません。

昨年の6月1日に開始して、あとちょっと1年というところでしたが、しばらく更新が停止します。

もともとブログ形式で、こういう内容は、必ずしも適しているとは言い難い面もありましたので、
まだはっきりと決めていませんが、今後は、ファイルメーカーから発売されているBentoを使い、
きちんとしたデーターベースとして構築することも考えています。

Bentoは、iPhone用も用意されていますし、アメリカではすでにiPad用もありますから、
いずれ日本でもiPad用が出てくるでしょうから、
新たな手間がかかるけれど、Bentoに、けっこう心が傾いています。

Date: 3月 6th, 2010
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past) を入力していて……(その43)

HQDシステムは、スピーカーシステムの名称ではなく、コントロールアンプ、
エレクトロニック・デヴァイディングネットワーク、
パワーアンプまでを含んだトータルとしてのシステムの名称である。

そのスピーカーシステムは、一般的なスピーカーシステムとは形態が大きく異り、
完成品というよりも、マークレビンソンとしてのスピーカーのアイディアのひとつの提示である。

だからダブルスタックのQUADの設置場所、それに仰角の調整、
ハートレイのウーファーの置き場所と、その相対関係、
個々のレベル調整など、多岐にわたる調整箇所によって、
HQDシステムの音の変化幅は、通常のスピーカーシステムを鳴らすよりも広いところももつだろう。

ひと言で、HQDシステムは、こういう傾向の音、とは言いにくい面があることは承知のうえで、
アンプ関係はまるっきり同じでも、JBLの4343を、バイアンプドライブしたとき、
それもウーファーをML2Lのブリッジ接続で鳴らしたときの、「おそるべき迫力」をもって、
音楽が聴き手に迫ってくるスリリングな感じは、ひじょうに出にくいのではなかろうか。

HQDシステムと4343とでは、音源(音楽)と聴き手の距離感に、決定的な違いがある。

蛇足とはわかっているが、「近い」というより間近なのは4343であり、
やや距離をおくのがHQDシステム、であると書いておく。

Date: 3月 5th, 2010
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past) を入力していて……(その42)

HQDシステムのQUADとデッカは、いうまでもなくイギリスのスピーカーシステムとスピーカーユニットであり、
繊細さの表現において、個性的な存在といえる性質を持つが、あくまでも控えめな身上の音。

ハートレイはアメリカ東海岸のスピーカーメーカーとして、大口径のウーファーで知られているが、
創業者のハートレイ氏は、もともとはイギリススピーカー界で名の知られた人である。
いまもハートレイのスピーカーユニットは、ごく少数ながら作られ続けられているようで、
イギリス製だときいている。

つまりHQDシステムは、イギリス製およびイギリスに深く関係しているモノから構成されていたわけだ。
そこには己の存在を前面に押し出してくる、いわばアクの強さはない。

HQDシステムの音を聴いたことはないが、それでも、それぞれのスピーカーの性格から、
なんとなく、大まかな性格は想像していると、
ML2Lが、このハートレイとQUADとデッカの集合体を鳴らすのに、
ぴったりのパワーアンプとは、あまり思えない。

たしかにクォリティとしては十分なものがあるのはわかっている。
マーク・レヴィンソンがいたころのレビンソンのアンプでいえば、
パワーアンプはML3Lが、コントロールアンプもML7Lの組合せが、
スピーカーに寄り添っていく鳴り方をしてくれるはずだ。