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Date: 12月 15th, 2012
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(聴かない、という選択・その4)

ヘブラーの演奏を多く変質させてしまうスピーカーというのは、
なにもいまの時代だけでなく、ずっと以前から、いつの時代にもいくつか存在していた。
だから菅野先生はステレオサウンド 54号でのスピーカー特集号での座談会で発言されているわけだ。

ただ、そういうスピーカーと、私がいま「欠陥」スピーカーと呼んでいるスピーカーとの大きな違いは、
まず価格にある。
いまの「欠陥」スピーカーは、おかしなことに非常に高価なモノに偏っている。
しかも、それらのスピーカーを高く評価しているオーディオ評論家と呼ばれる人たちが、またいる。

そういう人たちが高く評価するのも理解できないわけではない。
そういう人たちの音の聴き方であれば、確かに高い評価となるだろう。
そういう人たちの耳が悪い、といいたいのではない。

そういう人たちと私とでは、聴きたい音楽が違う、ということ、
一部の音楽は重なっていても、その音楽の聴き方がまったく違うことによって、
そういう人たちは高く評価して、私は「欠陥」スピーカーとして拒絶する。

もちろんオーディオ機器の音は、それを使う人、鳴らす人によって、
時には大きく変容することがあるのはわかっている。
そのスピーカーに惚れ込むことで、より使いこなしに励み、いい音を出している例もあるのではないか──、
そう思われる方もいるはず。

だが使い手によって、使い手の愛情によってどうにかなるのはスピーカーの欠点であり、
欠陥ではない、ということをはっきりさせておきたい。

Date: 12月 15th, 2012
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(聴かない、という選択・その3)

「欠陥」スピーカーと心の中で呼んでいる、
いくつかのスピーカーシステムを私は毛嫌いしている。

くれる、といわれても即座に断ってしまうくらいに、これらの「欠陥」スピーカーを認めていない。
なぜ、そこまで「欠陥」と感じてしまうのかといえば、
これらのスピーカーは欠点を持っているスピーカーではなく、欠陥であるから、である。

スピーカーというものは不完全な、だからこそ非常に興味深く魅かれるからくりであるから、
どのスピーカーにも欠点は存在している。
いくつも欠点をもつスピーカーもある。比較的欠点の少ないスピーカーもあるが、
まったく欠点をもたないスピーカーは、此の世にひとつとして存在していないし、
これからどんなに技術が進歩しようとも、欠点が少なくなることはあってもなくなることはない。

欠点を指摘するのは簡単である。
「欠陥」スピーカーにも、もちろん欠点はある。
「欠陥」スピーカーの中には、欠点が比較的少ないスピーカーも、ある。

私は、欠点があるから、とか、欠点が多いから、
いくつかのスピーカーを「欠陥」スピーカーと心の中で呼んでいるわけではない。

別項の、「音楽性」とは(その10)でも引用した菅野先生の発言を、
またここで引用しておこう。
     *
特に私が使ったレコードの、シェリングとヘブラーによるモーツァルトのヴァイオリン・ソナタは、ヘブラーのピアノがスピーカーによって全然違って聴こえた。だいたいヘブラーという人はダメなピアニスト的な要素が強いのですが(笑い)、下手なお嬢様芸に毛の生えた程度のピアノにしか聴こえないスピーカーと、非常に優美に歌って素晴らしく鳴るスピーカーとがありました。そして日本のスピーカーは、概して下手なピアニストに聴こえましたね。ひどいのは、本当におさらい会じゃないかと思うようなピアノの鳴り方をしたスピーカーがあった。バランスとか、解像力、力に対する対応というようなもの以前というか、以外というか、音楽の響かせ方、歌わせ方に、何か根本的な違いがあるような気がします。
     *
こういうことが実際にスピーカーによって起る。
それだけではない、やはり別項で書いているように、
あるスピーカーでグレン・グールドのゴールドベルグ変奏曲が鳴っていたとき、
いつもならすぐにグールドの演奏だとわかるのに、
そのときは「もしかしてグールド?」という感じになってしまった。
しかもそこで鳴っているピアノは、
どう聴いてもヤマハのCFではなく、どこか得体のしれないアップライトピアノでしかなかった。

こういう体験は、他でもいくつかある。
だから、ある特性のスピーカーを、私は「欠陥」スピーカーと呼ぶ。

それらのスピーカーが、
どんなに音場感をきれいに出そう(ほんとうに音場の再現性において精確かどうかは、別の機会に書く)とも、
歪の少ない音であっても、位相特性が優れている、
聴感上のS/N比が優れていようとも(ただ、これらはすべて世評であって私は必ずしも同意しない)、
ヘブラーの演奏をお嬢様芸よりもひどく聴かせられたら、
グールドの演奏を別人のようなに聴かせられたら、たまったものではない。

そういうスピーカーは、音楽を聴くスピーカーとして私は信頼できない。

Date: 12月 13th, 2012
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(聴かない、という選択・その2)

そうとうな数の音を聴くことではっきりとしてくることがあるのだから、
その意味でも、少しでも数多く聴いたほうがいい、と私も思う。

そう思いながらも、最近では、あえて聴かないという選択もあるということ、
そして聴かないという選択が聴くという選択よりも、時としていい結果をもたらすこともある、
と、そうも思っている。

別項の、「音楽性」とは、のところで「欠陥」スピーカーのことについてふれた。

どこのスピーカーを「欠陥」スピーカーと思っているのか、
それについては具体的なブランド名、型番は出さない。
けれど、これらのスピーカーシステムにはどうしても納得できない音楽の鳴り方がしてくる。
もっといえば音楽を歪めて、それもきわめて歪めて聴かせてくれる。

もっとも、これらのスピーカーシステムで歪められると感じるのは、私が聴きたい音楽であって、
それが私にとって音楽が歪められている、と感じからこそ、「欠陥」スピーカーととらえているわけである。
けれど、聴く音楽が違えば、このスピーカーのどこが欠陥なの? と思う人もいる。

私が「欠陥」スピーカーと思うだけであって、
これらのスピーカーのオーディオ雑誌での評価は割と高い。
一部の人はかなり高く評価している。

でも、その人と私とでは聴く音楽が違いすぎるから、
私が優れたスピーカーと思っているモノを、その人は「欠陥」スピーカーと思っているかもしれない。

それはそれでいいじゃないか──、
と私にいう人もいる。
でも、そんなことはわかったうえで、それらのスピーカーを「欠陥」だと書くのは、
これらのスピーカーシステムによって音楽を聴くことによって、音楽が歪められるだけでなく、
聴き手もときとして歪められることもあるからだ。

Date: 12月 13th, 2012
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(聴かない、という選択・その1)

オーディオは、聴くことからはじまる。
だから、少しでも数多く聴いたほうが、原則としてはいい、といえる。

たとえばいまはあまりいわれなくなっていことに、
アメリカンサウンド、ブリティッシュサウンドといったことがあり、
アメリカンサウンドもウェストコーストとイーストコーストとに分類されていた。

実はそのころから、たとえばブリティッシュサウンドといっても、
タンノイとQUADのESLとではずいぶん音の傾向は異るし、
同じダイナミック型のスピーカーシステムでも、タンノイとBBCモニター系のモノとでは、やはり異る。
BBCモニター系と呼ばれるスピーカーシステムでも、
スペンドールとロジャース、それにハーベスでは、それぞれに独自の音をもっている。
だからブリティッシュサウンドなんて呼ばれるものは、
オーディオ評論家が勝手に作り出したものだ──、
という意見があったのも事実である。

こういう意見も間違っているわけではない。
確かにブリティッシュサウンドといっても、メーカーによって音は異っていて当然であるし、
それはアメリカンサウンドについても同じことがいえる。

けれど、おそらくブリティッシュサウンドなんて、アメリカンサウンドなんて、といわれる方は、
それほど多くのスピーカーシステムを、それもまとめて聴く機会がなかった方ではないだろうか。

いや、そんなことはない。
新製品はできるだけオーディオ店に行き聴くようにつとめているし、
友人・知人の音も聴いているし、
どこかにいい音で鳴らしている人がいると耳にすれば、つてをたよって聴きにいく。
だから、そこそこの数の音を聴いている──、
そう反論されるだろうが、
どんなに個人で積極的にさまざまな音を聴いたとしても、
それはオーディオ評論家とオーディオ評論家と名乗っている人たちが聴いている多さからすると、
かなり少ない、ということになる。

そして大事なのは、たとえばスピーカーシステムの試聴があるとしたら、
短期間に集中的にかなりの数のスピーカーシステムを聴くことになる。
日本のスピーカー、アメリカのスピーカー、イギリスのスピーカー、その他の国のスピーカーなど。
こうやって聴くことによって見えてくることがらがあり、
だからこそアメリカンサウンド、ブリティッシュサウンドがあるということに気がつくのである。

Date: 7月 19th, 2012
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(再会という選択・その3)

「いまさらねぇ……」
これを口にするは、別に難しいことでもなんでもない。
誰でも、いおうと思えばいえる。

「いまさらLNP2ねぇ……」「いまさら4343ねぇ……」、
そんなことは懐古趣味だとばかりに短絡的判断を下す人がいる。
そう思いたければ、ずっとそう思っていればいい。

私だって、「いまさらLNP2ねぇ……」「いまさら4343ねぇ……」と誰かにいったりはしなかったものの、
私は私自身に対して、そんなことをつぶやいていた時期がある。

「いまさらねぇ……」を口にする人の中には、
LNP2や4343を実際に使ってきた人、憧れをもっていた人もいる。
そういう人の「いまさらLNP2ねぇ……」「いまさら4343ねぇ……」には、
自分はとっくに、それらのオーディオ機器から卒業した、
もしくはいまの自分にとっては、自分の要求するところからは、
力不足のオーディオ機器、さらにいえば役立たずのオーディオ機器、と暗にいいたいのかもしれない。

「いまさらねぇ……」の裏からは、
いまの自分は、もうそんなところにはいないよ、といった自負が臭ってくることがないわけではない。

「いまさらねぇ」のあとにオーディオ機器の型番を続ける人と話したことが、数回ある。
話してみれば、わかる。
自分にもそういう時期があったからこそ、わかるものがある。

ほんとうに、この人は「いまさらねぇ」の後に続けるオーディオ機器を、理解しているのだろうか。

私は、人でもオーディオ機器でも再会するということは、
再会する自分が、実は試されているところがあると、いまは感じている。

「いまさらねぇ……」は、その試されることから逃げるには、最適の言い草であるからだ。

Date: 7月 15th, 2012
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(再会という選択・その2)

1970年代後半のころのマークレビンソン・ブランドのアンプは、私にとっては憧れだった。
LNP2にしてもML2にしても、ML6も含めて、いつかは手に入れる、と思っていた。

LNP2、ML2は、そう思っていたためか、聴く機会はわりとはやく訪れたし、その後も何度となく聴く機会があった。
LNP2はステレオサウンドのリファレンスコントロールアンプとして使われていたこともあって、
聴こうと思えば、ステレオサウンドの試聴室で聴くことができた。

こういう環境は恵まれている、と思うと同時に、憧れを大切にしたいのであれば、どうかな、とも思う。
憧れのLNP2は、その後続々と登場するコントロールアンプによって、少しずつ旧型のアンプへと変りつつあった。

憧れはいつしか失せていた。
LNP2を「いつかは手に入れる」という気持はなくなっていたのか、忘れてしまっていたのか……、
どちらなのかは自分でもわからないものの、LNP2に関心をもつことはながいあいだなかった。

これは、なにもLNP2に対してだけのことではない。
ML2に関しても、ML6に関しても、いつしかそうなっていたし、
マークレビンソンのアンプに関してだけのことでもない。

実を言えばJBLの4343に対しても、4345に対しても……。
こうやってひとつひとつ挙げていくときりがないほど、10代のころに強く憧れ、
いつか必ず手に入れる、と思い込めていたオーディオ機器への関心がなくなっていた。

LNP2もML2も4343も、その時代の先端を走っていたオーディオ機器であっただけに、
時が経てば、色褪せて、どうしても旧さを感じてしまうようになるのは、しかたないことかもしれない。

そんなふうに感じていた20代の私は、もうLNP2や4343を欲しい、と思うことはない、と思っていた……。
なのに、いまは「再会」をつよく意識している自分に気がつく。

Date: 7月 14th, 2012
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(再会という選択・その1)

オーディオ機器の買替えが頻繁な人は、それこそ1年ごとにスピーカーを買い替えない人もいる。
頻繁でない人でも、いままでずっと1つのスピーカーシステムだけを使ってきている人は、ほとんどいないと思う。
少なくとも、自分にとって理想と思えるスピーカーシステム、
永くつきあえるスピーカーシステムと出合うまでには、何度かの買替えを体験している、はず。

買替えが頻繁な人が経済的に必ずしも裕福とは限らないし、
ほとんど買い替えない人が経済的にめぐまれていないわけでもない。
これは、もうその人の性格的なものでもあろうし、
たまたま理想的なスピーカーシステムと早くにめぐり合える幸運に恵まれていただけかもしれない。

スピーカーはほとんど替えない人でも、アンプやプレーヤー、
それにケーブルなどのアクセサリーは割と買い替えている人もいよう。

買替えの頻度は、いろんな事柄が関係してのことだから、
まわりがとやかくいうことではない、と思っている。
買替えが頻繁な人を浮気性ということもできるし、積極的な人ということできる。
買い替えない人を、じっくりと物事に取り組む人ともいえれば、消極的な人という見方もできなくはない。

だから買替えの頻度は、ある時期からぴたっと止る人もいる。
かと思えば、いきなり買替えの頻度が増す人もいて不思議ではない。

ただ、どちらにしても買替えは、基本的に新しい出合いを求めての行為である。
よりよい音を求めての選択であり、新鮮な感覚を求めての選択でもある。

だから、われわれは新製品の登場に、多かれ少なかれ、なんらかの期待をし、わくわくするわけだ。
新製品でなくてもいい、その人にとって未知のオーディオ機器であれば、新製品となんら変らない。

そういうオーディオ機器との出合いを求める気持とともに、
私の裡で「再会」という選択が日々大きくなってきている。

Date: 1月 29th, 2012
Cate: 選択

オーディオ機器との出逢い(その7)

そうやってオーディオ機器と出逢ったことは、幸運だったと思う。

「五味オーディオ教室」でタンノイ・オートグラフ、マッキントッシュMC275、EMT・930stと出逢ったときから、
実際にこれからのオーディオ機器に接し、その音を聴くまでには充分すぎる時間があった。
そのあいだ、何度も何度も「五味オーディオ教室」を読み返し、
オートグラフ、MC275、930stの音を、ではなく、
五味先生がこれらのオーディオ機器をとおして鳴らされている音を頭のなかでイメージしていっていた。

最初に読んだときの鮮烈なイメージを元に、
何度もくり返し読んでいくことと、ステレオサウンドを知って読んでいくことで、
最初に描いた(というよりも描かれた)イメージは、そのたびに更新されていく。

そしてステレオサウンドで働くようになって、
オーディオの体験がそれまでよりも飛躍的に量・質ともに大きく変化していったことで、
より細部まで頭のなかで構築されていく。

美化されていく、のとは違う。
より具体的なイメージとなっていった。
しかもそのイメージはそれまでの体験によって、より上へ上へと行く。
いつまでたっても追いつけないイメージが、私のうちに育っていく。

これは、もう夢の音なのかもしれない。
けれど、「五味オーディオ教室」を最初に読んだときからつねに私の中にあった、
この音のイメージがあったからこそ、
もっともっといい音が出せるはず、という気持になっていた。

オーディオなんてこんなものだろう、という気持は、だからまったくなかった。
絶対にあの音が、あそこまでの音が出るんだ、という確信も「五味オーディオ教室」を読んだときから芽生えていた。

だから、幸運だった。

Date: 1月 22nd, 2012
Cate: 選択

オーディオ機器との出逢い(その6)

田舎に住んでいたころは、東京に憧れていた。
はやく上京したい、と思っていた。その理由は、もちろんオーディオ。

東京にはいくつものオーディオ店があって、田舎出は聴くことのできないオーディオ機器を聴ける。
それにメーカーのショールーム(とくに西新宿にあったサンスイのショールーム)もある。
毎年秋には、晴海でオーディオフェアをやっている。

東京に住まいのある人が羨ましく思えた10代だった。

そのころまわりにはオーディオマニアはいなかった。
東京のような環境ではなかった。
だからこそ、文章による「出逢い」をいつしか求めるようになっていったのかもしれない。
それに、そういう私の欲求に応えてくれる人たちが、あのころはいた。

タンノイ・オートグラフ、マッキントッシュMC275、EMT・930stは五味先生の文章によって、
JBL・4343、マークレビンソンLNP2、KEF・LS5/1A、グッドマンAXIOM80、
それにもう一度930stは瀬川先生の文章によって、
そのほかにもいくつかあるオーディオ機器は、このころ、そういう「出逢い」をしてきた。

タンノイのオートグラフが名器と呼ばれるのは、なにも五味康祐氏が使っていたからではない、
4343が名器なのは瀬川冬樹氏が使っていたからではない、
オートグラフも4343も優れたオーディオ機器であったからこそ、名器と呼ばれている。
──こういった主旨のことをいわれたことがある。

そのとおりだ、と私も思う。
それでも、あえて反論した。
オートグラフも4343も、ここに書いてきた「出逢い」を私はしてきたからだ。

そうやって出逢ってきたオーディオ機器は、人と、いまでも分かちがたく結びついている。
もう切り離すことはない、と言い切れる。

そんな私にとって、オートグラフは五味先生が愛用されていたから、
五味先生をあれだけ夢中にさせ、あれだけの情熱を注がせたから「名器」であり、
4343、LS5/1Aにしてもそうだ。ここには瀬川先生が、いる。
JBLのパラゴン、D130には、岩崎先生が、いる。

私にとって特別なオーディオ機器には、つねに「人」がいる。

Date: 1月 21st, 2012
Cate: 選択

オーディオ機器との出逢い(その5)

オーディオ機器との出逢いは、いつ、どこか、ということになると、
オーディオ販売店であったり、オーディオ仲間のリスニングルームであったり、ということになるだろうが、
私にとって、タンノイ・オートグラフ、マッキントッシュのMC275、EMtの930stとの「出逢い」は、
五味先生の「五味オーディオ教室」であった。

そんなものは出逢いではない、といわれるのはわかっていても、
私にとってのオートグラフ、MC275、930stとの「出逢い」は、やはり「五味オーディオ教室」である。
それで良かった、だから良かった、といまでも思っている。
これから先もきっと、これについては変ることはないはずだ。

いまオーディオ機器について書かれた文章は、あふれている。
オーディオ雑誌だけでなくネットがあるから、あふれている。
あふれてはいるけれど、「出逢い」と言い切れる文章、信じていける文章は……、とおもう。

いつか誰かに、あれが「出逢い」だった、と思ってくれる文章をひとつ書いてゆくこと──。

Date: 11月 26th, 2011
Cate: 五味康祐, 選択

オーディオ機器を選ぶということ(続々続・五味康祐氏のこと)

「いろんな人と旅をしたけれど、あんたと旅をしたのが一番楽しかった」

『五味一刀斎「不倶戴天の」仇となった「金と女」とのめぐり合いを』を読み終わって、
この五味先生の言葉にもどってくると、
五味先生にとって、千鶴子夫人という存在とタンノイ・オートグラフの存在が重なってくるようなところを感じた。

五味先生は「いろんな人と旅」をしてこられた。
いろんなスピーカーを使ってこられた。

なにを使ってこられたのかは、もうここでは書かない。
五味先生のオーディオ巡礼、西方の音、天の聲をお読みになればわかることだ。
そうやってタンノイのオートグラフというスピーカーシステムとめぐり合われた。

このオートグラフとの出合いも、ここで詳しく書く事もないだろう。

オーディオ機器は決して安いモノではない。
けっこうな値段のモノばかりだし、
いまではおそろしく高価になり過ぎてしまったモノは珍しくなくなっている。
だから、オーディオ機器を購入する時は、しっかりと情報を収集して、
音も、もちろん事前に聴く。それもできれば自宅で試聴して、という方もおられよう。
そういう慎重な購入が、いまでは当り前のようになってきている。

そういう買い方をされる方には、五味先生のオートグラフの購入は信じられないことでしかないだろう。
音を聴かれていないばかりか、実物すら見ずに、
イギリスのHi-Fi YearBookの1963年版に掲載されていた写真とスペックと、
それに価格だけで購入を決意されている。

五味先生が買われたころのオートグラフも、またひじょうに高価なモノだった。
「怏怏たる思いをタンノイなら救ってくれるかもしれぬと思うと、取り寄せずにはいられなかった」五味先生。

このオートグラフが、五味先生にとって終のスピーカーシステムとなる。

なぜHi-Fi YearBookを見た時に、そう感じられ思われたのか──。
五味先生の書かれたものを読んでも、オートグラフ以前にタンノイのスピーカーをご自身で鳴らされているけれど、
決してそれは、素晴らしい音とまではいえない音だったことはわかる。
「かんぺきなタンノイの音を日本で誰も聴いた者はいない」、そんな時代に決意されたのは、
ある種の予知能力なのではなかったのか、と週刊新潮の記事を読んで、そう思った。

Date: 11月 26th, 2011
Cate: 五味康祐, 選択

オーディオ機器を選ぶということ(続々・五味康祐氏のこと)

5年前だったか、週刊新潮が創刊50周年を記念して創刊号を復刊したことがあった。
創刊号をそのまま復刊しただけでなく、
それまでの週刊新潮にたずさわってきた人たちによる興味深い文章もよせられていた。
巻頭には齋藤十一氏についての文章があった。
それから齋藤夫人のインタビュー記事も載っていた。
そのどちらにも五味先生の名前が登場していた、と記憶している。

五味先生の筆の遅いのはよく知られていたことで、
週刊新潮では印刷所の一角に小さな和室をつくり、
そこに〆切間際というよりも〆切をすぎたときに五味先生をカンヅメにして原稿を執筆してもらっていた、とある。
けれどちょっと目を離すと、銀座のママに電話して原稿をほったらかしていなくなってしまうらしい。
『五味一刀斎「不倶戴天」の仇となった「金と女」とのめぐり合い』にも同じようなエピソードがある。

取材に旅行に出かけるというので、担当編集者が駅まで送りに行ったときのことだ。
五味先生は「それじゃ」といって列車に乗り込む。いい忘れたことがあった編集者はその列車にとってかえすも、
五味先生はいない。なんととなりのホームで、水商売風の女性と別の列車に乗り込もうとされていたとか。
また温泉宿にカンヅメになったときも……。

五味先生は、たしかに「いろんな人と旅」をされていた、と週刊新潮の記事にはある。
さらに「とっかえひっかえ、実にコマメに、様々な女性を連れて歩いた人」ともある。

記事の最後の方には、そして、こう書いてある。
五味先生と特に親しかった知人の話として、
「無名のころから、めぐり合いたしと追いまわしたのはカネと女。ただし、結果としていえば、カネは一文も残らず、女もロクな女には出会わなかった」。

五味先生が剣豪作家として流行作家になられる前の窮乏した生活については、
オーディオ巡礼や西方の音のなかでもふれられている。
剣豪小説が流行になり、そんな状態は脱しながらも、入ってきたものを右から左へと使いまくる人だったそうだ。

だから、亡くなった後の預金通帳には、日本国民の平均貯蓄にははるかに及ばぬ金額が記入されていた……。

『五味一刀斎「不倶戴天」の仇となった「金と女」とのめぐり合い』は、
ロクな女と出会わなかったけれど、
ここでいう「女」の中で、千鶴子夫人だけは例外であったことは、
先にあげた故人の「いろんな人と旅をしたけれど……」という言葉が証明している、といえよう、と結んでいる。

週刊新潮1980年4月17日号の記事は、
タイトルは、当時の週刊新潮の編集方針であった俗物主義的ではあるけれど、内容は違う。
読めば、そのことはわかる。

この記事を読み終り思っていたことは、五味先生とスピーカーのめぐり合い、である。

Date: 11月 24th, 2011
Cate: 五味康祐, 選択

オーディオ機器を選ぶということ(続・五味康祐氏のこと)

『五味一刀斎「不倶戴天」の仇となった「金と女」とのめぐり合い』は、旅のことから始まる。

ちょうど二年前、という書出しで始まるから、
1978年に、3月から4月にかけて五味先生は千鶴子夫人を連れてヨーロッパ旅行に出かけられている。
この旅行のことは、「想い出の作家たち」(文藝春秋)におさめられている五味千鶴子氏の文章にもある。

この旅が終りに近づいたころ、
「いろんな人と旅をしたけれど、あんたと旅をしたのが一番楽しかった」
と口にされた、とある。

この旅行の3年前に、芸術新潮に連載されていた「西方の音」でマタイ受難曲について書かれた文章の書出しが、
「多分じぶんは五十八で死ぬだろうと思う」である。

五味先生はオーディオの本のほかに、観相・手相の本も出されている人だ。
自分の掌を見つめて、「ガンの相が出ている」といわれていた、そうだ。
また「ガンは予知できるのだ」ともいわれていた、と記事にはある。

予知は自身の死についてだけではなく、昭和28年の「喪神」での芥川賞受賞も、また予知されている。
このところを、また週刊新潮の記事から引用しておく。
     *
昭和二十八年、『喪神』で芥川賞を受賞した時も、選考発表の日に、奥さんに向って「今度の芥川賞はオレが選ばれるよ。ただし二つに割れるな」といった。
なにしろ当時は、この一作しか発表されていなかったのだから、これを聞いた千鶴子夫人は、「何を、バカな……」と思った。が、その日の深夜、練馬の都営アパートの五味家に届いた電報は、授賞の知らせだった。しかも、松本清張氏との二人受賞だった。
むろん、批評家や編集者から事前に何か情報を聞かされていたわけではないという。
     *
この年の芥川賞の選考については、週刊文春の、ずっとあとの別の記事で読んだことがある。
ほとんどの選考委員は松本清張氏を推していて、
五味先生を強力に推していたのは坂口安吾氏だった、ということだ。

五味先生の、この不思議な予知能力を日常生活のなかでも折にふれて発揮していたそうで、
「お父さんはエスパーみたい」といわれていたそうだ。

Date: 11月 24th, 2011
Cate: 五味康祐, 選択

オーディオ機器を選ぶということ(五味康祐氏のこと)

都立多摩図書館に行ってきた。
歩いて行こうと思えば歩いて行ける距離にあるし、
国会図書館に較べたら雑誌の所蔵数は少ないというものの、
閲覧・コピーも国会図書館よりもずっと簡単なだけに、月に2回ほど出向いている。

いま都立多摩図書館ではイベントをやっている。
といってもそんなに大げさな催しではなく、図書館の一角の展示スペースを利用しての、そういう程度のものである。
11月11日から12月5日まで「雑誌を彩る表紙画家」という催しをやっている。

行けば、なにかやっているので前もって何をやっているかは調べずに行く。
今日もそうだった。
行ってみると、週刊新潮がずらりと並べてある。
1970年代から80年にかけての週刊新潮が、すべてではないにしても表紙を全面見えるように展示してある。
そうやって並んでいる週刊新潮を眺めていたら、あっ、そうだ、と思い、
1980年4月の号を手にした。

4月17日号を手にとっていた。
目次を開く。そこには『五味一刀斎「不倶戴天」の仇となった「金と女の」とのめぐり合い』という、
なんとも週刊新潮らしいタイトルのついた記事が、やはりあった。

4ページの記事。誰が書かれたのかはわからない。
週刊新潮の編集者、というよりも、
そこに書かれていることはそうとうに五味先生と親しかった方ではないか、と思われる。
となると新潮社のS氏、つまり齋藤十一氏が書かれたものではなかろうか、そう思えてくる。

タイトルは、すこし俗っぽい内容を思わせるけれど、
読めば、そういうものでないことはすぐにわかる。

大見出しのところを引用しよう。
     *
「多分じぶんは五十八で死ぬだろうと思う」──こう書いたのが五年前のことだった。そして、その通り五十八歳で亡くなった。この異才の作家が、観相の術をよくしたことはつとに知られている。家人が病名を隠して入院させた時も、自分の掌を見つめて、「ガンだな」といった。もっともそうはいいつつ、「医者はガンだっていっているんじゃないか」と不安そうに夫人に聞いたりもした。奔放多情の伝説を残した剣豪作家と、実はきわめつきの愛妻家と、二人の一刀斎がそこにいた……ということかもしれない。

Date: 4月 14th, 2011
Cate: 選択

オーディオ機器との出逢い(その4)

出逢いがあれば、必ず別離がある、とはずっとずっと以前から云われていること。

出逢うべくして出逢ったオーディオ機器との別離が、いつかきっとくる。
大切なモノを失うことはつらい。

ときに、その別離が、大切な「こと」を見失っていたのに気づかせてくれることもある。