Date: 12月 15th, 2012
Cate: 選択
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オーディオ機器を選ぶということ(聴かない、という選択・その4)

ヘブラーの演奏を多く変質させてしまうスピーカーというのは、
なにもいまの時代だけでなく、ずっと以前から、いつの時代にもいくつか存在していた。
だから菅野先生はステレオサウンド 54号でのスピーカー特集号での座談会で発言されているわけだ。

ただ、そういうスピーカーと、私がいま「欠陥」スピーカーと呼んでいるスピーカーとの大きな違いは、
まず価格にある。
いまの「欠陥」スピーカーは、おかしなことに非常に高価なモノに偏っている。
しかも、それらのスピーカーを高く評価しているオーディオ評論家と呼ばれる人たちが、またいる。

そういう人たちが高く評価するのも理解できないわけではない。
そういう人たちの音の聴き方であれば、確かに高い評価となるだろう。
そういう人たちの耳が悪い、といいたいのではない。

そういう人たちと私とでは、聴きたい音楽が違う、ということ、
一部の音楽は重なっていても、その音楽の聴き方がまったく違うことによって、
そういう人たちは高く評価して、私は「欠陥」スピーカーとして拒絶する。

もちろんオーディオ機器の音は、それを使う人、鳴らす人によって、
時には大きく変容することがあるのはわかっている。
そのスピーカーに惚れ込むことで、より使いこなしに励み、いい音を出している例もあるのではないか──、
そう思われる方もいるはず。

だが使い手によって、使い手の愛情によってどうにかなるのはスピーカーの欠点であり、
欠陥ではない、ということをはっきりさせておきたい。

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