Archive for category 複雑な幼稚性

Date: 6月 27th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その26)

二週間前から、今回の件について書いている。
書き続けていくことで、アクセス数は減るだろうな、と思っていた。

ところが書き始めて数日して、アクセス数は増えてきた。
アクセス数は日によって多少は上下動する。
今回の増え方は、はっきりとした増え方であって、
昨日のアクセス数は、今年最高となっている。

アクセス数が増えているだけでなく、
平均セッション継続時間(つまりアクセスした人がどれだけの時間、滞在しているか)は、
アクセス数以上にはっきりと長くなっている。

アクセス数は数割程度の上昇だが、
滞在時間のほうは、時間帯によっては二倍から三倍程度に長くなっている。

つまり遡って読んでくれている方が少なくない、ということを数字が示している。
正直、意外だった。

読んでくれている人が、どういう感想をもっているのかまでは、
数字からは読みとれない。
私と同じように感じている人もいれば、そうでない人もいるだろうが、
無関心な人が少ないのではないだろうか。

この無関心の人が少ない、ということが、
こうやって書いている者にとっては嬉しいことである。

それに今回の件に関しては、
facebookへのコメントもある、
ブログへのコメントもきている。
それに私へ直接メール、メッセージを送ってくださる人、
電話を掛けてくる人もいる。

Date: 6月 26th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その25)

今回の件は、完全に染谷一氏の自業自得でしかない。
ステレオサウンド 207号で、読者に対して謝罪すべきことはないにも関らず、
謝罪しただけでなく、そこでavcat氏に語ったこと自体が問題である。
(本人たちはそうは思っていないかもしれないが)

私だったら、どうするか。
毎年恒例のStereo Sound Grand Prixの選考委員を辞退する。
今年一回限りではなく、辞退する。

黙って辞退すればいい。

Date: 6月 26th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その24)

他の人への謝罪は、どうなのか。
他の筆者、それから今回の件を知った人たちへはどうするのか。
一人一人に謝罪していくのか。

染谷一編集長が《ステサンとして本位でなかった》とavcat氏に言ったことを、
ステレオサウンドの編集者は、どう思ったのか。

自分たちの仕事を否定された気持になったのか、侮辱されたと思ったのか、
なんとも思わなかったのか。
そこは部外者の私には知りようのないことだ。

読者に対しては、どうなのか。

avcat氏もステレオサウンドの読者の一人である。
avcat氏の一連のツイートを読めば、
染谷一編集長の謝罪によって、
ステレオサウンドへの期待は高まっているように思える。

そういう読者もいれば、ステレオサウンドに、というか、
ステレオサウンド編集部、もっといえば染谷一編集長に不信感を抱いた人たちもいる。
その人たちに謝罪するのか。
するとしたら、誌面で、ということになる。

そこにいったいどういうことを書くのか、
これもまた難しい。
謝罪の仕方、文面次第では、avcat氏にした謝罪はどうなってしまうのか。

誌面で謝罪してしまえば、今回の件を知らなかった人たちまでが知ることになる。

──こんなことを書いていると、
染谷一氏を辞めさせたいんだろう、とか、
染谷一氏は編集長を辞任すべき、と、私が書くんだろうな、と思う人もいるだろう。

私は辞めることが、ここでの責任のとり方とは考えていない。

Date: 6月 26th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その23)

狡い手も思いつく。
avcat氏と染谷一編集長は、少なくとも顔見知りである。
染谷一編集長は、avcat氏のツイートを読んでいる人でもある。
だから、avcat氏のツイートにあるように、
アナログオーディオフェアでの会場で、染谷一編集長の方からavcat氏に近づいての謝罪である。

どの程度の仲なのかまではわからない。
avcat氏のツイートが公開されて、ごく早い時期であれば、
avcat氏に頼み込んで、ツイートを削除してもらう。

これはほんとうに狡い手、卑怯な手である。
それに削除してもらうには遅すぎる。

avcat氏が削除に応じてくれるかどうかも、なんともいえない。
簡単に削除してしまえば、自身の評判を自ら落すことにつながる。

それに魚拓というのが、インターネットの世界ではある。
いわば証拠写真のようなものである。
仮に誰かが魚拓をとっていたら、また面倒なことになるだろうから、
これは悪手でしかない。

では染谷一編集長が、今回の件で謝罪する、というのも、
実際に考えてみると、なかなかやっかいである。

まずいったい誰に謝罪するのか。
avcat氏への謝罪は、
avcat氏のツイートによればYGアコースティクス・ユーザーへの謝罪である。

その謝罪をしたこと、
そこでavcat氏に述べたことの謝罪は、誰にするのか。

柳沢功力氏に謝罪するのか。
染谷一編集長は、avcat氏に《ステサンとして本位でなかった旨》を伝えている。
さらに《これからこのようなことがないように対策します》と続けていることが、
avcat氏のツイートからわかる。

これらの発言を、柳沢功力氏はどう受けとるのか。
侮辱を受けとることもできよう。

柳沢功力氏に染谷一編集長が謝罪する、としよう。
それは個人的に行われるであろう。
公開の場で、たとえばステレオサウンドの誌面で、
染谷一編集長が柳沢功力氏に謝罪する、というのは考えにくい。

そして謝罪は、柳沢功力氏だけにすれば済むのか。

Date: 6月 26th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その22)

その6)から取り上げている今回の件、
ステレオサウンドの編集長の染谷一氏が、
avcatというサイトを公開し、avcatというハンドルネームのオーディオマニアに対して、
謝罪した、という件は、
私にとって、さまざまなことを考えさせてくれるだけの拡がりをもっている。

編集者と編集長の違い、
よい編集者が必ずしも編集長となれるわけでもない、ということ、
よい編集長が、よい編集者とはかぎらない、とか、
いまの時代、インターネット、それもSNSの影響を無視できない、ということ、
そこにおける匿名での情報発信、
少し前に公開した黒田先生が書かれていること、
他にも、さまざまなことが関係して書きたいこと、
というより書くべきことが浮んでくる。

それらのことを考えながら、
私なら、こういう状況でどういう態度をとるだろうか、ということも考えていた。

私なら、今回の試聴記の件で、
そのスピーカーのユーザーに謝罪したりはしない。
でも、そんなことを書いてしまったら、後が続かない。

とにかく謝罪した、としよう。
それをSNSで公開されてしまった。
そうなってしまった場合、どうするか。

立場は染谷一氏と同じ編集長と仮定して、これを読まれている方も考えてみてほしい。

まず無視する、ということがある。
私がこうやって書いていることなど、単なる外野の戯言ぐらいに受け流して、
無視する、つまり沈黙を決め込む。
そうすれば、いつか忘れられるのだから。

けれど、ほんとうに忘れられるのか。
誌面に載ってしまったことであれば、
その本が書店から消え、しばらくすれば、段々と忘れられてしまう。

けれど今回の件は、インターネットと関係しているし、
こうやってこの件を取り上げて書いている私も、インターネット上に、おいてである。
関心が薄れたころに、また書かれてしまうことだってある。

それに優秀な検索エンジンのGoogleが、何かと関連付けて、
検索結果として表示してしまうことだって考えられる。

何もしない、何も語らない──、
私だったら、これは選択肢としてない。

Date: 6月 25th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その21)

avcat氏は匿名である。
avcatのサイト内を見ても、自身についての記述はない(見つけられなかった)。
確か、以前はリスニングルームの写真が公開されていたページがあった。

その時のスピーカーは、TADのTAD-M1だった。
そのページには、使用機材がずらっと書かれていて、
最後の方に、居住地がおおまかに記載してあった。

avcat氏はどんな人なのか。
匿名で、自身のサイトに何も書かれていないからといって、
ずっと想像だけで書くのも、気が引けるところがある。

avcat氏の人となりが少しでも知ることができないのか。
せめて年齢くらいは知りたいと思う。

Googleで「avcat」と検索すると、ずらっと検索結果が出る。
日本語のサイトだけでなく、英語のサイトもかなりの数ヒットする。
丹念に見ていけば、avcat氏の、何かをひとつくらいは知ることができるかもしれないが、
そんな気力はない。

そういえば、と思い出したのが、リスニングルームと使用機材のページのことだった。
都道府県名を検索キーワードに加える。

するとavcat氏の本名も仕事先まで、Googleは示してくれる。
(都道府県がどこなのかは書かない)

Google、恐るべし、と思った。
なぜ、ここまで関連付けて上位に表示できるのか。
しかも、それが間違っていないのは、下位の検索結果からわかる。

この検索結果を、avcat氏は知っているのか。
知らないのであれば、avcat氏は匿名が守られている、と思っていることだろうし、
知っているのであれば、匿名でもなんでもない、ということになる。

avcatは、匿名といえるのか。

Date: 6月 24th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その20)

話は少し横路にそれるが、今回のavcat氏のツイートにも関係することがある。
これもfacebookへのコメントで知った。

「フリーライター、書く人」というブログがある。
5月23日の記事が、オーディオとインターネットに関係する内容である。
タイトルには、
「他社製品と性能比較してSNSに結果を流すのは営業妨害です。株価が下がったら責任取れますか?」と公開やり取りで炎上事件
とある。

冒頭に、こうある。
     *
 個人ブロガーがオーディオ用インシュレーター製品Aと製品Bの性能を比較するとツイートしたところ、製品Aをブロガーに貸し出した株式会社金井製作所が「他社製品と性能比較してSNSに結果を流すのは営業妨害です」とツイート。「個人のレビューに対して営業妨害呼ばわりはどうなんだ?」と炎上しました。
     *
詳しい内容は、リンク先にアクセスして読んでいただきたい。
読み終って、まず思ったのは、いろんなことが起っているんだなぁ……、である。

このブログを公開されている篠原修司氏は、
《企業から貸し出されたモニター機で他社製品と性能を比較する行為は、通常では考えられないことです》
と書かれている。

そうなのか、と思った。
そうだろうけど、オーディオの場合、他社製品との比較も必要となる。

この件はインシュレーターである。
インシュレーターであれば、個人ブロガーがそれまでインシュレーターの類を使っていないのであれば、
特に問題は起こらなかったであろう。

比較するもの(音)は、インシュレーターを使用していない音なのだから。

けれど、インシュレーターに興味をもちモニター試聴を行う人であれば、
なんらかの同種のアクセサリーは使っていることが多いのではないか。

そういう人が、メーカーから貸し出しを受けたインシュレーターについてだけ書くのは、
難しいことではないか。

《企業から貸し出されたモニター機で他社製品と性能を比較する行為》については、
これ以上はここでは触れない。

私が書きたいのはそこではなく、
個人ブロガーが、avcat氏と同じで、匿名である、という点だ。

自分のお金で買ったモノについて書くのであれば、匿名でもかまわない。
けれどメーカーからモニターとして貸し出しを受けておいて、
匿名である、ということに疑問を感じる。

しかも他社製品との比較を、製品名を明らかにした上で書くのであれば、
匿名のままということに、個人ブロガー自身は何も感じないのか。

個人ブロガーは、メーカーに対してあれこれ主張している。
ここでも一連のツイートに「複雑な幼稚性」につながるものを感じていた。

Date: 6月 24th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その19)

avcat氏は、「音楽の見える部屋」と「マイオーディオライフ」に、
否定的なツイートをされている。

その否定的なツイートは、ムックに対して向けられているのか、
ムックに登場している人たちの多くに向けられているのか。

それにしてもavcat氏は、この二冊のムックのタイトルをはっきりと書かなかったのか。
ぼかして書いたところで、オーディオマニアならば、
すぐにどの本のことがすぐにわかる書き方をしている。

ぼかす意味がないだろう、と思うのに、
それでもぼかしているのは、なぜなのか。

否定的なことを書いているためなのか。
そうだとしたら、幼いな、と思う。

否定的ななこと、批判的なことを書いてはダメだ、なんていわない。
それでも相手(人、モノ、本など)が特定される書き方をするのであれば、
書き手はきちんと実名で書くべきだ、というのが私のルールである。

匿名で否定的・批判的なことを書くのであれば、
絶対に相手が特定されないように配慮すべきである。

avcat氏は、そう考えている人ではないようだ。
「音楽の見える部屋」と「マイオーディオライフ」に関しても、
ぼかしているものの、すぐにわかる書き方だし、
柳沢功力氏に関しても、そうだ。

はっきりと柳沢功力氏の名前を出しているのではなく、
やっぱりぼかした書き方だ。
それでも、誰にでもわかるぼかしかたでしかない。

なのにavcat氏本人は、匿名のままである。

Date: 6月 24th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性
1 msg

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その18)

avcat氏が、どんな人なのか、
avcatというサイトを公開している人、ということ以外は知らない。

avcatは公開されて十年以上経っている、と思う。
海外のオーディオメーカーの新製品情報に関しては、
当時もっとも早く紹介していたサイトだった。

それからしばらくして、オーディオショウの写真を公開するようになった。
オーディオショウの写真に関しては、公開の早さと写真の数は、力が入っているといえた。

ただそのころの写真に関しては、アングルがほとんど変らない写真が並んでいて、
数が多い割には……、とも感じていたが、
その行動力から、かなり若い人なんだろうな、と勝手に思っていた。

写真の工夫のなさからいって、学生かも……。
大学生、もしかするともっと若くて高校生ぐらい。
オーディオに芽生えて数年ぐらいの人がやっているのが、avcatだ、とも思っていた。

若い人なんだな、ということは、今回の件に関する一連のツイートを読んでも感じることだ。
そのツイートの中に、二冊のオーディオのムックのことが取り上げられている。

はっきりとムックのタイトルを書かれているわけではないが、
どのムックを指しているのかは、明らかだ。

音楽之友社から出ている田中伊佐資氏の「音楽の見える部屋」、
音楽出版社から出ている山本耕司氏の「マイオーディオライフ2018」である。

Date: 6月 23rd, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その17)

Components of the year、Stereo Sound Grand Prix、
ステレオサウンドが30年以上、State of the Artから数えると40年ほど、
毎年やっているのが、いわゆる賞である。

選考委員はオーディオ評論家に、ステレオサウンドの編集長である。
小野寺弘滋氏はステレオサウンド前編集長で、そうだった。
2011年からオーディオ評論の仕事をされている。

2011年12月発売のステレオサウンドでは、だから染谷一編集長が、
そのポジションにいる。
ということは、あと数年もすれは染谷一氏もステレオサウンドの編集長を辞めて、
オーディオ評論家として、選考委員として加わるのか。

私は、そうだ、と思っている。
ステレオサウンドの、いわゆるビジネスモデルといえる。

仮に十年編集長を務めたあとにオーディオ評論家だとしたら、
2021年に染谷一氏もオーディオ評論家であり、
誰かが新しい編集長になり、その誰かも2031年ごろにはオーディオ評論家。

2031年は13年後、小野寺弘滋氏も現役であろう。
そうだとすると小野寺弘滋氏、染谷一氏、その次の編集長だった人と、
賞の選考委員のうち三人が、ステレオサウンドの編集長だった人、ということになる。
それプラス、その時のステレオサウンド編集長も加わるわけだ。

ステレオサウンドの編集長ではないが、山本浩司氏はサウンドボーイの編集者であり、
HiViの編集長でもあった。
つまりステレオサウンドの人だった。

そうなったとしたら、
少なくとも染谷一編集長が数年後にオーディオ評論家とデビューしたら、
はっきりとステレオサウンドのビジネスモデルといえるようになる。

ビジネスモデルと書けば、多少印象もいいが、
つまりは商売のやり方だ。

株式会社ステレオサウンドがなければ季刊誌ステレオサウンドもなくなるわけだから、
しっかりと商売しなければならないのはわかっている。
それでも、私が考えているとおりになったとしたら……、
そうなったときのことを考えてみてほしい。

Date: 6月 22nd, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その16)

今回のavcat氏へのステレオサウンド編集長の染谷一氏の謝罪を、
他の出版社は、どう思うのか。

なんだかんだいっても、いまのところ日本のオーディオ雑誌では、
ステレオサウンドがもっともよく知られているし、それなりの信頼は保っている、といえよう。
私のように、まったく評価しなくなった者もそこそこの数いるにしても、だ。

そのステレオサウンドが、その編集長が、多くの人の目の届かないところで、
今回の謝罪を行っていた、ということは、
オーディオジャーナリズムの信頼を崩すことである。

オーディオジャーナリズムは、確立されていない──、
以前書いている。いまもそう思っている。

確立される前に瀬川先生が亡くなられた、からだ。

それでもオーディオ雑誌への信頼がまったくない、とまでは私だっていいたくない。
それでも、今回の染谷一編集長の行為(謝罪)は、
本人はたいしたことない、と思っているのかもしれないが、
他のオーディオ雑誌の編集者は、なんてことをやってくれたんだ、と怒りを滲ませているかもしれない。

また別のオーディオ雑誌の編集者は、
なんだ、結局、われわれと同じ穴の狢なんだな、ステレオサウンドも、と思っているかもしれない。

信頼は地に墮ちた──、
そういう表現がある。
今回の件は、本人たちはどう想っているのか知らないが、
地に墮ちた、というより、自ら地に堕としている。

一度でもこんなことをやってしまい、そのことが表沙汰になれば、
今回だけなのだろうか、とも思われる。

ステレオサウンドがやっていたんのだから、他も……、とも思われることだってある。

Date: 6月 20th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その15)

今回は柳沢功力氏だっただけだ。
今回と同じことが起らない、といえる人はいないだろう。

むしろ今回の件を、avcat氏がツイートしてくれたおかげで、
少なからぬ人が知り、そのうちの一人の方のおかげで、私も知ることが出来た。

私がこうやって、ほぼ毎日、この件について書いていっていることで、
今回の件を知った、という人もいるわけだ。

その人たちが、また仲間内に拡げていく。
電話やメールやSNSで拡散していく。

avcat氏のツイートがなかったなら、
今回の、ステレオサウンドの染谷編集長の謝罪を知る人は、
avcat氏と染谷編集長だけ、であった。

avcat氏にとって、染谷編集長は、とても「物分かりのいい人」であろう。
ステレオサウンド 207号の柳沢功力氏のYGアコースティクスの試聴記に不愉快になり、
そのことについての自身の意見をツイートした。

それを読んだ染谷編集長が、
6月9日と10日開催のアナログオーディオフェアの会場で、
avcat氏をみかけて自発的に謝罪。
その際に《これからこのようなことがないように対策します》といっている。

avcat氏にとって、染谷編集長は、ほんとうにわかってくれている人なんだろう。
謝罪された、というツイートのあとの投稿を読めば、そのことは伝わってくる。

avcat氏には染谷編集長を陥れる意図はまったくなかった、と思う。
むしろ逆だったのだろう。

けれど、今回の謝罪の件と、
染谷編集長が《これからこのようなことがないように対策します》といったことが、
拡散されていくことで、ステレオサウンドというオーディオ雑誌が浮ける痛手を、
avcat氏はまったく考えなかったのか。

《これからこのようなことがないように対策します》、
これは、ステレオサウンドに書いていて生計をたてている人たちに対して、
間接的な恫喝といえるものである。

それに、《これからこのようなことがないように対策します》を、
メーカーや輸入元の人たちは、どう受けとるか。

avcat氏と同じように連続ツイートしていけば、
染谷編集長が自発的に謝罪に来てくれて、
《これからこのようなことがないように対策します》と約束してくれるのか──、
そう捉えることだってできるわけだ。

メーカーや輸入元のスタッフがツイートしても無視されるのであれば、
自社製品のユーザー(できれば染谷編集長と面識のある人)にツイートしてもらえばいい──、
そんなふうに考えるメーカー、輸入元がない、と言い切れるか。

Date: 6月 19th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(実感していること)

このテーマに関してはまだまだ書いていく予定だが、
今日は友人のAさんと飲んでいたので、この時間でもまだアルコールが残っている。

こういうとき、このテーマで書いていくと、
指が暴走してしまうだろうから、少し横路にそれたところで書こう。

現在のステレオサウンド編集長の染谷一氏がいくつなのかも、私は知らない。
それでも世代が違うんだな、と感じているのは、
染谷一氏は、瀬川先生の書かれたものを読んでいないんだな、ということ。

まったく読んでいない、という意味で書いているのではない。
五年前に瀬川冬樹著作集「良い音は 良いスピーカーとは?」がステレオサウンドから出ている。
少なくとも、この著作集には目を通しているはず。

でも、それを「読んでいる」とは私は思わない。
私と同じレベルで読んでいる人とは到底思えない。
そういう人ゆえに、今回の謝罪なはずだ。

瀬川先生が生きておられたら、今回の件に激怒されていたはずだ。

Date: 6月 18th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その14)

今回の件で、私がいちばんの問題と考えるのは、
ステレオサウンドの染谷編集長が《これからこのようなことがないように対策します》と、
謝罪したことだ。

「対策」という言葉を、染谷編集長はほんとうに使ったのか。
ほんとうに「対策」といったのであれば、
染谷編集長はステレオサウンドというオーディオ雑誌を、
とりかえしのつかない状況に追い込もうとしているのか。

avcat氏のツイートには、確かに「対策」とあるし、
染谷編集長がavcat氏のツイートに対して、なんらかのアクションをしているわけでもない。
ということは、確かに「対策」なのだろう。

染谷編集長は、どう対策するのか。
今回と同じことが、もう一度あったとしよう。

柳沢功力氏が、ナイーヴな読み手にとってはネガティヴな意見と捉えそうなことを、
原稿に書かれていた。

その時、染谷編集長は、柳沢功力氏に、この部分を書き直してください、と突き返すのか。
柳沢功力氏が「そうだね」といって書き直してくれるとは限らない。

私はむしろ、反対ではないか、と思う。
そうなったら、染谷編集長の判断で無断で書き直すのか。

「対策」とはそういうことを指すのか。
それとも抜本的な対策として、柳沢功力氏に依頼しない、という手もある。

染谷編集長は、そんなつもりで「対策」といったわけではない──、
そういうかもしれない。
けれど「対策」とは、そういうことである。

そしてこれは柳沢功力氏だけの問題ではなく、
他の筆者にとっても、非常に大きな問題だということに気づいているのか。

Date: 6月 18th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その13)

SNSの普及とともに強く感じるようになってきたのは、
試聴記の読み方・捉え方が、昔と違ってきていることだ。

昔も、実のところ、いまと同じだったのかもしれないが、
少なくとも昔はインターネットなどなくて、SNSもなかった。
だから見えてこなかっただけなのかもしれない。

とにかく、読み手側の試聴記の受けとめ方、そして反応は変ってきた、と感じる。

自分で鳴らしているオーディオ機器、
憧れているオーディオ機器、
それらの試聴記で、少しばかりネガティヴな意見と受けとめられるようなことが書いてあっても、
昔は、そんなこと、誰も気にしなかったようだ。

読み手側がナイーヴになってきたのか、
そういう人が増えてきたのか、
少しでもネガティヴな意見と受けとめられそうなこと(必ずしもネガティヴとはいえないこと)に、
ことさら敏感に反応してしまう人がいる。

そういう人が、いまはSNSで声をあげる。
中には、自分こそが正しい、といわんばかりの人もいる。

でもオーディオはそんなに薄っぺらいものではないし、
オーディオ評論もそうで、薄っぺらいものではない。

薄っぺらい、中身のない、名ばかりのオーディオ評論ばかりになっていても、だ。

そのことを忘れてしまっている、
まったく気づいていない読み手が増えてきただけではない、
編集側もそうなってきているようだ。