「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その24)
他の人への謝罪は、どうなのか。
他の筆者、それから今回の件を知った人たちへはどうするのか。
一人一人に謝罪していくのか。
染谷一編集長が《ステサンとして本位でなかった》とavcat氏に言ったことを、
ステレオサウンドの編集者は、どう思ったのか。
自分たちの仕事を否定された気持になったのか、侮辱されたと思ったのか、
なんとも思わなかったのか。
そこは部外者の私には知りようのないことだ。
読者に対しては、どうなのか。
avcat氏もステレオサウンドの読者の一人である。
avcat氏の一連のツイートを読めば、
染谷一編集長の謝罪によって、
ステレオサウンドへの期待は高まっているように思える。
そういう読者もいれば、ステレオサウンドに、というか、
ステレオサウンド編集部、もっといえば染谷一編集長に不信感を抱いた人たちもいる。
その人たちに謝罪するのか。
するとしたら、誌面で、ということになる。
そこにいったいどういうことを書くのか、
これもまた難しい。
謝罪の仕方、文面次第では、avcat氏にした謝罪はどうなってしまうのか。
誌面で謝罪してしまえば、今回の件を知らなかった人たちまでが知ることになる。
──こんなことを書いていると、
染谷一氏を辞めさせたいんだろう、とか、
染谷一氏は編集長を辞任すべき、と、私が書くんだろうな、と思う人もいるだろう。
私は辞めることが、ここでの責任のとり方とは考えていない。