「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その23)
狡い手も思いつく。
avcat氏と染谷一編集長は、少なくとも顔見知りである。
染谷一編集長は、avcat氏のツイートを読んでいる人でもある。
だから、avcat氏のツイートにあるように、
アナログオーディオフェアでの会場で、染谷一編集長の方からavcat氏に近づいての謝罪である。
どの程度の仲なのかまではわからない。
avcat氏のツイートが公開されて、ごく早い時期であれば、
avcat氏に頼み込んで、ツイートを削除してもらう。
これはほんとうに狡い手、卑怯な手である。
それに削除してもらうには遅すぎる。
avcat氏が削除に応じてくれるかどうかも、なんともいえない。
簡単に削除してしまえば、自身の評判を自ら落すことにつながる。
それに魚拓というのが、インターネットの世界ではある。
いわば証拠写真のようなものである。
仮に誰かが魚拓をとっていたら、また面倒なことになるだろうから、
これは悪手でしかない。
では染谷一編集長が、今回の件で謝罪する、というのも、
実際に考えてみると、なかなかやっかいである。
まずいったい誰に謝罪するのか。
avcat氏への謝罪は、
avcat氏のツイートによればYGアコースティクス・ユーザーへの謝罪である。
その謝罪をしたこと、
そこでavcat氏に述べたことの謝罪は、誰にするのか。
柳沢功力氏に謝罪するのか。
染谷一編集長は、avcat氏に《ステサンとして本位でなかった旨》を伝えている。
さらに《これからこのようなことがないように対策します》と続けていることが、
avcat氏のツイートからわかる。
これらの発言を、柳沢功力氏はどう受けとるのか。
侮辱を受けとることもできよう。
柳沢功力氏に染谷一編集長が謝罪する、としよう。
それは個人的に行われるであろう。
公開の場で、たとえばステレオサウンドの誌面で、
染谷一編集長が柳沢功力氏に謝罪する、というのは考えにくい。
そして謝罪は、柳沢功力氏だけにすれば済むのか。