「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その22)
(その6)から取り上げている今回の件、
ステレオサウンドの編集長の染谷一氏が、
avcatというサイトを公開し、avcatというハンドルネームのオーディオマニアに対して、
謝罪した、という件は、
私にとって、さまざまなことを考えさせてくれるだけの拡がりをもっている。
編集者と編集長の違い、
よい編集者が必ずしも編集長となれるわけでもない、ということ、
よい編集長が、よい編集者とはかぎらない、とか、
いまの時代、インターネット、それもSNSの影響を無視できない、ということ、
そこにおける匿名での情報発信、
少し前に公開した黒田先生が書かれていること、
他にも、さまざまなことが関係して書きたいこと、
というより書くべきことが浮んでくる。
それらのことを考えながら、
私なら、こういう状況でどういう態度をとるだろうか、ということも考えていた。
私なら、今回の試聴記の件で、
そのスピーカーのユーザーに謝罪したりはしない。
でも、そんなことを書いてしまったら、後が続かない。
とにかく謝罪した、としよう。
それをSNSで公開されてしまった。
そうなってしまった場合、どうするか。
立場は染谷一氏と同じ編集長と仮定して、これを読まれている方も考えてみてほしい。
まず無視する、ということがある。
私がこうやって書いていることなど、単なる外野の戯言ぐらいに受け流して、
無視する、つまり沈黙を決め込む。
そうすれば、いつか忘れられるのだから。
けれど、ほんとうに忘れられるのか。
誌面に載ってしまったことであれば、
その本が書店から消え、しばらくすれば、段々と忘れられてしまう。
けれど今回の件は、インターネットと関係しているし、
こうやってこの件を取り上げて書いている私も、インターネット上に、おいてである。
関心が薄れたころに、また書かれてしまうことだってある。
それに優秀な検索エンジンのGoogleが、何かと関連付けて、
検索結果として表示してしまうことだって考えられる。
何もしない、何も語らない──、
私だったら、これは選択肢としてない。