Archive for category 複雑な幼稚性

Date: 7月 18th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(理解についての実感・その7)

スマートフォンが奪うもの、という小さなポスターをみかけた。
スマートフォンの使いすぎは、いろんなことを奪っていくけれど、
それで得られることがあるのも事実であって、
たとえば今日、iPhoneが提示したニュースを読んで、
触っているからこそ得られることがあるのを実感したし、
そこで書かれたものを読んで、オーディオ再生の理解に通ずるものを感じていた。

iPhoneが提示したニュースとは、
東洋経済の記事で、木谷美咲氏の『日本の独自文化「盆栽」と「緊縛」の密接な関係』である。

ここには盆栽と園芸の違いについても書かれている。
どちらも生活における植物との関りあいであっても、決して同じではない。

木谷美咲氏は、
《そもそも盆栽と園芸は、同じものではない。植物の状態を良好にして、植物そのものを愛でるのが園芸であるのに対して、盆栽は、草木を用いながら、限られた鉢の中でその美を表現するものだ》
とされている。

ここのところに納得するオーディオマニアもいればそうでない人もいるはずだ。
オーディオに通ずることを感じとるオーディオマニアもいれば、そうでない人もいる。

盆栽と園芸の違いについて、何も感じていない人がいるからこそ、
ステレオサウンド 207号の試聴記での謝罪の件が起ったのだ。

Date: 7月 18th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その46)

(その6)から、染谷一編集長のavcat氏への謝罪の件を書き始めた。
一ヵ月ほど、書いている。
先日会った人は言っていた、
「あんなことこれまでもあったでしょう。それがたまたま表に出てきただけでしょう」と。

あんなこととは、今回の謝罪の件と同じことを指す。
つまりステレオサウンドの誌面に載ったことで、
読者だけでなく、国内メーカー、輸入元からクレームがあったら、
編集部が謝罪してきているんでしょう。

そんなことが当り前のように行われている──、
それがこのことを話していた人の認識である。

今回の謝罪の怖さは、ここにもある。
絶対にそう思う人が出てくる──、
avcat氏が、ステレオサウンドの染谷一編集長が、
ステレオサウンド 207号の柳沢功力氏の試聴記の件で謝罪した、というツイートを見て、
そのことも危惧していた。

これまでにそんなことがあったのかなんて、関係なくなるのだ。
謝罪すべきではないことに、染谷一編集長は謝罪しているのだから。

このくらいのことで謝罪する人なのだから、
メーカーや輸入元からのクレームに関しては、すぐさま謝罪している──、
そう思われても仕方ない。

事実、そう思う人が出てきている。
サンプル数一人である。いまのところは。

でもすでに一人いるということは、もっといると見るべきだろう。

Date: 7月 15th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その45)

ステレオサウンドの編集長である染谷一氏は、どちらなのだろうか。

無駄なことなどひとつもない、と考える人なのか、
それとも、その逆なのか。

つまり自分の失敗、間違いに対して目をつむってしまって、なかったことにしてしまう人なのか。

2009年3月8日の練馬区役所主催の「五味康祐氏遺愛のオーディオとレコード試聴会」、
この時に染谷一氏を初めてみた。
まだ編集長ではなかったころである。

この日の「五味康祐氏遺愛のオーディオとレコード試聴会」のナビゲーターが染谷一氏だった。

ステレオサウンドを手にとっても、どの記事がどの編集者担当なのかはわからない。
染谷一氏が、どの記事を担当していたのか、
私が知っているのは一本だけであり、それ以外は知らない。

どんな記事をつくってきたかがわかるだけでも、その人の印象は違ってこよう。
私が知っている一本がどれなのかは書かないが、
そのことで決していい印象は持っていない。

私の中にある染谷一氏のイメージとは、そのことが基になったうえでのものだ。
こういう人なんだ……、と思っていた。

そういう染谷一氏が2011年から編集長になっている。

染谷一氏が編集長になってからの二冊目のステレオサウンドで、
オーディスト」が誌面に、大きく登場した。

編集長をつとめる雑誌の読者を、
audist(オーディスト、聴覚障害者差別主義者)呼ばわりしたことになる。

audistをGoogleで検索していれば未然に防げたことだが、
おそらくそんな簡単なこともやらなかったのだろう。

知らぬこと(調べなかったこと)とはいえ、オーディスト呼ばわりしたことになる。
その後の染谷一氏の態度はどうだったか。

何もしてなかった。
染谷一氏は、読者をオーディストと呼んでおいて、そのことに何も感じなかったのか。
少なくとも、その後のステレオサウンドの誌面を見る限りは、そうである。
2009年のころとは違って、染谷一氏は編集長である。

誌面から判断できること(われわれ読者は誌面からしか判断できない)は、
染谷一氏は、
自分の失敗、間違いに対して目をつむってしまって、なかったことにしてしまう人のように映る。

これに反論する人は、
avcat氏にはすばやく謝罪しているだろう、違うのではないか、というはず。

このところが、この項で取り上げていることにつながっている、と考えている。

Date: 7月 12th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その44)

ステレオサウンドに入って、一年くらい経ったころに、
菅野先生からいわれたことは、いまもはっきりと心に刻んでいる。

世の中には無駄なことはひとつもない、といわれた。
続けて、無駄なことと思うのは、そう思う本人が、無駄なことにしているだけだ、と。

そんなの無駄、そのひとことで片付けてしまう人こそ、バカだ、とも、
はっきりといわれた。

ほんとうにそのとおりだ、と思ってきいていた。
このことは、歳を重ねるとともに、深く実感している。

かっこつけているつもりなのか、
オーディオのことに限っても、「そんなの無駄!」と切り捨てるかのようにいう人がいる。
そういう人には、もう何もいわない。
心の中で、「あなただけが無駄にしているだけでしょう」と呟くだけだ。

人は、どんな人であれ、間違いを犯したり、失敗をやってしまう。
間違いも失敗も、完全に拒否するには、何もしないことだ。

問題は、自らの間違いや失敗から、目を背けてしまう人がいる、
目をつむってしまう人がいる──、
つまりなかったかのようにふるまう人がいる、ということだ。

簡単に記憶から消し去ってしまっているのだろうか。
だとしたら、ひとつの特技といえよう。

けれど、そういう人は、無駄をそうやって生み出していることに気づいていない。
無駄なことはひとつもない、とは絶対に思っていない人だ。

ジュニアさん、朝沼予史宏さんは、そういう人ではない、と信じている。
けれど、ステレオサウンドの染谷一編集長は、どうなのか。

そこが知りたいし、そこをはっきりさせたい、と思い書きつづけている。

Date: 7月 11th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その43)

問題を起した人のクビを切るだけなら、上に立つ人ならば誰でもできる。
切っただけでは、それで終ってしまう。

菅野先生は、やり直す機会を与えられていた。
ひとつの組織の上に立つ人しての行動といえる。

オーディオ評論家は、いわばフリーだから、
組織という言葉を持ってくるのはおかしいと思われるだろうが、
実際には「組織」といっていい。

逆にいえば、そういう認識なしに、
オーディオ評論家としての、ほんとうのところでのいい仕事はできないはずだ。

ステレオサウンドという、ひとつの組織で、ジュニアさんは追い出されている。
仕事のやり方に問題があったのは否定できない事実だが、
菅野先生が朝沼予史宏さんに向けた配慮を、
ステレオサウンドはジュニアさんに向けることはなかった。

ジュニアさんは、あのとき健康を害されていた。
少しばかり長い休養も必要だった。

しばらく離れて、またやり直せる機会を、ステレオサウンドは与えなかった。
だから、それで終ってしまっている。

私は、朝沼予史宏さんよりもジュニアさんのほうが才能が上と見ている。
このへんは人によって見方が変ってくるだろうから、
私はそう思っている、というだけである。

その6)から取り上げている今回の件、
ステレオサウンドの染谷一編集長が、avcat氏という匿名のオーディオマニアに、
207号の柳沢功力氏のYGアコースティクスのHailey 1.2の試聴記のことで謝罪した件。

ジュニアさんの問題とも、朝沼予史宏さんの問題とは性質が違う。
今回の件を、何が問題なの? という人がいるのも知っている。
ここも、ジュニアさん、朝沼予史宏さんの件とは違うところだ。

染谷一氏本人も、なんの問題があるのか、ぐらいに思っているのかもしれない。

ジュニアさんの場合は、
彼自身がほんとうにつくりたかったオーディオの本の編集において起ったこと。
一人で突っ走りすぎた、ともいえるのかもしれない。

朝沼予史宏さんの場合も、私には、(その41)で書いたことが原因のように思える。

どちらも想いが暴走してしまったのかもしれない。

染谷一編集長の件は、ここがはっきりと違う。

Date: 7月 11th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その42)

菅野先生の「やりすぎたんだよ」は、
朝沼予史宏さんを慮ってのことばである。

菅野先生はComponents of the yearの選考委員長として、
朝沼予史宏さんを選考委員から外されている。

苦渋の決断である。

菅野先生は、こう続けられた。
「朝沼くんならば、きっとやり直せる」と。
それを期待してのことだった。

菅野先生は、そのころの朝沼予史宏さんの行為はやってはいけないことだし、
そんなことを続けていては、朝沼予史宏という一人のオーディオ評論家をつぶしてしまうことになる、
朝沼予史宏という才能を殺してしまうことになる。

そんなことになる前に、なんとかしないと……。
選考委員から降ろされることが、朝沼予史宏さんに与える影響の大きさは、
菅野先生がいちばんわかっておられたはずだ。

それによってしんどい時期があっても、
朝沼予史宏さんならば、はい上がってくれる、と。

それには一年、二年……、もう少し必要なのかもしれない。
それでも腐らずにオーディオ評論という仕事を全うしていけば、
そこで再びComponents of the yearの選考委員になれたのである。

なのに朝沼予史宏さんが、突然逝ってしまわれた。
こんなことになろうとは、菅野先生もまったく予想されていなかった。

あの日の菅野先生の落ち込まれ方は、
朝沼予史宏さんへの期待への裏返しでもあった。

Date: 7月 11th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その41)

オーディオ評論家の領域を超えたところでの仕事、
オーディオ評論家の領域を逸脱してしまった行為。

前者をめざしていたはずなのに、気づいたら後者であった。
それが朝沼予史宏さんが、Components of the yearの選考委員ではなくなった理由だ。

具体的ないくつかのことは、
菅野先生からではなく、他のオーディオ業界の人らから聞いている。
ここで、その具体的なことは書かない。

朝沼予史宏はペンネームである。
五十音順で最初にくるように、「あ」で始まる苗字にした、
予見、予知の「予」を名にいれたかった、
そんな理由を、朝沼さんから直接きいている。

そのことをきかされたとき、沼田さん(朝沼さんの本名)は野心家なのかも……、と思った。
そうだったのかもしれない。
そうだったからこその、あのヴァイタリティであった、とはいえないだろうか。

私が先生と呼ぶオーディオ評論家の人たちは、
一般的なイメージとしてのオーディオ評論家の領域を超えたところでの仕事もされていた。

どの人がどういうことをも、ある程度は知っているが、
これもここで書くことではない。

朝沼予史宏さんも、そのへんのことは私と同じか、それ以上に知っていたはずだ。
だから、そこを目指されたのかもしれない。

けれど、時代が違っていた。
同じ人が、違う時代に生きていたら、
オーディオ評論家の領域を超えたところでの仕事をできたかは、なんともいえない、と思う。

オーディオ評論家の領域を超えたところでの仕事をめざしていたのに、
オーディオ評論家の領域を逸脱してしまった行為を、気づいてらやっていた──、
そういうことなのかもしれない。

菅野先生は、「やりすぎたんだよ」といわれていた。
確かに、朝沼予史宏さんのそれらの行為は「やりすぎ」である。
オーディオ評論家の領域を逸脱してしまった行為である。

Date: 7月 11th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(理解についての実感・その6)

フルトヴェングラーの「音楽ノート」のなかにある。
     *
 生きた作品は、思想や理論によって破壊されることがない。かといって、その生命が思想や理論によって守られるということもありえない。肝要なのは、火花が飛び移り、生きた音楽が生きた聴衆を見出すということである。そこでは、自己の過剰の知性による固定観念のなかに忌まわしく捕えられた現代に見られる、あの即座に準備され、いつでもすぐ仕上がる知ったかぶりなどは、まったく無視されるのである。
     *
私がどう解釈したかを、ここで書くつもりはない。
理解への実感に関係することだと感じたから、引用している。

そして、ここでのタイトルにも関係している。

Date: 7月 10th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その40)

その39)を読んで、オーディオ業界の事情通を自称している人のなかには、
菅野先生がそんな表情をするはずがない、と思う人がいるに違いない。

菅野沖彦が朝沼予史宏の才能を嫉んでつぶそうとした──、
いいかたは微妙に違っていても、
そんなことを言ったりインターネット上に書いたりしている人がいた。

そのことについて菅野先生は何も語られていない。
だから誤解が誤解のまま、一時期拡がっていた。

それは誤解だよ、と何度か書こうと思った。
けれど思いとどまって書かずに、十数年が経った。
まだ誤解は残っているようだ。

ほんとうに朝沼さんをつぶそうとしていた人が、
2002年12月8日に、あんな表情をするはずがない。

朝沼予史宏さんは、
Stereo Sound Grand Prixの前のComponents of the yearの選考委員の一人だった。
けれど降ろされていた。

オーディオ業界の自称事情通の人らは、
菅野沖彦が朝沼予史宏を降ろした、と吹聴していた。

確かにそれは事実だ。
このことが誤解につながっている。
だが理由がある。
朝沼予史宏さんをつぶそうとしてでは断じてない。

その逆だった。

Date: 7月 10th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(理解についての実感・その5)

編集者は読者が読みたがっている記事を提供する──、
そんなふうに考えている編集者がいるのかどうかはわからないし、
ステレオサウンド編集部がそうなのかも知らない。

仮に、ステレオサウンド編集部がそう考えて編集という仕事をやっていたとしたら、
お門違いとしかいいようがない。

読者が読みたがっている記事──、
そんなものは幻想だし、ありはしない。

読者のほとんどはおもしろい記事、ワクワクするような記事を読みたがっていても、
具体的にそれがどういう記事なのか、
そんなことは多くの読者は考えていないし、そういうものである。

そのことを嘆いたりはしない。

編集者は、読者が読みたがっている記事、
そんな幻想ではなく、読者に読ませたくなる記事をつくっていけばいい。
ただ、それだけだ。

Date: 7月 9th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その39)

2002年12月8日の午前中、私は菅野先生のお宅に伺っていた。
ドアのチャイムを押すと、菅野先生がドアを開けてくださった。
その時の菅野先生の顔は、いつも違っていた。

体調を崩されたのか、と最初思ったけど、そんな感じではなかった。
沈痛な面持ちとは、このときの菅野先生の表情をいうのだと、思った。
そういう表情だった。

靴を脱ごうとしているときに、菅野先生がいわれた。
「朝沼さんを知っているか」と聞かれた。

私がステレオサウンドでいたころ、朝沼予史宏氏は、
このペンネームで活躍をし始めたころだった。
本格的にステレオサウンドに朝沼予史宏の名で書かれるようになったのは、
私が辞めてからだった。

なので「沼田さん(本名)は知っています」と答えた。
「そうか……」とぼそりといわれた、と記憶している。

そして「朝沼くんが亡くなったんだよ」と続けられた。

ステレオサウンドにいたころ、沼田さんからいわれたことがある。
「(自分と体形が似ているら)甲状腺には気をつけた方がいいよ」と。
沼田さんは以前甲状腺の手術をされたことを、そのとき知った。

沼田さんは細かった。
そのころの私もかなり細かった。
健康に気をつかっている人なんだ、と勝手に思っていた。
その後、結婚されたことも知っていたから、
独身のころよりも健康には注意されている──、
これも勝手にそう思っていた。

それに数ヵ月前のインターナショナルオーディオショウで、
短い時間ではあったが話もしていた。元気そうに感じていた。

リスニングルームのソファに腰掛けてから、菅野先生が話された。

Date: 7月 9th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性
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「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その38)

編集者としては、すば抜けていた、才能があったジュニアさんではあったが、
だからといって、あのままステレオサウンドにいたとして編集長になれたかというと、
おそらくなれなかっただろうし、本人も編集長には向いていないと辞退したようにもおもう。

別項「オーディオにおけるジャーナリズム(リーダーとマネージャー)」で触れているように、
いまのオーディオ雑誌の編集部には、
編集長という名のマネージャー(管理者)はいても、
編集長たるリーダー(統率者、指揮者)はいない。

ジュニアさんがマネージャー?
無理だと思う。
マネージャーよりもリーダーに向いていても、
ひとりで黙々とこなしていく、いわば独奏者だと私は思っているから、
協奏曲はピアニスト(ヴァイオリニスト)としてはよくても、指揮者は無理なような気もする。
でも、このへんは年齢をかさねることによって変化していったかもしれない。

私がステレオサウンドで働くようになる少し前から、
ステレオサウンドでは「スピーカーユニット研究」という連載が始まっていた。
園田隆史という人が担当していた企画である。

この園田隆史は、ジュニアさんのペンネームだった。
もっとも最初の数回は別の人(とあるメーカーの人)が園田隆史で書いていて、
ジュニアさんが引き継ぐかっこうになった。

だからもしジュニアさんが、ずっとオーディオの世界で仕事をしていたら、
編集長にはならず、オーディオ評論家(ジャズの熱狂的な聴き手としての)になっていた、とおもう。
もっとも本人は、評論家と呼ばれるのをイヤがっただろうが。

そうなっていたら、いまのように、こんなにぬるいオーディオジャーナリズムではなかったはずだ。
仮に編集長になっていたとしても、
小野寺弘滋氏のように、そしておそらく染谷一氏もそうであろうが、
編集長時代にStereo Sound Grand Prixの選考委員になって、
編集長を辞めるとともにオーディオ評論家になる、という、
敷かれたレール(それもステレオサウンドによって)に乗っかって、ということは、
絶対にしなかった、と、これは言い切れる。

そんな音楽の聴き方をしてこなかった人、
そんなオーディオの取り組みをしてこなかった人だからだ。

Date: 7月 9th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その37)

1984年に、増刊としてサウンドスタイルが出ている。
ジュニアさんが最後に、ひとりで手がけた本である。

サウンドスタイルというムックを知っている人は少ない。
そのころステレオサウンドを読んでいた人でも、知らない人が意外にいる。
売行きはよくなかった、はずだ。

だから、つまんない本だった、といいたいわけではなく、むしろ逆である。
この本のときのジュニアさんの仕事の仕方は、確かに問題があった。
完全に朝と夜とを逆転させていた。

会社員として、それはまずい。
そんなことはみんなわかっていることだ。
ジュニアさんもわかっていたばずだ。

わかっていたけれど……、
……のところは本人だけにしか書けないところだし、
そこについて書くつもりはない。

結局、そのためにジュニアさんはステレオサウンドを去ることになる。
問題社員といえばそうである。

問題社員は会社には要らない。
才能は関係ない。
私は違う意味での問題社員だったから、
ジュニアさんの約四年後にそうなった。

いまおもう。
ジュニアさんが去ったときに、いまのステレオサウンドへいたる道が始まった、と。
こんなことは、いまの編集部の人たちに、どうでもいいことなのだろうが。

Date: 7月 9th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その36)

編集部の新人が最初に担当するページは、巻末にあったBestBetsだった。
いまのステレオサウンドでは、SS Informationがそれにあたる。
イベント、キャンペーンや価格改定などを伝えるページである。

ペーペーの新人が特集に携わることは、すぐにはやってこない。
それでも、意外に早くその機会がやってきた。

63号のベストバイである。
そのころのベストバイは、筆者原稿と編集部原稿とがあった。

筆者原稿は、各機種のコメントの最後に括弧つきで名前がある。
それがないのは編集部原稿である。

ジュニアさんは、スピーカーシステムの編集部原稿を担当されていた。
その中のひとつ、ヴァイタヴォックスのCN191について、
「少年、書いてみな」といって私に振ってくれた。

18で入った私は少年と呼ばれていた。
ジュニアに少年、この編集部は学校か、と笑いながら、
そんな指摘をされたオーディオ評論家の方もいた。

文字数は少ない。
短いから楽なわけではない。
書けた。

原稿をジュニアさんにみてもらう。
ほとんど朱(アカ)は入らなかった。
そのまま載った。

編集部原稿だから、名前が載るわけではない。
特集のベストバイに登場する中のたった一機種。
それでも、ローコストの製品を振られたのではなく、
ヴァイタヴォックスのCN191を私に振ってくれたことが、ほんとうに嬉しかった。

そんなふうにして私の編集者としてのキャリアは始まった。
私は七年間いた。
ジュニアさんはもう少し短かったかもしれない。

けれどジュニアさんは、才能があった。
いまジュニアさんと肩を並べるだけの才能をもつ編集者は、
ステレオサウンドにはいない、と断言できるほどだ。

私だって、この歳になっても、かなわないところがあるな、と思う。

Date: 7月 9th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その35)

私がステレオサンウドに入るきっかけとなったのは、
編集部あてに、こんな企画をやってほしい、という手紙を何通も出していたことだ。

それで面白そうなヤツがいる、ということで「編集部に遊びに来ませんか」という連絡があった。
1982年1月のことだった。
そこでN(ジュニア)さんとIさんに会った。

編集部には私には関心がない人もいた。
それでもジュニアさんが鞠力に推してくれたことで、働くようになった。
そのことを知ったのはしばらく後のことである。

ジュニアさんの、そんな推しがなかったら、
どうなっていただろうか。
オーディオに関係する仕事をしていたかもしれないが、
編集には携わっていなかったであろう。

ジュニアさんは当時高円寺だった。
私は三鷹だった。帰り道は同じ。
よくジュニアさんのところに、仕事後に寄っていた。

そのころのジュニアさんのシステムは、
スピーカーがJBLの2220に2440+2397で、
パワーアンプはマッキントッシュのMC2300、
アナログプレーヤーは、EMTの927Dstだった。

この927Dstは、瀬川先生が使われていた927である。

スピーカーの構成からほかるように、ジュニアさんはジャズの熱心な聴き手だった。
明け方まで音を聴いていたことも何度かある。

もしステレオサウンドで働いていたとしても、
ジュニアさんがいなかったら、またずいぶん違っていたはずだ。