「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その39)
2002年12月8日の午前中、私は菅野先生のお宅に伺っていた。
ドアのチャイムを押すと、菅野先生がドアを開けてくださった。
その時の菅野先生の顔は、いつも違っていた。
体調を崩されたのか、と最初思ったけど、そんな感じではなかった。
沈痛な面持ちとは、このときの菅野先生の表情をいうのだと、思った。
そういう表情だった。
靴を脱ごうとしているときに、菅野先生がいわれた。
「朝沼さんを知っているか」と聞かれた。
私がステレオサウンドでいたころ、朝沼予史宏氏は、
このペンネームで活躍をし始めたころだった。
本格的にステレオサウンドに朝沼予史宏の名で書かれるようになったのは、
私が辞めてからだった。
なので「沼田さん(本名)は知っています」と答えた。
「そうか……」とぼそりといわれた、と記憶している。
そして「朝沼くんが亡くなったんだよ」と続けられた。
ステレオサウンドにいたころ、沼田さんからいわれたことがある。
「(自分と体形が似ているら)甲状腺には気をつけた方がいいよ」と。
沼田さんは以前甲状腺の手術をされたことを、そのとき知った。
沼田さんは細かった。
そのころの私もかなり細かった。
健康に気をつかっている人なんだ、と勝手に思っていた。
その後、結婚されたことも知っていたから、
独身のころよりも健康には注意されている──、
これも勝手にそう思っていた。
それに数ヵ月前のインターナショナルオーディオショウで、
短い時間ではあったが話もしていた。元気そうに感じていた。
リスニングルームのソファに腰掛けてから、菅野先生が話された。