「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その45)
ステレオサウンドの編集長である染谷一氏は、どちらなのだろうか。
無駄なことなどひとつもない、と考える人なのか、
それとも、その逆なのか。
つまり自分の失敗、間違いに対して目をつむってしまって、なかったことにしてしまう人なのか。
2009年3月8日の練馬区役所主催の「五味康祐氏遺愛のオーディオとレコード試聴会」、
この時に染谷一氏を初めてみた。
まだ編集長ではなかったころである。
この日の「五味康祐氏遺愛のオーディオとレコード試聴会」のナビゲーターが染谷一氏だった。
ステレオサウンドを手にとっても、どの記事がどの編集者担当なのかはわからない。
染谷一氏が、どの記事を担当していたのか、
私が知っているのは一本だけであり、それ以外は知らない。
どんな記事をつくってきたかがわかるだけでも、その人の印象は違ってこよう。
私が知っている一本がどれなのかは書かないが、
そのことで決していい印象は持っていない。
私の中にある染谷一氏のイメージとは、そのことが基になったうえでのものだ。
こういう人なんだ……、と思っていた。
そういう染谷一氏が2011年から編集長になっている。
染谷一氏が編集長になってからの二冊目のステレオサウンドで、
「オーディスト」が誌面に、大きく登場した。
編集長をつとめる雑誌の読者を、
audist(オーディスト、聴覚障害者差別主義者)呼ばわりしたことになる。
audistをGoogleで検索していれば未然に防げたことだが、
おそらくそんな簡単なこともやらなかったのだろう。
知らぬこと(調べなかったこと)とはいえ、オーディスト呼ばわりしたことになる。
その後の染谷一氏の態度はどうだったか。
何もしてなかった。
染谷一氏は、読者をオーディストと呼んでおいて、そのことに何も感じなかったのか。
少なくとも、その後のステレオサウンドの誌面を見る限りは、そうである。
2009年のころとは違って、染谷一氏は編集長である。
誌面から判断できること(われわれ読者は誌面からしか判断できない)は、
染谷一氏は、
自分の失敗、間違いに対して目をつむってしまって、なかったことにしてしまう人のように映る。
これに反論する人は、
avcat氏にはすばやく謝罪しているだろう、違うのではないか、というはず。
このところが、この項で取り上げていることにつながっている、と考えている。