Date: 7月 18th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性
Tags:

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(理解についての実感・その7)

スマートフォンが奪うもの、という小さなポスターをみかけた。
スマートフォンの使いすぎは、いろんなことを奪っていくけれど、
それで得られることがあるのも事実であって、
たとえば今日、iPhoneが提示したニュースを読んで、
触っているからこそ得られることがあるのを実感したし、
そこで書かれたものを読んで、オーディオ再生の理解に通ずるものを感じていた。

iPhoneが提示したニュースとは、
東洋経済の記事で、木谷美咲氏の『日本の独自文化「盆栽」と「緊縛」の密接な関係』である。

ここには盆栽と園芸の違いについても書かれている。
どちらも生活における植物との関りあいであっても、決して同じではない。

木谷美咲氏は、
《そもそも盆栽と園芸は、同じものではない。植物の状態を良好にして、植物そのものを愛でるのが園芸であるのに対して、盆栽は、草木を用いながら、限られた鉢の中でその美を表現するものだ》
とされている。

ここのところに納得するオーディオマニアもいればそうでない人もいるはずだ。
オーディオに通ずることを感じとるオーディオマニアもいれば、そうでない人もいる。

盆栽と園芸の違いについて、何も感じていない人がいるからこそ、
ステレオサウンド 207号の試聴記での謝罪の件が起ったのだ。

Leave a Reply

 Name

 Mail

 Home

[Name and Mail is required. Mail won't be published.]