Archive for category 瀬川冬樹氏のこと

Date: 9月 25th, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その12)

瀬川先生は、レコードをターンテーブルに置かれた後、
必ず人さし指と中指で、レーベルのところをちょんと、軽く押えられる。
ターンテーブルに密着させるためではなく、
レコードに「今日もいい音(音楽)を聴かせてくれよ」という呼びかけのような印象を、
その行為を見ていて、私はそう感じた。

これを見たその日からさっそくマネしはじめた。
その他にも、カートリッジをレコードに降ろすとき、
右手の小指はプレーヤーのキャビネットに置き、
右手の動きを安定させる。
カートリッジの針がレコードの盤面に近づいたらヘッドシェルの指掛けから、指を素早く離す。
針がレコードに触れるまで持っていると、レコードを逆に傷つけてしまうからだ。

しかも、瀬川先生はレコードのかけ替えの時、ターンテーブルはつねにまわされたままだった。
すっとレコードを乗せて、すっと取られる。ためらっていると、レコードは傷つく。

これももちろんマネした。
ずっとマネしていると、いつか日かサマになる。

ステレオサウンドにいたとき、取材の試聴の時、つねにターンテーブルはまわしっぱなし。
一度もレコードを、そのせいで傷つけたことはない。

Date: 9月 19th, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その11)

仕事で長距離の移動をされるとき、瀬川先生の旅の供は、
ステレオサウンドから、当時は年二回出ていたハイファイ・ステレオガイドと電卓だと、
ご本人からきいたことがある。

予算やテーマ(鳴らしたいレコードや、どんな音を出したいか)などを自分で設定して、
ページをめくり、このスピーカーに、あのアンプ、カートリッジはこれかな、と楽しくて、
いい時間つぶしになる、とのこと。

私も中学・高校生のとき、同じことをやっていた。
高価なオーディオ機器を、すぐに買えるわけではないけれど、
予算無制限だったら……とか、現実的な価格での組合せや、
自分ではあまり好んで聴かない音楽のための組合せだったら……、こんな感じで。

ただ当時のハイファイ・ステレオガイドは、
アルバイトのできない中学生には、かなり高価な本だった。

Date: 9月 17th, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その10)

瀬川先生が「良い音とは」について、熊本のオーディオ店でのイベントで語られたことは、興味深い。

良い音を体の健康状態に例えられて、健康なときは、体の存在感を意識しない。
でも怪我をしたり病気にかかると、怪我をしたところや病気になったところを意識してしまう。
だからその存在を意識させないのが、良い音の最低条件である、と。

なぜ最低条件かと言うと、話の続きがあるからだ。

おいしいものを食べたときに舌の存在を意識する。
さらに下世話な話になるけど、ヘソの下にあるモノも快感によって、
その存在を主張するし、存在を意識する。
良い音とは、そういうものだろう、ということだった。

瀬川先生が、もしバウエン製モジュールのLNP2を聴かれたら、
失望されたかもしれないと思う理由が、ここにある。

Date: 9月 11th, 2008
Cate: Mark Levinson, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その9)

2005年夏、ある人から、瀬川先生に関する話をきいた。

1981年(亡くなられた年)の春、 スイングジャーナルの組合せの取材でのこと。 
当時スイングジャーナルの編集部にいたその人が、 
取材前に、瀬川先生に組合せに必要な器材をたずねたところ、 
「スピーカーはアルテックの620Bを用意してほしい、 
アンプはマークレビンソンはもういい、 
マイケルソン&オースチンのTVA1とアキュフェーズのC240がいい、 
プレーヤーはエクスクルーシヴのP3を」ということだったとのこと。 

そして取材当日、620Bのレベルコントロールを、大胆に積極的にいじられたりしながら、
最終的に音をまとめ終わり、満足できる音が出たのか、 
「俺がほんとうに好きな音は、こういう音なのかもなぁ……」と 
ぽつりとつぶやかれた、ときいた。 

そのすこし前に使われていたのは、
JBLの4343に、 マークレビンソンのアンプのペア、
そしてアナログプレーヤーは、EMTの927DstかマイクロのRX5000+RY5500(それも二連仕様)。 

JBLの組合せとアルテックの組合せの違い、
表面的な違いではなく、本質に関わってくる違いを、どう受けとめるか。

Date: 9月 6th, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その8)

瀬川先生の最後の原稿は、ステレオサウンド別冊の セパレートアンプ特集号の巻頭の文章だと言われているが、 
レコード芸術で連載がはじまった「良い音とは何か?」の 1回目の原稿のほうが最後の文章の可能性もある。 

その「良い音とは何か?」からの引用。 
     *
ただひとつ、時間、が必要なのだ。
 ひとつの組合せを作る。接続してレコードをかければ、当然音は出る。しかし、それはごくささやかな出発点にすぎない。ここまでにいろいろ論じてきた音の理想像に、わずかでもせまる音を鳴らすためには、時間をかけての入念な鳴らし込みと調整が、絶対に必要なのだ。接ぎっぱなし、ではとうてい、人を納得させるような音は望めない。
 ならば、どれほどの時間が必要か。ぜいたくを言えばまず二年。せい一杯つめて一年。その片鱗ぐらいを嗅ぎとればいい、というのであっても、たぶん三ヵ月ぐらい。毎日毎日、ていねいに音を出し、調整し鳴らし込まなくては、まともな音には仕上がらない。 
 二年、などというと、いや、三ヶ月だって、人びとは絶望的な顔をする。しかし、オーディオに限らない。車でもカメラでも楽器でも、ある水準以上の能力を秘めた機械であれば、毎日可愛がって使いこなして、本調子が出るまでに一年ないし二年かかることぐらい、体験した人なら誰だって知っている。その点では、いま、日本人ぐらいせっかちで、せっぱつまったように追いかけられた気分で過ごしている人種はほかにないのじゃなかろうか。 
(中略) いや、なにも悠久といったテンポでやろうなどという話ではないのだ。オーディオ機器を、せめて、日本の四季に馴染ませる時間が最低限度、必要じゃないか、と言っているのだ。それをもういちどくりかえす、つまり二年を過ぎたころ、あなたの機器たちは日本の気候、風土にようやく馴染む。それと共に、あなたの好むレパートリーも、二年かかればひととおり鳴らせる。機器たちはあなたの好きな音楽を充分に理解する。それを、あなた好みの音で鳴らそうと努力する。
 ……こういう擬人法的な言い方を、ひどく嫌う人もあるらしいが、別に冗談を言おうとしているのではない。あなたの好きな曲、好きなブランドのレコード、好みの音量、鳴らしかたのクセ、一日のうちに鳴らす時間……そうした個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれるためには、少なくみても一年以上の年月がどうしても必要なのだ。だいいち、あなた自身、四季おりおりに、聴きたい曲や鳴らしかたの好みが少しずつ変化するだろう。だとすれば、そうした四季の変化に対する聴き手の変化は四季を二度以上くりかえさなくては、機械に伝わらない。 
 けれど二年のあいだ、どういう調整をし、鳴らし込みをするのか? 何もしなくていい。何の気負いもなくして、いつものように、いま聴きたい曲(レコード)をとり出して、いま聴きたい音量で、自然に鳴らせばいい。そして、ときたま──たとえば二週間から一ヶ月に一度、スピーカーの位置を直してみたりする。レヴェルコントロールを合わせ直してみたりする。どこまでも悠長に、のんびりと、あせらずに……。 
(中略) スピーカーの「鳴らしこみ」というのが強調されている。このことについても、改めてくわしく書かなくては意が尽くせないが、簡単にいえば、前述のように毎日ふつうに自分の好きなレコードをふつうに鳴らして、二年も経てば、結果として「鳴らし込まれて」いるものなので、わざわざ「鳴らし込み」しようというのは、スピーカーをダメにするようなものだ。 
     *
使いこなしということがオーディオ雑誌やインターネットでも頻繁に語られているけども、
買ってきたばかりのスピーカーに対して、 あれこれ使いこなしのテクニックを駆使したり、
いきなりケーブルやインシュレーターなどのアクセサリーを取っ換え引っ換えするのは、 
はたして正しいことなのだろうか、大事なことだろうか。
そんなに急いで音を詰めていく必要があるのかどうか。 

そして、その行為が、ほんとうに音を詰めていっているのか……。

まずきちんとセッティングする。 
実はこの、きちんとセッティングすることが意外と難しいし、理解されていないように感じることがある。
セッティング、チューニング、エージングを混同しないように。

そのあとは、瀬川先生が書かれているように、 
ゆっくりと好きなレコードを鳴らしていくだけでいいはず。 
そして1年、できれば2年経ったあたりから、
使いこなし(チューニング)を行なうほうがいいのかもしれない。

Date: 9月 6th, 2008
Cate: LNP2, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その7)

オーディオ機器との出会いには、幸運なときもあれば、
そうでないこともある。

たとえば瀬川先生とマーク・レビンソンのLNP2との出会い。
瀬川先生は、LNP2との出会いについて、次のように書かれている。
     *
彼(註:山中敬三氏のこと)はこのLNP2を「プロまがいの作り方で、しかもプロ用に徹しているわけでもない……」と酷評していた。
 ところで音はどうなんだ? という私の問いに、山中氏はまるで気のない様子で、近ごろ流行りのトランジスターの無機的な音さ、と一言のもとにしりぞけた。それを私は信用して、それ以上、この高価なプリアンプに興味を持つことをやめにした。
 あとで考えると、大きなチャンスを逸したことになった。
 74年夏のことである。
 75年になって輸入元が変わり、一度聴いてみないかと連絡があったときも、最初私は全く気乗りしなかった。家に借りて接続を終えて音が鳴った瞬間に、びっくりした。何ていい音だ、久しぶりに味わう満足感だった。早く聴かなかったことを後悔した。それからレビンソンとのつきあいが始まった。
     *
早く聴かなかったことを後悔した、と書かれているけど、
ほんとうにそうだろうか。
瀬川先生自身、気がつかれてなかったのか。

山中先生が「無機的な音さ」と言われたLNP2は、
シュリロ貿易がサンプル輸入したモノで、 岡俊雄先生が購入されたモノ。
つまりバウエン製モジュール搭載のLNP2である。
一方、75年になって、RFエンタープライゼスが輸入したLNP2、
瀬川先生がはじめて聴かれたLNP2は、
ジョン・カールの設計によるマーク・レビンソン製のモジュール搭載になっている。

もしバウエン製モジュールのLNP2を聴かれていたら、
瀬川先生はどういう反応をされただろうか。

岡先生は、LNP2が製造中止になったときに、ステレオサウンド誌に、
LNP2物語を書かれている。
この記事でもそうだし、過去に何度か発言されているが、

岡氏は、マーク・レビンソン製モジュールのLNP2よりも、
バウエン製モジュールのLNP2を高く評価されている。

岡先生と瀬川先生の音の嗜好の違い、捉え方の違い、ひいては再生音楽の聴き方の違いは、
1970年代のステレオサウンド別冊に掲載されている
岡俊雄、黒田恭一、瀬川冬樹、三氏の鼎談を
読んだことのある人ならば、ご存知のはず。

勝手な推測だが、
もし瀬川先生がバウエン製LNP2を聴かれていたら、
山中先生と同じような感想を持たれたことだろう。

山中先生の言葉を信用してバウエン製LNP2に興味を持つことにやめにし、
輸入元がかわったLNP2に対しても、全く気乗りしなかった瀬川先生だけに、
もしバウエン製LNP2音を聴かれていたら、
レビンソン製LNP2を聴く機会すら拒否されたかもしれない。
聴く機会が、それこそもっと後になったかもしれない。

そう考えると、瀬川先生とLNP2との出会いは、幸運だった、
出会うべくして、出会うべきときに出会った、と私は思っている。

不思議なのは、シュリロ時代のLNP2が
バウエン製モジュールだということに、
なぜ瀬川先生は気がつかれなかったのこということ。
気がつかれなかったからこそ、LNP2との出会いについて書かれるとき、
山中先生を引き合いに出されるわけなので。

実は、バウエン製モジュールのLNP2と、
マーク・レビンソン製モジュールのLNP2を
じっくり聴き較べてみたことがある。

岡先生がLNP2の記事を書かれたとき、
写真撮影に岡先生所有のLNP2をお借りしていたときに、
ステレオサウンド試聴室常備のLNP2Lと聴き比べてみた。

ステレオサウンドのLNP2Lは、もちろんマーク・レビンソン製モジュール搭載で、
しかも瀬川先生が、こちらのほうがさらに音が良いと書かれている、
追加モジュール搭載仕様で、その意味ではよりLNP2Lらしさは強い。

そのときの印象からいえば、
瀬川先生にとってのLNP2は、
やはりマーク・レビンソン製モジュールのモノだということである。

Date: 9月 6th, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その6)

瀬川先生の本名は大村一郎。ラジオ技術の編集者時代から、
大村とΩをひっかけて、親しい人からはオームと呼ばれていたとのこと。

ある日、ペンネームを考えながら電話帳をめくっていたら、 
「瀬川冬樹」という名前が目にとまったから、とのこと。

Date: 9月 5th, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その5)

瀬川先生のカートリッジのクリーニング方法。 

アナログ全盛時代を体験された方ならば、おそらくひとつ以上はお持ちであろう 
FR社のカートリッジ・キーパー・ケース。 
5つのカートリッジをヘッドシェルにとりつけたまま収めることができて、 
カートリッジの持ち運びにも便利なこのケースの内部は、硬めのスポンジ。

瀬川先生は、このスポンジ部分で、 カートリッジの針先の汚れを落とされていた。 
カートリッジを指で持って、針先で、 このスポンジを、まっすぐにひっかく。 
だから、瀬川先生のケース内のスポンジは、 ひっかきキズだらけ。 

もちろん、慣れていないと針先がとれてしまったり、 
カンチレバーをいためたり曲げたりするため、 だれにでも勧められる方法ではないけど、 
これがいちばんだ、と話されていた。

液体のスタイラスクリーナーは、よほどしつこいゴミが付着したとき以外は、
まったく使わない、とも話された。
アルコールが主成分だが、すぐにすべてが蒸発するわけでなく、
カンチレバーの表面を、蒸発せずに残ったクリーナー液が毛細管現象でダンパーに届き、
変質もしくは傷めてしまうから、ときいた。

レコード(アナログディスク)のクリーニングも液体はいっさい使わず、
もっぱらビロードを円筒状にしたセシルワッツのクリーナーを愛用している、とのこと。

そして、大事なのは、聴き終ってレコードを内袋に収める前にクリーニングすること、と言われた。
スクラッチノイズは、ディスクに付着したゴミよりもキズが原因であり、
意外にキズがつきやすいのが、ゴミを付着したディスクをそのまま保管しているときだからだ。

Date: 9月 4th, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その4)

瀬川先生が、ステレオサウンド38号で語られている言葉。 

「ぼくがときどき、ある意味で絶望的な気持ちになるのは、たとえばオーディオ・メーカーのショールームなどで、ぼくの考えている装置を持ちこんで、その場で可能なかぎりの条件を整えて、いつも自分が聴いている音にできるだけ近づけて鳴らしたときに、それを聴きにくださった方のなかに必ず何人か、瀬川さんがいつも書かれていることがこの音を聴いてやっと理解できました、とおっしゃる方がいることです。一生懸命ことばを考えて書きつらねても、ほんの小一時間鳴らした音には及ばないのか、そう思うと、いささか絶望的な気分になってしまう。いったいどうしたらいいんだろうと、ときどき考えこんでしまいます。」 

晩年、瀬川先生は「辻説法をしたい」とまで思いつめられていた、ときいている。

そして、瀬川先生は、オーディオ評論をはじめるにあたって、 
小林秀雄氏の「モオツァルト」を書き写された、ともきいたことがある。

Date: 9月 4th, 2008
Cate: LNP2, LS5/1A, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その3)

瀬川先生の追悼記事がステレオサウンドに載ったのは、61号。 
62号と63号の二号にわたって、第二特集として、 瀬川先生の記事が掲載されている。

私がステレオサウンド編集部にバイトで入ったのが、 1982年1月下旬。
19歳の誕生日の約1週間前のこと(ぎりぎり18歳だったので、ずっと「少年」と呼ばれていました)。 

初めて試聴室に入ったときに、ハッとして、目が奪われたが、試聴室隣にある器材倉庫の一角。
そこにはKEFのLS5/1Aとマーク・レビンソンのLNP2L、 スチューダーのA68が、
なんとも表現しがたい雰囲気をただよわせて置かれていた。

編集部の方に訊ねるまでもなく、瀬川先生の遺品であることは、すぐにわかった。
まったく予想していなかったこと、だからうれしくもあり、かなしくもあり、綯交ぜの気持ちにとまどう。

だから「瀬川先生のモノですよね……」という言葉しか言えなかった。

数ヶ月間、LS5/1AもLNP2LもA68も、そこに置かれていた。
「お金があれば……」と思った。すべてを自分のモノにしたかった。
どれかひとつだけ、と思っていても、学生バイトにそんなお金はなく、
「欲しい」と言葉にすることすら憚られた。

Date: 9月 3rd, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その2)

トーレンスのリファレンスがステレオサウンドに登場したのは、
記事としては56号だが、前号(55号)の輸入元ノアの広告にモノクロ写真が載っている。
それほど大きくない写真で、価格は3580000円と書いてあった。
とうぜん、このプレーヤーはいったい何なんだろう……、次のステレオサウンドで紹介されるんだろうな、
きっと、と思いながら発売の待っていた56号の表紙は、リファレンスだった。

安齊吉三郎氏によるリファレンスの写真は、前号のモノクロ写真とは違い、「おおっ」と思わせるとともに、
記事をすこしでも早く見つけたい、読みたいという気持ちにさせてくれた。

いそいでページをめくって、瀬川先生の新製品の記事を見つけて、 読む。
しばらくして、また読む、何度も読んでは、どんな音なのか妄想をふくらまして、
聴きたい、とにかく聴いてみたい、でもここ(熊本)では、おそらく聴く機会は訪れないだろう……。

(その1)で書いた瀬川先生の「オーディオ・ティーチイン」は、 
土日の二日間行われ、毎回テーマが異なってて、 カートリッジの聴き比べのときもあったし、 
セパレートアンプのときも、スピーカーの時もあり、
とにかく行けば、いろんなオーディオ機器の音が聴けるだけでなく、 
瀬川先生が、どのレコードのどの部分を、試聴に使われるのかがわかるだけでも、 すごくためになったし、
レコードの扱い方、 カートリッジの取り扱い方などなど、 ほんとうにティーチイン(Teach in)の内容だった。

1980年秋の「オーディオ・ティーチイン」。 
土曜日は、カセットデッキとカセットテープの試聴。 
正直「今日はカセットかぁ……」とがっかりしたものの、実際にイベントが始まると、やはりおもしろい。 
瀬川先生の話が面白い。でも、どうしても目は、 すでに設置してあるリファレンスばかりを見ている。 
イベントの終わりに、 瀬川先生が、
「明日は、このリファレンスの音をじっくり聴いていただきます」 と言われた。 

「明日なのかぁ……」とがっくり。 
この時期(高校3年の秋)、 オーディオに熱を入れすぎて、学校の成績ががくっと落ちて、
しかもテストの結果が出たばかりで、母に、 「今回は行ってはだめ」と言われたのを、 
なんとか説得して、一日だけ許可をもらっていたので、 
「明日はどうやっても無理だな……」とあきらめながら会場を後にする。

当日の朝も「行きたい」とは口にしなかったというかできなかった。 
でも、なぜか、時間ギリギリになって、「行っていいよ」と母の口から、
まったく予測できなかった、それだけに待っていた言葉が出てきた。 

イベントがはじまったころは、 いつもと変らない感じの瀬川先生が、 
最後に「火の鳥」を鳴らされた後は、 すごくぐったりされていた。 

そして、車内での、さらにぐったりされている瀬川先生の姿。 

リファレンスの音を聴けたことで、 そしてその凄さに、 「火の鳥」での音楽体験に満足していた私は、 
「次回のイベントはいつだろうか、テーマは何かな」と、 
あれこれ思いながら、そして今日行くことを許してくれた母に感謝しながら帰宅。 

このときは、1年後に、もっと母に感謝することになるとは、まったく思っていなかった。 
「オーディオ・ティーチイン」の次回はなく、この回で終ってしまう。 

そして約一年後の、1981年12月19日。 
当時、ステレオサウンドはなかなか発売日に書店に並んでいなくて、 
このときも、いつもどおりというか、それ以上に遅れていた。 
それで、書店よりも二日ほど早く並ぶ 秋葉原の石丸電気レコード館の書籍コーナーに行っても、並んでいない。
かわりに手にとったのは、レコード芸術。 
夏に一回だけ掲載され、その後休載の瀬川先生の新連載、 
再開されたかな、と思いながら、ページをめくっていた。 目に飛び込んできたのは、連載記事ではなく、
瀬川先生の追悼記事。 

元気になられるもの、回復されるもの、と思い込んでいただけに、 
ほんとうに頭の中が真っ白になった。
後にも先にも、頭の中が真っ白になったことは、このときだけである。

その記事を読み終わって、嘘だろう……、と思って、書棚に戻して、 
こんなことをしたって、亡くなられた事実が変わるわけではないとわかっていても、 
信じられなくて、もう一度手にとって、読む。 

冬休みに入っていたので、数日後に帰省して、 熊本でステレオサウンドを購入。 
追悼記事が載っていた。 
母に感謝した。 

もし、あの日、観た瀬川先生の姿が最後になるとは……。
いくつかオーディオ雑誌の追悼記事を読んでいてわかったのは、 あの日の「オーディオ・ティーチイン」の直後、 
熊本で手術を受けられたということ。 

なぜだったんだろう、といまでもときどき考える。 
オーディオに関心も理解もあまりない母が、 
当日の朝、ぎりぎりになって行くことを許してくれたのは、 
女性特有の直感だったのだろうか、それとも単なる気まぐれだったのか……。 

あの日のリファレンスの音、 
瀬川先生が聴かせてくれたリファレンスの音は、
私にとって、どういう意味を持つのか、それから何を得たのか、ということも、いまでもときどき考える。 

ひとつ確実に言えるのは、大きな感動があったということ。 

感動という言葉、よく使うけれども、 感動とはどういうことだろうか。 
辞書には、美しいものやすばらしいことに接して強い印象を受け、心を奪われること、とある。 
でもこれだけではない。 

なぜ「動く」という字が使われているのか。 
やはりなにかが動くんだろうな、と 、あの日のリファレンスの音を聴いていたときのことを思い出し考える。 
感動とは、心の中になにかが生れたり、 沸きあがってくることであり、 
だからこそ、「動」がつくんだろう、と。 

いまは残っていないけど、 リファレンスの音を聴いた感想を、その時、文章にしたことがある。 
誰かに読んでもらうわけではないけれども、 どうしても書きたくなって、拙い文章で、かなりの量を書いた。 

そういう感動を与えてくれたリファレンス、 瀬川先生の想い出とも繋がっていて、 
あらゆるオーディオ機器の中で、 私の中で、いちばん印象深い存在になっている。

Date: 9月 3rd, 2008
Cate: 4343, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その1)

トーレンスのアナログ・プレーヤー 〝リファレンス〟の実物をはじめて見て、 
その音を聴いたのは、もうずいぶん前のこと。 
まだ熊本にいたころ、高校3年生の時だから、27年前になる。 

熊本市内のオーディオ店(寿屋本庄店)で、 
(たしか)三カ月に1度、土日の二日連続で開催されていた 
瀬川先生の「オーディオ・ティーチイン」というイベントにおいて、である。 

そのときのラインナップは、 
トーレンスのリファレンス、 
マークレビンソンのLNP2L とSUMOのTHE GOLDの組合せで、 
スピーカーは、もちろんJBLの4343。

この時、正直にいえば、パワーアンプはTHE GOLDではなく、
LNP2LとペアになるML2L で聴きたいのに……と思っていた。

いろんなレコードの後、 
最後に、当時、優秀録音と言われていて、 
瀬川先生もステレオサウンドの試聴テストでよく使われていた 
コリン・デイヴィス指揮の ストラヴィンスキーの「火の鳥」をかけられた。 

もうイベントの終了時間はとっくに過ぎていたにもかかわらず、 
なぜか、レコードの片面を、最後まで鳴らされた。 

そのときの音は、いま聴くと、 
いわゆる「整った」音ではなかっただろう。
けれど、その凄まじさは、いまでもはっきりと憶えているほど、つよく刻まれている。

レコードによる音楽鑑賞、ではなくて、音楽体験、 
それも強烈な体験として、残っている。

聴き終わって、瀬川先生の方を見ると、 
ものすごくぐったりされていて、顔色もひどく悪い。 

いつもなら、イベント終了後、しばらく会場におられて、 
質問やリクエストを受けつけられるのに、その日は、すぐに引っ込まれた。 

「体の調子が悪いんだ。 なのに『火の鳥』、なぜ最後まで鳴らされたのかなぁ
途中で針をあげられればよかったのに……」と、 
そんなことを考えながら、店の外に出ると、
駐車場から出てきた車のうしろで、さらにぐったりされている瀬川先生の姿が見えた。