瀬川冬樹氏のこと(その8)

瀬川先生の最後の原稿は、ステレオサウンド別冊の セパレートアンプ特集号の巻頭の文章だと言われているが、 
レコード芸術で連載がはじまった「良い音とは何か?」の 1回目の原稿のほうが最後の文章の可能性もある。 

その「良い音とは何か?」からの引用。 
     *
ただひとつ、時間、が必要なのだ。
 ひとつの組合せを作る。接続してレコードをかければ、当然音は出る。しかし、それはごくささやかな出発点にすぎない。ここまでにいろいろ論じてきた音の理想像に、わずかでもせまる音を鳴らすためには、時間をかけての入念な鳴らし込みと調整が、絶対に必要なのだ。接ぎっぱなし、ではとうてい、人を納得させるような音は望めない。
 ならば、どれほどの時間が必要か。ぜいたくを言えばまず二年。せい一杯つめて一年。その片鱗ぐらいを嗅ぎとればいい、というのであっても、たぶん三ヵ月ぐらい。毎日毎日、ていねいに音を出し、調整し鳴らし込まなくては、まともな音には仕上がらない。 
 二年、などというと、いや、三ヶ月だって、人びとは絶望的な顔をする。しかし、オーディオに限らない。車でもカメラでも楽器でも、ある水準以上の能力を秘めた機械であれば、毎日可愛がって使いこなして、本調子が出るまでに一年ないし二年かかることぐらい、体験した人なら誰だって知っている。その点では、いま、日本人ぐらいせっかちで、せっぱつまったように追いかけられた気分で過ごしている人種はほかにないのじゃなかろうか。 
(中略) いや、なにも悠久といったテンポでやろうなどという話ではないのだ。オーディオ機器を、せめて、日本の四季に馴染ませる時間が最低限度、必要じゃないか、と言っているのだ。それをもういちどくりかえす、つまり二年を過ぎたころ、あなたの機器たちは日本の気候、風土にようやく馴染む。それと共に、あなたの好むレパートリーも、二年かかればひととおり鳴らせる。機器たちはあなたの好きな音楽を充分に理解する。それを、あなた好みの音で鳴らそうと努力する。
 ……こういう擬人法的な言い方を、ひどく嫌う人もあるらしいが、別に冗談を言おうとしているのではない。あなたの好きな曲、好きなブランドのレコード、好みの音量、鳴らしかたのクセ、一日のうちに鳴らす時間……そうした個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれるためには、少なくみても一年以上の年月がどうしても必要なのだ。だいいち、あなた自身、四季おりおりに、聴きたい曲や鳴らしかたの好みが少しずつ変化するだろう。だとすれば、そうした四季の変化に対する聴き手の変化は四季を二度以上くりかえさなくては、機械に伝わらない。 
 けれど二年のあいだ、どういう調整をし、鳴らし込みをするのか? 何もしなくていい。何の気負いもなくして、いつものように、いま聴きたい曲(レコード)をとり出して、いま聴きたい音量で、自然に鳴らせばいい。そして、ときたま──たとえば二週間から一ヶ月に一度、スピーカーの位置を直してみたりする。レヴェルコントロールを合わせ直してみたりする。どこまでも悠長に、のんびりと、あせらずに……。 
(中略) スピーカーの「鳴らしこみ」というのが強調されている。このことについても、改めてくわしく書かなくては意が尽くせないが、簡単にいえば、前述のように毎日ふつうに自分の好きなレコードをふつうに鳴らして、二年も経てば、結果として「鳴らし込まれて」いるものなので、わざわざ「鳴らし込み」しようというのは、スピーカーをダメにするようなものだ。 
     *
使いこなしということがオーディオ雑誌やインターネットでも頻繁に語られているけども、
買ってきたばかりのスピーカーに対して、 あれこれ使いこなしのテクニックを駆使したり、
いきなりケーブルやインシュレーターなどのアクセサリーを取っ換え引っ換えするのは、 
はたして正しいことなのだろうか、大事なことだろうか。
そんなに急いで音を詰めていく必要があるのかどうか。 

そして、その行為が、ほんとうに音を詰めていっているのか……。

まずきちんとセッティングする。 
実はこの、きちんとセッティングすることが意外と難しいし、理解されていないように感じることがある。
セッティング、チューニング、エージングを混同しないように。

そのあとは、瀬川先生が書かれているように、 
ゆっくりと好きなレコードを鳴らしていくだけでいいはず。 
そして1年、できれば2年経ったあたりから、
使いこなし(チューニング)を行なうほうがいいのかもしれない。

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