瀬川冬樹氏のこと(その13)

瀬川先生の鳴らされていた音を聴くことは、もうできない。
けれど、瀬川先生の愛聴盤を聴くことは、その音をイメージするきっかけになるだろう。
廃盤になっていたものも、CDで復刻されている。
ヨッフムのレクイエムも出ている。
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そのせいだろうか、もう何年も前たった一度だが、夢の中でとびきり美しいレクイエムを聴いたことがある。どこかの教会の聖堂の下で、柱の陰からミサに列席していた。「キリエ」からそれは異常な美しさに満ちていて、そのうちに私は、こんな美しい演奏ってあるだろうか、こんなに浄化された音楽があっていいのだろうかという気持になり、泪がとめどなく流れ始めたが、やがてラクリモサの終りで目がさめて、恥ずかしい話だが枕がぐっしょり濡れていた。現実の演奏で、あんなに美しい音はついに聴けないが、しかし夢の中でミサに参列したのは、おそらく、ウィーンの聖シュテファン教会でのミサの実況を収めたヨッフム盤の影響ではないかと、いまにして思う。一九五五年十二月二日の録音だからステレオではないが、モーツァルトを追悼してのミサであるだけにそれは厳粛をきわめ、冒頭の鐘の音からすでに身の凍るような思いのするすごいレコードだ。カラヤンとは別の意味で大切にしているレコードである(独アルヒーフARC3048/49)。
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はじまりの鐘の音が収録されていないCDも出ているが、
ここはやはり鐘の音が収録されているほうで聴きたい。
グラモフォンから発売されている。

エリカ・ケートの歌曲集も昨年、CDになった。
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エリカ・ケートというソプラノを私はとても好きで、中でもキング/セブン・シーズから出て、いまは廃盤になったドイツ・リート集を大切にしている。決してスケールの大きさや身ぶりや容姿の美しさで評判になる人ではなく、しかし近ごろ話題のエリー・アメリンクよりも洗練されている。清潔で、畑中良輔氏の評を借りれば、チラリと見せる色っぽさが何とも言えない魅惑である。どういうわけかドイツのオイロディスク原盤でもカタログから落ちてしまってこれ一枚しか手もとになく、もうすりきれてジャリジャリして、それでもときおりくりかえして聴く。彼女のレコードは、その後オイロディスク盤で何枚か入手したが、それでもこの一枚が抜群のできだと思う。
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瀬川先生が書かれたものを読み返したり、
当時のステレオサウンドの試聴レコードのリストを参考にされれば、
どんなレコードを好んで聴かれていたかが、すこしだけだろうが、伝わってくる。

まだ手もとに届いていないが、バルバラのSACDも購入した。
バルバラの声が、SACDではどう響くのか、瀬川先生が聴かれたらなんと言われるか、
そんなことを想像して届くのを待つのも、じつに楽しい。

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