瀬川冬樹氏のこと(その14)
瀬川先生は、定規やコンパスを使わずに、手書きでキレイな円を書かれていた、と
瀬川先生のデザインのお弟子さんだったKさんから聞いた。
訓練の賜物なのだろうが、そればかりでもないと思う。
紙に薄く下書きの線が引いてあったら、それをなぞっていけばいい。
そんな線がなくても、紙を見つめていると、円が浮んで見えてくるということはないのだろうか。
ナショナルジオグラフィックのカメラマンは、携帯電話についているカメラ機能でも、
驚くほど素晴らしい写真を撮ると聞く。
素晴らしいカメラマンは、ふつうのひとには見えない光を捉えているとも聞く。
卑近な例だが、友人の漫画家は、「うまいこと絵を描くなぁ」と私が感心していると、
「だって線が見えているから」と当り前のように言う。
イメージがあると、白い紙の上に線が見えてくるものらしい。
音も全く同じであろう。
聴きとれない音は出せない。
同じ音を聴いていても、経験や集中力、センス、音楽への愛情、理解などが関係して、
人によって聴きとれる音は同じではない。
そして見えない線が見えてくるように、いまはまだ出せない音、鳴っていない音を、
捉えることができなくては、まだまだである。
出てきた音に、ただ反応して一喜一憂しているだけでは、つまらない。