Archive for category ショウ雑感

Date: 12月 5th, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(その25)

オーディオはかっこいい、と思われること。
それが大事だと書いてから思ったのは、
いまの時代、かっこいいは、昔ほど、その輝きを失っているのか、とも考えてしまう。

スーパーカーと呼ばれるクルマが走っているのをみれば、
かっこいい、と感じる。

大阪ハイエンドオーディオショウの会場を出て、しばらく歩いていたら、
ランボルギーニのアヴェンタドール(黄色)が走っていった。

東京にいても、アヴェンタドールが走っているところは、なかなかお目にかかれない。
かっこいいな、と目で追っていた。

若者のクルマ離れがいわれている。
その理由について、あれこれいわれているようだ。

どうしてクルマ離れなのか、
別にクルマ離れに限らず、若者の○○離れは話題になっている。

それは、かっこいいの価値が薄れてきているのかも──、と私は思う。

Date: 12月 3rd, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(補足・来年のこと)

ノアはトーレンス、ハーベス、マイケルソン&オースチンの輸入元であった。
その後、カウンターポイントを扱うようになり、
1980年代に入り、アークという子会社をつくり、
そこでバンデンハルやH&Sを取り扱っていた。

ノアはNoah、アークはArkである。
つまりNoah’s Ark(ノアの方舟)である。

そういうおもいが込められている社名である。

Date: 12月 3rd, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(余談・来年のこと)

別項「2018年をふりかえって」を書き始めたくらいだから、
もう年内に驚くようなこと、驚くような新製品は登場しないと思っていた。

さきほど知った、ノアとアークジョイアの完全子会社のニュース
驚かない人もいるだろうけど、私は驚いた。

驚くとともに、ふりかえってみれば、なんとなく思いあたることがまったくなかったわけでもない。
それでも、あくまでもこのニュースを知ったうえでふりかえってみて、である。

発表されていることからは、全株式を取得しての完全子会社にした以上のことはわからないけれど、
来年のインターナショナルオーディオショウのノアとアークジョイアのブースは、
完実電気との協同のブースとなるのだろうか。

それとも完実電気が輸入元となっているブランドのいくつかが、
ノアもしくはアークジョイアに移り、インターナショナルオーディオショウで聴けるようになるのか。

そういったことはいまのところまったくわからないが、
2019年のインターナショナルオーディオショウでは、なんらかの変化はあるはず。
おもしろい変化がおこるのではないか、と期待している。

Date: 11月 26th, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(その24)

音楽が好きな人に、オーディオに興味・関心をもってもらうには、どうしたらいいのかについては、
私がステレオサウンドにいたころからいわれ続けているし、
おそらく、そのずっと前から、そうだったのだろう。

人によって、違う。
ほどほどの価格でもいい音で聴いてもらうことが大切、という人もいれば、
正反対の、価格は無視して、とにかくいま考えられる最高の音を聴いてもらうのがいい──、
そういう意見もある。

私は、「五味オーディオ教室」で、この世界に入ってきたわけだから、
どこかで、すごい音、いい音を聴いて──、というわけではない。

もう、このことに関しては、人それぞれなのだろう。

ただそれでも、ひとつだけいえることはある。
オーディオはかっこいい、と思わせることだ。

ところが、いまはどうだろう。
ひとつ前に書いたような人が、オーディオショウの会場にいる。
それを、かっこいい、と思う人がいるだろうか。

こんな人のことは、どうでもいいわけで、
オーディオ評論家を、かっこいいと感じている人が、はたしているのか、と思う。

先日も、そういう話になった。
それ以前にも、別の人と、同じようなことを話している。
twitterでは、昔のオーディオ評論家はかっこよかった、というツイートをみかけたこともある。

たしかに、そういう時代があった。
そういう時代を、私は知っている。
私だけではない、そういう時代を知っている人は、まだまだ大勢いる。

別項「オーディオ評論をどう読むか(その2)」で、太陽と月の輝きの違いについて書いた。

月は光を自ら発することはできない。
私が、かっこいいと感じるかどうかは、光を発することができるかどうかだ。

Date: 11月 26th, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(その23)

大阪ハイエンドオーディオショウで、ひとつとても気になったことがあった。
ショウの運営とか、そういうことではない。
来場者について、である。

インターナショナルオーディオショウでも、写真を撮る人はけっこういる。
音が鳴っている時でも撮る人はいる。
そういう人でも、遠慮というものがやっぱりあって、さっと撮って、というふうに感じていた。

大阪ハイエンドオーディオショウでみかけた人は、すごかった。
音が鳴っていて、こちらが坐って聴いているにもかかわらず、
器材の前、スピーカーの前に立って撮っている。
一枚や二枚ならば、こんなことは書いたりはしない。

もう何枚も撮っている。
しかもほんの少しだけアングルを変えて撮っている。

いちおう、こちらの方を向いて、すみませんねぇ〜、みたいな顔をしてみせるが、
基本的には、自分のことだけしか考えていない人なのだろう。

おそらくブログかウェブサイトで、それらの写真を公開するのだろう。

こういったオーディオショウに来る人は、なにもオーディオマニアばかりではないはずだ。
好きな音楽をいい音で聴きたい、とおもって、
オーディオに関心をもって来る人もいたとおもう。

そういう人が、こんな人と遭遇したら、どう思うだろうか。
ちなみに、その人は、私が入った次のブースでも、同じように撮影していた。

Date: 11月 23rd, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(その22)

大阪ハイエンドオーディオショウに行ってきた帰りの新幹線の車中で書いている。
できれば一泊してゆっくり見てまわりたかったが、
手頃なホテルがどこもいっぱいで、日帰りになってしまった。

なので大阪ハイエンドオーディオショウには、二時間足らずとはいえ、
なんとか行けたものの、明日からのオーディオセッションには行けずに帰っている。

大阪ハイエンドオーディオショウは、ホテルでの開催ということから、
インターナショナルオーディオショウの前身である輸入オーディオショウ的な雰囲気なのか、と、
なんとなく想像していた。

インターナショナルオーディオショウとは、かなり違う。
だからといって輸入オーディオショウ的だったかというと、
輸入オーディオショウの開催は、
かなり以前のことだから細部までしっかりと記憶しているとはいえないが、
違うといえば違う。

会場となるホテルの中に入ってしまえば、
東京と大阪の雰囲気の違いがあるかといえば、そうでもない。
それでも各ブースでの音出しの雰囲気そのものが、
東京(インターナショナルオーディオショウ)とは、うまくいえないものの、なんとなくの違いを感じる。

Date: 11月 21st, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(その21)

十数年前からなんとなく感じていることがある。
親しくなり打ち解けて話すようになる。
そのときの話しぶり、声の印象は、その人が出している音に、どこかつながっていく。

今回のインターナショナルオーディオショウでも、
何人かのオーディオ評論家と呼ばれている人たちの話をきいた。

今年になって、さらに気づいたことがある。
鳴らしているスピーカーの能率の高低と、使っている人の話しぶり、声の印象も、
また共通しているといえるところがある、と。

ホーン型で、高能率のスピーカーを鳴らしている柳沢功力氏と黛健司氏、
対照的に低能率のスピーカーを鳴らしている傅信幸氏と三浦孝仁氏。

柳沢氏と黛氏を比較すれば、もちろん違う。
けれど大きく眺めてみると、
後者の二人と比較してみると、柳沢氏と黛氏の話しぶりには共通しているところがある。

それは昔よくいわれたブリティッシュサウンド、アメリカンサウンドのようなものだ。
イギリスのスピーカーを一機種ずつ聴いていけば、もちろんそれぞれ違う音がする。
それでも、他国のスピーカーをそこに持ってきて比較試聴してみると、
確かにイギリスの音といえるなにかを感じとることができるのと同じだ。

Date: 11月 19th, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(その20)

個人的に気になっていることは、クラシックがかけらえてくなりつつあることよりも、
こういったオーディオショウにおけるスタッフ(関係者をふくめて)のしゃべり方である。

なんといったらいいのだろうか、
共通するしゃべり方には、ある種の臭いを感じとってしまう。
テレビやラジオでの通信販売のしゃべり方と同じ臭いがあると感じてしまう。

すべてのブースのスタッフがそうだとは、もちろんいわない。
それでも年々少しずつ増えてきているような気もしている。

ファインオーディオの説明をされていたアクシスのスタッフにも、
それほど強くはなかったけれど、ところどころにそんな臭いを感じていた。

別のオーディオショウでは、もっと強かった例もある。
ただ、それはわかりやすく説明しようという勢いから、そうなってしまうのかもしれない──、
そう思ってはいても、気になるものは気になる。

一度気になると、ひどく耳障りでもある。
私が気にしすぎなのかもしれないが、
他の方たちは、まったく気にならないのだろうか。

Date: 11月 18th, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(その19)

ファインオーディオの輸入元アクシスのサイトには、
《その主要スタッフは、元Tannoy社エンジニアリング・ディレクターとして辣腕を揮ってきたDr.ポール・ミルズを始め、全員が、長年ハイエンドオーディオ業界に深く携わってきた豊富な創造的スキルと技術実績を誇ります。》
とある。

現状のトップモデルF1の外観は、
タンノイ以外のオーディオメーカーからのスタッフの一人は、おそらくB&Wからも来ているのだろう、
と思わせる。

私か聴けたのは、F500とF1である。
ここで、細かな音の印象を書くつもりはない。
オーディオショウという環境で聴けた音は、
こまかなことをあれこれいうものではない、という考えからだ。

大まかな感触がつかめれば、それでいい、と私は思っている。
その感触でいえば、
自分の手でセッティングして鳴らしてみたい、と思った。

タンノイの音のイメージとは随分違うけれど、
芯を感じさせる音は、どちらにも共通していえることだし、
アンプやCDプレーヤー、それに鳴らし手の違いもあるから、
確信をもっていえるわけではないが、芯の強さはファインオーディオの方が、
よりしっかりしているかもしれない。

ただ残念だったのは、F1でクラシックを聴けなかったことだ。
アクシスだけに限らない。
ここ数年、多くのブースでクラシックが一曲もかからないことがある。
昨年のハイエンドのブースにあったKiiオーディオもそうだった。

クラシックを鳴らす気配すらなかった。
いろいな音楽が鳴らされるのは、たいへんけっこうなことだ。
けれど、クラシック好きにとっては、クラシックが虐げられてつつあるような気すらする。

Date: 11月 17th, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(その18)

今日もインターナショナルオーディオショウに行ってきた。
今年は聴きたいスピーカーが二機種あった。

一つは昨年からアブサートロンが取り扱いを開始したマンガーである。
昨年はアブサートロンのブースに時間の余裕がなくて寄らなかった。
マンガーが聴けることを知っていれば寄ったのに……、と後悔していた。

今年はマンガーが聴ける、と期待していた。
けれどアブサートロンのブースに近づいていくと、音が聴こえてくる。
その音からすると、マンガーが鳴っているとは思えない。
入ってみると、やはりウェストレイクが鳴っていた。
それどころかブース内にマンガーがない。

これが昨日のことだった。
今日も念のため行ってみた。
昨日なかったマンガーが、今日になって搬入されている可能性はとても低いことはわかっいても、
もしかする……、というわずかな期待をもっていたけれど、やはりなかった。

もう一つは、ファインオーディオである。

私にとってタンノイは特別なブランドといえる。
けれど、ここ数年のタンノイは、方向を見失っている、
もしくは間違えてしまっているようにも、私は感じていた。

デザインとはいえない、デコレーションの外観、
クラシカルなものに淫する方向に進むだけなのか、とおもえてならない。

Kingdom(現在のRoyalではなく、18インチ口径ウーファー搭載のモデル)が、
私にとってはタンノイのピークに感じられる。
そこからゆるやかな下り坂(もっといえば自死に向っている)としか感じられない。

期待したい憧れのブランドだったのに、いつのまにか行く末が心配なブランドになりつつある。
年々そのおもいはつよくなっている。
そこにファインオーディオが登場した。

Date: 11月 16th, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(その17)

十日ほど前に話していた人がいった。
「インターナショナルオーディオショウは、今年は菅野先生追悼という感じになるんですかね?」と。
そんなふうにはならないよ、たぶん、と答えた。

二時間半だけしかいなかったけれど、そういう雰囲気は微塵もなかった。
そうだろう、と思う。
菅野先生はここ十年ほどインターナショナルオーディオショウに来られていない。

菅野先生はいつも、その日の最後はタイムロードのブースで講演されていた。
いつごろからそうだったのかは知らないが、
少なくとも私がインターナショナルオーディオショウに行きはじめたころはすでにそうだった。

今日の最後はタイムロードのブースにいた。
入ったとき、ベルリオーズの幻想交響曲が鳴っていた。

私には、どこか寂しげに鳴っているように感じられた。

Date: 11月 16th, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(その16)

ノアのブースでは、ちょうどソナス・ファベールのAida IIが鳴っていた。
私が入ったときは、ちょうど曲の終りだった。

スタッフが次にかけようとしたディスクは、なぜだがCDプレーヤーが読み込まない。
それでその次の予定のディスクになった。

デ・ワールトのペール・ギュントだった。
フィリップスから出ていた。
ずいぶん前に聴いている。

ペール・ギュントを聴くのも、ほんとうに久しぶりだ。
はっきりではないが、このデ・ワールトのペール・ギュントを聴いて以来かもしれない。

かけられたのはソルヴェイグの歌。アメリンクが歌っている。
やや控えめな音量だった。

歌詞の意味もおぼろけだった。
どんなことを歌っていたのか、ほとんど思い出せなく聴いていた。

こういう録音だっけ?
アメリンクって、こんなにいい歌手だっけ?
そんなことを感じていた。

聴いていて、なぜだか、菅野先生は、もうおられないんだな、とおもっていた。
すくなくとも、私にはそういう音に鳴ってくれていた。

Date: 11月 16th, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(その15)

今日(11月16日)からインターナショナルオーディオショウ。
会場に着いたのは16時半過ぎ。
ショウは19時までだから、すべてのブースをまわることはもちろんできないし、
実際にまわった(入って音を聴いた)ブースは五つだけだった。

毎年来ていると、それぞれのブース(出展社)の音といえそうなものを感じる。
新製品が毎年登場して、一年前と同じシステムで鳴らしているブースはない、といっていい。
器材もセッティングも違ってくる。

それでもブース(出展社)の音といえそうなものはある。
けれど、毎年ほとんど変らないブースもあれば、
いい方向へと変っていくブースもある。

TADのブースには、今日は入るつもりはなかった。
インターナショナルオーディオショウに行ったことのある人ならおわかりのように、
TADのブースはいちばん奥まったところにある。
その隣がトイレである。

トイレに用があった。
けれどTADのブースのドアが開いて漏れきこえてくる音が、いい感じである。
つい入ってしまう。

昨年あたりから感じていたのだが、
TADのブースの音は変ってきている。
もちろんスピーカーも違うわけだから、音も違って当然なのだが、
そういう音の変化(違い)ではなく、
鳴らし方そのものが変化してきているような音の変化に感じる。

いい感じで鳴っている、そういいたくなる音(雰囲気)があった。
来年のTADの音がいまから楽しみである。

Date: 10月 30th, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(その14)

ヘッドフォン祭の来場者の平均年齢は、
OTOTEN、インターナショナルオーディオショウよりも若い。

今回、学生服の二人連れが目に留った。
見た感じ中学生か高校一年くらいだった。
二人とも学生カバンを下げていたから、学校が終ってから来場したのだろう。

会場は中野サンプラザで、いちばん上は15階、
そこから下に降りていきながら会場を見ていたわけだが、
面白いことに、この若い二人組とは、三回ほど遭遇した。

友人同士なのだろう、何か話しているのは見ればわかるけれど、
静かな話し声だった。
(その13)で書いた数人のグループとは、正反対だった。

楽しそうに聴いているのかな、と、そんなことを思いながら、
彼らを見ていた。

彼らが、これから先、どんなオーディオマニアになっていくのかは、まったくわからない。
ヘッドフォンだけで音楽を聴いていくのか、
それともスピーカーで聴くことにもすでに興味をもっているのか、
なにひとつわからないわけだが、
(その13)で書いた人たちのようにはなってほしくない、と勝手におもっている。

Date: 10月 29th, 2018
Cate: ショウ雑感, 複雑な幼稚性

2018年ショウ雑感(「複雑な幼稚性」)

「複雑な幼稚性性」というタイトルとカテゴリーで(その1)を書いたのは、十年前。
120本以上書いている。

「2018年ショウ雑感」の(その13)へのコメントが、facebookにあった。

そこには、こう書かれていた。
《ある意味、オタク性群れヒエラルキーの幼児性ですね》と。
まさしく、(その13)で書いている人たちは、そうだといえよう。

最近、よく目にする表現で、マウントの取り合い、というのもある。

どちらも、「複雑な幼稚性」だと私は思っている。
だから、この「複雑な幼稚性」のカテゴリーをつくって書きつづけている。