Archive for category ステレオサウンド

Date: 9月 4th, 2022
Cate: ステレオサウンド

3.11とステレオサウンド(その4)

その2)で触れている「ステレオサウンドは、なぜ変らないんですか」という問い。
これを発した人にとって、そのころすでにステレオサウンドはつまらなく感じていて、
それゆえの「ステレオサウンドは、なぜ変らないんですか」だった。

ステレオサウンドは変っていっている。
おそらく私に「ステレオサウンドは、なぜ変らないんですか」と訊ねた人も、
そう感じている。

そうであっても、その人は「ステレオサウンドは、なぜ変らないんですか」と訊く。
くり返すが、それはステレオサウンドがつまらくなっていて、
そのことが変らないからである。

ステレオサウンドがつまらない──、
そういう人もいるし、そうでない人もいる。
面白い、という人ももちろんいる。

223号の「オーディオの殿堂」を、オーディオの歴史の勉強にもなる、
そんなふうに高く評価している人が、ソーシャルメディアにいた。

そうなのかぁ……、としかいえないのだが、
受けとり方は人によって大きく違うのだから、
「ステレオサウンドは、なぜ変らないんですか」が、
ステレオサウンドはつまらなくなったまま、という捉え方も、
その人個人のものでしかないわけだ。

それでも、その人は私に、そう訊ねてきたのは、
その人は私もそう感じていると思ったからなのだろう。

私は、どう感じているのか。
ここ十年のステレオサウンドを眺めて思っているのは、
つまらない、とか、変らないなぁ、とか、そういったことではなく、
ダサくなった、である。

Date: 8月 22nd, 2022
Cate: ステレオサウンド

奇妙な光景(その2)

そんなふうに立読みされなくなりつつあるオーディオ雑誌だけを、
なぜビニールで巻いているのか。

そんな手間を紀伊國屋書店がするようにしたとは思えない。
私の勘ぐりでしかないのはわかっているが、
ステレオサウンド、音楽之友社側からの要望なのではないのか。

HiViは別項で書いているように、
6月発売の号で月刊誌としては終りで、9月発売の号からは季刊誌になる。
隔月刊誌ではなく、いきなり月刊から季刊である。

それだけ売れていないのだろう。
売れていないのだから、紀伊國屋書店という大型書店で、
ビニールを巻いてもらい、立読みを防ぐ。
それで売行きを少しでも増えそうということなのか。

何ひとつ確かめているわけではない。
くり返すが、私の勘ぐりでしかない。

売行きが落ちていても、内容に自信があれば、こういう選択はしない。
むしろ書店で手にとってもらい、ぱらぱらと立読みしてもらうことで、
買ってもらえることだって生じるからだ。

事実はわからない。
でも、自信を失った雑誌の悪あがきのようにもうつる。

それともいま書店に並んでいる三誌には、附録でもついていて、
万引き防止のためのビニール巻きなのか。

Date: 8月 22nd, 2022
Cate: ステレオサウンド

奇妙な光景(その1)

今日の午後、ひさしぶりに新宿の紀伊國屋書店に行った。
以前はよく行っていたけれど、コロナ禍のせいで、
ここ三年弱は足が遠のいていた。

今年はまだ二回目のはず。
八階までエレベーターで行き、それから階段で下の階に移動しながら、
あれこれ見てまわっていた。

雑誌コーナーは一階。
以前とはレイアウトが変更になっている。
音楽関係、オーディオ関係の雑誌のコーナーはどこかなと探していたら、
ステレオサウンドの223号の表紙が目に留った。

けれど、ちょっと変な感じがする。
近づいてみたら、ステレオサウンドには透明のビニールが巻かれてあった。
隣りにあったステレオもそうだった。
さらに隣りのHiViもそうだった。

紀伊國屋書店が雑誌を立読みさせないように、こうしたのであれば、
他の雑誌も同じようにビニールで巻かれているはずなのに、
少なくとも今日、私が見た範囲では上記の三冊だけだった。

奇妙な光景だった。
ステレオサウンドもHiViもKindle Unlimitedで読める。
発売日に読めるわけではないが、少し待てば読めるわけで、
Kindle Unlimitedユーザーは立読みしようとは思っていないだろう。

ステレオはKindle Unlimitedでは読めない。
けれど、ここ十年以上、書店でオーディオ関係の雑誌を立読みしている人は、
あまりいない、というか、ほとんどみかけない。

私の行動範囲では、年に二人か三人ほどである。

Date: 8月 21st, 2022
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド,

オーディオの殿堂(その7)

オーディオテクニカ独自のVM型。
この方式を開発したのは、普通に考えれば、
当時のオーディオテクニカの技術者ということになる。

私だって、オーディオに関心をもち、ステレオサウンドで働くようになるまでは、
そう思っていた。

けれど井上先生という人を知るにつれて、
もしかするとオーディオテクニカのVM型のアイディアは井上先生なのではないのか。
そんなふうに思うようになってきた。

だからといって、何らかの確証、
それがちっぽけなものであっても確証へとつながっていくことを知っているわけではない。

井上先生に訊ねたところで、うまくごまかされたであろう。
そのことを話題にしたこともない。

それでもオーディオテクニカの創業者、松下秀雄氏と井上先生のつきあい、
そのことから私が勝手に妄想しているだけにすぎないのは自覚している。

それでも私はVM型のアイディアは井上先生と確信している。

Date: 8月 21st, 2022
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド,

オーディオの殿堂(感じていること)

三年前、別項「評論(ちいさな結論)」で、
いい悪いではなく、
好き嫌いさえ超えての
大切にしたい気持があってこその評論のはずだ、
と書いている。

ステレオサウンドの「オーディオの殿堂」を眺めて、
大切にしたい気持があってこその評論、とはまったく思えない。

Date: 7月 27th, 2022
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド,

オーディオの殿堂(その6)

「オーディオの殿堂」で、
オーディオテクニカの製品は、AT-ART1000のみがノミネートされている。
殿堂入りはしていない。

AT-ART1000の殿堂入りしていないことについては、何も書かない。
意欲的な製品だとは捉えているが、音を聴いていないので。
それよりも、なぜオーディオテクニカのVM型カートリッジが殿堂入りしていないのか、
ノミネートすらされていない。

VM型カートリッジは、オーディオテクニカの特許である。
オーディオテクニカの最初の製品は、MM型カートリッジのAT1、その上級機のAT3、
どちらも1962年に登場している。

その後、オーディオテクニカはトーンアーム、MC型カートリッジなどを出してきて、
1967年にVM型のAT35Xを誕生させている。

MM型に関しては、よく知られるようにエラックとシュアーが特許を取得していた。
世界各国で、両社は特許を取れたにもかかわらず、
日本では無理だったのには理由がある。

瀬川先生から、どうしてだったのかを聞いている。
ちょっとここでは書けないことがあっての、日本での特許不成立である。
このときばかりは、日本のオーディオメーカーが一致団結した、といわれていた。

なので日本では各社がMM型カートリッジを製造販売できたが、
それはあくまでも日本国内に限られる。
MM型カートリッジを海外に輸出しようとすれば、特許料を支払うことになる。

オーディオテクニカは、海外に打って出るためにもVM型を開発した、と聞いている。
VM型ならば、この方式自身が特許を取れたわけだから、
MM型の特許に関係なく海外でも販売ができる。

Date: 7月 25th, 2022
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド,

オーディオの殿堂(その5)

SMEのSeries Vも、殿堂入りしている。
当然の結果だと思っている。

1985年に登場したSeries Vは、トーンアームとして飛び抜けて高価だった。
その後、Series Vよりも高価なトーンアームがいくつも登場している。
Series Vも値上げしているが、それでもいちばん高価なトーンアームではなくなっている。

それでも私は、Series Vが最高の音を聴かせてくれるトーンアームだと、いまでも思っている。
もっともSeries Vよりも高価なトーンアームのすべてを聴いているわけではないが、
部分的にはSeries Vを上廻る良さを持っている製品もあるだろうが、
トータルとしてのパフォーマンスはいまでもSeries Vが一番のはずだ。

そのSeries Vは、黛 健司氏が担当されている。
     *
 この製品にいちばん興奮したのは長島達夫先生で、1985年発行の74号に記事を執筆されたが、取材に際して、日本に1本しか入荷していなかったシリーズVをバラバラに分解してしまい、編集担当のわたしを慌てさせた。
     *
Series Vの試聴には私も立ち会っている。
長島先生の昂奮ぶりは、いまもはっきりとおもい出せるのだが、
この時からおもっていることがひとつある。

Series Vの前に、SMEからは管球式フォノイコライザーアンプSPA1HLが登場していた。
SPA1HLは、最初オルトフォン・ブランドでのプリプロモデルがあった。

SMEのSPA1HLは長島先生といっしょに聴いた。
SPA1HLについて長島先生の詳しいこと詳しいこと。

思わず「長島先生が設計されたのですか」と口にしそうになるくらいだった。
そうなんだということはすぐにわかった。
パーツ選びの大変さも聞いている。

それに長島先生自身、SMEのアンプは、マランツのModel 7への恩返し、といわれていた。
そういうことがあったから、Series Vも長島先生の設計なのかもしれない──、
ずっとそうおもっている。

完全な設計ではないにしても、
そうとうに長島先生のアイディアが取り入れられている──、
これはもう確信といってもいいくらいに、そうおもっている。

そうでなければ、最初に日本に入ってきた一本なのに、
あそこまで詳しいわけがない。
それに手馴れた感じで分解されてもいた。

SPA1HLのときと同じだと感じていた。

Date: 7月 24th, 2022
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド,

オーディオの殿堂(その4)

ステレオサウンド 223号「オーディオの殿堂」で、
黛 健司氏がLNP2Lのところで、こんなことを書かれている。
     *
 数年前、ひょんなことから、井上卓也先生がLNP2をお持ちだったことを知った(井上先生のことだから、ひと声聴いただけで「コレクション」になっていたのかもしれない。マランツ・モデル7がお好きで何台も所有されていたが、LNP2も手に入れられていたとは意外だった。
     *
井上先生はLNP2も数台お持ちだった。
LNP2だけでなくJC2も所有されていた。
記憶違いでなければ、LNP2はマークレビンソン製モジュールだけでなく、
バウエン製モジュールのLNP2も、である。

試聴のあいまで雑談で、ぽろっと話されることがけっこうあった。

井上先生はジェンセンのG610Bに関しても、
別項「ワイドレンジ考(その38)」で書いているとおりである。

その他にも、いくつか知っているけれど、
とにかく、意外なモノも持っておられた。

井上先生が所有されていたオーディオ機器の全貌を知っている人は、おそらくいないだろう。
私が知っているのも、全体の何割かなのかすらわからない。

けれど、この項を書いていると、
223号で殿堂入りしているモノよりも、
井上先生が所有されていたオーディオ機器のほうが、
私にとっては「殿堂入り」にふさわしいモノのように感じられる。

Date: 7月 12th, 2022
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド,

オーディオの殿堂(型番の表記)

別項「サイズ考(その6)」でも書いていることなのだが、
LS3/5Aの型番表記がいいかげんである。

最近の復刻モデルはLS3/5aと、型番末尾が小文字になっているモデルもある。
だからそれらのモデルはLS3/5aという表記でいいのだが、
ロジャースのLS3/5Aは、大文字である。

ロジャースのLS3/5Aだけではなく、同時期に各社から出たLS3/5Aも、
大文字表記である。
リアバッフルの銘板を見ればわかることだ。

十四年前に書いたことをまた持ち出しているのは、
ステレオサウンド 223号の特集「オーディオの殿堂」を読んでいたら、
ロジャースのLS3/5A(136ページ)が、LS3/5aとなっていたからだ。

LS3/5Aは三浦孝仁氏が担当されている。
三浦孝仁氏の本文は、ちゃんとLS3/5Aとなっている。
なのに編集部は、LS3/5aとしてしまっている。

どうしてこんなことがやらかしてしまうのだろうか。
いまのステレオサウンド編集部には、
LS3/5Aに思い入れをもつ人はいないのだろう、おそらく……。

Date: 7月 1st, 2022
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド,

オーディオの殿堂(その3)

一昨日のスピーカー、昨日のアンプ、
今日のプレーヤー関係の殿堂入りの機種の発表を見て、
改めて、この「オーディオの殿堂」という企画の無理な面を感じざるをえなかった。

「オーディオの殿堂」は、
いわば50号の旧製品のステート・オブ・ジ・アート賞の焼き直しともいえる。

50号は1979年夏に出ている。
いまから四十年以上前である。

この企画に登場しているオーディオ機器は、まさしく「オーディオの殿堂」といえた。
オーディオの歴史を一端を窺い知れる面もあった。
勉強にもなった、といえる。

過去には、こんなスピーカーやアンプがあったのか。
もちろん知っている機種もあったけれど、初めて知る機種も少なくなかった。

ジェンセンのG610Bは、50号で初めて、その存在を知ることができた。
50号の特集は、何度も読み返した。

似た企画、同じような企画である「オーディオの殿堂」には感じられなかったことが、
いくつもあった。

50号をひっぱり出してくるまでもない。
それほどわくわくしながら読んだ50号なのだから、しっかりと憶えている。

ならば、今回も旧製品のステート・オブ・ジ・アート賞をやればよかったのか──、
そうとは思わない。

旧製品のステート・オブ・ジ・アートは、1979年ごろだったから可能だった企画である。
それに50号の一年ほど前まで、「クラフツマンシップの粋」という連載が続いていた。
この連載があったからこその旧製品のステート・オブ・ジ・アートでもあった。

今回の「オーディオの殿堂」には、それもない。
たとえあったとしても、これまで市場に登場してきたモデル数をふり返れば、
いかに難しい企画というか、無理な企画というのが誰の目にも明らかだったはずだ。
結果、中半端な印象を拭えないし、偏ってもいる。

なぜ、いまになっての「オーディオの殿堂」なのか。

オーディオの殿堂(その2)

殿堂入りしていないだろうな、と予想していたとおり、
やっぱり入っていなかったのが、BOSEの901である。

このユニークなスピーカーシステムが入っていない。
なんとも寂しい感じがしてしまう。

BOSEの901は、シリーズを重ねるごとに良くなっていた。
私はすべてのシリーズを聴いてきたわけではないが、
それでも私が聴いた範囲でもシリーズが新しくなるたびに、音の品位は良くなっていった。

901の最初のころは、音の品位という点では難もあったようだが、
それはずいぶん昔のことであり、
私がステレオサウンドを辞めてから登場した901WBは、なかなかの出来である。

残念なことに901WBの音は聴いているものの、
井上先生が鳴らされた音を聴いているわけではない。

井上先生が鳴らされる901の音は、いまも思い出せる。
以前書いているように、マッキントッシュのMC275で鳴らしたこともある。

使用ユニットがフルレンジだけ、間接放射型ともいえる構成ゆえ、
901をゲテモノ扱いする人が少なからずいるし、
マニア心をくすぐられないこともあるとは思う。

そういう人は、901がきちんと鳴った音を聴いていないのだろう。

Date: 6月 29th, 2022
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド,

オーディオの殿堂(その1)

ステレオサウンドのウェブサイトで、
223号の特集「オーディオの殿堂」入りした105機種を公開している。

今日(6月29日)にスピーカーシステムとスピーカーユニット、
30日にアンプ関係、7月1日にアナログプレーヤー、CDプレーヤー関係が公開される。

これを書いている時点では、スピーカーシステム39機種が公開されている。
この種の企画では、
この機種が殿堂入りしているのは、あの機種はなぜ? ということは常に起る。
そういうものだということは最初からわかっている。

それでも今回公開された殿堂入りしたスピーカーシステム39機種を眺めていると、
偏っている、としか感じられない。

ステレオサウンドが創刊されてから五十五年以上経つ。
その間に登場してきたオーディオ機器の数がいったいどれだけになるのか。
厖大なモデルが登場してきたわけで、今回の「オーディオの殿堂」は、
それらのなかから105機種である。それは割合としてはわずかでしかない。

なので、なぜ、あの機種が? ということは、誰にでもあること。
それはよくわかったうえで、なぜ、あの機種が? というモデルについて書いていきたい。

まずはJBLのDD55000である。
別項「ホーン今昔物語(その17)」で、
DD55000は「オーディオの殿堂」で選ばれているのか、と書いた。

facebookでコメントがあり、選ばれていないことはすでに知っていた。
やはり選ばれていないのか……。

JBLのスピーカーシステムでは、パラゴン、ハーツフィールド、オリンパス、
4343、4344、S9500、DD66000が殿堂入りしている。

4343が殿堂入りしているのだから、4344はいいのでは? と私は思ってしまう。
それよりもDD55000があるだろう、と思うし、4350も殿堂入りしていないのか、
4310(4311)はないのか、と。

Date: 6月 21st, 2022
Cate: ステレオサウンド

月刊ステレオサウンドという妄想(というか提案・その13)

この項だけでなく、他の項もここまで書いてきてはっきりしたのは、
私はオーディオの雑誌ではなく、オーディオ評論の本が読みたい、ということだ。

別項で書いているように、
ステレオサウンドはオーディオの評論の本だった時期が確かにある。
いまはもうそうではなくて、オーディオの雑誌である。

オーディオの雑誌を求める人は、それでいいじゃないか、となる。
それでいい、と私も思う。

でも読みたいのは、オーディオ評論の本なのだ。
この欲求を、もうステレオサウンドは満たしくれないし、
これから先も望めそうにない。

それでも可能性として月刊ステレオサウンドがほんとうに登場してくれれば、
オーディオ評論の本となってくれるかもしれない。

Date: 3月 3rd, 2022
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンド 222号

今日(3月3日)が、ステレオサウンド 222号の発売日だった。
通常、ステレオサウンドの発売日は、12月の冬号以外は、
3月、6月、9月の2日ごろである。

確かに2日に、これまで発売されていた、と記憶している。
なのに今回3日だったのは、編集作業の遅れというよりも、
意図してのことなのか、とちょっと思ってしまった。

今年は2022年である。
今号のステレオサウンドは222号である。
だからぞろ目の今日を発売日にしたのか。

どうでもいいことなのだが、ちょっと気になっている。

Date: 11月 13th, 2021
Cate: ステレオサウンド

月刊ステレオサウンドという妄想(というか提案・その12)

十年前、「確信していること(その20)」で書いたことを、くり返す。

瀬川先生のオーディオ評論家としての活動の柱となっているものは四つある。
これは本のタイトルでいったほうがわかりやすい。

「コンポーネントステレオのすすめ」(ステレオサウンド)
「虚構世界の狩人」(共同通信社)
「オーディオABC」(共同通信社)
「オーディオの系譜」(酣燈社)

それぞれのタイトルが本の内容をそのまま表わしている、といえる。

「コンポーネントステレオのすすめ」は、
オーディオがプレーヤー、アンプ、スピーカーをそれぞれ自由に選んで組み合わせることが当り前のことになって、
その世界の広さ、深さ、面白さを伝えてくれる。

組合せは、他のオーディオ評論家もやっているのでは? といわれそうだが、
組合せに関して、瀬川先生ほど積極的に取り組まれていた人はいなかった、と私は感じている。
それに瀬川先生の組合せは、興味深いものが多かった。
それは単に読み物として興味深いだけでなく、
実際に自分で自分にとっての組合せを考えていく上でのヒントにつながっていくものがちりばめられていた。

瀬川先生の組合せのセンスは、他の方々とはあきらかに違う。
この違いを感じているのかどうかは、読み手次第としかいいようがない。

「虚構世界の狩人」には説明は要らないだろう。

「オーディオABC」はタイトルからいえばオーディオの入門書ということになるが、
瀬川先生の平易な言葉で書かれた文章は、決して表面的な入門書にはとどまらず、
確か岡先生が書評に書かれていたように「オーディオXYZ」的な内容でもある。
オーディオを構成しているものについて学んでいくには最適の本のひとつである。

「オーディオの系譜」は、オーディオの歴史を実際の製品にそって語られている。

もちろんこの四つ以外に、オーディオ雑誌での製品評価、新製品紹介もあるのだが、
これはオーディオ評論家として誰もがやっている柱であるから、あえて加えない。

でも、オーディオ評論家と呼ばれている人が誰でもやっている柱、
とつい書いてしまったが、この一本の柱すら、まともにやれていない人もいる。

そういう人は、オーディオ評論家としての柱はない、ということになるのか。
それとも私には見えていない柱を持っているだろうか。