月刊ステレオサウンドという妄想(というか提案・その5)
文章だけの、月刊ステレオサウンドの創刊という提案は、
オーディオ評論家に連載を持たせろ、ということである。
いまステレオサウンドに書いている人で、
連載を持っている、持っていた、という人はどれぐらいいるだろうか。
しかも読者の記憶に残るような連載を持っていた、という人はいるのか。
ここでの連載とは、試聴に頼る記事ではない。
試聴によりかかったところでかかれる文章ではないものを、毎号書いていく。
ステレオサウンド 213号で終りとなった柳沢功力氏の「ぼくのオーディオ回想」は、
その意味で連載といえるのか、と私は思っている。
毎号毎号書かれたものでなく、短期間で書き上げたものを、
毎号毎号掲載していったものであるからだ。
それも連載じゃないのか、と思うのは勝手だが、
こうやって毎日ブログを書いていて感じているのは、
毎日書くことによる気づきがあるからだ。
「ぼくのオーディオ回想」はタイトル通りの内容だから、
そこに気づきなんてものは必要ない、ということなのかもしれない。
でも、ほんとうにそうなのだろうか。
回想であるからこそ、気づきがあってのものなのではないのか。
私は、「ぼくのオーディオ回想」はつまらない、と感じていた。
私だけではなく、周りの友人、オーディオ仲間で、
誰一人として「ぼくのオーディオ回想」をおもしろい、といっていた者はいない。