Date: 3月 9th, 2020
Cate: ステレオサウンド
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月刊ステレオサウンドという妄想(というか提案・その6)

(その5)へのコメントがfacebookであった。
(その5)で、私は「ぼくのオーディオ回想」はつまらない、と書いている。

コメントの方は、そこはいい、
けれど続く、
私の周りに「ぼくのオーディオ回想」をおもしろい、といっていた者はいない、
と付け加えるのは余計とあった。
読者には検証できない事例を挙げて客観性を装う一文、ともあった。

客観性を装うつもりはさらさらない。
おもしろい、おもしろくないは、主観でしかないからだ。

ここで私が「ぼくのオーディオ回想」は、
まったく役に立たない記事だ、とか、ページのムダでしかない、
そんなことを書いて、私の周りも同じことをいっていた──、
そんなことを書いていたのであれば、客観性を装う一文といわれてもかまわない。

でもくり返すが、私はつまらない、と書いている。
つまりおもしろくなかったわけで、ここには客観性など、どこにもない──、
というのが私の認識である。

「ぼくのオーディオ回想」は、始まったころは少しは楽しみにしていた。
回を追うにつれ、なんだかなぁ……、と感じ始めてきた。

「ぼくのオーディオ回想」に感じたことは、
菅野先生が亡くなられたときの柳沢功力氏の文章にも感じていたことだ。

どう感じたのかは、ここでのテーマとは関係ないので省くが、
二つの文章に共通する何かを感じるか感じないのか、それも人によって違ってくる。

何も感じていない人に、どれだけ言葉を費やしても伝わらない。

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