オーディオと「ネットワーク」(人脈力・その1)
ステレオサウンドの193号に、「難条件を克服するマイシステムの作り方」という記事が載っている。
この記事に「人脈力」なる言葉が登場している。
見出しにもなっているし、本文にも出てくる。
老人力という言葉が登場して以降、語尾に「力(りょく)」をつけられることが急に増えてきた。
たいていは、どこかいかがわしさ・うさんくささを感じさせるのが多いように私は感じている。
人脈力なる言葉は、はっきりとくっきりとステレオサウンドの中で浮いている。
人それぞれだから馴染んでいるといる感じる人もいるだろうし、なんとも思わない人、
私と同じように浮いていると感じる人もいるだろう。
馴染まないことがよくないことではない。
浮いてしまっている、と感じたから、些細なことを取り上げるな、と思われようと、ここで書いている。
これまでも、ステレオサウンドに対して厳しいことを書いてきた。
これからも書いていくであろう。
なぜ、そんなことを書くのか。
ステレオサウンドが素晴らしいオーディオ雑誌であってほしいからである。
毎号講読したくなる内容になってほしい、と思っている。
このブログを書く必要もない、と思わせる内容になってほしいからである。
でも、今回の「人脈力」に対しては、そういう気持とはすこし違うものがある。
「人脈力」が目に留った時、
「ステレオサウンドは大丈夫なのか」と心配になった。
たったひとつの言葉だろうに……、なんて大袈裟なと感じられるかもしれない。
よけいなお世話だといわれるかもしれない。
けれど、人脈力なる言葉が本文にも、見出しにも登場しているのをみると、
もやもやしたような、イヤな感じがしてしまう。