日本の歌、日本語の歌(その1)
日本語を解さない者が、日本の歌をまともに歌えるはずがない。
歌には歌詞があり、歌詞は言語であるから、日本語で書かれた歌を歌うのには、
日本語を理解、話せることが必要条件である──。
もっともなことであるのだが、
現実は必ずしもそうではない、と私は思っている。
私はグラシェラ・スサーナの歌う日本語の歌が好きである。
グラシェラ・スサーナの日本語は、初来日から40年以上が経つのに、お世辞にも流暢とはいえない。
菅原洋一の招きで日本に来た時、日本語はまったく解さないのに、日本語の歌を歌っている。
1971年の初来日の翌年に「愛の音」が出た。
このアルバムの録音時も、日本語は話せなかったであろう。
でも「愛の音」を聴いて、いい歌が聴ける、私は思う。
完璧な日本語で歌っているわけではない。
完璧な日本語ではないところに、魅力を感じているわけでもない。
ホセ・カレーラスには、”AROUND THE WORLD”というアルバムがある。
ホセ・カレーラスの数多いアルバムのなかで、
この”AROUND THE WORLD”と「ミサ・クリオージャ」は素晴らしい。
歌の素晴らしさが、二枚のアルバムには色濃くある。
歌、人の声が、なにか特別なもののように思えてくる。
“AROUND THE WORLD”でホセ・カレーラスは「川の流れのように」を歌っている。
日本語で歌っている。
“AROUND THE WORLD”は「愛の讃歌」で始まる。
これも素晴らしい、二曲目の「愛のことば」もいい、
つづく「愛していると君が言うだけで」、「アルフォンシーナと海」もよかった。
五曲目に「川の流れのように」。
ここまでの歌が素晴らしかっただけに、日本語での「川の流れのように」にはあまり期待してなかった。