書くことにつまる日は、それまでにも何度かあった。
それでもなんとか一行目を書ければ、ある程度の量の文章はかけなくもない。
でも、この日だけは違った。
何を書けばいいのたろうか、
それよりも書くべきなのだろうか、とも考えてしまった。
音楽とオーディオに関することしか書いていないブログである。
そういうブログを、こういう日に更新する意味があるのか、
あったとしても、何を書いたらいいのか……。
納得いく答が出せるまで考えていては日付が変ってしまう。
三年前の14時46分以降、ずっとMacの前にはりついていた。
テレビをもっていなから、インターネットとMacによる情報しかなかったからだ。
東京にいても、いままで体験したことのない、しかも恐怖を感じた揺れだった。
とてつもないことが起った、起っている、ということはなんとなく感じてはいても、
Macのディスプレイに表示される映像は、すぐには何が起っているのかわからなかった。
しばらくして何が起っているのかわかった。
時間はあっという間にすぎさっていく。
日付が変るまでそんなに時間がない、というときに、何を書いたらいいのか、わからなくなってしまった。
日付が変り、すぐさまGoogle Analyticsでアクセスログを見た。
東北からのアクセスは、少なかった。
もともと東北からのアクセスは多くはなかった。けれどほんのわずかだった。
おそらく14時46分以前のアクセスだけだったのだろう。
次の日、東北からのアクセスはなかった。
次の日もなかった。三日目もなかった、と記憶している。
四日目か五日目だったか、やっとアクセスがあった。
とても少なかった。
でもアクセスがあったことに、なんといったらいいのだろうか、ほっとした面があった。
次の日も次の日もブログを書いていた。
オーディオのサイトやブログをやっている人の中には、
こういう事態だから、更新していくこと自体が不謹慎だとの理由でしばらく休む人も少なくなかった。
なのに音楽とオーディオのことを、毎日書いていることを、
どう受けとめられるのかについて考えていたからだ。
私は不謹慎だとは思っていなかった。
だが、それはあくまでも私がそう思うだけであって、読み手側がどう感じるかのはわからない。
それを間接的に伝えてくれるのは、Google Analyticsが毎日表示するドライな数字だった。
一週間経つと、もう少し増えた。
それでも以前よりもずっと少ない。
勝手に、以前の数字には戻らないのか、戻るとしても長い時間がかかるのではないか。
どうなるのかはわからなかった。
ただ書いていくだけである。
アクセスは増えていった。
半年ぐらい経ったころだったか、以前のアクセスよりも多くなっていた。
いまでは、東北からのアクセスは、あの日以前の倍以上になっている。
正直、まったく予想できないほどアクセスは増えた。
だから東北が復興したとはおもっていない。
まだオーディオを再開できていない人もおられるとおもう。
はっきりとしたことを何か言えるわけではない。
それでも、少なくともあの日もふくめて、それ以降も毎日書いてきたことが、不謹慎ではなかった、
不謹慎と思われていたわけではなかった。
これだけはいえる。