モノづくりとオーディオのプロフェッショナル(その8)
メーカーとしての機能。
このことについて考えていくには、
メーカーとしての性能、メーカーとしての効能。
これらのことも同時に考えていく必要がある。
メーカーとしての機能。
このことについて考えていくには、
メーカーとしての性能、メーカーとしての効能。
これらのことも同時に考えていく必要がある。
ステレオサウンド別冊「魅力のオーディオブランド101」に、
日本マランツの商品企画部部長の株本辰夫氏の発言が載っている。
*
株本 ついこのあいだ、マランツさんに会ったんですよ。私にとっては2度目なんですが……。
相当なお年なんですが、矍鑠として、自分のあたらしい会社で、自分の気に入った製品をつくっておられます。
「実はおれのところにCDがほしいんだ。おまえのところにはCDのいい技術があると聞いているんだが、売ってくれないか?」というお話があったわけです。
いま、とても小規模にやっておられるのですが、一番教えられたのは、メーカーとしての機能をギブアップされないのですね。
私どもからCDの供給を受けるといっても、完成品を買うのではなくて、最後の仕上げは自分のところでやりたいようです。
自分のところにメーカーとしての機能を残しておかなければ、満足するようなものは作れない、というのが、マランツさんの考えかたです。
*
「魅力のオーディオブランド101」は1986年だから、
このころのマランツの新しい会社というのは、ジョン・カールが参画していた会社のことかもしれない。
そのへんの詳細ははっきりしないが、この株本氏の発言に出てくる「メーカーとしての機能」、
このことについて考えてしまう。
メーカーとしての機能とは、いったいどういうことなのか。
残念ながら、「魅力のオーディオブランド101」には、その説明は出てこない。
オーディオ機器に使われるすべての部品を内製することができるメーカーは限られる。
日本の家電メーカーとオランダのフィリップスなど、そう多くはない。
内製できるからといって、すべての部品を自社もしくは関連企業で製造しているとは限らない。
ある部品は、より優れたモノを作っている会社から購入して採用することも、ごくあたりまえにある。
アンプ一台をとってみても、
半導体から抵抗、コンデンサーだけでなく、電源トランスまで自社生産するとなると、
かなり大変なことである。
それにすべての部品を内製できるメーカーが、
優れたアンプ、優れたスピーカーシステムを開発できるとも限らない。
そんなふうに考えていけば、
アンプメーカーが、コンデンサー、抵抗、半導体などの部品を購入してアンプを組み立てるように、
スピーカーにおいても、スピーカーユニットを自社開発・製造せずに、
他社製のスピーカーユニットを購入してきて、
アッセンブルして自社製品として発売することも同じ、といえる。
それでも1970年代までくらいは、
スピーカーメーカーはスピーカーユニットまで内製するメーカーと多くの人が思っていた。
私もそう思っていたし、
ステレオサウンド 46号の新製品紹介のページでの井上先生と山中先生のやりとりも、
まさにそうである。
つまりスピーカーメーカーにとっても、抵抗やコンデンサーは、
スピーカーユニットの振動板やマグネットに相当していた、といえよう。
つまりスピーカーユニットを開発できないメーカーは、
スピーカーユニットを開発しているメーカーよりも、下に見られていた。
とはいえ、BBCモニター系列のスピーカーシステムを製造していたメーカーでは、
ウーファーは自社製でも、トゥイーターは他社製という組合せが一般的であった。
それがいつのころからか、スピーカーユニットはすべて他社から購入して、
ネットワークの部品も当然他社製。
エンクロージュアを作るだけのメーカーが現れてきはじめ、
その数が増えていった。
活字にはなることはあまりなかったが、それらのメーカーをアッセンブルメーカーと呼ぶこともあった。
オーディオがベンチャービジネスであったころのアメリカにおいて、
アンプメーカーは雨後の竹の子のように多くのメーカーが生れていったが、
スピーカーメーカーとなると、そう数は多くない。
ステレオサウンド 46号の新製品紹介のページで、
井上先生と山中先生が、このことについて語られている。
*
井上 こうした新メーカーが次々とあらわれてくる背景には、一つはアンプ自体が他のジャンルにくらべてシャーシなどの板金加工プラスL(コイル)、C(コンデンサー)、R(抵抗)、半導体と回路技術の知識があればすぐつくれる、つまり個人レベルでの製作が可能でなおかついいものをつくり出せる可能性を多分にもっている点があげられると思います。
山中 本当に、プリント基板を自分で書いて、ハンダゴテをもって組み立てるだけで試作機がすぐにできあがるわけです。試作機という言葉を意識的に使ったのは、アマチュアが偶然非常にセンスのいいアンプをつくったとしても起業として成り立つだけの製品になり得る可能性を他のオーディオ機器にくらべ多分にもっているからです。
これが、スピーカーやプレーヤー、テープデッキでは、そうした個人の頭の中にできあがったものだけでいい製品ができるかといえば、その可能性は非常に少ないといえます。起業レベル、つまり資本力と設計、製作上のキャリアの蓄積がものをいう世界です。
井上 たとえば、スピーカーユニット一つを例にとっても、コーン紙はどうやってつくればいいか、フレームは、マグネットは、機械加工は……と考えると、やっぱり個人ではつくれませんね。開発費自体も物量を投入するだけに大きなものになります。また、コーン紙その他のパーツができたとしても、それを単純に組み合わせていい音がするかといったらそうはいかない。内部構造がシンプルでメカニカルな部分が多いですから、その点でキャリアが必要であり、データーではおし計ることのてきない試行錯誤のくりかえしから得たノウハウなどの占める割合が大きくなるといえます。
*
1978年に46号は出ているから、これを読んだとき私は15歳。
なるほど、と素直に読んでいた。
けれど時代は変る。
それにつれてスピーカーの開発も変っていく。
新興スピーカーメーカーがいくつも登場してくるようになった。
それらのメーカーすべてがスピーカーユニットを自社開発・製造していたわけではなくなっていった。
こういう人のことを、ひそかにマーク・レヴィンソン症候群と呼んでいる。
アメリカではマーク・レヴィンソンの成功に刺戟され、
第二、第三のマーク・レヴィンソンを目指すエンジニアがいた。
あのころ、オーディオはベンチャービジネスであった。
アメリカだけではない、日本にもそういう人たちはいた。
会社を興し成功した人もいれば失敗した人もいる。
いまも続いている会社があれば、あっという間に消えてしまった会社もいくつもある。
私は会社を興した経験はないけれど、あまり慎重になりすぎても起業することは無理であろう。
いくばくかの無謀ともいえる勢いがなければ起業はできないのかもしれない。
とはいえ、知人のようにスピーカーを自作する。
それが彼の好む音で鳴ってくれた。
そこには開発費も生じていない。
そのことで、彼自身が自分のことをすごいと思い込む。
それが勢いとなり、スピーカーメーカーを興せるのじゃないか、となる。
だが多くの人は、ここで周囲の人に聴いてもらうのではないだろうか。
少なくとも信頼できる人に聴いてもらい、その評価を受けとめる。
それでも評判がよければ、本気でオーディオメーカーを興そうとなるかもしれない。
そうやって誕生したメーカーは少なくない。
なんでも原価計算をしてしまう人が少なからずいる。
オーディオだけでなく、いろんなジャンルにそんな人がいる。
彼の多くに共通するのは、計算した結果を提示して、これらの製品は高すぎる、という。
中にはぼったくりだろう、といいたくなる価格の製品もないわけではないが、
多くの製品の場合、まずそんなことはない。
原価だけでモノがつくれるわけではないことは、多くの人が知っていることであり、
知っているから、あえて、そんな指摘は多くの人がやらない。
ほかのメーカーが開発したモノをそっくりコピーした製品をつくるにしても、
原価だけでは成り立たない。
原価計算がとにかく好きな人は、
なぜ原価のことしか考慮しないのだろうか。
この原価計算が好きな人と同じことを、(その2)で書いた知人は口にしていた、といえる。
塗装もしていない、ただつくりっぱなしの箱のスピーカーである。
スピーカーシステムとはとうていいえないレベルでとまっている。
内蔵ネットワークもないのだから、すべての調整はユーザーにまかせることになる。
そんなものと、メーカーがきちんと調整して仕上げも行って送り出す製品とを、
同列に並べて比較していることの愚かさになぜ気づかないのかと不思議になる。
知人がすごいのは、スピーカーメーカーを興せると思い込んでしまっていたところにある。
安くていい音のスピーカーを送り出せる自信に満ちていた。
「スピーカーづくりなんて、簡単!」という人がいた。
彼はスピーカーユニットを買ってきて、
木材のカットは専門業者にまかせて、自分でスピーカーをつくっていた。
既製品のスピーカーシステムもいくつも使ってきていた。
彼は「こんなに安くて、これだけの音がすぐに出せる」ともいっていた。
そしてメーカーがやっていることを小馬鹿にしていた。
こんなアホなことをいっているのが若い人であれば何かをいう。
けれど私よりも年上でオーディオのキャリアも長く、
私よりもオーディオに使ってきた金額の多い人には、もう黙ってしまうしかない。
何をいっても無駄なのだから。
彼がやっているのは、あくまでも自分の部屋において、自分の好みの音が簡単に出せたから、でしかなかった。
それ以上ではなかった。
でも彼は気付いていなかった。
だからメーカーがやっていることを否定していた。
彼は測定器の類はなにも持っていなかった。
そんなものは必要とない、とまでいっていた。
私はもう黙ってしまっていたから、
彼がそのとき何を考えていたのか確かめはしなかった。
彼はネットワークを作らずマルチアンプ駆動で鳴らしていた。
ディヴァイディングネットワークでクロスオーバー周波数を調整してレベル調整、
それぞれのユニットにパワーアンプは直結され、グラフィックイコライザーも併用していた。
これならば、限られた環境において自分の好みの音は出しやすい。
でも、そんなスピーカーは製品にはなりえない。
けれど、彼はわかっていなかった。
はじめて真空管アンプをつくろうとしている人がいる。
彼は何を用意すべきか。
アンプを作るためには工具が必要だ。
ハンダゴテは絶対に必要である。ドライバーもいる。
シャーシー加工すべてどこかに受註するのであればいいが、
穴開け加工を自分でやるのであれば、ドリル、ヤスリもいる。
この他にもさまざまな工具がいる。
工具の用意とともに、パーツを集めなければならない。
いまではインターネット通販があるから、
昔のように秋葉原まで何度も電車で通っては、
時には重たい部品を持って帰るということもやらなくてすむようになっている。
アンプの回路は、はじめて作るのであるから、定評のある回路と配線をそのまま採用する。
部品点数が少なくて、シャーシー加工にそれほど手間どらなければ、
それほど時間を必要とせずに真空管アンプは組み上る。
ここで必要となるのが、測定器である。
自分で創意工夫をした回路ではなく、昔からある回路で、
昔ながらのレイアウトで、NFBもかけない、もしくはごくわずかだけであれば、
配線の間違いがないことをしっかりと確認すれば、
テスターだけで各部の電圧をチェックするだけでもかまわない。
テスターも測定器であり、ここて必要となる測定器はテスターだけで足りる。
けれど、最初の真空管アンプ作りがうまくいったから、気を良くして、
今度は回路も自分で考えた凝ったものにして、NFBもそこそこかけて、
レイアウトも奇抜なものにしよう……、そんなことをやると測定器はテスターだけではもう無理である。
少なくとも発振していないかどうかを確かめるための測定器は必要となる。
ソニーのCDプレーヤー、CDP777ESDを使っていたことがある。
このCDプレーヤーの電源トランスは、デジタルとアナログで独立していて、リアパネルに取り付けある。
電源トランスが外部に露出するような形で取り付けてある。
もちろん剥き出しの電源トランスではなくシールドケースに収められた状態ではある。
この取り付け方も、ソニーのエンジニアがある問題を解決しようとしての結果であるわけだが、
使いこなす側からみれば、別の問題があることをわからせてくれる。
ステレオサウンドの試聴室で、CDP777ESDを使っていた時に、井上先生がある指示を出された。
そのとおりやってみると、驚くほど音が変化する。
ここでこういうことをやると、これだけ音が変化するのか。
自分で使っているCDP777ESDでもさっそく試してみた。
試してるうちに、こういうふうにしたら、もっといい結果が得られるのではないか、とあることを考えた。
CDP777ESDのリアパネルを加工する必要があったため実験することはなかった。
それから半年ぐらい経ったころ、パイオニアからPD3000というCDプレーヤーが登場した。
PD3000もCDP777ESDと同じように電源トランスがリアパネルに、外部に露出するような形で取り付けてある。
けれどPD3000にはCDP777ESDにはなかった工夫があった。
PD3000の方法は、私が考えていたのと、ほとんど同じだった。
外部に露出している電源トランスに専用の脚を用意する。
さらにリアパネルとはなんらかの緩衝材を介することでフローティングする。
PD3000も同じことを考えていたわけである。
PD3000を見て、同じことを考える人は常にいることを知った。
おそらくパイオニアのエンジニア、私以外にも、同じことを考えていた人はいるだろう。
同時代に同じアイディアを思いつく人は三人はいる、らしい。
そうだと思う。
さらに時代を遡れば、三人程度ではなく、もっと多くの、同じ発想をしていた人たちがいると思ったほうがいい。
この項の(その2)で書いているように、
松ぼっくりをスピーカーシステムのエンクロージュア内に入れてみたら……、と思いついた人がいる。
このアイディアはずっと以前に製品になっている。
(その3)でのテクニクスのNFBのアイディアも、過去にいくつもの例があった。
それゆえに、「だからこそ」が大事なのにと思う。
それを怠る者が、プロフェッショナルを騙っている。
あるオーディオ・ブランドの主宰者に、こんな人がいる。
自分は誰からも教わっていない。
オーディオの参考書も見ていない。
すべての答を自分で見つけた。
たいへんな自信家である。
他にもまだあるけれど、書いていくのもアホらしいのでこのへんにしておくが、
とにかく、この人はまわりから「すごいですね」といわれたくてたまらないように私の目に映る。
だがオーディオの参考書というものが、この世にあるのだろうか。
あったら是非とも読んでみたい。
私は、オーディオの参考書などというものは存在していない、と考えている。
にも関わらず、彼はオーディオの参考書を読んで答を知るなんてことはやっていない、とここでも自慢げにいう。
参考書なんてものはないのだから、答は自分でみつけるのはあたりまえのことであり、
それをことさら強調するところに、小規模の会社でモノをつくり売っていくことの難しさ、
ひとり何役もやっていかなければならないのだから、
そうなっていくのもしかたないのかも……、とは思うけれど、みっともない行為でしかない。
この人は、だから、自分のブランドの製品はすべて自分が考えたものだと強調する。
そして、こうも言っていた。
いま彼がやっていることと同じことを、昔の人がやっていたとしても、
そんなことは自分はまったく知らないのだから、これは自分のオリジナルの技術だ、と。
彼がアマチュアとして、アンプやD/Aコンバーターを作っているのであれば、ここでこんなことを書く必要はない。
だが、彼はプロフェッショナルとしてオーディオ機器を作り売っている。
彼は技術者として、前例があったのかどうかを調べもしない。
この項の(その3)で書いたテクニクスの技術者とは雲泥の差である。
何をもってオーディオのプロフェッショナルというのか。
こまごま書く気は、いまはない。
ただひとつだけ書きたいことがある。
ハイエンドオーディオショウで言い訳ばかりしていた人、
オーディオ・ホームシアター展で隣の出展社の悪口を、来場者に聞こえるようなところで話していた人、
このふたりに決定的に欠けていたのは、清しさだと思う。
オーディオのプロフェッショナルとはいうことでは、このことを書いておきたい。
オーディオ・ホームシアター展でのことだった。各ブースをまわっているときだった。
エレベーターホールのところで、どこかのブースの人が、別のブースの人に対して愚痴を言っているのが聞こえた。
ひどい音だ、耳が痛くなる。
そんなことをけっこう大きな声で、ほとんど一人で話しているが聞こえてきた。
私はそれほど近いところにいたわけではなかった。
それでもはっきりと聞こえてきていた。
どこのブースの人なんだろう……、こんなところで話すことではないだろう、と思っていた。
あるブースに入った。
オーディオ・ホームシアター展でも、ハイエンドオーディオショウと同じようなやり方のブースがあった。
ひとつの広めのブースを複数の出展社で使う、というものである。
そのブースは、ピストニックモーションではないスピーカーシステムが鳴っていた。
そのスピーカーの、製品としての完成度はお世辞にも高い、とはいえなかった。
それでも、面白い音だと感じていた。
いい悪いは、ほんの短い時間しか聴けなかった。
二分ほどだったろうか。
同じブースの、別の出展社の人が、腕時計を指さして、「あと一分」とにらんでいた。
この「あと一分」と言っていた人が、さきほどエレベーターホールで愚痴を言っていた人だった。
このスピーカーのことを貶していたのか、この音のことを言っていたのか、とわかった。
人の評価基準はさまざまだったりする。
だから、ある種の音を認めない人がいるのも知っている。
けれど、愚痴を言っていた人も、オーディオのプロフェッショナルであるべきだ。
嫌いな音だからといって拒絶するのではなく
そこで鳴っていた音から良さを聴き出そうとする姿勢をもってこそ、プロフェッショナルである。
そこまで求めてはいけない時代が来ているのかもしれない、と感じた。
それにしても、アマチュアのように、一般来場者に聞こえるように愚痴をいうのはやめるべきだ。
プロフェッショナルとしての最低限のマナーのはずだ。
誰もが最初はアマチュアである。
いまは著名なメーカーの代表者でも、創業する前はアマチュアといえよう。
けれど、生き残っている、そういった会社の代表者は、もうアマチュアではない。
プロフェッショナルになったからこそ、生き残れたのではないのか。
今日聴いた、非常に高価な国産スピーカーの代表者は、あれこれ言い訳を口にしていたが、
こういうショウで、いい環境などあまり期待できないことは、もう常識ともいえる。
それでも、インターナショナルオーディオショウでも、ハイエンドオーディオショウでも、
プロフェッショナルならば、与えられた環境でなんとかしようとするし、言い訳に終始したりしない。
それにあえて書くが、このメーカーのセッティングを裏にまわり混んでみたわけではなく、
あくまでも座ったところから見える範囲内でも、
これだけ高価なスピーカーシステムにふさわしいとはいえないセッティングであった。
むしろひどいセッティングといえた。
言い訳を口にする前に、彼はやること(やれること)が数多くあった、と私は見ている。
それをほとんどやらずに、言い訳だけでは、残念ながら彼はプロフェッショナルではない。
インターナショナルオーディオショウもハイエンドオーディオショウも、
オーディオのアマチュアの発表の場ではない。
高価なスピーカーシステムのほんとうの実力はよくわからない。
それに、これだけのモノを、よく作ったものだと感心する(それがいいモノかどうかはわからないけれど)。
それだけに、これだけのモノを扱っていくのに、彼はアマチュアすぎないか、と思った次第だ。
彼はオーディオのプロフェッショナルになれるのだろうか。
ハイエンドオーディオショウにも行ってきた。
あるブースにはいって、このスピーカーも出ていたのか、と気づいた。
そのスピーカーシステムとは、国産で、けれど非常に高価である。
よく桁が違う、というけれど、文字通り桁の違う価格である。
ハイエンドオーディオショウは、これまでの交通会館から、今回の会場に変更になった。
デモのやり方は基本的に同じで、ひとつのブースを複数の出展社が使うため、
デモの時間割が決っている。
その高価なスピーカーシステムが置かれていたブースは三社が使っていた。
しかも決して広くはない。
条件的にはよくないことは、音を聴かずともわかる。
とはいえ、非常に高価なスピーカーシステムのメーカーの代表者は、言い訳ばかりだった。
正直、音は到底その価格とは思えないレベルであった。
代表者は、これまで聴いた、このスピーカーのいちばんひどい音です、といっていた。
そうなのかもしれない。
だから、このスピーカーシステムの型番もメーカーも書かない。
でも、とそれでもいいたい。
少なくともオーディオ機器をつくって、誰かに売るのであれば、
その人はプロフェッショナルであるべきだ。
にも関わらず彼の言い訳は、彼がいまもアマチュアのままでいることを、
そのブースにいた人たちに白状しているのと同じである。
「趣味は?」ときかれたら、オーディオと答えることは、まずない。
オーディオ以外の、いくつかのことを答える。
自転車と答えることも多い。
ロードバイクに興味を持つようになって20年以上。
自転車に関する知識は、けっこうあるほうだと思っている。
でも、自転車の玄人だとはまったく思っていないし、自転車の玄人でいよう、とも思っていない。
自転車に関しては、はっきりと素人である。
自転車について話せば、詳しいですね、といわれることもある。
それでもオーディオと比べれば、これは私のなかでの比較として、詳しいとは到底言えない。
少なくとも私のなかでは、オーディオと同レベルになれば、自転車の玄人かな、と思うけれど、
これから先どんなに自転車のことに詳しくなろうとも、オーディオと同じレベルになることはない。
だから、素人でいる。
素人でいるからこそ、オーディオとは違う楽しみ・接し方があり(でき)、
それゆえに趣味なのである。
素人のまま、自転車とつき合っていきたい。