Archive for category フルレンジユニット

Date: 9月 5th, 2020
Cate: トランス, フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その5)

タムラのA8713は、一次側、二次側ともに二組の巻線がある。
この巻線の結線を変えることで、
一次側は20kΩか5kΩ、二次側は600Ωか150Ωに設定できる。

9月のaudio wednesdayでは、20kΩ:600Ωで使っている。
20kΩにするか、5kΩにするか。

どちらがいい結果が得られるか、
使用機器によって違ってくるだろうが、
私が、今回の音の変化の大きな理由として考えている、
直流域での抵抗の低さが効いているのであれば、
巻線の直流抵抗は低い方がいい、ということになる。

A8713の一次側(20kΩ)の直流抵抗は、ほぼ1kΩである。
5kΩにすれば、直流抵抗は半分の約500Ωになるし、
一次側の巻線を単独ではなく、並列接続すれば、
5kΩであっても、直流抵抗はさらに半分の約250Ωになる。

池田圭氏は、《Lをパラってみると》と書かれている。
トランスもコイルなのだが、
もっとも単純なコイルでも、同等の音の変化が得られるはずである。

ただ同じ値のトランスとコイルとでは、どちらが音がいいのだろうか。
トランス使用では二次側の巻線は開放のままである。
使っていない。

その巻線がぶら下がっているのは、精神衛生上よくない、と考えることもできるし、
意外にも開放状態の二次巻線があるからこそ、
のところはまったくないとは言い切れないようにも感じている。

このへんのことはこれからじっくり聴いて判断していくしかない。
ならばコイルは、何をもってくるのか。

A8713のインダクタンスは、私が持っているLCメーターでは、測定できなかった。
故障しているのか、と思った。
他の部品を測ってみると、きちんと動作している。

20kΩの結線のままだったから、試しに二次側の巻線を測ってみたら、きちんと値が出た。
今度は一次側巻線の半分だけを測る。
10Hを少しこえる値だった。

私が持っているLCメーカーは20Hまでしか測れないためだったわけだ。

Date: 9月 3rd, 2020
Cate: トランス, フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その4)

今回使ったケーブルは、私の自作だ。
いま喫茶茶会記で、メリディアンの218に使っているのも、私の自作で、
どちらも同じケーブルを使っている。

なので、今回の比較は、多少長さの違いはあっても、
同じケーブルでのトランスの有無(一次側巻線の並列接続の有無)である。

この実験は、ずっと以前に、
自分のシステムで、まだアナログディスク時代に試している。

今回、ひさしぶり(30年以上経つ)の実験である。
前回の記憶は、けっこう曖昧になっているけれど、
なんとなくの感触は、まだ残っていた。

けれど、今回の音の違いは、あのころよりも大きかったように感じた。
スピーカーもアンプも、なにもかもが違うわけだが、
それにしても、こんなに違うのか、と、私だけでなく、
いっしょに聴いていた人も、そう感じていた。

池田圭氏は、
《たとえば、テレコ・アンプのライン出力がCR結合アウトの場合、そこへ試みにLをパラってみると、よく判る。ただ、それだけのことで音は落着き、プロ用のテレコの悠揚迫らざる音になる》
と書かれている。

昔も、そう感じた。
今回も、まったく同じであるのだが、その違いが大きくなっているように感じた。

児玉麻里/ケント・ナガノによるベートーヴェンのピアノ協奏曲第一番(SACD)で、
ケーブルの比較を行った。

A8713の一次側側巻線が並列に接続されると、
ピアノのスケールが違ってくる。

並列にした音を聴いてから、ない音を聴くと、
ピアノがグランドピアノが、どこかアップライト的になってしまう。
オーケストラもピラミッド型のバランスの、下のほうが消えてしまったかのようにも聴こえる。

もう一度、巻線を並列に接続した音に戻すと、悠揚迫らざる音とは、
こういう音のことをいうんだ、と誰かにいいたくなるほどだ。

Date: 9月 3rd, 2020
Cate: トランス, フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その3)

その2)で書いていることを、昨晩のaudio wednesdayで試した。

使ったトランスは、タムラのA8713だ。
一次側が20kΩ、二次側が600Ωのライン出力用トランスである。
手に入れたのは30年ほど前のこと。

(その2)か、池田圭氏の「盤塵集」のどちらを読んでほしいのだが、
A8713の一次側の巻線のみを使う。

ラインケーブルに並列に、一次側の巻線が接続されるだけである。
二次側の巻線は使わない。
一般的なトランスの使い方からすれば変則的である。

ようするにCDプレーヤー(もしくはD/Aコンバーター)の出力に、
A8713の一次側の巻線が負荷として接続された状態である。

これならばトランス嫌いの人でも、手持ちのトランスがあれば実験してみようと思うかもしれない。
CDプレーヤーの出力にトランスといっても、
CDプレーヤーが登場してしばらく経ったころに、
ライントランスを介在させると、CDプレーヤーの音が改善される──、
そんなことがいわれるようになったし、メーカーからもいくつか製品として登場した。

いくつか試してことはあるし、
SUMOのThe Goldを使っていた関係で、
TRIADのトランスを使ってバランスに変換して、
The Goldのバランス入力へ、という使い方はやっていたが、
CDプレーヤーの出力に、安易にトランスを介在させるのは、決して絶対的なことではない。

けれと
池田圭氏の使い方は、上記しているように、ちょっと違う。
今回はA8713の一次側は20kΩのまま使った。

一次側、二次側とも巻線は二組あるから、結線を変えれば、インピーダンスは低くなる。
同時にコイルの直流抵抗も小さくなる。

今回のようなトランスの使い方では、
コイルの直流抵抗の低さが、かなり重要になるような気がしてならない。

できればインダクタンス値が高くて、直流抵抗が小さい、
そんなトランスがあればいい。

Date: 6月 26th, 2020
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(次なるステップは・その8)

598戦争時代の一本59,800円のスピーカーシステムは、
著しくアンバランスな製品だった。

この価格帯のスピーカーがターゲットとしている購買層が、
とうていきちんと鳴らせるスピーカーではない、と言い切れるほどだった。

ユーザー宅で鳴っている598のスピーカーの音を聴いたことは一度もない。
それでも、そう言い切れるほど、
ステレオサウンドの試聴室で、国内各社の598のスピーカーシステムはすべて聴いている。

同価格のプリメインアンプとCDプレーヤーの組合せ、
それに598のスピーカーを買うであろう若い人の使いこなしの力量で、
低音をうまく響かせることができた人がいるだろうか。

よほど幸運にめぐまれないかぎり、
低音のほんとうの魅力を知ることなくオーディオをやることにつながっていったはずだ。

それに、いまでもいわれていることだが、
スピーカーの高さはトゥイーターを耳の位置に合わせるのが基準になっているが、
実際に音を聴けばすぐにわかることだが、
当時の598のスピーカーシステムのユニット構成、クロスオーバー周波数の設定などからいえるのは、
比較的バランスがよくポイントは、トゥイーターの位置どころか、ずっと低いところにある。

ウーファーとスコーカーの中間あたりに耳をもってくれば、
けっこうバランスはよくなる。

つまり、当時の標準的な高さのスタンドにのせて598のスピーカーを鳴らすのであれば、
聴き手は床に直に座ったくらいでも、場合によっては耳の位置が高いことになる。

椅子に座って聴くから、といって、
それではスタンドにもっと高いモノをもってきてスピーカーをさらに持ちあげる──、
このやりかたは、おすすめしない。

まず当時は、そんな高さのスタンドはほとんどなかったはずだ。
しかも598のスピーカーは物量を投入しすぎて、重量は重く、
しかもフロント側がやたら重いというアンバランスさもあって、
想像以上にしっかりしたスタンドを用意しなければ、アンバランスな音はさらにひどくなる。

このことについては、どこまでも書いていけるけれど、ここではこのへんにしておく。
とにかく598のスピーカーで、豊かな低音を鳴らしていた人は、ほとんどいないと思っている。
ということは、598のスピーカーで聴いていた人たちは、
あの帯域バランスが基準となっていった可能性も考えられる。

Date: 6月 22nd, 2020
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(次なるステップは・その7)

日本人のオーディオマニアのなかには、
低音に関して臆病な人が少なからずいるように感じている、と以前書いた。

そこへfacebookでのコメントには、
西洋人と東洋人(日本人)とでは、低音への感じ方が民俗的に違うのではないだろうか、
そんなことが書いてあった。

たとえば虫の音。
西洋人には、単なるノイズとしか聞こえないのに、
日本人に秋の虫の音をそんなふうには受け取っていない。

この感じ方の違いは、かなり以前から指摘されていることであり、
確か虫の音を聞いている時の脳の活動をみると、
西洋人と日本人とでは違いがある、とのこと。

ところが低音に関しては、そうではないことをずっと以前に読んでいる。
1980年代の終りごろに読んでいる。

記憶がかなり曖昧なのだが、100Hz以下の低音は、
身の危険を感じさせる音ということで、
西洋人も日本人も、脳の同じ部位で感じとっている。

身の危険、つまり死に関係してくることで、
本能的ということで右脳で感知している、ということだった。

ここが虫の音と低音とでは、違ってくる。
そうなってくると、オーディオにおいて低音に臆病な人が、
日本人に多いと感じるのは、環境からくることなのか。
それとも、別の何かが関係してくるのだろうか。

もしかすると、1980年代の598戦争が関係しているのかもしれない──、
そんな考えが浮かんでくる。

Date: 5月 13th, 2020
Cate: トランス, フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その2)

池田圭氏の「盤塵集」に、こんなことが書いてある。
     *
このところ、アンプの方ではCR結合回路の全盛時代である。結合トランスとかリアクター・チョークなどは、振り返っても見られなくなった。けれども、測定上の周波数特性とかひずみ率などの問題よりも音の味を大切にする者にとっては、Lの魅力は絶大である。
 たとえば、テレコ・アンプのライン出力がCR結合アウトの場合、そこへ試みにLをパラってみると、よく判る。ただ、それだけのことで音は落着き、プロ用のテレコの悠揚迫らざる音になる。
     *
ここではテープデッキの出力となっているが、
CDプレーヤー、チューナー、コントロールアンプの出力の場合もだ。

その出力にライントランスの一次側だけを並列に接続する。
二次側は開放のままである。

「盤塵集」を読んで数年後に試したことがある。
タムラのライントランスで、一次側が20kΩ、二次側が600Ωの仕様だった。

たしかに池田圭氏の書かれているとおりの音になる。
音の静けさも変化してくる。

タムラのトランスは、別のことに使うことになり、取り外したが、
また追試してみよう、とは思っている。

なぜ、そのように音は変化するのか。
トランスは一次側の巻線を信号経路に並列にするだけである。

あれこれ、その理由を考えた時期がある。
結局、これも直流域での抵抗が低さが効いているのではないだろうか。

一次側が20kΩだと、直流抵抗はそれほど低くはない。
それでもアンプのライン入力インピーダンスの一般的な値よりはずっと低くなる。

そういえば池田圭氏は、なるべく太い巻線のトランスのほうが、より効果的とも書かれていた。
つまりは直流抵抗がより低いトランスのほうが、ということでもある。

Date: 5月 7th, 2020
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(次なるステップは・その6)

その3)で書いたことと深く関係することを、書いておく。

熊本のオーディオ店で、瀬川先生がきかせてくれたKEFのModel 105でのバルバラの口の小ささは、
いまでもはっきりと思い出せるほどにリアルで見事だった。

けれどくり返すが、そこにバルバラの肉体を感じとることはできなかった。
このことと関係してくるのが、その口の位置である。

もちろん左右のスピーカーの中央に、ぴしっと定位している。
けれど、その口の位置がどうにも低いのだ。

バルバラの身長を知らない。
けれど、そこで歌っているバルバラの身長は、小学生くらいにしか思えなかった。

Model 105はフロアー型とはいえ、それほど大型でもないし、背の高いスピーカーでもない。
けれど、バルバラの口の位置の低さは、そういうことだけで決定されることではない。

たとえば、これがLS3/5Aを手を伸ばせば届くぐらいの位置において、
ひっそりと聴くのであれば、口が小さくて、その位置が低くてもまったく気にならない。

けれどModel 105クラスのスピーカーとなると、もうそういう聴き方をしなくなる。
そうなると口の位置の低さは、気になってくる。
ましてリアルにバルバラの口が再現されているだけに、
そして肉体を感じさせないだけに、よけいに不気味でもある。

理想は、Model 105並に口が小さくて、
しかもバルバラの肉体が感じられ、さらには口の位置が実際のバルバラと同じであること。

けれど、そう簡単に実現できるわけではなく、そこには優先順位がある。
私はまず肉体を感じたい、けれどその肉体のデッサンが狂っていては、絶対にイヤだ。

口はあるべき位置になければならない。
そのうえで口を小さくしていきたい──、
そういう優先順位をもっている。

口が大きくなるくらいならば、低音はいらない。
それも優先順位ゆえのこととわかっていても、
そういう口の小ささは、往々にして低い位置にありがちだ。

Date: 5月 4th, 2020
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その1)

フルレンジユニットと真空管アンプとの相性はいいのか。

ステレオサウンド別冊のHIGH TECHNIC SERIESのフルレンジ特集号では、
通常の試聴記事の他に、アルテックの755E、シーメンスのCoaxial、フィリップスのAD12100/M8を、
マランツの510MとマッキントッシュのMC275で鳴らす、という記事があった。

トランジスターか真空管か。
それ以前の違いとして、いくつもの要素が存在しているわけだから、
単純に真空管のパワーアンプとの相性がいい、とは誰にも断言できないことなのだが、
それでも試聴記(岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹の鼎談)を読めば、
魅力的な音を聴かせてくれたのは、MC275のほうだったことが、
こちら側にも伝わってくる。

三つのユニットとも、その時点でも現代的なフルレンジユニットはいい難い。
それゆえにMC275、真空管との相性がよかったのではないか、という推測もできなくはない。

それでも現代のフルレンジユニットであっても、
真空管のほうがうまく鳴らしてくれる面はある。

ここでいう真空管のパワーアンプとは、出力トランスを背負っているアンプである。
世の中には、信号系にトランスが介在することを極端に嫌う人がいる。
わからないわけではないが、トランスにはトランスのよさがある。

別項で書いているところだが、ダンピングファクターをやたら気にする人がいる。
そういう人のなかには、トランス付きの真空管アンプは……、となろう。

どうやって出力トランス付きのパワーアンプでは、
出力インピーダンスを極端に低くすることはできない。
ダンピングファクターをを高くすることはできない。

けれど、である。
出力トランスの場合、二次側の巻線が、
スピーカーユニットのプラスとマイナスの端子を直流的にはショートしているのと等価だ。

もちろん巻線にも直流抵抗があり、スピーカーケーブルにもある。
なので完全な0Ωでショートしていることにはならないが、
それでも出力トランスの二次側の直流抵抗とスピーカーケーブルの直流抵抗を足しても、
さほど高い値にはならない。

フルレンジユニットであれば、
パワーアンプとユニット間にLCネットワークはない。
だからこそ、この出力トランスによる直流域におけるショート状態が活きる。

Date: 5月 2nd, 2020
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(次なるステップは・その5)

フルレンジ型ユニットからスタートして、次のステップとして、
トゥイーターを選択するのか、ウーファーを選択するのか。

既製品のスピーカーにしか関心のない人にとってはどうでもいいことだろう。
けれど10代のころ、JBLの4343が憧れのスピーカーだったし、
4343は4ウェイのスピーカーシステムだった。

そして同じころ、ステレオサウンドからマルチアンプの別冊が登場した。
巻頭は瀬川先生が担当されていた。

そこにフルレンジからスタートして、
最終的に4ウェイにまでステップアップしていく内容があった。

いつかは4343と……、そう思い続けていた私にとって、
フルレンジから4ウェイまでの過程は、いくつかの意味でひじょうに興味深いものだった。

瀬川先生のプランは、フルレンジからスタートし、次のステップとしてはトゥイーターの追加だった。
いまでこそ、こういうことを書いているが、当時はフルレンジ、
次はトゥイーターをつけての2ウェイ、それからウーファーを足して3ウェイ、
最後にミッドハイで、最終的に4ウェイを目指す──、だった。

経済的なことを考慮すると、
フルレンジからの次のステップはトゥイーターが、助かる。

フルレンジ一発のスタートは、ユニットの価格にしても、
エンクロージュアの大きさ、自作の大変さも、
ウーファーよりもずっと負担は少ない。

トゥイーターに関しては、エンクロージュアのことは当面考えずにすむ。
ウーファーはそうはいかない。

本格的な低音を目指して、となると、ユニット、エンクロージュアにかかる予算は、
学生にはかなりの負担ともいえる。

その意味ではトゥイーターというのは理解できる。
それでも、ここまでオーディオをやってくると、考えも変ってくる。

Date: 4月 30th, 2020
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(次なるステップは……・その4)

スレッショルド、PASS LABの創業者であるネルソン・パス。
パスのスピーカー遍歴は興味深い。

いまパスが使っているスピーカーは、
Cube Audioのフルレンジユニットを使ったシステムである。

どのくらいになるのかまでは正確に憶えていないが、
パスはフルレンジユニットを中心としたシステムを、けっこう長くやっている。

今回のシステムにしても、
フルレンジを取り付けている平面バッフルの底部には、
エミネント(だったと思う)のウーファーが床に向けて足されている。

以前はフルレンジ+スロットローディングの低域というシステムだった。
とにかくフルレンジユニットの低域を増強する方向である。

そういえばBOSEもそうだった。
501という小型のシステムがあった。

小口径のフルレンジユニットを、キューブ状のエンクロージュアにおさめ、
二段重ねにし、センターウーファーを加えたシステムだった。

フルレンジがけっこう小口径で高域がそこそこ再生可能だったから──、
という見方もできるが、それでもウーファーを足している点に注目したい。

日本のメーカーならば、トゥイーターを先に足すのではないだろうか。
日本のオーディオマニアも、少なからぬ人が、
フルレンジで始めて、次のステップとしてはトゥイーターであろう。

トゥイーターを先に足せば、繊細感は増す。
けれど、そのことで、歌手の肉体の再現が増すかといえば、そんなことはない。

人によって優先順位は違う。
フルレンジに、ウーファーよりも先にトゥイーターを、という人は、
私とは優先順位が違うだけなのだろう……、と理解はできなくはないが、
それでも歌手の肉体の復活を最優先してこその、オーディオならではの愉悦ではないのか。

Date: 4月 17th, 2020
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(その20)

今年1月に、メールをもらっていた。
グッドマンのAXIOM 22 mkIIを、
平面バッフルに取り付けて鳴らされているKさんとうい方からだった。

メールのタイトルには、
「疑似平面バッフル+後面開放箱」仕様のAXIOM22について、とあった。

AXIOM22を最初はバスレフ型エンクロージュアに入れて鳴らされていた。
その後の試行錯誤の末、
エンクロージュアは後面開放型になり、
さらにエンクロージュアのフロントバッフルを延長するかたちで、
サーロジックの音響パネル(高さ180cm)を左右にとりつけられている。

エンクロージュアの上部には平面のバッフルが設けられていて、
そこにトゥイーターが取り付けられている。

QRDの拡散型音響パネルを、裏表反対に平面バッフルに使ってみたい──、
そんなことをQRDが登場したころから考えていた。

考えていただけで、九年前にもそのことを書いていながらも、
実行には移していない。

でも同じようなことを考える人は世の中に何人かいるわけで、
Kさんはサーロジックの音響パネルという違いはあるし、
裏表の使い方も反対なのだが、考え方としては同じといえる。

マンガーのユニットを平面バッフルに取り付けて、三段スタック。
ここでの平面バッフルは、QRDの拡散型パネルと同様の音響パネル、
どちらを表にするのかは、実際に試してみないことにはなんともいえないが、
おもしろいモノになりそうな感じがしてきている。

Date: 4月 16th, 2020
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(その19)

フルレンジユニットを三本といえば、
シーメンスのWide Angleもそうである。

縦一列にコアキシャルユニットを三本、と一見するとそうなのだが、
それぞれにわずかに角度をつけてとりつけてある。

そして、もうひとつフルレンジユニット三本という発想の元になっているのは、
私の場合、長島先生がスイングジャーナル別冊「モダン・ジャズ読本 ’77」での組合せ、
QUADのESLの三段スタックも、確実にそうである。

この音は、いまでも聴いてみたい、と思う。
長島先生に直接訊いたこともある。
「あれはすごかった」と、数年経ってからでも、やや興奮気味に語られていたくらいだ。

ESlを縦にまっすぐに三段スタックしているのではなく、
上下のESLが「く」の字になるようにスタックされている。

三枚のESLの中心が、聴き手の耳に等距離になるように角度をつけてのスタックである。
詳しいことは「モダン・ジャズ読本 ’77」を参照してほしい。
図面も掲載されている。

ESLの三段スタック。
これを思い出していると、フルレンジ三本に関しても、別の配置を考えつく。
ESLの三段スタックと同じ配置である。

しかも、この三段スタックは、小口径のフルレンジユニットではなく、
中口径のフルレンジユニット、もっと具体的にいえばマンガーのユニットを使ってみたい。

ベンディングウェーヴのマンガーのユニットを、
それぞれ中程度の大きさの平面バッフルに取り付けて、
それをESLの三段スタックのように角度をつけて重ねていく。

マンガーのユニットは、構造上背圧をかけて鳴らすユニットではない。
最初マンガーのユニットの存在を知った時は、Wide Angle的な構想を考えていた。

それもいいと思うが、ESLの三段スタック的構想がおもしろく感じている。

Date: 3月 28th, 2020
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(次なるステップは……・その3)

よくできたフルレンジユニット、
それも小口径のフルレンジユニットで、
ヴォーカルものを鳴らすと、いわゆる口の小さな再生が得られやすい。

ヴォーカルの再生において、その口が小さいことは、
よい音への絶対条件のように、昔からいわれ続けてきている。

カバの口みたいに大きさ──、
こういわれたら、ひどい音ということでもある。

高校生のころ、瀬川先生が鳴らしてくれたKEFの105の音は、
見事に口が小さかった。

女性ヴォーカルを、とにかくいい音で聴きたい──、
ということを瀬川先生にいったところ、
そのオーディオ店にあった105を、手際よく調整され「ここで聴いてごらん」といわれた。

バルバラのレコードだった。
バルバラの口が、左右のスピーカーの中央に、ぴたっと定位していた。
薄気味悪いほどで、唇の動きまでわかる、といいたくなるほどだった。

口の小さな再生は、確かに魅力的である。
この105の話は、これまでも何度か書いてきているが、
あえて書かなかったことがある。

それはバルバラの口が、そこに浮んでいた、ということである。
表現をかえれば、バルバラの肉体は、そこには感じられなかった。

おそろしくリアルな口だけが、何もない空間にあらわれて歌っている。
これは、オーディオ再生のひとつの快感ともいえよう。

このことにあえて触れなかったのは、
オーディオ店での、わずか数分の調整での音であるからだ。

「ヴォーカルの口が大きくなるくらいなら、低音はいらない」、
こう言った人がいる。

その人の気持はわからないわけではない。
それでも、低音がすぱっとあきらめてしまったら、
歌手の肉体は再現され難い。

Date: 3月 26th, 2020
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(次なるステップは……・その3)

日本のオーディオマニアは、低音に臆病な人が少なくない、と書いたけれど、
以前からそうだったわけではないことは、
モノーラルの時代からコンクリートホーンに挑戦する人が、
ラジオ技術や無線と実験に、あたりまえのように登場していた。

それからスピーカー自作のムックにも、
コンクリートホーンの人は登場していた。

コンクリートホーンが、低音再生の理想の方法とは思っていないが、
それでもコンクリートホーンは、低音再生の、一つの行き着いた形態であることは確かだ。

コンクリートホーンをハンマーで敲き毀された五味先生ですら、
コンクリートホーンの低音について、こんなことを書かれている。
     *
 どちらかといえばオルガン曲のレコードを私はあまり好まない。レシ鍵盤の音はうまく鳴ってくれるが、グラントルグ鍵盤のあの低域の音量を再生するには、それこそコンクリート・ホーンを俟たねばならずコンクリート・ホーンに今や私は憤りをおぼえる人間だからである。自分でコンクリート・ホーンを造った上で怒るのである。オルガンは、ついにコンクリート・ホーンのよさにかなわない、というそのことに。
 とはいえ、これは事実なので、コンクリート・ホーンから響いてくるオルガンのたっぷりした、風の吹きぬけるような抵抗感や共振のまったくない、澄みとおった音色は、こたえられんものである。私の聴いていたのは無論モノーラル時代だが、ヘンデルのオルガン協奏曲全集をくり返し聴き、伸びやかなその低音にうっとりする快感は格別なものだった。
     *
いまの若い世代の人に、コンクリートホーンといっても、どれだけ伝わるのだろうか。
いまコンクリートホーンに挑戦する人は、どれだけいるのだろうか。

もう二十年ほど前になるが、輸入住宅メーカー、スウェーデンハウスのショールームに、
コンクリートホーンの写真が飾られていたことがある。

コンクリートホーンに憧れ、果敢に挑戦する人たちがいた。
いまもきっといるはずだし、
日本のオーディオマニアの多くが、低音に臆病なわけではない。

なのに、いつのころからか、低音に臆病になってきた人たちが増えてきたのだろうか。

Date: 3月 25th, 2020
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(次なるステップは……・その2)

このあいだの日曜日、写真家の野上眞宏さんの写真展「ON THE ROAD」に行ってきた。
ギャラリーに着いたとき、入口のところに男性二人が雑談をしていた。

スピーカーについてのことだった。
「ON THE ROAD」には、野上さんのシステムが持ち込まれていた。
SICAのフルレンジユニットの自作スピーカー、メリディアンの218などである。

雑談の二人は、フルレンジユニットの次のステップについて話していた。
「トゥイーターをつけるのはいいけれどね……」
「そうそう、ウーファーをつけたら泥沼だよね」
「ほんとそうだね」

そんな会話だった。

この人たちのオーディオのキャリアがどのくらいなのかは知らない。
でも、そんなことは関係なく、
日本では低音に関して、こういう認識の人たちが、やはりいるということを再確認できた。

ずっと以前から「質の悪い低音ならないほうがいい」とか
「低音を出して苦労するよりも……」とかいう人はいたし、知っている。

日本ではスーパーウーファーがあまり売れない、と聞いている。
スーパートゥイーターはそこそこ売れるのに、
オーディオの醍醐味といえる低音再生のためのスーパーウーファーは芳しくないようで、
あるオーディオ店ではスーパーウーファーの買い取りは行っていない、らしい。

なぜか日本のオーディオマニアは、低音再生に臆病なところがあるようだ。
もちろん日本のオーディオマニアのすべてがそうなのではないことはわかっているが、
それにしても……、といいたくなるのは、
低音に臆病な人が少なくないからだ。

ちなみに野上さんは自宅ではエンテックのウーファーを使われている。