Archive for category Mark Levinson

Date: 2月 14th, 2014
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(serial No.1001・その2)

マークレビンソンの本をつくることになったら、
それからハイエンドオーディオについての本をつくることになったら、
なにがなんでもLNP2のシリアルナンバー1001そのものを取材することになる。

マークレビンソンの本をつくるのに、シリアルナンバー1001のLNP2についての記事がなければ、
あえてつくる意味があるのだろうか、とも私は思う。

シリアルナンバー1001のLNP2がアメリカにある、というのならば、
もしくは所在がわからないというのであれば、
諦めざるをえないわけだが、シリアルナンバー1001のLNP2は日本にある。

なぜ日本にあるのか。
ステレオサウンドを以前から読まれている方ならばご存知である。

シリアルナンバー1001のLNP2は、マーク・レヴィンソンから、
日本の輸入元であったR.F.エンタープライゼスの社長・中西康雄氏に、
感謝の意を込めて贈られているからだ。

LNP2がどれだけつくられたのかは、シリアルナンバーからおおよその数字はわかる。
ステレオサウンド 68号掲載の岡先生による「LNP-2 Story」には、
シリアルナンバー2667のLNP2が撮影されている。

フォノイコライザーにローノイズタイプのLD3モジュールが搭載されている仕様のLNP2であり、
この2667のLNP2は、ほぼ最終モデルであるから、
シリアルナンバーが1001から始まっているわけで、1000番はいわゆる捨て番であり、
1600台以上のLNP2が作られたことになる。

このうちの半数は、日本に輸入されたのではないか、と思っている。
根拠はなにもないし、その手の資料もないから、単なる私の推測でしかないけれど、
1970年代後半から1980年代前半のステレオサウンドをはじめとするオーディオ雑誌の、
ユーザー訪問記事では、LNP2がかなりの頻度で登場していた。

Date: 2月 11th, 2014
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(serial No.1001・その1)

ハイエンドオーディオと呼ばれている流れは、
良くも悪くもマークレビンソンのLNP2から始まった、といっていいと思う。

LNP2(Low Noise Pre-Amplifier)は1973年に登場した。
最初の10台のLNP2には、バウエン製モジュールUM201が搭載され、
それ以降はマークレビンソン製のモジュールLD2が搭載されるようになった。

けれど実際には36台のLNP2までは正式にバウエン製モジュールが搭載されている。
しかも、ここがいかにもアメリカらしいのだが、
それ以降も正規輸入品(つまりRFエンタープライゼスが輸入したモノ)でも、
天板をとってみると、LD2ではなくUM201が搭載されていたLNP2があることも確認されている。

どうも最初の80台くらいまでは、ときどきバウエン製モジュールがはいっている。

LNP2のシリアルナンバーは1001から始まっている。
つまりLNP2からハイエンドオーディオの流れが始まった、とみれば、
シリアルナンバー1001のLNP2から始まった、ともいえよう。

そのシリアルナンバー1001のLNP2は、アメリカにではなく日本にある。
今日、そのシリアルナンバー1001のLNP2を聴いてきた。

Date: 1月 16th, 2014
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(その7)

飛びきりの音を聴かせるアンプという評価があって、
しかも飛びきり高価であるから、あちこちで聴けるというシロモノではなかった。

瀬川先生の評価は、特に高かった。

そういうLNP2だっただけに、ほんとうにまれにしか耳にすることはなかった。
ステレオサウンドで働くようになるまでにLNP2を聴いた時間はあわせて十数時間ぐらいだった。

だからよけいにLNP2に惹かれていったところもある。

ステレオサウンドの試聴室にはLNP2が常備してあった。
試聴室隣の倉庫にあるオーディオ機器は、メーカー、輸入商社からの借りているわけだが、
すべてがそうでもなかった。一分のオーディオ機器は購入したモノだった。
LNP2もそのひとつだから、ずっとそこにあった。

ステレオサウンドでは、初期のLNP2を購入し、リファレンス・コントロールアンプとして使っていた。
電源がPLS153になった時に、入出力端子がCAMAC(LEMO)コネクターの、いわゆるLNP2Lに変更されている。

じっくりと、そして自分でツマミに触れながら音を聴くことができたのは、
シリアルナンバー1614のLNP2である。

Date: 1月 14th, 2014
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(その6)

バウエン製モジュールがのったLNP2の音で、松田聖子のCDを聴いていて、
思い出していたことがある。

黒田先生がステレオサウンド 59号に書かれていることだ。
     *
すくなくともぼくがきいた範囲でいうと、これまでマーク・レヴィンソンのコントロールアンプのきかせた音は、適度にナルシスト的に感じられました。自分がいい声だとわかっていて、そのことを意識しているアナウンサーの声に感じる嫌味のようなものが、これまでのマーク・レヴィンソンのコントロールアンプのきかせる音にはあるように思われました。針小棒大ないい方をしたらそういうことになるということでしかないのですが。
 アメリカの歴史学者クリストファー・ラッシュによれば、現代はナルシシズムの時代だそうですから、そうなると、マーク・レヴィンソンのアンプは、まさに時代の産物ということになるのかもしれません。
 それはともかく、これまでのマーク・レヴィンソンのコントロールアンプをぼくがよそよそしく感じていたことは、きみもしっての通りです。
     *
黒田先生が指摘されているところが、LNP2、JC2、それにML6(シルバーパネル)にはある。
そこのところが黒田先生という聴き手にとっては、嫌味のように感じられ、
瀬川先生という聴き手にとっては、魅力的ということになる。

30年前、まだハタチだった私という聴き手にとって、LNP2のそういうところは魅力的であり、
それだけにバウエン製モジュール搭載のシリアルナンバー1010のLNP2が、
素っ気ない(少し誇張したいいかたなのだか)感じに、音楽を聴こえてしまっていた。

あのころはマークレビンソンのアンプの音に惚れ込んでいた。

Date: 1月 13th, 2014
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(その5)

そのCDは松田聖子のアルバムだった。
そういえば松田聖子をディスク(LP、CDどちらとも)で聴いたことはなかったなぁ、と思いながら、
まずLD2モジュール搭載のLNP2の音を聴いていた。
それからUM201モジュールに差し替えて、また松田聖子のCDを聴いた。

声の感じが違う。
どちらのモジュールがいい音か、ということよりも、
松田聖子は日本人の女性歌手なんだ、という、この当り前すぎることを、
バウエン製モジュールUM201のLNP2は、聴き手の私にそう意識させてくれた。

LD2モジュールのLNP2だと、そういう感じはしてこなかった。
松田聖子がスリムになっている感じもする。

松田聖子の歌を、自分のシステムだけでなく、
誰かのシステム、ステレオサウンドの試聴室でも聴いたことのない私には、
松田聖子とはテレビでみていたときのイメージしかないわけで、
それに近かったのはUM201モジュールのLNP2だった。

こう書いてしまうと、UM201のときの音はテレビ的だととられるかもしれない。
そうではなく、テレビでみていたときの松田聖子の顔、しぐさといったことが、
UM201のLNP2で聴いていると浮んでくる。

これは素直にいい、と思って聴いていた。
しかもLD2のLNP2のときには気づかなかった松田聖子の声の表情の変化も、うまく出してくれていた。

Date: 1月 13th, 2014
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(その4)

二台のLNP2(岡先生所有のモノとステレオサウンド試聴室常備のモノ)の試聴は、1983年のこと。
もう30年の前のことになる。

今回のモジュールの比較試聴は、30年前といくつかのところが異る。
まず個人のリスニングルーム。しかも初めて伺うところである。
それから複数台のLNP2の比較ではなく、ベースとなるLNP2は同じである。
そして、30年の分だけ私が歳をとっている。

最初にLD2モジュールでのLNP2の音を聴き、
それからバウエン製のUM201モジュールでのLNP2の音を聴いた。

その第一印象は、30年前ほどの差は感じられなかった、ということ。
違いはある。けれど、30年前ははっきりとLD2をとる、私にはバウエン製は不要だ、とまで言い切れたけれど、
今回はバウエン製モジュールもなかなかいいな、と思っていた。

ベースとなるLNP2が同じなのだから、30年前の比較試聴の結果とは違ってくるところもあることは予想していた。
けれど、電源を含めてベースが同じだと、
このベースが共通ということの音にしめる割合にも興味がわいてきた。

数枚のCDを聴いた。
私だけがCDを選んで聴いていたわけではなくて、
今回モジュールを持参してくれ人のかけるCDも聴いている。
それで30年前には気がつかなかった、意外な発見が私にはあった。

Date: 1月 13th, 2014
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(その3)

今回モジュールの比較試聴のために使ったLNP2はシリアルナンバーが1960番台である。
このLNP2のモジュールを差し替えての試聴だったことが、
ステレオサウンドでの、シリアルナンバー1010と1614との比較試聴との違いである。

LNP2は熱心なマニアは、シリアルナンバーをチェックする。
どの時期のLNP2を最上とするのかは、その人によって違ってくる。
事実、内部をいくつか比較しすれば、部品の変更や配線の仕方の違い、
プリント基板の使い方など、細部にいくつもの発見がある。

おそらくモジュールそのものも同じLD2であっても、
初期、中期、後期では音は違っていると考えてもいい。

シリアルナンバー1010と1614の比較ではモジュールの違い以外にも、こういった細かな違いがあった。
レベルコントロールのポテンショメーターにしても、
1010などの初期型はウォーターズ製の100kΩなのに対し、
1614などの中期型はスペクトロール製の35kΩ、最終型はスペクトロールの10kΩという違いがある。

つまり純粋にモジュールの違い(バウエン製とマークレビンソン製)の違いだけを聴いていたわけではない。
モジュールが取り付けられるベースとなるLNP2に少なからぬ違いがあり、
外付けの電源も大きく違っている。
それらを含めて、二台のLNP2を聴きくらべた時、
私はLD2搭載の、シリアルナンバー1614のLNP2の方がいいと感じていた。

Date: 1月 12th, 2014
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(その2)

ステレオサウンド 68号のLNP-2 Storyには四台のLNP2が登場している。
シリアルナンバー1001(RFエンタープライゼス社長・中西康雄氏所有)、
シリアルナンバー1010(岡先生所有)、
シリアルナンバー1614(ステレオサウンド試聴室常備)、
シリアルナンバー2667(日本に輸入された最後のLNP2)である。

1001と1010のLNP2はバウエン製モジュールが搭載されていて、
1614と2667はマークレビンソン製モジュールで、
1614は六つのモジュールすべてLD2だが、
2667ではフォノイコライザーのみローノイズ仕様のLD3に変更になっている。

それから1614のLNP2には、瀬川先生が何度か書かれているように、
音質上のメリットからオプションモジュール(LD2)を搭載している。

通常フォノ入力では三つのLD2を通過する。
オプションモジュールを追加すると四つのLD2を信号は通過するわけで、
鮮度重視の人にとっては、モジュールの追加・イコール・音質劣化ということになるわけだが、
追加するメリットもまたあるところが、このアンプをあえて使う面白さにつながっている。

外付けの電源は1001と1010についてきているのは、型番のないタイプで、
サイズものちのPLS150、PLS153よりもふたまわりほど小さい。

こういう大きな違いの他にも、内部を見ていくとさらに細かな違いがいくつもある。

私が試聴室で聴いたのは、1010と1614のLNPである。

Date: 1月 12th, 2014
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(その1)

二日前に誘いの電話があって、今日とあるオーディオマニアのお宅に伺っていた。
そこにはある人から借りているというマークレビンソンのLNP2があった。

シリアルナンバーは1960番台。
入出力端子はCAMAC(LEMO)になっているモノだ。
このLNP2には、マークレビンソン製のモジュールLD2が入っている。

今日は、このLNP2にはバウエン製のモジュールUM201を差し替えて、比較試聴をやってみよう、ということだった。

LD2かUM201か。
その評価は人によって違う。

絶対にバウエン製(UM201)でなければ、という人も少なくない一方で、
私のようにLD2を選ぶ人もいる。

UM201とLD2を聴き比べした人はそう多くはないはず。

私が最初に聴くことができたUM201搭載のLNP2は、岡先生所有のLNP2だった。
ステレオサウンド 68号掲載のLNP2の記事のために岡先生からお借りしたLNP2を、
ステレオサウンドの試聴室で、ステレオサウンドに常備してあったLNP2Lとの比較でだった。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その52)

五味先生がサンフランシスコを旅行された折、
オーディオ専門店に行かれた時のことを「いい音いい音楽」(読売新聞社刊)の中で書かれている。
     *
 なるほどこちらの食指の動くようなものはぜんぜん置いてない。それはいいとして、心外だったのはマークレビンソンのアンプや、デバイダー(ネットワーク)を置いてないどころか、買いたいが取り寄せてもらえるか、といったら、日本人旅行者には売れない、と店主の答えたことである。なんでも、マークレビンソン社から通達があって、アンプの需要が日本で圧倒的に多いので、製品が間に合わない。米国内の需要にすら応じかねる有様だから、小売店から注文があってもいつ発送できるか、予定がたたぬくらいなので、国内(アメリカ人)の需要を優先させる意味からも日本人旅行者には売らないようにしてくれ、そういってきている、というのである。旅行者に安く買われたのではたまらない、そんな意図もあるのかと思うが、聞いて腹が立ってきた。いやらしい商売をするものだ。マークレビンソンという男、もう少し純粋なオーディオ技術者かと考えていたが、右の店主の言葉が本当なら、オーディオ道も地に墜ちたといわねばならない。少なくとも以後、二度とマークレビンソンのアンプを褒めることを私はしないつもりだ。
     *
この文章を読んだ時、マーク・レヴィンソンには、やはりそういう面があるのかと思っていた。
この項の(その50)で引用した瀬川先生の文章にも
「近ごろ少し経営者ふうになってきてしまったが」とある。

経営者としての才がなければ、どんなにいいアンプをつくり出せたとしても成功はしないだろう。
経営者としてのマーク・レヴィンソンがいたからこそ、
マークレビンソンというブランドは成功したともいえる。

けれど、岡先生の文章を読んだ後で、
五味先生の文章を思い出し、
さらに瀬川先生の文章を思い出すと、
それだけでなくステレオサウンドで働くようになって耳にするようになったレヴィンソンに関する、
いくつかのハナシから思うに、
どうもマーク・レヴィンソンは、後から経営者ふうになってきたというよりも、
最初からそうであったようにしか思えないのである。

それでも優れた(まともな)経営者ならば、
シュリロ貿易にサンプル機を送った直後に、
RFエンタープライゼスと契約するようなことはしない。

会社を興したばかりで焦りはあった、と思う。
けれど、商いの理に反するようなことを平気でやってしまう、
その感覚に、そして五味先生の書かれていることが事実だとすれば、
経営者としてよりも、商売人としての「顔」を、私は強く感じてしまう。

マーク・レヴィンソンが狂わなかったのは、
そういう男だったから、というのが、大きな理由のひとつである。

では、なぜ、日本にデビュー直後のマーク・レヴィンソンと会って、
精神科の権威のオーディオマニアの人が、
「あの男、このまま行ったら、いつか発狂して自殺しかねませんな」と口にされたのか。

むしろ、こちらの「なぜ?」を考えてみるべきである。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その51)

1992年、中央公論社から別冊 暮しの設計 20号として「オーディオ〜ヴィジュアルへの誘い」が出た。
岡先生と菅野先生が監修されている本だ。

この本に岡先生が書かれている。
     *
 1974年に、とてつもない体験をすることになった。
 1973年暮れにとどいたアメリカのオーディオ専門誌に、従来の常識を破るような新しいデヴァイスを使った斬新な設計と見事なコンストラクションのプリ・アンプについてのテスト・リポートが載っていた。測定データも立派なものだったが、一番びっくりしたのは、値段だった。当時の最高級のプリ・アンプが600〜700ドルぐらいだったのが、これは何と1750ドルである。メーカーは初めて聞く名前。どこかでサンプル入荷したらぜひ聴いてみたいと思っていたら、知り合いのインポーターが、あまり高価なので、サンプルを1台注文。それを聴いたうえで正式契約をしたいとのことで、そのときはまっさきに聴かせてほしいとたのんだ。1974年3月末に、そのサンプル機がついた。音は今まで聴いたことのないようなキャラクターで少々戸惑ったけれど、S/Nがべらぼうによく(つまり静かだということ)、操作性が抜群によいことが印象に残った。ところが、このサンプル機が到着したころ、別なインポーターがメーカーと正式な輸入契約を結んでしまっていたので、サンプルを取った会社は商品として店に出すわけにいかなくなってしまった。
     *
この後も岡先生の文章は続き、
このアンプがどのメーカーの、どのアンプなのかについて書かれている。
あえて書くまでもないのだが、このサンプル機はマークレビンソンのLNP2である。

最初にサンプルを取り寄せたインポーターはシュリロ貿易だった。

岡先生がバウエン・モジュール搭載の、このサンプル機のLNP2を自家用として導入されたことについては、
これまでも何度か書かれていたから知ってはいたけれど、
このときの事情を、ここまで書かれたことはなかった。

この岡先生の文章を読んで、まず感じたのは、
マーク・レヴィンソンの商売人として「顔」である。

Date: 8月 17th, 2013
Cate: Mark Levinson

「スティーブ・ジョブズ」という本

いま書店にヤマザキマリ氏の「スティーブ・ジョブズ」が一巻が並んでいる。

今年は映画も公開されている。

ジョブズが亡くなって約二年。
前から思っていたことだが、
なぜマーク・レヴィンソンは、スティーブ・ジョブズになれなかったのか、ということがある。

どちらも自宅のガレージを改造した場所からスタートしている。
レヴィンソンはオーディオ、ジョブズはコンピューターというジャンルの違いはあるが、
どちらもエレクトロニクスの分野という共通項があるし、
さらにふたりともエンジニアではないが、周りに優秀なエンジニアがいたところも共通している。

年齢的にもふたりは近い。
会社創立もそれほど離れていない。
場所はアメリカの東海岸と西海岸と離れてはいるけれども。

レヴィンソンがジョブズになれなかったのは、
オーディオという、それも高級オーディオという狭い世界を相手にしていたということも理由としては大きい。
それでも、レヴィンソンがジョブズになれなかったのは、決してそれだけではなかった、と思う。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その50)

「あの男、このまま行ったら、いつか発狂して自殺しかねませんな」
 2年前、最初に日本を訪れたマーク・レヴィンソンに会った後の、N先生の感想がこれだった。N氏は精神科の権威で、オーディオの愛好家でもある。
 じっさい、初めて来日したころのレヴィンソンは、細ぶちの眼鏡の奥のいかにも神経質そうな瞳で、こちらの何気ない質問にも一言一言注意深く言葉を探しながら少しどもって答える態度が、どこかおどおどした感じを与える、アメリカ人にしては小柄のやせた男だった。
     *
ステレオ誌の別冊「あなたのステレオ設計 ’77」に掲載された、
瀬川先生の「アンプの名器はイニシャルMで始まる」は、この書出しからはじまっている。

1981年、ステレオサウンドの別冊「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」に巻頭に載っている、
「いま、いい音のアンプがほしい」のなかでも、このことについて書かれている。
     *
そのことは、あとになってレヴィンソンに会って、話を聞いて、納得した。彼はマランツに心酔し、マランツを越えるアンプを作りたかったと語った。その彼は若く、当時はとても純粋だった(近ごろ少し経営者ふうになってきてしまったが)。レヴィンソンが、初めて来日した折に彼に会ったM氏という精神科の医師が、このままで行くと彼は発狂しかねない人間だ、と私に語ったことが印象に残っている。たしかにその当時のレヴィンソンは、音に狂い、アンプ作りに狂い、そうした狂気に近い鋭敏な感覚のみが嗅ぎ分け、聴き分け、そして仕上げたという感じが、LNP2からも聴きとれた。そういう感じがまた私には魅力として聴こえたのにちがいない。
     *
精神科の医師が、N氏なのかM氏なのか、
どちらかが誤植なのだろうが、マーク・レヴィンソンは発狂しなかったし、
だから自殺もしなかった。

仮にそうなっていたら、彼は「伝説」になっていたかもしれない。
マーク・レヴィンソン、その人について語るときに、
「伝説の」とつける人が、いる。
「伝説」の定義が、ずいぶん人によって違うんだなぁ、と思う……。

とにかくマーク・レヴィンソンは、いまも健在である。
それは発狂しなかった、からであろう。

なぜ、レヴィンソンは発狂しなかったのか。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その49)

マーク・レヴィンソンがトム・コランジェロと肩をくんでいる写真がある。
レヴィンソンがチェロを興したときの写真であり、
ステレオサウンド 74号のレヴィンソンのインタヴュー記事の中でも使われている。

この写真が、マーク・レヴィンソンとトム・コランジェロの関係をよく表していて、
その関係性があっての、ML3、ML7以降のマークレビンソンのアンプの音である、と私は思っている。

こういうふうに肩をくめる相手との協同作業によって生れてくるアンプが出す音と、
絶対にそういう関係にはならないであろうふたりによって生み出されたアンプが出す音とは、
はっきりと違うものになってくるはずである。

ジョン・カールにインタヴューしたときの、
彼の話しぶりからすると、マーク・レヴィンソンに対する彼の感情は、
コランジェロのように、レヴィンソンと親しく肩をくめる関係にはないことは伝わってきた。

MC型カートリッジのヘッドアンプJC1以外、
マークレビンソンのアンプの型番から”JC”を消してしまったレヴィンソンもまた、
ジョン・カールに対しては、コランジェロに対する感情とはそうとうに違っているように思える。

そういうふたりの関係が、初期のマークレビンソンのアンプの音に息づいている。
だからこそ、私は、この時代のマークレビンソンのアンプの音に、いま惹かれる。

アンプそのものの性能(物理特性だけでなく音質を含めての意味)では、
初期のマークレビンソンのアンプが、当時どれだけ高性能であったとしても、
いまではもう高性能とは呼べない面も見えてしまっている。

それでも、なおこの時代のマークレビンソンの音に魅了されているのは私だけではなく、
世の中には少なくない人たちが魅了されている。

この時代のマークレビンソンのアンプとは、
マーク・レヴィンソンとジョン・カールという、決して混じわることのない血から生れてきた、
と、いまの私はそう捉えている。

つまり、ふたつ(ふたり)の”strange blood”が互いを挑発し合った結果ゆえの音、
もっといえばマーク・レヴィンソンの才能がジョン・カールという才能に挑発されて生れてきた音、
だからこそ、過剰さ・過敏さ・過激さ、といったものを感じることができる。

私は、いまそう解釈している。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その48)

マークレビンソンのアンプについては、3つに分けられると考えている。
ひとつめは、ジョン・カールとマーク・レヴィンソンによる時代。
その前にバウエン製モジュールを搭載したLNP2の存在があるけれど、
その時期は非常に短いし、バウエン製モジュールのLNP2の数は少ない。
なので、ここでは除外することにする。
アンプの型番でいえば、JC1、JC2、LNP2、それにML2などが、これにあたる。

ふたつめはトム・コランジェロとマーク・レヴィンソンによる時代。
アンプでいえばパワーアンプのML3、ML7、ML6A(B)などがそうだ。

それからマーク・レヴィンソンが離れたあとのマーク・グレイジャー体制になってからの時代。
アンプの型番からマーク・レヴィンソンのイニシャルであった”ML”が消え、No.シリーズになってから。
もっともこの時代も、また分けることはできるのだが、
この項では”Mark Levinson”というブランドは、
マーク・レヴィンソンという男がいたブランドとして会社についてのものであるから、
No.シリーズになってからのことについては、ここではとりあげない。

今後、No.シリーズについて書くことがあったとしても、
この項ではなく、新たな項で、ということになると思う。

どの時代のマークレビンソンのアンプの音が印象に深く残っているかは、
世代によっても違うし、同世代でも人が違えば違ってくる。
私にとってのマークレビンソン・ブランドのアンプといえば、
私がこれまで書いてきたものをお読みいただいた方はもうおわかりのように、
ジョン・カールと組んでいた時代のマークレビンソン・ブランドのアンプこそが、
私にとっての”Mark Levinson”である。

なぜ、私にとって、この時代のアンプが、
最初に音を聴いた時から30年以上が経っているにも関わらず、
いまでも、その魅力から完全に抜け出せないのか──、
その理由を考えてきている。

私は一時期、もうMark Levinsonのアンプはいいや、という時期があったにも関わらず、
再びMark Levinsonに惹かれ、離れることができずにいるのは、
“strange blood”を感じとっているからなのかもしれない。