Archive for category デザイン

Date: 8月 29th, 2013
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(整理と省略・その2)

セブンカフェのドリップマシンのボタン配置が気になるのは、
私がオーディオマニアであることも理由として大きいと思うが、
実際にセブン・イレブンに設置されている、このドリップマシンの現場を見ると、
どうもそれだけが理由ではないことがはっきりしてくる。

けっこうあちこちに行く。
セブン・イレブンだけに行くわけではないが、
コンビニエンスストアに寄ることは多い方だと思う。

セブンカフェのドリップマシンはレジの近くに置いてあるところが多いので、
自然と視界に入ってくる。
気づくのは、ほとんどの店舗で、このドリップマシンにその店舗によるシールが貼ってあることだ。

日本語で、熱いコーヒー、サイズ・普通とか冷たいコーヒー、サイズ・大きい、といった具合にだ。
この表記も店舗によって違っている。

このことは一ヵ月ほど前にtwitterで話題になっていた。
最初から、こんなシールを貼ったわけではないはず。

操作の間違いが頻繁するからこそ、店員がすこしでもわかりやすしようと思ってのシールであろう。

このドリップマシンのデザイナーは、
デザインに関心が少しでもある人ならばほとんどの人が知っている著名な人である。
調べれはすぐにわかることだから、誰なのかは書かない。

この人は、著書も出していて、その中に整理術というタイトルのついたものがある。
その本を読んでいない。
それだけでなく、このデザイナーについて、多くを知っているわけでもないし、
他の著書も読んでいない。

だからこの人についてあれこれ、ここで書きたいのではなく、
デザインにおける「整理」とは何か、ということについて、
セブンカフェのドリップマシンを見て操作して感じたことを書いていこうと思っている。

Date: 8月 28th, 2013
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(整理と省略・その1)

コンビニエンスストアのセブン・イレブンが今年にはいり、
セブンカフェというセルフ式のコーヒー販売を始めている。

レジの横にはコーヒーのドリップマシンが置いてある。
これまで三回ほど利用しているけど、
このドリップマシンのデザインには、どこか違和感をおぼえていた。

今日気づいたことがある。
たとえばカップのサイズが二種類ある。
regularとlargeで、regularは頭文字をとってRと表示されたボタン、
largeは頭文字のLと表示されたボタンが左右に並んでいる。

この配置が、オーディオにおける左(L)チャンネルと右(R)チャンネルと逆になっている。
Rのボタンが左に、Lのボタンが右に配置されている。

スピーカーでいえば、左右チャンネルを間違えて配置しているのと同じになる。

しかもこれだけではなく、セブンカフェのドリップマシンはアイスとホットも選べ、
上段のボタンがホットで、下段のボタンがアイスである。
この部分は色づけされている。
ホットが赤で、アイスが青。つまり上段が赤で、下段が青となっている。

これもオーディオにおけるアンプの端子の配置と逆である。
RCAの入力・出力端子を左チャンネル・右チャンネルを上下にわけて配置する場合、
左チャンネルが上段、右チャンネルが下段となる。

通常、左右チャンネルの色分けは、赤が右で、白または青が左を示す。
つまり白(または青)が上段で、下段が赤が一般的である。
オーディオリサーチだけは、ずっと以前から右チャンネルを上に持ってきているけれど。

つまりセブンカフェのドリップマシンのホットとアイスの色分けも、
オーディオの色分け(左右チャンネルの区別)と逆になっている。

おそらく、セブンカフェのドリップマシンのデザイナーは、
オーディオには関心のない人なのだとおもう。
オーディオマニアであれば、こういうボタン配置、色分けはしないはずだからだ。

Date: 8月 23rd, 2013
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その6)

バラコン──、
決していい言葉ではない。けれど、往々にしてグレードアップを何度か行うと、
バラバラなコンポーネントという印象に、デザインに関してはなってしまうことがある。

しかも音はまとまりをみせていっているであろうから、
人によってはデザインの統一感のなさ(バラバラな感じ)をどうにかしたくなる。

オーディオとはそういうものである、と自分を納得させることができればいいが、
そういう人でもデザインの面でもまとまりがあれば、
音が同じであれば、バラバラのデザインよりも、そちらを採るだろう。

マッキントッシュ、QUAD、B&Oのシステムのもつ魅力に憧れはもっている。
欲しい、と思うこともある。
けれど、どれでもいい、どれかひとつのシステムを買ってきて、
どれだけ満足できるか、というと、それはそう永い期間ではないように思う。

ここでのどれだけ満足できるかは、音の満足度ということよりも、
どれだけながく、そのシステムを変えることなく使っていけるか、という意味の、
時間的な長さのことだ。

もうひとつ書いておきたいことがある。
ここであげているマッキントッシュ、QUADに関しては、
いまのマッキントッシュ、QUADのイメージではなく、
私の中ではQUADはピーター・ウォーカーが生きていた時代までのQUADであり、
マッキントッシュも同じようにゴードン・ガウが生きていた時代までのマッキントッシュであり、
このふたつのブランドに関しては、そこまでのイメージが圧倒的に濃い。

Date: 8月 21st, 2013
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その5)

一時期、ワンブランドシステムとかワンブランドオーディオという言葉が雑誌を飾っていた。
マッキントッシュ、B&O、QUADといった、
音の入口から出口まで揃えているメーカーでシステムを統一する。

マッキントッシュのCDプレーヤー、マッキントッシュのチューナー、マッキントッシュのコントロールアンプ、
マッキントッシュのパワーアンプ、マッキントッシュのスピーカーシステム、
とすべてマッキントッシュの製品で揃えればデザインでの統一と音質・音色での統一が得られる。

B&O、QUADもワンブランドですべて揃えてしまうことで得られるものが確実にある。
同時に得られないものもあるわけで、
結局はどちらを重視するかにより、人はワンブランドを選択したりそうでなかったりする。

ワンブランドオーディオ、ワンブランドシステムという言葉が登場する以前は、
シスコンという言葉があった。
システムコンポーネントの略語である。

これもワンブランドで統一されたシステムであるわけだが、
メーカーのお仕着せということと、それにどちらかといえば安価なシステムが多かったこともあり、
初心者向きという認識であった。

このシスコンに対して、バラコンというのがあった。
バラコン──、バラバラにスピーカーやアンプを買ってきてコンポーネントを組み合わせるから、
つまりバラバラのコンポーネントという略語であった。
瀬川先生は、こんな言葉は使いたくない、使わない、といわれていたのを思い出す。

Date: 8月 21st, 2013
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その4)

自分にとって、ほんとうに求めていたスピーカーシステムと早々に巡りあえることは、まずない。
いくつものスピーカーシステムを自分で鳴らしてこなければ、まず無理である。

その意味では「このアンプに合うスピーカーはなんですか」
と質問してくる人のことがまったく理解できないわけではない。
それでも、スピーカーシステムは自分で見つけるもの(モノ)である。

いつかは、きっとスピーカーシステムが見つかる。
それがどのくらいかかるのかは、なんともいえない。
幸運にも一年くらいで見つかる人もいるだろうし、
十年かかって見つけた人だっている。
それ以上の年月をかけているけれど、まだ見つからない……、という人もいよう。

それまでは、すでにシステムをつくっている。
一度にすべてのオーディオ機器を、欲しいモノを買える人もいるけれど、
私を含めて多くの人は、すこしずつグレードアップしていく。

プレーヤーにしても、アンプにしても、
自分にとってほんとうに求めていたスピーカーシステムが見つかるまでに、
いったい何度入れ換えているだろうか。

そうやっていっていると、往々にしてそれぞれのオーディオ機器のデザインに関しては、
じつにバラバラになってしまいがちだ。

Date: 8月 21st, 2013
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その3)

1967年、オーディオ機器へ物品税がかかるようになり、
それまでは部品扱いだったアンプやスピーカー、プレーヤーが、完成品とみなされるようになった。

車は車一台で車としての機能を持っている。
けれどオーディオ機器の場合、アンプだけを買ってきても、それだけでは音は出てこない。
スピーカーシステムにしてもプレーヤーシステムにしても同じで、
レコードを聴くには最低でもプレーヤーシステムとアンプ、
それにスピーカーシステム、もしくはヘッドフォンを買ってこなければならない。

その意味では、確かにオーディオ機器は「部品」という見方ができる。
その「部品」を買ってきて、自分のためのシステムを構築する。

システムとは「個々の要素が有機的に組み合わされた、まとまりをもつ全体。体系」と辞書にはある。
まとまり・まとまるとは「ばらばらであったものが集まってひとつになる。また統一のある集まりとなる」ことだ。

ばらばらであったものが集まるには、中心となるもの(モノ)があってこそ、成り立つのではないのだろうか。
中心がなければ、ばらばらであったものは、いつまでたってもばらばらである。

オーディオというシステムにおいて、中心となるのはスピーカーシステムということになる。
まずスピーカーありきで、組合せを考えることは始まる。

ずっと以前は、多くのオーディオ雑誌にあった相談コーナーのページで、
「このアンプに合うスピーカーはなんですか」と読者の質問が少なからずあった。
いまでもインターネットに、昔と同じようにあるようだが、
いまも昔も、くり返すが、まずスピーカーありき、である。

Date: 8月 21st, 2013
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その2)

たとえばラックスのコントロールアンプCL32は128000円、キットのA3032は88000円、
CL30は169000円、キットのA3400は108000円、
パワーアンプのMB3045は128000円(一台)、キットのA3000は79000円(一台)だった。

物品税の分だけ安いともいえるし、
そのメーカーでの組み立てにかかるコストも省けるから,ともいえるわけだが、
キットにはキットならではの苦労が、メーカーにはあったはずだ。

キットを購入して組み立てる人の技術が、どの程度なのかはばらばらのはず。
自分で回路設計もできてコンストラクションまで考える人もいるば、
ハンダゴテを握るのも初めて、とにかく安く買えるから、という人までいたと思う。

当然ハンダ付けの技術もワイヤリングの技術もまったく異る人たち向けにキットは売られている。
技術のある人ならば問題なく組み立て、調整し、完成品とまったく変わらぬモノを安く手にできる人もいる反面、
まともに組み立てられずメーカーに送る、という人もいた。

それに対してもメーカーとしてはアフターサービスとして、きちんと対応していた、と思う。
このコストは、完成品が故障で戻ってくるのよりも、ずっとかかっていたのではなかろうか。

キットの販売は大変だったはずだ。
それをラックスは長年やってくれていた。
私自身はラックスキットを購入したことはないけれど、
キットという存在はオーディオの勉強の教材としても存在していた。

物品税は1989年の消費税導入によってなくなった。
そうなると製品でもキットでも、消費税率は同じになる。

Date: 8月 21st, 2013
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その1)

1970年代、1980年代は各メーカーからキットが発売されていた。
有名なところではラックスキットがあった。

キットといえば初心者向きのモノと受けとられがちだが、
ラックスキットは充実していた。

たとえばラックスの管球式パワーアンプMB3045のキットはA3000、
MQ60のキットはKMQ60、
その他にもキットのみのモデルもあった。

コントロールアンプもCL32のキットがA3032、
CL30のキットがA3400として出ていた。

アメリカではダイナコの真空管アンプのキットも有名だった。

その他にもキットはいくつもあった。
ターンテーブルのキットもあり、アンプ、スピーカー、
それにデヴァイディングネットワーク(チャンネルデヴァイダー)もあった。
システムのほとんどをキットで揃えることもできた。

キットがこれだけ充実していたのには、物品税という理由がある。

昭和42年(1967年)、それまで部品扱いで非課税だったオーディオ機器に物品税がかけられることになった。
物品税は15%が基本で、いきなり15%もの課税になると、一挙にオーディオ機器の価格は高くなる。
そのため5%ずつ上げる、という猶予が与えられた。

そうなってもキットは、部品扱いだったため15%の物品税は関係ない。
だからキット販売は、価格をかなり抑えることができた。

Date: 8月 14th, 2013
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(その7)

プリメインアンプとしてのデザイン、
コントロールアンプとしてのデザインについて考えるのに、
この時代(1970年代後半)をとりあげるのにはわけがある。

オーディオに興味を持ち始めたばかりの私だったから、
とにかく世の中にどういう製品、どれだけの製品があるのかを知りたかった、知り尽したかった。
ひたすら吸収するときでもあった。

この時代のオーディオに関心のある人ならば、そうだったな、と思い出されるはずのことがある。
マランツのプリメインアンプModel 1150MKIIとコントロールアンプModel 3600、
ラックスのプリメインアンプSQ38FD/IIとCL35/IIIの存在である。

1150MKIIと3600は同じパネルをもつ、
SQ38FD/IIとCL35/IIIも同じパネルをもっている。

プリメインアンプとコントロールアンプが、まったく同じといっていいパネルデザインなのだ。
こういう例はほかのメーカーにもある。
ソニー、サンスイ、テクニクスなどもそうである。

ちょうどオーディオに興味を持ち始めたころだったから、
意外な感じがしたのを憶えているとともに、
その中でもマランツとラックスのプリメインアンプとコントロールアンプのデザインの共通は、
他のメーカー以上に強いものであり、やや不思議な存在だった。

そして、このふたつのメーカーのアンプには、ある共通項がある。
マランツのコントロールアンプModel 7の存在だ。

Date: 8月 14th, 2013
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(その6)

SA600のシャーシーにSG520の内容を収納しても、
SA600のデザインをコントロールアンプとして認識することができないであろう、ということは、
AGIの511のシャーシーに、QUADの405を中身を収納してプリメインアンプとしたところで、
511のデザインをプリメインアンプとして認識できるかどうか、というところは同じことである。

私は、プリメインアンプとコントロールアンプの違いを、
デザインのどこにその差異を感じて、判断しているのだろうか。

私がオーディオに興味を持ち始めた1976年、
このころのコントロールアンプは薄型が流行っていた。
ヤマハのC2があり、ラックスからも管球式ながら薄型のCL32が出ていたし、
他のメーカーの新型コントロールアンプは薄型が多かった。

その流行をつくったのは、マークレビンソンのJC2だといわれているし、
薄型の流行以前に登場していたコントロールアンプの中には、かなり大型のモノもいくつかあった。
サイズ的には、そのままプリメインアンプのシャーシーとして使える大きさであった。

例えばヤマハのCI、パイオニアのExclusive C3などがあった。
他にもいくつかあった。

とにかく、これらのモノを見ながら、プリメインアンプとしてのデザイン、
コントロールアンプとしてのデザインを感じとっていたのだろうか。

この時代、それに続く時代があっても、
私の感覚は、プリメインアンプとしてのデザイン、コントロールアンプとしてのデザインを、
いつまにか判断するようになっていったのだろうか。

Date: 8月 13th, 2013
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(その5)

あるとき、SA600のデザインでコントロールアンプだったら、ということを考えたことがある。
シャーシーのスペース的にはまったく問題ない。
SG520の内容をそのまま移植することは無理ではない。

SG520のデザインよりもSA600のデザインに魅かれる私は、そんなことを考えた。
考えたものの、どうしてもSA600はプリメインアンプという認識を消し去ることができないのに気づいた。

なぜなのだろうか。

SA600がプリメインアンプだということを既に知っているからなのだろうか。
どうもそういう問題ではない気がする。

SA600は、やはりプリメインアンプのデザインなのだ、という答が自分の中から返ってくる。

プリメインアンプのデザインといっても、
SA600のパネルレイアウトはそのままコントロールアンプとして流用できるものだ。
にも関わらず、なぜSA600をいつまでプリメインアンプとして認識してしまうのか。

仮にSG520をSA600に移植したとして、
プリメインアンプという認識を書き換えることができるのだろうか。
どうも無理なような気がする。

とすると、私はSA600のどこにプリメインアンプということを感じているのだろうか。
それを問いかけることになる。

Date: 8月 13th, 2013
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(その4)

SG520の内部は、非常にこみいっているところと、余白とでもいいたくなるところがある。
これはマランツのModel 7も似ている。
内部は均等な密度に構成されているわけではない。

パネルレイアウトから考えれば、これも仕方ないことだと理解できるが、
メンテナンスを面倒にしている、のも事実である。

JBLのプリメインアンプのSA600の内部は、そういったところはない。
余白といえるところはない。
SG520よりも小さなシャーシーに、SG520とSE400Sと同等の内容をつめこんでいるのだから、
そうなって当然である。

40W+40Wの出力のプリメインアンプがこのサイズで、
コントロールアンプが、あの大きさということが、
頭では納得いっても心情的に納得できないところが、どうしても残る。

SA600の内部に余白はないけれど、SA600のパネルには余白といえるところがあって、
このところが、私はまた気に入っている。

ベイシーの菅原昭二氏さんが、C40 Harkness、
それも右チャンネルのHarknessの左上にSA600を置いてジャズを聴く──、これでよい、
といったことを書かれていたと記憶している。

その気持はわかる。
でも個人的にはSA600との組合せはデザインの面でも魅力的ではあっても、
SA600だけで満足できないという欲の深さもある。

菅原氏はベイシーという場所において、これだけのシステムを鳴らされているから、
自宅ではHarknessの上に置いたSA600で、という心境になるのかしれない。

HarknessにSA600、
この組合せについては私も以前考えていた。
誰もが考える組合せだろう。
菅原氏のように、もっと具体的に、
右チャンネルのHarknessの左上に、といったことまでは考える人は少ないだろうが。

Date: 8月 13th, 2013
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(その3)

1960年代のJBLのアンプに、
プリメインアンプのSA600とコントロールアンプのSG520がある。

SG520はスライドボリュウムとボタンスイッチによるパネルデザイン、
SA600は丸ツマミとレバースイッチによるパネルデザイン、
どちらが好きかといえば、私はためらわずSA600をとる。

SG520は短い期間ではあったけれど使っていた。
SG520が登場した1960年代なかばは、まだまだ管球式ンプが現役といえた時代である。
トランジスターアンプに対する評価は、
そういった管球式アンプとの比較で欠点を指摘されることが多かった時代、ときいている。

そういう時代にJBLは、
トランジスターアンプならではの、それまでの管球式アンプでは聴けなかった新鮮な音を出したアンプとして、
そのことを視覚的に打ち出したことが、あのパネルデザインなんだろう、とは理解できる。

けれど、その後のコントロールアンプを見てきていた目には、
SG520が、もう少し薄型であったなら、もっとスマートな印象になるのではないか、といつも思っていた。

もっともシャーシーの高さは、使用されているスライドボリュウムのストロークから決ったものであろうから、
あれ以上薄くすることは無理なのも理解している。

それでも、もう少しだけ薄くあったら……、と思ってしまうのは、SA600の存在があるからだ。

Date: 8月 13th, 2013
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(その2)

10代、20代のころは、とにかく物量を投入したモノに強い魅力を感じていた。
QUADもいい、と感じていた。
けれどそのころの私にとってのQUADに感じる良さは、メインのシステムとして見ていたわけではなく、
物量をおしみなく投入したメインのシステムを所有していたうえでの、
別のシステムとしてのQUADの存在が魅力であった。

DBシステムズのアンプのように、コンパクトで、外観にほとんど気を使わず、
コストを抑えるよう設計されたモノにも感じながらも、
もしDBシステムズのアンプを自分のモノとしたら、
外付けの電源を物量投入のものに改造したりする自分が見えてもいた。

物量が投入されていればいい、というわけではない。
それでいて凝縮されていなければならなかった。

そのころ妄想していたことがある。
私がオーディオに関心をもち始めた1976年には、
AGIのコントロールアンプ511とQUADのパワーアンプ405の組合せが話題になっていた。
そのときは、ただそうなんだぁ、という感じで記事を読んでいた。
数年が経ち、ステレオサウンドに入り、511、405に触れ、中を見ることができるようになると、
以前相性のいいといわれた、このふたつのアンプを、ひとつの筐体にまとめることはできないものだろうか、と。

具体的にいえば、511のシャーシーの中に、405の中身を追加する、ということだ。
スペース的に、決して不可能なことではない。
基板の配置やシールドには配慮が必要になるだろうが、おさめようと思えばできる気がしてくる。

実際にやりはしなかったけど、511の中に511と405を組み込めれば、
なかなか魅力的なプリメインアンプとなるわけだが、
そこで思ったことがある。

そうやって改造した511を、私はプリメインアンプとして認識できるのだろうか、と。
511のデザインを、プリメインアンプのデザインとして認識し直すことができるのだろうか。

Date: 7月 7th, 2013
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(その1)

人によって、こうも感じ方が違うものか、ということをインターネットを通じて感じることがある。
オーディオ機器のデザインについても、そう感じている。

いま私の目の前にはJBLの「Harkness」とトーレンスのTD224がある。
毎日眺めている。
どちらもいいデザインだとおもう。
そして、どちらも時代を感じさせてくれる。

いいデザインとは、その時代を感じさせてくれるものではないのだろうか。

facebookやtwitterなどのSNSの普及により、
いろんな意見を目にするようになった。
このあいだも、マランツのModel 7のデザインが素晴らしい、という書き込みをみかけた。
そこにコメントがあり、「時代を感じさせないデザインで、素晴らしい」とあった。
このコメントに同意される方もいた。

そうなのか、と私などは思っていた。
Model 7のデザインもいい。
真空管のコントロールアンプで一台だけ手もとに置いておきたいとなると、
やはりマランツのModel 7を選ぶ。

20代のとき手に入れようとしたこともあった。
そのころに較べると、無理をしてでも……という気持はずいぶん薄れてしまったけれど、
縁があれば欲しい、という気持は抑えられない。

でも、私はmodel 7のデザインは「時代を感じさせない」とは思っていない。
「時代を感じさせてくれる」デザインであり、いいデザインだと思っている。

「時代を感じさせない」は、ほんとうに讚辞の言葉なのだろうか。