Archive for category デザイン

Date: 1月 6th, 2015
Cate: LNP2, Mark Levinson, デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(LNP2のこと・その2)

ステレオサウンド別冊「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」で、
菅野先生がML7のところでマークレビンソンのアンプのデザインについて書かれている。
     *
ただし、マーク・レビンソンの一連の製品についていえることだが、明らかに一般ハイファイ・マニアを相手にしながら、プロ機器仕様とデザインを決めこんでいるのはどうかと思う。トラックかブルドーザーのようなデザインばかりではないか。中ではLNP2Lが一番まともだが、決して使いやすくもない。
     *
これを読んで、LNP2のデザインに感じていたのは的外れではなかった、とほっとした。
ただトラックやブルドーザーのようなデザインには、完全には同意できなかったけれど、
菅野先生とはいわんとされているところはわかる。

何度も書くが、LNP2のデザインを悪いデザインとは思っていない。
けれど、優れたデザイン、美しいデザインとはこれまで思ったことはないし、
これから先もそう感じることはない、と言い切れる。

なのに、なぜLNP2は、いいデザインという評価が得られているのだろうか。
オーディオマニアすべてがそう思っているわけではないにしても、
少なくない人が、しみじみと「LNP2のデザイン、いいですよね」と発するのを聞いている。

悪いデザインとまでは思っていないから、あからさまに否定することはしないものの、
この人もそうなんだ、とは思ってしまう。

「LNP2のデザイン、いいですよね」という人は、
菅野先生の「トラックやブルドーザーのようなデザイン」という発言をどう受けとめているのだろうか。

Date: 1月 5th, 2015
Cate: LNP2, Mark Levinson, デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(LNP2のこと・その1)

マークレビンソンのLNP2というコントロールアンプ。
1970年代後半もっとも注目を集めたといえるコントロールアンプ。
私も憧れたことのあるコントロールアンプ。

よく耳にするのが「LNP2のデザイン、いいですよね」である。
あの時代の、憧れのコントロールアンプだから、悪いデザインとはいわないものの、
優れたデザインか、となると、そうとはいえない。

ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 1のカラー口絵。
JBLの4343をバックに、マークレビンソンのアンプが真正面から撮られたページがある。

この写真が象徴しているように、LNP2には精度感があった。
ウェストンのメーターは大きすぎず小さくもない、
三つあるレベルコントロールのツマミの周囲には、減衰量がdB表示されていた。
ツマミの大きさも大きすぎない。

精度感を損なう要素は見当たらないLNP2のフロントパネルであった。

HIGH-TECHNIC SERIES 1の写真は、そのことを充分伝えていた。
このページを切り取って壁に貼りたいとも思っていた。

それでもLNP2のデザインは優れているとは、思っていなかった。
これは、いまも変らない。

Date: 1月 4th, 2015
Cate: デザイン

シャーシーからボディへ

chassis(シャーシー、シャシー)、
辞書には、自動車・電車などの車台、ラジオ・テレビなどのセットを取り付ける台と書いてある。
車台とは、車輪の上の,車体を支えている部分、とある。

オーディオでシャーシーといったら、アンプの場合、金属ケース全体のことを指す。
私もそう言ってきた。
けれど厳密には、アンプの場合、シャーシーと呼べるのは、
真空管アンプで、トランスや真空管がとりつけられている土台となる金属ケースのこととなる。

トランジスターアンプのような金属ケースは、厳密な意味でのシャーシーとは呼びにくい。
だからシャーシーと呼ぶのをやめよう、といいたいのではない。

車の場合、シャーシー(車台)があって、金属ボディがある。
アンプの場合、これまで四角い金属ケースばかりだったから、シャーシーと呼ぶことに抵抗はあまりなかった。

けれど、いまアンプの金属ケースは四角いモノばかりではなくなってきている。
金属加工の技術がすすみ、カーヴを描くモノが増えてきている。
高級(高額)なアンプ、CDプレーヤー、D/Aコンバーターでは、
むしろ直線よりも曲線の方が主流になりつつある。

すべてが成功しているとはいわないが、ひとついえるのは、
もうこれらをシャーシーと呼ぶよりも、ボディと呼んだ方がいいのかもしれない、ということだ。

シャーシーからボディへ、
この流れがよりはっきりとしていき、結実していくのか、楽しみである。

Date: 1月 4th, 2015
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その17)

オーディオがブームだったころ、店頭効果ということがよくいわれていた。
客がスピーカーの試聴にオーディオ店にくる。

当時はブックシェルフ型であれば各社のスピーカーが所狭しと積み上げられていることが多かった。
そして客は、店員にいくつかのスピーカーを聴きたいとリクエストする。
店員は切替えスイッチで、客が希望するスピーカーを次々と鳴らす。

このときスピーカーの音圧が揃うように調整する店員もいたであろうが、
そうでない店員もいた。
そうなると切り替えた時に、前に鳴っていたスピーカーよりもわずかでも音圧が高ければ、
実際のリスニングルームとはかけ離れた試聴条件では、よく聴こえてしまうことがある。

音圧が同じでも地味な音のスピーカーよりも、派手な音のスピーカーのほうが目立つ。
とにかく他社製のスピーカーよりも、自社製のスピーカーを客に強く印象づけるための音づくり、
これを店頭効果と呼んでいた。

いまはそんなものはなくなっていると思うが、
デザインに関しては、どうだろうか、と思っている。

例としてあげたブックシェルフ型スピーカーは、さほど高級(高額)なモノではなかった。
大きさもユニット構成も外観も似ているモノが大半だった。
だからこそ音での店頭効果で目立とうとしていた、といえる。

ここで書こうとしているデザインについては、
そういった普及価格帯のモノではなく、高級(高額)のモノについてであり、
デザインの関係性・関連性と排他性について考えていきたい。

Date: 12月 20th, 2014
Cate: ジャーナリズム, デザイン

TDK MA-Rというデザイン(ステレオ時代という本とその記事・その2)

TDL MA-Rで、Googleで検索すると、かなりのページがヒットする。
私が書いた「TDK MA-Rというデザイン」も2ページ目で表示される。

ステレオ時代のVol.3掲載のTDK MA-R開発ストーリーを担当した編集者は、
MA-Rのことについて、インターネットを使って調べたりしなかったのか、と思う。
一時間もあれば、Googleで検索してヒットしたページを見ていったとして、
検索結果の2ページ目に表示される私のブログを見て、そこにある川崎先生のブログへのリンクをクリックすれば、
MA-Rについての、いままで知られてなかったことにたどりつく。

ほとんど労力を必要としないことではないか。
キーボードをほんの少し叩き、マウスを動かしてクリックしていくだけのことである。
それすらもせずに、ただインタヴューしたことだけを記事にしたのが、
今回のTDK MA-R開発ストーリーではないのか。

川崎先生がMA-Rについて書かれたブログが、つい最近のことであったら、まだわかる。
ステレオ時代のVol.3はつい最近書店に並んだ本である。
担当編集者がMA-Rのことを調べる気があったなら、
川崎先生のブログを見つけられなかったということは考えにくい。

いい記事をつくろうという気がないのか、とも思ってしまう。
なぜ、いい記事にしようとしないのか。
その理由を考えてしまう。

結局のところ、商業誌であることを優先してしまっているからだ、ということになってしまう。

Date: 12月 19th, 2014
Cate: ジャーナリズム, デザイン

TDK MA-Rというデザイン(ステレオ時代という本とその記事・その1)

ステレオ時代という本がある。
今、最新号のVol.3が書店に並んでいる。

ステレオ時代の存在は知っていたけれど、手にとろうとは思っていなかった。
どういう内容の本なのかわかっているからだけど、
表紙に、TDK MA-R開発ストーリー、とある。
だから手にとった。

Vol.1とVol.2を読んでいたから、記事についてはおおよその想像はついていた。
想像した通りの内容だった。

そして、やっぱり、と思った。

TDK MA-R開発ストーリーの記事中には、東芝のこと、オーレックスのことがまったく語られてなかったからだ。
すべてTDKによる開発である、と記事は伝えていた。

けれど、そうではないことは「TDK MA-Rというデザイン」でふれた。
川崎先生のブログへのリンクもしている。

川崎先生の「K7の最高機種デザインはAurexデザインだった」は、9月13日に公開されている。

Date: 11月 30th, 2014
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(STAR WARS episode7)

STAR WARS episode7の予告編が公開された。
一分半弱の短い予告編ではあっても、公開まであと一年以上あるだけに嬉しい。

STAR WARSは映画館で観て、最も驚いた映画である。
あの驚きは、その後何本もの映画を観てきているけれど、あれ以上のものにはいまのところ出会っていない。

世代が違えば、その驚きの大きさは決して一番ではないのかもしれないが、
少なくとも私にとっては、まだ熊本に住んでいたころ味わった驚きは、いまも大きいままである。

STAR WARS episode7の予告編に、これまでのepisodeには登場していないロボットが映っている。
球体のボディにドーム型の頭が乗っているようなロボットである。

STAR WARS episode7の予告編を観た感想をちらほら見かける。
その中に、このロボットのデザインがひどい、ひどすぎる、というのがあった。
幻滅されたのかもしれない。

私はそうは感じなかった。
STAR WARS episode7の予告編なのだから、そこに映し出されるのはSTAR WARSの世界である。
その世界において、あのロボットのデザインは、いい悪いではなくて違和感がなかった。
幻滅することはなかった。

むしろSTAR WARSに、いかにも登場してきそうなロボットであると感じて、
「これはスターウォーズだ」と思っていたからだ。

おそらくあのロボットのデザインはひどすぎると感じた人は、
STAR WARSの世界観から切り離したところでの評価なのかもしれない。
私はSTAR WARSの世界観(これは私なりの、である)からの感じ方である。

もしかするとひどすぎると感じた人も、その人のSTAR WARSの世界観からの感じ方だったのかもしれない。
だとしたら、その人と私のSTAR WARSの世界観はかなり違っている、ということになるだろう。

Date: 11月 25th, 2014
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(vintage design)

vintageは、なかなか興味深いテーマのように感じている。
vintageのあとにどんな言葉をもってくるのか。
それをどう定義していくのか。

vintageは、いま手垢にまみれつつあるようにも感じる。
いろんなモノに、vintageがつけられるようになってきている。
モノだけでなく、vintage soundの例のように、その範囲は拡がっている。
そういえば、vintage design(ヴィンテージ・デザイン)もあるんだろうな、と検索してみると、
やはりあった。

vintage design。
オーディオのことだけに話を限れば、
そう呼べるモノとして、マランツのModel 7、JBLのSA600、SG520、
スピーカーシステムならば、JBLのハーツフィールドにパラゴンなどがすぐに挙げられる。

挙げられるけども……、これらをヴィンテージ・デザインのオーディオ機器、
オーディオ機器におけるヴィンテージ・デザインと呼んでいいのだろうか、と考えてしまう。

ただヴィンテージ・デザイン、それもオーディオ機器におけるヴィンテージ・デザインとは、
いったいどういうものなのか、私のなかであまりにも漠然としすぎているからだ。

Date: 11月 9th, 2014
Cate: デザイン

「オーディオのデザイン論」を語るために(その3)

川崎先生のブログは毎日午前0時に更新される。
それとは別に、川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design(毎日ではないが)も更新されている。

11月7日の川崎和男のデザイン金言には、こう書いてあった。
     *
私は40余年、
デザインとデコレーションの違いを
いつも語ってきたと思う。

最大の理由は、
「デザインは機能だよね」という、
この発言を苦々しく思ってきたことだ。

デザインは問題解決の、その実務であり、
性能
効能を語って、
それから
機能である。

「機能論」はギリシアの哲学論、
その時代から語られている。

最近は、簡単に機能と言ったら、
確実に、私の喧嘩相手である。
     *
デザインを付加価値と捉えている人は、何度もくり返し読んでほしい。
そして考えてもらいたい、デザインとはなにかについて。

この項の(その2)に対して、facebookでコメントがいくつかあった。
そこに、IT業界では付加価値を皮肉って負荷価値と呼んでいる、というのがあった。

負荷という負担として、デザインが重荷になっているメーカーが見受けられるようになってきた。
そういうメーカーの人たちも、川崎先生がこれまで語られてきたこと、書かれてきたことを、
しっかりと読んでもらいたい、とおもう。

そしてオーディオ雑誌の編集者にも、である。
特に川崎先生の連載「アナログとデジタルの狭間で」を、わずか五回で終りにしてしまった編集者は。

Date: 11月 5th, 2014
Cate: ステレオサウンド, デザイン

「オーディオのデザイン論」を語るために(その2)

付加価値ということを頻繁に使われるようになったのはいつごろなのか。
私の周りでは1982年あたりからだった。

ステレオサウンドで働くようになってしばらくして、付加価値ということをよく聞くようになった。
性能的に大差なくなった。他社製品との差別化のために付加価値が必要だ。
そんなふうな使われ方をしていた。

編集部の先輩と付加価値とはなんだろう、と話した記憶もある。
とにかく付加価値が必要、そんな感じの空気がこのころからあったように感じている。

付加価値。
生産過程で新たに付け加えられる価値。総生産額から原材料費と機械設備などの減価償却分を差し引いたもので,人件費・利子・利潤に分配される。一国全体の付加価値の合計は生産国民所得となる。
と辞書には書いてある。

だが「差別化のために必要な付加価値」は、辞書通りの意味ではない。
そしてこの付加価値として、デザインがいつしか語られるようになった。

デザインは付加価値だ。
そういう人が少なからずいる。
昔からいる。いまも相変らずいっている人がいる。

しかもそういう人が、オーディオのデザインについての持論を語る。
こんなことがいつまで続いていくのか。
私よりひとまわり以上年上の人たちに、そういう人が少なからずいる。

(失礼ながら)こういう人たちが去ってくれるまで、デザインは付加価値だ、ということが言われつづけていく。

Date: 11月 4th, 2014
Cate: ステレオサウンド, デザイン

「オーディオのデザイン論」を語るために(その1)

ステレオサウンドはあと二年で200号になる。
季刊誌で年四冊出ているから、50年。

このことは素直にたいしたものだと思う。
でも、いま48年、あと二年あるとはいえ、
200号までにステレオサウンドでオーディオのデザイン論が語られるとは思えない。

このオーディオのデザイン論こそが、ステレオサウンドがやってこなかったこと、やり残してきたことだ。
一時期、素人によるデザイン感的な文章が連載となっていた。
デザイン論とはとうてい呼べないものだった。
ほんとうにひどい、と思っていた。

その連載が終了して、デザインについてある人と話していた時に、この記事のことが話題になった。
「ひどい記事だったね」とふたりして口にしていた。

あれを当時の編集部はデザイン論と勘違いしていたのか。
私がいたときも、オーディオのデザイン論についての記事はつくっていない。
だからエラそうなことはいえないといえはそうなるけれど、いまは違うとだけはいえる。

瀬川先生もいなくなられてから、まともにオーディオのデザイン論は語られていない。
川崎先生の連載もわずか五回で終了してしまっている。

このことは以前も書いている。
それでも、またここで書いておきたい。
そのくらいに「オーディオのデザイン論」は大事なことであり、
これを蔑ろしていては、おかしなことになっていく。

すでにおかしなことになっているオーディオ機器もいくつか世に出ている。

200号は50歳である。
50歳は、もういい大人であるはずだ。
オーディオのデザイン論が語れる大人になっていなければならない。
ステレオサウンドはなれるのか(なってほしいのだが……)。

Date: 11月 4th, 2014
Cate: デザイン

恥ずかしいデザイン

オンキョーがほんとうはオンキヨーなのは知っている。
けれどずっと以前のオーディオ雑誌はオンキョーと表記していたし、
オンキヨーの広告でもオンキョーだったのだがら、オンキョーと書く。

オンキョーのオーディオ機器は自家用としたモノはひとつもないし、
オンキョーのオーディオ機器のデザインは決して優れているとは言い難かったが、
それでもプリメインアンプのIntegra A722NIIは、どこか野暮ったさが残っていて、洗練されているとはいえない。
でもそれも愛矯としてみえてくる。おそらくもう少しでいいデザインとなるのかもしれない。

Integra A722NIIは派手な存在のアンプではない。艶やかでもない。地味なアンプである。
それでも印象に残っている、そういうアンプである。
こういうオーディオ機器をオンキョーは、ときどき世に送り出していた。

それまで知らなかったのだが、1982年にCDプレーヤーが登場した時に、
オンキョーが東芝グループに入っていたことを知った。

オンキョーは、国産オーディオメーカーの中でも大手とは当時はいえなかった中堅どころだった。
それがいまでは規模がかなり大きくなっている。
パイオニアの買収でニュースになったときも、あのオンキョーがここまで大きくなったのか、と思っていた。

オンキョーは生きのびている。
そのオンキョーのグループ会社であるオンキヨーマーケティングジャパンが、
Deff Soundのヘッドフォンアンプを取り扱う。
DDA-LA20RCである。

オンキヨーマーケティングジャパンはモノを売るのが業務なのだろう。
だから売れるものであればなんでも売るのだろうか。

DDA-LA20RCはひと目見て、B&OのMP3プレーヤーBeoSound 2のパクリである。
しかもパクリという劣化コピーでしかない。

BeoSound 2はもう10数年前の製品であり、いまは製造中止になっている。
知らない人もいるかもしれない。
だからといって、ここまでパクったモノを、
Integra A722NII、それにGranScepter GS1を作っていた会社(子会社)が売るのか、と寂しい気持になる。

DDA-LA20RCは恥ずかしいデザインである。
恥ずかしいデザインは、もうデザインとは呼べない。
そんなモノを売るのも恥ずかしい行為ではないのか。

Integra A722NII、GranScepter GS1を作っていた会社は、私にとってはオンキョーである。
DDA-LA20RCを売るのはオンキヨーである。
オンキョーとオンキヨーは、もう違う会社なのだ、と自分で自分を納得させるしかない。

Date: 10月 16th, 2014
Cate: デザイン

悪いデザインとは

ソニーの苦境を伝える記事をよくみかける。
読んでみて納得の記事はほとんどない。

なぜソニーがこうなってしまったのか、について書いてあるようで、
実のところ何も書かれていない感じばかりを受ける。
ソニー、一人負け、といった見出しばかりが目につく。

なぜなのか、私にはわからないけれど、ひとつだけ書きたいことがある。
それも非常に偏った、狭いものの見方といわれるのを承知で書いておく。

私はソニーがこうなってしまったのは要因のひとつは、PSPだと思っている。
PSPは携帯ゲーム機のことだ。

PSPが発売された時、ボタンに不具合があったようで問題になりかけたことがある。
これに対して、久夛良木氏が、PSPのデザインは優れている、といわれたように記憶している。

PSPのデザインは優れているのかもしれないが、悪いデザインである。
どう悪いのかといえば、PSPがどう使われているのか、
ソニーの偉い人たちは知らないのではないか、と思う。
電車、それも混んでいる電車に乗ってみて、PSPがどう使われているのか、
PSPで電車内でゲームをしている人が、どうしているのかを把握しているのか、と問いたくなる。

携帯ゲーム機はPSP以外にも他メーカーからいくつも出ている。
けれどPSPは両手を必要とするゲームが多いように見受けられる。
(PSPを持っていないしPSPでゲームをしたこともないのであくまでも推測でしかないが)

しかもデザイン的になのだろう、両肘を張り出してゲームに夢中になっている人が少なくない。
電車内で座っていて、両隣に人がいようとおかまいなしに肘を左右に突き出してゲームをしている。
また立っていてもPSPでゲームをしている人も少なくない。

両手がPSPでふさがっているから、つり革や手摺につかまっていない。
彼らはどうしているかというと、立っている他人の背中を背もたれとしている。
しかも肘は突き出している。

こういう使われ方を幾度となく電車内で見てきていると、
悪いデザインということについて考えてしまう。

家で一人でPSPでゲームをしている分には、肘がどういうふうになっていもいい。
けれどPSPは外でも、電車の中でもゲームができるモノだけに、
PSPのデザインは悪い、と私は判断する。

PSPはひと目でPSPとわかる。ソニーの製品だとわかる。
電車内でPSpでゲームに夢中になり、周りの人に迷惑をかけている人たちがいる。
このことがソニーの及ぼす影響は微々たるものだろうか。

Date: 9月 30th, 2014
Cate: デザイン

TDK MA-Rというデザイン(その7)

TDKのMA-Rのデザインには、二度驚いている。
一度目は登場した時であり、二度目はCDが登場してしばらくしてからだった。

MA-R以前のカセットテープの色は、黒っぽいものばかりだった。
明るい色のカセットテープはなかった、と記憶している。

MA-R以前は、カセットテープの色について考えることはなかった。
MA-Rが登場し、CDが登場してから、やっと考えるようになった。

MA-Rの透明のケースと、一見するとアルミと思える亜鉛ダイキャストの採用は、
CDを象徴しているともいえる組合せである。
CDのピット面はレザー光を反射するためにアルミが使われている。
その上にポリカーボネイトの保護層がある。
ここは当然ながら、透明である。

そこに気づけば、MA-R以前のカセットテープの色は、LPの色を元にしているのだろう、と思えてくる。

CDが成功したのは、LPとまったく違う見た目だったこともあるはずだ。
誰が見ても、LPとCDははっきりと違うことがわかる。
ところがSACDにしてもDVD Audioにしても、ディスクの見た目はCDとどれだけ違うだろうか。
SACDにはSACDのマークが、DVD AudioにはDVD Audioのマークが入っている。
それで見分けはつく、というのだろうが、
そんなところまで見ている人は、オーディオに関心のある人たちであり、
CDのようにオーディオに関心のない人でもひと目でわかるものではなかった。

マークに頼らなくとも、誰が見てもCDとは違う新しいメディアということを示すことができていたら、
SACDの存在は、ずいぶん違っていたはずだ。

SACDにはデザイナーは関与していなかったのだろう。

Date: 9月 21st, 2014
Cate: デザイン

TDK MA-Rというデザイン(その6)

MA-Rはツメにあたる部分が赤くなっていて、スライドするようになっていた。
ツメを折るではなく、スライドさせれば録音はできなくなるし、元に戻せば録音可能になる。

細かなことではあるが、MA-Rの、この機構も見事だと思ったし、細部も疎かにしていない。
しかも赤くなってると書いたが、赤はC60テープで、C46は青、C90は緑に色分けされていた。

まさにReference Standard Mechanismといえよう。
川崎先生は、MA-Rがカセットテープの最終形態だといわれている。
そう思う人は多いだろう。

MA-R以前にこんなカセットテープはなかった。
MA-R以後も同じだ、MA-Rに匹敵するカセットテープは出てこなかった。

いまカセットテープ、カセットデッキに凝ることがあれば、MA-Rを使いたい。
なんとか探し出してきてでも、このテープを使いたい。

メタルテープが登場したときは高校生だった。
メタルテープ対応デッキは買えなかった。
ステレオサウンドで働くようになってからは買えたけれど、カセットデッキ、テープへの関心は薄れていた。

だから聴いたことはあるが、個人的にメタルテープは使ったことがない。
そんな私がいまごろになってMA-Rについて項をたてて書いているのは、
9月13日の川崎先生のブログ『K7の最高機種デザインはAurexデザインだった』を読んだからである。

そこにMA-Rの写真があった。