Archive for category 日本のオーディオ

Date: 5月 22nd, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(ブームだからこそ・その2)

アナログディスク復活と騒がれている。
確かに売上げは伸びているようだ。
でもそれだけで復活とか、ほんとうのブームだとか、そうは考えたくない。

実態はどうなのだろうか。

いま日本でアナログディスクのプレスができるのは東洋化成、一社だけである。
数が少ないから、そう考えているわけではない。

10年くらい前に、オーディオ関係者の人から聞いたことがある。
東洋化成にはカッティングマスターテープを再生するデッキがない、ということと、
カッティングマスターにはCD-Rが使われることが大半だ、ということを聞いた。

10年くらい前は、その人だけの話だった。
その数年後にも、別の人から、やはり同じことを聞いた。

この人たちのことを信用していないわけではない。
でも、CD-Rがカッティングマスターとして使われている、ということは、
なんと表現したらいいんだろうか、ある種の裏切りともいえるのではないか。
そう思うと、自分の目で確認して書くべきことだと思って、
固有名詞を出して、このブログに書くことは控えていた。

それにアナログディスク・ブームとかいわれるようになって、
東洋化成の業績も、話を聞いたころよりもよくなっているだろうから、
いまではCD-Rではなくて、デッキも導入しているだろう、という期待もあって書かなかった。

カッティングシステムは、カッティングマスターを再生するデッキ、
カッティングへッド、これをドライヴするアンプ、カッティングレース、コントローラーなどから成る。

例えば1970年代ごろのビクターは、カッティングシステムを五つ用意していた。
テープデッキにスチューダーA80、アンプにEL156パラレルプッシュプル、出力200Wのモノ、
カッターヘッドはウェストレックスの3DIIAのシステムがひとつ。
このシステムはおもに大編成のオーケストラ、声楽、オルガン曲に使われたそうだ。

デッキはスチューダーA80、アンプはノイマンSAL74(出力600W)、カッターヘッドはノイマンSX74。
このシステムではロック、歌謡曲、ソウルを。

スカーリーの280デッキに、EL156パラレルプッシュプルのアンプ、カッターヘッドはノイマンSX68。
ピアノ・ジャズ、小編成のオーケストラに使用。

アンペックスのデッキにビクター製、出力300WのトランジスターアンプにノイマンSX74カッターヘッド。
これもロック、歌謡曲、ソウルに使われていた。

スカーリーの280デッキに、オルトフォン製出力800WのGO741アンプに、オルトフォンのカッターヘッドDSS731。
これは室内楽に使われた。

何も同じ規模のシステムを東洋化成も揃えるべきだとは思っていない。
だがスチューダーA80かアンペックス、スカーリーのオープンリールデッキを置こうとは考えないのか。

アナログディスク全盛時代はテレフンケンのM15Aも使うレコード会社もあった。
これらすべてを揃えることができたらいいけれど、
何かひとつ、できればヨーロッパ製とアメリカ製のデッキ一台ずつ導入する気はないのだろうか。

Date: 5月 11th, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(ブームだからこそ・その1)

私がDE ROSAのロードバイクを買ったのは、1995年5月だった。
20年以上前で、そのころといまとでは、はっきりとブームだといえる。

街に出れば、必ずロードバイクを見かける。
けっこうな数を見かけるし、けっこうな値段のモノを見かけるようになった。
自転車店の数もほんとうに増えた。
自転車関係の雑誌、ムックも増えている。

けっこうなことだと思いたい。
でも、街を走っている人の中には、明らかにバイクのサイズが合っていない人がいる。
20年ほど前もそういう人はいたけれど、いまの方が多く感じられる。

昔からいわれていた、初心者が来ると、
売れ残っているフレームを、サイズが合ってなくとも売りつける店がある、と。
そうかもしれないと思うし、そればかりでもないとも思う。

ロードバイクはそれ単体で見れば、ある程度のサイズの大きさがあったほうが、見栄えがいい。
ホイールサイズとの関係もあるのだから、そのことは解消が難しい。
そのためだろうか、自転車の見栄えを気にして、サイズが合っていなくともあえて購入する人もいるときく。
自転車店の人がよしたほうがいいとアドバイスしても、らしい。

飾って眺めておくだけの自転車(床の間自転車という)なら、そのほうがいいが、
自転車は公道を走るモノだ。
自転車しか走っていなくても、危険はある。
まして実際は歩行者もいるし、車も走っている。

そこをサイズの合っていない、つまり乗りにくさのあるロードバイクで走る……。

こればかりではない。
時速20km以下のゆっくりしたペースで走っているのに、
ドロップハンドルの一番深いところを握っている人も増えてきている。

ブレーキブラケットのほうが安全で快適なスピードなのに、と思う。

電車に乗れば輪行している人が増えた。
以前はほとんど見かけなかったことも関係しているのだろうが、
輪行バッグには前輪、後輪と外して、という人ばかりだった。

でもいまは前輪だけ外して、後輪は装着したままという人が多い。
後輪の脱着が苦手(できない)人が多いのか。

先日見かけた人は、エアロ仕様のロードバイクだった。
ハンドルもドロップハンドルではなく、タイムトライアル仕様である。

こんな仕様では、街では乗りにくいだろうにと思う。
このバイクに乗っていた人は、明らかにロードバイク初心者だった。

おぼつかなく、危なっかしい乗り方だった。
その人のバイクの値段は、かなりする。

街中では乗りにくくても、かっこいいバイクが欲しかったのかもしれない。
なのにペダルがビンディング式ではなく、一般的な自転車のペダルだった。

このバイクを売った店は、どこなんだろう……。

ブームは悪いことではない。
オーディオがブームだったから、「五味オーディオ教室」は出版された、といっていい。
オーディオがブームだったから、私は「五味オーディオ教室」と出逢えた。

ブームだから、そうでないころからすれば、売ることが楽なのかもしれない。
それだからこそ売る側の姿勢は、ブームでないころよりも問われている。

売る側とは、販売店だけではない、メーカー、輸入元も、オーディオ雑誌の出版社もだ。

いまオーディオテクニカのAT-ART1000について厳しいことを書いているのは、
アナログブームと言われていて、そういうことも含めて、だからだ。

Date: 5月 10th, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(AT-ART1000・その4)

ステレオサウンドにいたときに感じていたのは、
そして私が先生と呼ぶオーディオ評論家の方たちから聞いていたのは、
優れたスピーカーのエンジニアが必ずしも優れたスピーカーの鳴らし手ではない、ということだった。

なにも、このことはスピーカーだけにかぎらない。
スピーカーと同じトランスデューサーであるカートリッジに関しても、そうだ。

Phile-webの記事を読むかぎり、AT-ART1000の開発担当者のひとりである小泉洋介氏は、
カートリッジの使い手としてはどうなんだろう……、とどうしても思ってしまう。

まったく面識のない人のことを、
たったこれだけの記事でカートリッジを使いこなしの技倆がない、とはいわない。
けれど、小泉洋介氏が考えているカートリッジの使いこなしと、
私が考えているカートリッジの使いこなしとでは、ずいぶん違うものであることは、確実にいえる。

私のカートリッジの使いこなし(アナログプレーヤーの使いこなし)は、
ステレオサウンドの試聴室で鍛えられた、といっていい。
特に井上先生の試聴で、それまでのカートリッジの調整がいかに徹底したものでなかったことを知った。

もちろん、それまでもきちんと調整はできていた。
針圧だけでなく、オーバーハング、インサイドフォース・キャンセラー、ラテラルバランスの調整など、
問題なくできていた。

鍛えられた、というのは、そこから先のことである。
そこのところを、私はカートリッジの使いこなしだと考えている。

そこから先の使いこなしに関しては、耳と指先だけの世界でもある。

Date: 5月 10th, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(AT-ART1000・その3)

オーディオテクニカのAT-ART1000の《2~2.5gの間で最適な針圧を個体ごとに割り出して明記》とは、
製造されたばかり、新品の状態での測定による値である。

いくらかはエージングをすませての測定だろうが、ほとんど使い込まれていないことには変りない。
この測定の条件も針圧とともに明記されているのだろうか。

カートリッジは使い込むモノである。
使っていくうちにこなれてくる面ももつ。
新品時に最適だった針圧が100時間ほど使用したあとでも最適なのだろうか。

カートリッジの使用頻度も違ってくる。
毎日最低でもレコード一枚をかける人と、
気が向いたときにAT-ART1000でかけるという人とでは、こなれ方も違ってくる。

それに日本は四季がある。
穏やかな日もあれば、暑い日、寒い日があり、
さらっとした日もあれば、ひどくじめじめした日もある。

気温も湿度も一年のうちに大きく変化する。
使い手によっては、AT-ART1000の測定された環境(気温、湿度)と違う環境で使われる。

一年中、リスニングルームのエアコンは切ることなく、
屋内温度、湿度を常に一定にしている人は、確かにいる。

その人でさえ、AT-ART1000の測定された環境と同じ温度、湿度に設定しているとは限らない。
私の知っている人の中でJBLのスピーカーを鳴らしていた人は、
カリフォルニアの気候に近づけたいというこで、常に除湿器フル稼動で20%くらいを保っていた。

温度にしても寒がりな人、暑がりな人がいて、
真夏、薄着では寒いと感じるほど冷房を効かせる人も知っている。

そういう人もいれば湿度が低いのは喉にも肌にも悪いといって加湿器を使う人もいるし、
冷房も暖房も効かせ方はほどほどにという人もいる。

もっとこまごまと書いていってもいいが、このへんにしておく。
いいたいのはカートリッジを取り巻く環境はさまざまだし、使われ方もそうだし、
カートリッジそのものも含めて変動していく、ということだ。

Date: 5月 9th, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(AT-ART1000・その2)

Phile-webの記事には、こうも書かれている。
     *
前述のような方式のためにコイルの適正な位置が極めて重要になるAT-ART1000において、針圧は非常にクリティカルな要素だ。そこで本機では、ひとつひとつの個体を測定・調整することで、2~2.5gの間で最適な針圧を個体ごとに割り出して明記。ユーザーはその針圧に合わせてセッティングすることで、最良の音質を楽しむことが可能となる。
     *
《コイルの適正な位置が極めて重要になる》のはそのとおりである。
だからといって、《2~2.5gの間で最適な針圧を個体ごとに割り出して明記》する必要があるだろうか。
そのことが意味することを、オーディオテクニカはどう考えているのだろうか。

オーディオテクニカは、どこまで最適針圧を明記するのか。
小数点一桁までか、それとも小数点二桁までなのか。

たとえば購入したAT-ART1000の最適針圧が2.1gだったとしよう。
購入した人は針圧計を取り出して、ぴったり2.1gになるように調整するはずだ。
2.11gと明記してあったら、小数点二桁まで測定できる針圧計を用意して2.11gに合わせる。

これでほんとうにコイルの位置がオーディオテクニカが意図した位置にくるといえるだろうか。

オーディオテクニカがAT-ART1000の測定しているのとまったく同じトーンアームの高さであれば、
そういえなくもない。
けれどトーンアームの水平がどこまできちんと出せているかは、使い手によって違ってくる。
それに聴感上完全に水平にするよりも少し上げ気味にしている人もいる。

アナログプレーヤーの調整のレベルは、実にバラバラである。
きちんと調整できている人もいれば、そうでない人も多い。

オーディオのキャリアが長いから、きちんと調整てきているとは限らない。
高級なアナログプレーヤーを所有しているから、調整も万全とはとてもいえない。

そのことは別項「アナログプレーヤーの設置・調整」で書いている。

そういう状況で使われるのがカートリッジであり、
そこに最適針圧を明記したとしても、針圧だけはきちんと調整されたとしても、
オーバーハング、トラッキングアングル、インサイドフォース・キャンセラー、水平(左右の傾き)などが、
きちんと調整されているという保証は、どこにもない、といえる。

トラッキングアングルがずれていたら……、
インサイドフォースのキャンセル量が多かったり少なかったりしたら……、
カートリッジの水平がきちんと出ていなかったりしたら……。

そこに針圧だけをこまかく指定することを、オーディオテクニカはどう考えているのだろうか。
この針圧の明記にも、カートリッジに対する認識不足が感じられる。

Date: 5月 8th, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(AT-ART1000・その1)

High End 2016でオーディオテクニカがAT-ART1000を発表した。

AT-ART1000の最大の特徴は、オーディオテクニカがダイレクトパワーシステムと呼ぶ構造にある。
簡単にいえば針先の真上に発電コイルがあるわけだ、

古くはウェストレックスの10A、ノイマンのDSTがあり、
日本でもノイマンのコピーといえるモノ、
MC型ながら針交換が可能なサテン、ビクターからはプリントコイルを採用したシリーズ、
池田勇氏によるIkeda 9などがある。

カートリッジの歴史の中で、このタイプのカートリッジは登場すれば話題になる。
つまり誰もがカートリッジの理想形として描くものでありながら、
いくつかの問題をどう解決するのか、その難しさと、
使い手にも技倆が求められるということもあって、主流とはならなかった。

そういうカートリッジに、いまオーディオテクニカが挑戦した、ということで、
期待したい、という気持は強い。
けれどこのカートリッジの紹介記事(音元出版のPhile-web)を読むと、気になることがいくつかある。

書かずにおくことがいいとは思わないし、
期待しているだけに書いておく。

記事中に、
《なお、AT-ART1000の開発を担当した一人である小泉洋介氏によれば、本機に近い方式を採用していた他社製品が1980年代にあったというが、今回のAT-ART1000では、スタイラスチップ上にコイルを配置することを可能としたため、インピーダンスを3Ωとすることができたのが大きなポイントのひとつとのことだ。》
とある。

具体的なブランド、製品名は書かれていないが、ビクターのカートリッジを指している。
ビクターのMC1は、多くのMC型がカンチレバーの奥(支点近く)に発電コイルを配してるのに対し、
軽量のプリントコイルを採用することで、針先からごくわずかのところに配している。

ビクターはこの方式を改良していく。
MC1から始まったシリーズの最終モデルMC-L1000では、文字通りダイレクトカップルといえる構造を実現している。

MC-L1000の構造こそ、針先の真上に発電コイルがあるカートリッジである。
カンチレバーの先端に針先がある、
この針先はカンチレバーを貫通している。カンチレバーの上部に少し出っ張る。
この出っ張り部分にプリントコイルを接着したのがMC-L1000である。

AT-ART1000の紹介記事の担当者は、MC-L1000のことを知らないのだろうか。
調べようともしなかったのか、Phile-webの、他の編集者も誰も知らなかったのか。

AT-ART1000の紹介記事の担当者は、オーディオテクニカの開発担当の小泉洋介氏の言葉をそのまま記事にしたのだろう。
つまり小泉洋介氏もMC-L1000の存在を知らなかったということになる。

どちらの担当者も認識不足といえる。
この認識不足が、AT-ART1000の完成度に影響していないのであれば、わざわざ書いたりしない。

Phile-webに掲載されている内部構造の写真を見ると、かなり気になる点がすぐに目につく。
AT-ART1000はこのまま製品化されるのか。
その点の処理のまずさは、カートリッジの歴史に詳しい人であれば気づくことである。
この点に関しては、AT-ART1000は未処理といっていい(写真をみるかぎりは)。

気になっていることは、まだある。

Date: 1月 27th, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(ハイテクと呼べるモノ)

ハイテク(high-tech)。
ハイテクノロジー(high technology)の略であり、
1980年代はよく使われた言葉だったが、いまではあまりみかけることもなくなっきた。

以前はハイテク・オーディオ機器はアンプだっただろうし、
CDプレーヤー登場以降は、CDプレーヤーを始めとするデジタル機器であり、
いまではハイレゾリューション対応であることが、
一般的にはハイテク・オーディオ機器ということになるであろう。

けれどスピーカーこそがハイテク・オーディオ機器という捉え方も可能である。
1980年代にはいり、新素材の積極的な活用が目立ってきた。
それ以前にも新素材の採用に、オーディオ業界は積極的であった。

スピーカーの振動板に限らず、カートリッジのカンチレバーやトーンアームの分野でも、
新素材の採用は活発だった。

1970年代、スピーカーシステムにおいてはウーファーに関しては、紙の振動板が大半だった。
それが’80年代からウーファーへも新素材が採用されることになる。

この新素材の採用という点からスピーカーをとらえれば、
スピーカーシステムこそがハイテク・オーディオ機器ともいえることになる。

もっともこのことは1980年代にダイヤトーンの技術者によって指摘されていることである。
1986年のステレオサウンド創刊20周年記念別冊「魅力のオーディオブランド101」で、
ダイヤトーンのスピーカーエンジニアの結城吉之氏が語られている。
     *
結城 ハイテク時代といわれていますが、素材のほうから見れば、いまやスピーカーはハイテク商品なんですね。
菅野 ある点では一番原始的ですけど、確かにハイテク商品です。
     *
新素材を採用しただけでハイテク・オーディオ機器となるわけではない、もちろんない。
新素材の特質を活かした形状、構造、使い方を吟味した上で、はじめてハイテクと呼べる。

ダイヤトーンの結城氏の発言はいまから30年前のもの。
けれど、いまもう一度、考えてみるべき価値のある発言だと思っている。

Date: 1月 25th, 2016
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・その8)

ダイヤトーンのふたつのスピーカーシステム、DS1000とDS10000は、
前者をベースに、まるで別モノとおもえるレベルまで磨き上げたのが後者である。

ステレオサウンド 77号には、
菅野先生による「日本的美学の開花」と題されたDS10000についての詳細な記事が載っていて、
そこには囲みで、「DS10000誕生の秘密をダイヤトーンスピーカー技術陣に聞く」もある。

ダイヤトーンの技術陣は、
DS1000と10000は別モノといえるから新規でまったく別の製品を開発したほうがよかったのではないか、
という質問に対して、こう語っている。
     *
ダイヤトーン DS1000は、システムの基本構成の上で非常に高い可能性を持っていると、我々は確信していたのです。基本構成においてもはや動かし難いクリティカルポイントまで煮詰めた上で完成されたDS1000のあの形式で、どこまで音場感が出せるかという技術的な興味もありました。また、システムを再検討するにあたって、ベースとなるデータが揃っているということも大きな理由のひとつでした。まったく別ものにしたとすると、その形態の問題が加速度的に表れてきて、本質を見失ってしまう可能性が出てくる。そこで、既製のものでいちばん可能性の高いものとしてDS1000を選んだのです。
     *
このことはヤマハがNS5000において、
ごく一般的といえる日本独特の3ウェイ・ブックシェルフ型のスタイルをとった理由も、同じのはずだ。
まったく新しい形態のスピーカーシステムの開発に取り組むのもひとつの手であり、
むしろその方が購買層には歓迎されるであろうが、オーディオ雑誌も喜ぶであろうが、
だからといっていいスピーカーシステムになるとは限らない。

「日本的美学の開花」は、そのへんのところも含んでのものといえる。

Date: 1月 24th, 2016
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・その7)

ダイヤトーンのDS10000の評価は高かった。
DS10000には、それまでのダイヤトーンのスピーカーシステムからは感じとりにくかった響きの良さがあった。

ベースとなったDS1000は、優秀なスピーカーシステムではあった。
けれどその優秀性は、悪い意味での優等生のような面ももっていた。
融通がきかないというか、ふところが浅い、とでもいおうか、
そういいたくなるところがあって、システムのどこかの不備をそのまま鳴らしてしまう。

それゆえ当時、DS1000は低音が出ない、といわれることがあった。
それは一般ユーザーだけの話でなく、オーディオ評論家のあいだでもそういわれていた。

DS10000はステレオサウンドのComponents of The yearのゴールデンサウンド賞に選ばれている。
77号の座談会をみてみよう。
     *
柳沢 これだけチェロが唄うように鳴るスピーカーは、いままでのダイヤトーンにはなかったと思う。
菅野 低音がフワッとやわらかくていいですからね。いいチェロになるんですよ。
上杉 同じダイヤトーンのスピーカーでも、他のものは低音が出にくいですからね。
柳沢 たしかに、出ない。というよりも、ぼくには、出せなかったというべきかもしれない。井上さんが鳴らすと出るという話はあるけどね(笑い)。
井上 きちんとつくってあるスピーカーなんですから、正しい使い方さえしてやれば、低音は出るはずなんですけれどね。
     *
77号は1985年だから、いまから30年前のことだ。
いまなら、ここまで低音が出ない、とはいわれないかもしれない、と思いつつも、
でもやっぱり……、とも思ってしまうが、ここではそのことは省略しよう。

低音に関してだけでも、DS1000とDS10000の評価は違っていたし、
スピーカーシステム全体としての音の評価においては、さらに違っていた。

Date: 12月 17th, 2015
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(オーディオと黒・余談)

サンスイのプリメインアンプAU111は、1965年の発売である。
ここからアンプのブラックパネルは始まったといえる。

ふと思ったのだが、コカ・コーラの普及とブラックパネルは、
まったく関係がないといいきれないような気がした。

日本でコカ・コーラの製造が始まったのは1957年である。
1962年にテレビ・コマーシャルを始め、びん自動販売機を設置している。
1964年に東京オリンピックに協賛し、1965年、缶入りのコカ・コーラが発売になっている。

コカ・コーラが広く知られるようになり、広く飲まれるようになったのは、いつからなのだろうか。
テレビ・コマーシャルが始まってからであろうし、さらなる普及は缶入りが登場してからだろう。

私が小さい時にはコカ・コーラは当り前のようにあった。
その色に抵抗感はなく飲んでいたけれど、
コカ・コーラは黒い液体である。登場したばかりのころ、この黒に抵抗を感じた人はいたように思う。

もしコカ・コーラが黒ではなく、違う色だったら……、
コカ・コーラがまったく売れなかったとしたら……、
ブラックパネルのアンプの登場は、もう少し遅れただろうか。

Date: 11月 18th, 2015
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(オーディオと黒・その4)

黒といっても、実にさまざまな黒がある。
サンスイのアンプのブラックパネルとマッキントッシュのアンプのブラックパネルは違う。
同じメーカーであっても、価格帯や時期が違えば、同じ黒とはいえない違いがある。

ヤマハのスピーカーシステムにしても、NS1000Mの黒と来年夏に登場するNS5000の黒は同じではない。
NS5000の黒はピアノの黒である。

ピアノは黒が多い。
白や赤のピアノもあるが、数は少ない。
多くの人がピアノの色として思い浮べるのは黒である。

そのピアノの黒は最初からではない。
現代的なピアノの形になる前のピアノは黒ではなかった。
ピアノが黒になった理由は? という記事がタイミングよく公開された。

漆塗りの時計についての記事なのだが、そこにこう書いてある。
     *
特に「黒」が彼ら(海外の人たち)の目には素敵に映ったようです。なんでも漆塗り独特の深い黒色に海外の王侯貴族が魅せられ、ピアノが黒く塗られるようになったとか。それまでのピアノは木目が出たニス塗りだったそうです。漆のような黒にすることをジャパニングといい、ヨーロッパの人が憧れたようです。
     *
漆の黒だけが、ピアノが黒になっていった理由のすべてではないのかもしれない。
それでも漆の黒がピアノの黒につながり、黒の深さ、歴史の長さがあることを教えてくれている。

Date: 11月 15th, 2015
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(オーディオと黒・その3)

「五味オーディオ教室」と出あい、オーディオにのめりこむようになった1976年は、
オーディオブームは下火とまではいわなくとも、落着いてきていたころである。

日本におけるオーディオブームはいつごろなのか。
1960年代後半から1970年代にかけて、といわれることが多いようだ。

オーディオブームを広告の量という面だけからみていくと、
それもスイングジャーナルに掲載されたオーディオの広告という狭い範囲でのことからいえば、
オーディオブームといえるのは1972年ぐらいからである。

1971年になってから、それまでモノクロだった会社の広告がカラーになりはじめた。
とはいえ毎号カラーではなかったし、まだまだカラーの広告を出していなかった会社の方が大半だった。

それが1972年あたりから、カラー広告がはっきりと増えている。
それに広告の予算も増えたのだろう、広告のつくりにも変化がみられる。
そして広告の出稿量がさらに増えている。

これはスイングジャーナルに載った広告という、ごく狭い範囲でいえることなのはわかっている。
それでも1972年以降がオーディオブームのピークにさしかかっていたとはいえるだろう。

ヤマハのNS1000Mが登場した1974年は、はっきりとオーディオブームのピークである。
NS1000Mがコンシューマー用スピーカーとしては、おそらく初といえる全面黒仕上げ、
サランネットなしのスタイルで世に出せたのは、
オーディオブームがピークにあったことも関係しているはずだ。

オーディオブームのピークの前、もしくは後であれば、
サランネットあり、木目仕上げのNS1000だけの発売になっていたかもしれないし、
NS1000Mが登場したにしてもサランネットありになっていた可能性もある。
NS1000Mの視覚的アイコンといえるウーファーの保護用の金属ネットもなかったであろう。

そうなっていたらNS1000Mの大ヒットは、ヒット作ぐらいに抑えられていた可能性も考えられる。

Date: 11月 14th, 2015
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(オーディオと黒・その2)

アンプのブラックパネルは、サンスイのAU111から始まったようだ、と以前書いた。
スピーカーシステムに関してはどうだろうか。

スピーカーはブックシェルフ型であっても、オーディオ機器の中では大きいサイズになる。
しかもステレオだから二台必要となる。

そのためであろう、スピーカーシステムは家具調の仕上がりのモノがあったし、
そうでなくとも木目を採用したモノばかりの時代があった。

そこにヤマハのNS1000Mが登場する。
1974年のことだ。

NS1000M以前にコンシューマー用スピーカーシステムで木目を排したい黒仕上げのモノはあったのか。
あったかもしれないが、アンプにおける黒ということでサンスイのAU111が真っ先に思い浮ぶように、
スピーカーにおける黒となると、やはりNS1000Mが浮ぶ。

NS1000Mの登場を同時代的に体験しているわけではない。
私がオーディオに興味をもったとき、NS1000Mはすでに存在していたし、
スウェーデンの国営放送へのモニターとしての正式採用が話題になっていた。

それに木目仕上げのNS1000もあったこともあり、すんなりNS1000Mを受け止めていたが、
1974年の時点である程度のオーディオのキャリアを持っていた人にとっては、
NS1000Mの登場は衝撃的であったかもしれないと想像できる。

全面黒仕上げで、サランネットも排している。
スコーカー、トゥイーターの振動板にベリリウムを採用したことよりも、
アピールとしては黒仕上げの方が、印象としては効果的であったのではないか。

私が興味をもったときには、黒はごく普通にアンプにもスピーカーにも、アナログプレーヤーにも使われていた。
けれどオーディオと黒の関係は古いようでいて、思ったほど古いことでもないという気もしている。

オーディオと黒。
少し掘り下げてみたいテーマである。

Date: 10月 7th, 2015
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・余談として)

私がオーディオに興味を持った1970年代後半、
ヤマハのスピーカーユニットはトゥイーターのJA0506とウーファーのJA5004ぐらいしかなかった。

そのヤマハが1979年にスピーカーユニットのラインナップを一挙に充実させた。
20cm口径のフルレンジユニットJA2071とJA2070、
トゥイーターはJA0506の改良型のJA0506IIの他に、
同じホーン型としてJA4281、JA4272、またドーム型のJA0570、JA0571、JA0572。
スコーカーはホーン型のJA4280、ドーム型のJA0770、JA0870。

コンプレッションドライバーはJA4271、JA6681、JZ4270、JA6670があり、
組み合わせるホーンはストレートホーンのJA2330、JA2331、JA2230、
セクトラルホーンのJA1400、JA1230が用意されていた。

ウーファーは30cm口径のJA3070、
38cm口径のJA3881、JA3882、JA3871、JA3870と揃っていたし、
これらの他にも音響レンズのHL1、スロートアダプター、ネットワークもあった。

このラインナップに匹敵するモノを、いまのヤマハに出してほしいとは思っていない。
ただひとつだけNS5000と同じ振動板の、20cm口径のフルレンジユニットを出してほしいと思っている。

JA2071とJA2070のコーン紙は白だった。
NS5000の振動板も白(微妙な違いはあるけども)である。
素性のとてもいいフルレンジユニットとなりそうな気がする。

それはこれからにとって必要なモノだと考えるし、
出来次第では重要なモノ、さらには肝要なモノへとなっていくことを夢想している。

Date: 10月 5th, 2015
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・その6)

感じただけで、実際にAPM8の音を聴くことはできなかった。
それもあってだろう、いつしか忘れてしまっていた。
思い出したのはダイヤトーンのDS10000を聴いたときだった。
五年が経っていた。

ダイヤトーンのDS10000はDS1000をベースにしていることはすでに書いた通りだ。
DS1000の音は、私にとっては井上先生がステレオサウンドの試聴室で鳴らす音とイコールである。

何度かのその音を聴いている。
DS1000の良さは、だから知っている。
ちまたでいわれているような音とは違うところで鳴る音の良さがある。

当時DS1000の評価は、すべての人が高く評価していたわけではなかった。
うまく鳴っていないケースも多かったというよりも、
うまく鳴っていないケースのほうが多かったらしいから、それも当然である。

それでも高く評価する人たちはいた。
誰とは書かない。
この人たちは、どれだけうまくDS1000を鳴らしたのだろうか、と疑問に思ってもいた。
それこそ聴かずに(少なくとも満足に聴かずに)、試聴記を書いているではなかったのか。

DS10000が出た。
価格はDS1000の三倍ほどになっていたし、
エンクロージュアの仕上げも黒のピアノフィニッシュになっていた。
専用スタンドも用意されていた。

音質的に配慮されたスタンドだということはわかっていても、
このスタンドに載せたDS10000の姿は、あまりいい印象ではなかった。
なんといわれていたのかはいまでも憶えているが、
いまもこのスピーカーシステムを愛用している人はきっといるはずだから、そんなことは書かない。

でも、DS10000から鳴ってきた音を聴いて驚いた。
DS1000の音はしっかりと把握していたからこそ、
そこでの「どこにも無理がかかっていない」と思わせる鳴り方に驚いた。
そして黒田先生のAPM8の試聴記を思い出してもいた。