Archive for category 日本のオーディオ

Date: 1月 24th, 2016
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・その7)

ダイヤトーンのDS10000の評価は高かった。
DS10000には、それまでのダイヤトーンのスピーカーシステムからは感じとりにくかった響きの良さがあった。

ベースとなったDS1000は、優秀なスピーカーシステムではあった。
けれどその優秀性は、悪い意味での優等生のような面ももっていた。
融通がきかないというか、ふところが浅い、とでもいおうか、
そういいたくなるところがあって、システムのどこかの不備をそのまま鳴らしてしまう。

それゆえ当時、DS1000は低音が出ない、といわれることがあった。
それは一般ユーザーだけの話でなく、オーディオ評論家のあいだでもそういわれていた。

DS10000はステレオサウンドのComponents of The yearのゴールデンサウンド賞に選ばれている。
77号の座談会をみてみよう。
     *
柳沢 これだけチェロが唄うように鳴るスピーカーは、いままでのダイヤトーンにはなかったと思う。
菅野 低音がフワッとやわらかくていいですからね。いいチェロになるんですよ。
上杉 同じダイヤトーンのスピーカーでも、他のものは低音が出にくいですからね。
柳沢 たしかに、出ない。というよりも、ぼくには、出せなかったというべきかもしれない。井上さんが鳴らすと出るという話はあるけどね(笑い)。
井上 きちんとつくってあるスピーカーなんですから、正しい使い方さえしてやれば、低音は出るはずなんですけれどね。
     *
77号は1985年だから、いまから30年前のことだ。
いまなら、ここまで低音が出ない、とはいわれないかもしれない、と思いつつも、
でもやっぱり……、とも思ってしまうが、ここではそのことは省略しよう。

低音に関してだけでも、DS1000とDS10000の評価は違っていたし、
スピーカーシステム全体としての音の評価においては、さらに違っていた。

Date: 12月 17th, 2015
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(オーディオと黒・余談)

サンスイのプリメインアンプAU111は、1965年の発売である。
ここからアンプのブラックパネルは始まったといえる。

ふと思ったのだが、コカ・コーラの普及とブラックパネルは、
まったく関係がないといいきれないような気がした。

日本でコカ・コーラの製造が始まったのは1957年である。
1962年にテレビ・コマーシャルを始め、びん自動販売機を設置している。
1964年に東京オリンピックに協賛し、1965年、缶入りのコカ・コーラが発売になっている。

コカ・コーラが広く知られるようになり、広く飲まれるようになったのは、いつからなのだろうか。
テレビ・コマーシャルが始まってからであろうし、さらなる普及は缶入りが登場してからだろう。

私が小さい時にはコカ・コーラは当り前のようにあった。
その色に抵抗感はなく飲んでいたけれど、
コカ・コーラは黒い液体である。登場したばかりのころ、この黒に抵抗を感じた人はいたように思う。

もしコカ・コーラが黒ではなく、違う色だったら……、
コカ・コーラがまったく売れなかったとしたら……、
ブラックパネルのアンプの登場は、もう少し遅れただろうか。

Date: 11月 18th, 2015
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(オーディオと黒・その4)

黒といっても、実にさまざまな黒がある。
サンスイのアンプのブラックパネルとマッキントッシュのアンプのブラックパネルは違う。
同じメーカーであっても、価格帯や時期が違えば、同じ黒とはいえない違いがある。

ヤマハのスピーカーシステムにしても、NS1000Mの黒と来年夏に登場するNS5000の黒は同じではない。
NS5000の黒はピアノの黒である。

ピアノは黒が多い。
白や赤のピアノもあるが、数は少ない。
多くの人がピアノの色として思い浮べるのは黒である。

そのピアノの黒は最初からではない。
現代的なピアノの形になる前のピアノは黒ではなかった。
ピアノが黒になった理由は? という記事がタイミングよく公開された。

漆塗りの時計についての記事なのだが、そこにこう書いてある。
     *
特に「黒」が彼ら(海外の人たち)の目には素敵に映ったようです。なんでも漆塗り独特の深い黒色に海外の王侯貴族が魅せられ、ピアノが黒く塗られるようになったとか。それまでのピアノは木目が出たニス塗りだったそうです。漆のような黒にすることをジャパニングといい、ヨーロッパの人が憧れたようです。
     *
漆の黒だけが、ピアノが黒になっていった理由のすべてではないのかもしれない。
それでも漆の黒がピアノの黒につながり、黒の深さ、歴史の長さがあることを教えてくれている。

Date: 11月 15th, 2015
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(オーディオと黒・その3)

「五味オーディオ教室」と出あい、オーディオにのめりこむようになった1976年は、
オーディオブームは下火とまではいわなくとも、落着いてきていたころである。

日本におけるオーディオブームはいつごろなのか。
1960年代後半から1970年代にかけて、といわれることが多いようだ。

オーディオブームを広告の量という面だけからみていくと、
それもスイングジャーナルに掲載されたオーディオの広告という狭い範囲でのことからいえば、
オーディオブームといえるのは1972年ぐらいからである。

1971年になってから、それまでモノクロだった会社の広告がカラーになりはじめた。
とはいえ毎号カラーではなかったし、まだまだカラーの広告を出していなかった会社の方が大半だった。

それが1972年あたりから、カラー広告がはっきりと増えている。
それに広告の予算も増えたのだろう、広告のつくりにも変化がみられる。
そして広告の出稿量がさらに増えている。

これはスイングジャーナルに載った広告という、ごく狭い範囲でいえることなのはわかっている。
それでも1972年以降がオーディオブームのピークにさしかかっていたとはいえるだろう。

ヤマハのNS1000Mが登場した1974年は、はっきりとオーディオブームのピークである。
NS1000Mがコンシューマー用スピーカーとしては、おそらく初といえる全面黒仕上げ、
サランネットなしのスタイルで世に出せたのは、
オーディオブームがピークにあったことも関係しているはずだ。

オーディオブームのピークの前、もしくは後であれば、
サランネットあり、木目仕上げのNS1000だけの発売になっていたかもしれないし、
NS1000Mが登場したにしてもサランネットありになっていた可能性もある。
NS1000Mの視覚的アイコンといえるウーファーの保護用の金属ネットもなかったであろう。

そうなっていたらNS1000Mの大ヒットは、ヒット作ぐらいに抑えられていた可能性も考えられる。

Date: 11月 14th, 2015
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(オーディオと黒・その2)

アンプのブラックパネルは、サンスイのAU111から始まったようだ、と以前書いた。
スピーカーシステムに関してはどうだろうか。

スピーカーはブックシェルフ型であっても、オーディオ機器の中では大きいサイズになる。
しかもステレオだから二台必要となる。

そのためであろう、スピーカーシステムは家具調の仕上がりのモノがあったし、
そうでなくとも木目を採用したモノばかりの時代があった。

そこにヤマハのNS1000Mが登場する。
1974年のことだ。

NS1000M以前にコンシューマー用スピーカーシステムで木目を排したい黒仕上げのモノはあったのか。
あったかもしれないが、アンプにおける黒ということでサンスイのAU111が真っ先に思い浮ぶように、
スピーカーにおける黒となると、やはりNS1000Mが浮ぶ。

NS1000Mの登場を同時代的に体験しているわけではない。
私がオーディオに興味をもったとき、NS1000Mはすでに存在していたし、
スウェーデンの国営放送へのモニターとしての正式採用が話題になっていた。

それに木目仕上げのNS1000もあったこともあり、すんなりNS1000Mを受け止めていたが、
1974年の時点である程度のオーディオのキャリアを持っていた人にとっては、
NS1000Mの登場は衝撃的であったかもしれないと想像できる。

全面黒仕上げで、サランネットも排している。
スコーカー、トゥイーターの振動板にベリリウムを採用したことよりも、
アピールとしては黒仕上げの方が、印象としては効果的であったのではないか。

私が興味をもったときには、黒はごく普通にアンプにもスピーカーにも、アナログプレーヤーにも使われていた。
けれどオーディオと黒の関係は古いようでいて、思ったほど古いことでもないという気もしている。

オーディオと黒。
少し掘り下げてみたいテーマである。

Date: 10月 7th, 2015
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・余談として)

私がオーディオに興味を持った1970年代後半、
ヤマハのスピーカーユニットはトゥイーターのJA0506とウーファーのJA5004ぐらいしかなかった。

そのヤマハが1979年にスピーカーユニットのラインナップを一挙に充実させた。
20cm口径のフルレンジユニットJA2071とJA2070、
トゥイーターはJA0506の改良型のJA0506IIの他に、
同じホーン型としてJA4281、JA4272、またドーム型のJA0570、JA0571、JA0572。
スコーカーはホーン型のJA4280、ドーム型のJA0770、JA0870。

コンプレッションドライバーはJA4271、JA6681、JZ4270、JA6670があり、
組み合わせるホーンはストレートホーンのJA2330、JA2331、JA2230、
セクトラルホーンのJA1400、JA1230が用意されていた。

ウーファーは30cm口径のJA3070、
38cm口径のJA3881、JA3882、JA3871、JA3870と揃っていたし、
これらの他にも音響レンズのHL1、スロートアダプター、ネットワークもあった。

このラインナップに匹敵するモノを、いまのヤマハに出してほしいとは思っていない。
ただひとつだけNS5000と同じ振動板の、20cm口径のフルレンジユニットを出してほしいと思っている。

JA2071とJA2070のコーン紙は白だった。
NS5000の振動板も白(微妙な違いはあるけども)である。
素性のとてもいいフルレンジユニットとなりそうな気がする。

それはこれからにとって必要なモノだと考えるし、
出来次第では重要なモノ、さらには肝要なモノへとなっていくことを夢想している。

Date: 10月 5th, 2015
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・その6)

感じただけで、実際にAPM8の音を聴くことはできなかった。
それもあってだろう、いつしか忘れてしまっていた。
思い出したのはダイヤトーンのDS10000を聴いたときだった。
五年が経っていた。

ダイヤトーンのDS10000はDS1000をベースにしていることはすでに書いた通りだ。
DS1000の音は、私にとっては井上先生がステレオサウンドの試聴室で鳴らす音とイコールである。

何度かのその音を聴いている。
DS1000の良さは、だから知っている。
ちまたでいわれているような音とは違うところで鳴る音の良さがある。

当時DS1000の評価は、すべての人が高く評価していたわけではなかった。
うまく鳴っていないケースも多かったというよりも、
うまく鳴っていないケースのほうが多かったらしいから、それも当然である。

それでも高く評価する人たちはいた。
誰とは書かない。
この人たちは、どれだけうまくDS1000を鳴らしたのだろうか、と疑問に思ってもいた。
それこそ聴かずに(少なくとも満足に聴かずに)、試聴記を書いているではなかったのか。

DS10000が出た。
価格はDS1000の三倍ほどになっていたし、
エンクロージュアの仕上げも黒のピアノフィニッシュになっていた。
専用スタンドも用意されていた。

音質的に配慮されたスタンドだということはわかっていても、
このスタンドに載せたDS10000の姿は、あまりいい印象ではなかった。
なんといわれていたのかはいまでも憶えているが、
いまもこのスピーカーシステムを愛用している人はきっといるはずだから、そんなことは書かない。

でも、DS10000から鳴ってきた音を聴いて驚いた。
DS1000の音はしっかりと把握していたからこそ、
そこでの「どこにも無理がかかっていない」と思わせる鳴り方に驚いた。
そして黒田先生のAPM8の試聴記を思い出してもいた。

Date: 9月 30th, 2015
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・その5)

瀬川先生がステレオサウンド 52号「最新セパレートアンプの魅力をたずねて」で書かれている。
     *
 新型のプリアンプML6Lは、ことしの3月、レビンソンが発表のため来日した際、わたくしの家に持ってきて三日ほど借りて聴くことができたが、LNP2Lの最新型と比較してもなお、歴然と差の聴きとれるいっそう透明な音質に魅了された。ついさっき、LNP(初期の製品)を聴いてはじめてJBLの音が曇っていると感じたことを書いたが、このあいだまで比較の対象のなかったLNPの音の透明感さえ、ML6のあとで聴くと曇って聴こえるのだから、アンプの音というものはおそろしい。もうこれ以上透明な音などありえないのではないかと思っているのに、それ以上の音を聴いてみると、いままで信じていた音にまだ上のあることがわかる。それ以上の音を聴いてみてはじめて、いままで聴いていた音の性格がもうひとつよく理解できた気持になる。これがアンプの音のおもしろいところだと思う。
     *
52号は1979年に出ている。
私はまだ16だった。
オーディオをどれだけ聴いていたか──、わずかなものだった。

アンプとはそういうものなのか、アンプの音とはそういうものなのか、と思い読んでいた。
そして考えた。これがスピーカーだったら、アンプの音の透明度に相当するもの、
つまり「それ以上の音を聴いてみてはじめて、いままで聴いていた音の性格がもうひとつよく理解できた気持になる」音とは、
何なのかを考えていた。すぐには思いつかなかった。

そんなことを考えて半年、ステレオサウンド 54号が出た。
スピーカーシステムの特集だった。

黒田先生、菅野先生、瀬川先生が国内外の45機種のスピーカーシステムを聴かれている。
その中に黒田先生のエスプリ(ソニー)のAPM8の試聴記がある。
これを読み、これかもしれないと思った。
     *
化粧しない、素顔の美しさとでもいうべきか。どこにも無理がかかっていない。それに、このスピーカーの静けさは、いったいいかなる理由によるのか。純白のキャンバスに、必要充分な色がおかれていくといった感じで、音がきこえてくる。
     *
とはいえ、この時はいわば直感でそう感じただけだった。

Date: 9月 27th, 2015
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・その4)

ダイヤトーンが40周年記念モデルとして、1985年にDS10000を出してきた。
このころのダイヤトーンはDS5000、DS1000、DS2000といったスピーカーが主力であり、
これらをきちんとセッティングして鳴らした音は、オーディオマニアとして惹かれるところがあった。

とはいっても自分のモノとして買うかとなると、それはなかった。
それでもきちんとした状態で鳴るこれらのスピーカーの音には、
オーディオマニアとして挑発されるところがあった。

DS10000は型番からわかるようにDS1000をベースにした限定モデルである。
ウーファーは27cm口径、スコーカー、トゥイーターはハードドーム型。
エンクロージュアはピアノフィニッシュのブックシェルフ型だった。

こう書いていくと、今回のヤマハのNS5000も同じといえる構成である。
構成、外観が共通するところがあるにとどまらない。

昨日、NS5000の音を聴きながら、DS10000の音を初めて聴いた時のことを思い出していた。
DS10000を聴いた時の驚きを思い出していた。

NS5000にも、そういった驚きがあった。
同じといえる驚きの部分もあったし、そうでない驚きもあった。

Date: 9月 27th, 2015
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・その3)

24日のNS5000の発表された内容を読んでいて、
インターナショナルオーディオショウに行って音を聴きたい、と思うようになったのは、
まず型番がそうだった。

現在のヤマハのプリメインアンプとCDプレーヤーは、1000番、2000番、3000番の型番がつけられている。
NS5000はNS1000でも、NS2000でもNS3000でもなく、NS5000である。
NS1000とNS2000は既に使われている型番だとしても、なぜNS3000でないのか。

もしかするとNS3000という型番で開発は始まったのかもしれない。
それがなんらかの理由で、NS5000になったとしたら……、そんなことを考えていた。

そして価格をみると一本75万円(予価)とある。ペアで150万円。
ヤマハのCD-S3000、A-S3000の価格からしても高い価格設定である。
ということは、CD-S5000、A-S5000が今後登場してくるのかもしれない。
それだけではない、いまはプリメインアンプだけだが、セパレートアンプの復活もあるのではないか。

そんな勝手な期待をしていた。
これがインターナショナルオーディオショウに行こうと思った理由のひとつ。

もうひとつはNS5000の外観にある。
30Cm口径ウーファーに、ドーム型のスコーカーとトゥイーター、
エンクロージュアのサイズはいわゆる日本的なブックシェルフ。

エンクロージュアも写真を見る限りはラウンドバッフルではない。
ただの四角い箱に見える。
いくら仕上げがピアノフィニッシュであっても、
598のスピーカーと一見似たような内容で、十倍以上の価格をつけて出してくる。

あえて、このスタイルでヤマハは出してくるのか──、
これがふたつめの理由である。

もうひとつは昨年のショウ雑感にも書いているように、
ヤマハのプレゼンテーションは、なかなかよかった。
今年もいいプレゼンテーションであるだろうし、
昨年と同じということもないであろう。そういう期待も理由のひとつであった。

Date: 9月 27th, 2015
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・その2)

ヤマハのスピーカーシステムの型番には基本的にはNSとついている。
NSとはナチュラルサウンド(Natural Sound)の略である。

NS1000M、NS690、NS10M、NS500、NS8902などの製品があった。
これら以外にも数多くのヤマハのNSナンバーのスピーカーシステムは登場してきた。

1980年代に登場したヤマハのスピーカーの大半は、
ステレオサウンドで聴いている。
そうやって聴いてきて、
ヤマハが目指している・考えているナチュラルサウンドがどういう音なのか、
それがわかった・つかめたかというと、そんなことはなかった。

こちらの聴き方が悪いのかもしれない。
でも、それだけではなかったはずだ。

たとえばNS690IIとNS1000Mは、どちらも30cm口径のウーファーの3ウェイ、
スコーカーとトゥイーターはどちらもドーム型だが、NS690IIはソフトドームでNS1000Mはハードドーム型。
エンクロージュアの仕上げ、色もまったく違う。

それぞれのスピーカーから鳴ってくる音は、
他社製スピーカーとの比較においてはどちらもヤマハのスピーカーであることははっきりしているのだが、
NS690IIとNS1000Mとでは性格が同じスピーカーとはいえないところもあった。

ヤマハはどちらの音をナチュラルサウンドと呼ぶのか。
私にとって、このことはながいこと疑問だった。

今回NS5000を聴いて、
やっとヤマハの「ナチュラルサウンド」をはっきりと耳で聴きとれた、と実感できた。

Date: 9月 26th, 2015
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・その1)

25日からインターナショナルオーディオショウが始まった。
今回は仕事の関係で行けない(行かない)かもと思っていた。

けれど24日にヤマハからNS5000のリリースが発表になった。
これだけは聴いておきたいと思い、なんとか時間のやりくりで、26日の夕方の、二時間半ほど会場を廻っていた。

目的のヤマハのブースでは私が到着する少し前に試聴が始まっていた。
これまでならばそれでもブースに入れたものだけど、今回は無理だった。
となると本日の最後のデモ(18時から)を聴くしかない。
そのためにはヤマハのブースに最低でも15分前には入っておきたい。

つまり他のブースを廻る時間は一時間ちょっとになってしまう。
NS5000以外にも聴いておきたいモノはあった。
でも今回はNS5000を最優先とすることにした。

おかげでNS5000を約50分間聴けた。
予想をこえていた音が鳴っていた。
詳細は明日以降書いていくが、明日(27日)に行かれる方は、とにかくNS5000の音を聴いてほしいと思う。

NS5000からは「日本のオーディオ、これから」を聴き取ることができたからだ。

Date: 6月 24th, 2015
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(マクソニックの同軸型ユニット)

同軸型ユニットは古くから存在している。
けれどウーファーとトゥイーターのボイスコイルの位置を揃えたユニットとなると、
KEFのUni-Qの登場を待たなければならなかった──、
そうだとずっと思っていた。

同軸型ユニットにはメリットもあればデメリットもある。
トゥイーターにホーン型を採用した場合、メリットとデメリットが表裏一体となる。
構造上、どうしてもトゥイーターのダイアフラムは、ウーファーのコーン紙よりも奥まった位置にくる。

タンノイもアルテックもジェンセンもRCAも、
ホーン型とコーン型の同軸型ユニットいずれもそうだった。

この構造上のデメリットを排除するためにUREIは内蔵ネットワークに工夫をこらしている。
これも解決方法のひとつであるが、
スピーカーユニットを開発するエンジニアであれば、構造そのもので解決する方法を選ぶだろう。

いまごろ気づいたのか、遅すぎるという指摘を受けそうだが、
マクソニックの同軸型ユニット、DS405は、
トゥイーターがホーン型であるにもかかわらず、
ウーファーとトゥイーターのボイスコイル位置が揃っている。

DS405は1978年5月に登場している。KEFのUni-Qよりも約10年も早い。
なぜ、このことにいままで気づかなかったのだろうか、と自分でも不思議に思う。

DS405の広告はステレオサウンド 46号に載っている。
そこに《同位相を実現した同軸型超デュアルスピーカ。》とある。
構造図もある。

確かにウーファーとトゥイーターのボイスコイルの位置は揃っている。
この広告は見た記憶はある。
けれど、当時はよく理解していなかったわけだ。

DS405は割と長く販売されていたように記憶している。
いまは製造中止になっているが、マクソニックには同軸型ユニットがふたつラインナップされている。
そのうちのひとつ、DS701はDS405を受け継ぐモノで、同位相同軸型ユニットであることを謳っている。

それにしても……、と反省している。
見ていたにも関わらず気づいていなかった。
おそらく他にも気づいていなかったことはあるだろう。

それでも、まだ気づいているだけ、いいのかもしれない。
そして気づくことで、日本のオーディオが過小評価されていたことをあらためて感じている。

いまこそ、日本のオーディオを再検証すべきだと思う。

Date: 6月 4th, 2015
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(その4)

アメリカで1970年代におこったMC型カートリッジの再評価は、
半導体アンプの進歩により優秀なヘッドアンプの登場と、
日本製のMC型カートリッジがあってのことだといわれている。

そうであろう。
けれど日本製のMC型カートリッジが評価されたのは、
日本製のMM型カートリッジが輸出できなかったことも遠因のように考えられる。

日本には当時多くのMM型カートリッジがあった。
優秀なモノもあった。けれどこれらはすべて海外に輸出できなかったのは、
MM型カートリッジの特許をシュアーとエラックを取得していたからである。

日本では特許が認められなかった。
これには理由があって、日本では各社MM型カートリッジを開発・製造・販売することができた。

シュアー、エラックのMM型カートリッジの構造と、
日本製MM型カートリッジの構造には、ひとつ大きな違いがある。

つい先日ステレオサウンドから出た「MCカートリッジ徹底研究」。
このムック後半の「図説・MC型カートリッジ研究」におそらく載っているはずの図を見てほしい。

見開きで、右ページにMM型カートリッジの構造図、左ページにはMC型カートリッジの構造図、
それぞれレコードの溝をトレースしている。

MM型カートリッジの構造図ではカンチレバーがありその奥にマグネットがあり、
このマグネットの周囲にダンパーがある。
そしてこれらを囲むように、コイルが巻かれたヨークが四方に配置されている。

つまりヨークが形成しているのは四角形なのに対し、
マグネットの形状は円筒形である。
誰もがなぜマグネットを四角にしなかったのかと思うだろう。
事実、シュアー、エラックのマグネットは四角になっている。

円筒形のマグネットは日本のMM型カートリッジということになる。
これは推測すぎないのだが、おそらくマグネットの形も特許に関係しているのだろう。

MM型カートリッジの発電に関する基本特許は日本では認められなかったけれど、
細部に関する特許は認められていたのかもしれない。
少なくともなんらかの都合で、日本製のMM型カートリッジは円筒形にせざるをえなかったのではないのか。

Date: 5月 23rd, 2015
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(続ハンダ付け)

魚を焼く網へのハンダ付け。
山水電気だけでなく、他の国産メーカーもやっていたところはあるし、
やっていないとこもあっただろう。

この研修をやっていたメーカーの工場でハンダ付けを担当されていた人たちは、
このことは出来てあたりまえのハンダ付けの腕前であったわけだ。

当時の国産のオーディオ機器は、そういう人たちの腕前によって作られていた。
いまはどうなっているのたろうか、と思う。
いまも同じレベルのところもあるだろうし、
そうでないところもあると思う。

そして、想像でしかないのだが、後者のほうが増えて来つつあるのかもしれない。
それだけではない、海外はどうなのか、とも思ってしまう。

海外製品の中には、ひじょうに高価すぎるオーディオ機器がある。
それらは、国産メーカーのハンダ付けと少なくとも同等、もっと上のレベルなのだろうか。
ついそんなことを考えてしまう。

ハンダ付けは基本である。
だからこそ、たとえば往年の管球式アンプを修理もしくはメンテナンスに出す際には、
ハンダ付けの技術を確認するのもひとつの手だといえる。

多くの業者が、完璧なメンテナンスを行います、と謳っている。
オリジナルパーツを使います、とか、よりよいパーツと交換します、とか。
そんなことよりも大事なのは、メンテナンスを施す人のハンダ付けの技術である。

調子のいいことをいう業者はいる。
それだけではない、自分より上の技術を目にしたことがない人は、
自分のレベルが高いと思い込んでいることだってある。

そういう人に、大事に使ってきたオーディオ機器の修理をまかせても平気な人はいない。
そういう人を見抜くには、魚を焼く網にハンダ付けをしてもらうのもひとつの手である。
そして、ハンダ付けが終った網を硬いものに力いっぱい叩きつける。
ハンダがひとつも落ちなかったら、その人のハンダの技術はしっかりしたものといえる。
ボロボロ落ちるような人には、決して愛器の修理はまかせてはいけない。