Date: 5月 10th, 2016
Cate: 日本のオーディオ
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日本のオーディオ、これから(AT-ART1000・その4)

ステレオサウンドにいたときに感じていたのは、
そして私が先生と呼ぶオーディオ評論家の方たちから聞いていたのは、
優れたスピーカーのエンジニアが必ずしも優れたスピーカーの鳴らし手ではない、ということだった。

なにも、このことはスピーカーだけにかぎらない。
スピーカーと同じトランスデューサーであるカートリッジに関しても、そうだ。

Phile-webの記事を読むかぎり、AT-ART1000の開発担当者のひとりである小泉洋介氏は、
カートリッジの使い手としてはどうなんだろう……、とどうしても思ってしまう。

まったく面識のない人のことを、
たったこれだけの記事でカートリッジを使いこなしの技倆がない、とはいわない。
けれど、小泉洋介氏が考えているカートリッジの使いこなしと、
私が考えているカートリッジの使いこなしとでは、ずいぶん違うものであることは、確実にいえる。

私のカートリッジの使いこなし(アナログプレーヤーの使いこなし)は、
ステレオサウンドの試聴室で鍛えられた、といっていい。
特に井上先生の試聴で、それまでのカートリッジの調整がいかに徹底したものでなかったことを知った。

もちろん、それまでもきちんと調整はできていた。
針圧だけでなく、オーバーハング、インサイドフォース・キャンセラー、ラテラルバランスの調整など、
問題なくできていた。

鍛えられた、というのは、そこから先のことである。
そこのところを、私はカートリッジの使いこなしだと考えている。

そこから先の使いこなしに関しては、耳と指先だけの世界でもある。

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