Date: 11月 15th, 2015
Cate: 日本のオーディオ
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日本のオーディオ、これまで(オーディオと黒・その3)

「五味オーディオ教室」と出あい、オーディオにのめりこむようになった1976年は、
オーディオブームは下火とまではいわなくとも、落着いてきていたころである。

日本におけるオーディオブームはいつごろなのか。
1960年代後半から1970年代にかけて、といわれることが多いようだ。

オーディオブームを広告の量という面だけからみていくと、
それもスイングジャーナルに掲載されたオーディオの広告という狭い範囲でのことからいえば、
オーディオブームといえるのは1972年ぐらいからである。

1971年になってから、それまでモノクロだった会社の広告がカラーになりはじめた。
とはいえ毎号カラーではなかったし、まだまだカラーの広告を出していなかった会社の方が大半だった。

それが1972年あたりから、カラー広告がはっきりと増えている。
それに広告の予算も増えたのだろう、広告のつくりにも変化がみられる。
そして広告の出稿量がさらに増えている。

これはスイングジャーナルに載った広告という、ごく狭い範囲でいえることなのはわかっている。
それでも1972年以降がオーディオブームのピークにさしかかっていたとはいえるだろう。

ヤマハのNS1000Mが登場した1974年は、はっきりとオーディオブームのピークである。
NS1000Mがコンシューマー用スピーカーとしては、おそらく初といえる全面黒仕上げ、
サランネットなしのスタイルで世に出せたのは、
オーディオブームがピークにあったことも関係しているはずだ。

オーディオブームのピークの前、もしくは後であれば、
サランネットあり、木目仕上げのNS1000だけの発売になっていたかもしれないし、
NS1000Mが登場したにしてもサランネットありになっていた可能性もある。
NS1000Mの視覚的アイコンといえるウーファーの保護用の金属ネットもなかったであろう。

そうなっていたらNS1000Mの大ヒットは、ヒット作ぐらいに抑えられていた可能性も考えられる。

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