Archive for category 賞

Date: 6月 29th, 2022
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド,

オーディオの殿堂(その1)

ステレオサウンドのウェブサイトで、
223号の特集「オーディオの殿堂」入りした105機種を公開している。

今日(6月29日)にスピーカーシステムとスピーカーユニット、
30日にアンプ関係、7月1日にアナログプレーヤー、CDプレーヤー関係が公開される。

これを書いている時点では、スピーカーシステム39機種が公開されている。
この種の企画では、
この機種が殿堂入りしているのは、あの機種はなぜ? ということは常に起る。
そういうものだということは最初からわかっている。

それでも今回公開された殿堂入りしたスピーカーシステム39機種を眺めていると、
偏っている、としか感じられない。

ステレオサウンドが創刊されてから五十五年以上経つ。
その間に登場してきたオーディオ機器の数がいったいどれだけになるのか。
厖大なモデルが登場してきたわけで、今回の「オーディオの殿堂」は、
それらのなかから105機種である。それは割合としてはわずかでしかない。

なので、なぜ、あの機種が? ということは、誰にでもあること。
それはよくわかったうえで、なぜ、あの機種が? というモデルについて書いていきたい。

まずはJBLのDD55000である。
別項「ホーン今昔物語(その17)」で、
DD55000は「オーディオの殿堂」で選ばれているのか、と書いた。

facebookでコメントがあり、選ばれていないことはすでに知っていた。
やはり選ばれていないのか……。

JBLのスピーカーシステムでは、パラゴン、ハーツフィールド、オリンパス、
4343、4344、S9500、DD66000が殿堂入りしている。

4343が殿堂入りしているのだから、4344はいいのでは? と私は思ってしまう。
それよりもDD55000があるだろう、と思うし、4350も殿堂入りしていないのか、
4310(4311)はないのか、と。

Date: 11月 30th, 2021
Cate:

賞からの離脱(オーディオの殿堂・その3)

明日から12月。
あと十日ほどでステレオサウンド 221号が出る。

特集はグランプリとベストバイなのは、毎年の恒例でしかない。
そこに「オーディオの殿堂」を、来年はやるのか──。

賞がそこまで好きなのならば、
六年前と二年前に書いているけれど、
瀬川冬樹賞をつくるべきだ。

オーディオ評論の世界に、瀬川冬樹賞がない。

一週間ほど前に、別項で、
音元出版のanalogについて触れた。

いまもっとも期待している、と書いた。
私がanalogに期待しているのは、
オーディオ評論に頼らないオーディオ雑誌を実現してくれるかも──、ということだ。

それが可能なのかどうかはなんともいえないが、
そんなオーディオ雑誌が一冊はあってもいいし、あってほしい。

ステレオサウンドには、これは無理なことだ。
ステレオサウンドは徹底してオーディオ評論のオーディオ雑誌であってほしい。

だからこそ瀬川冬樹賞について、くり返し書くわけだ。

Date: 10月 21st, 2021
Cate:

賞からの離脱(オーディオの殿堂・その2)

ステレオサウンドが予定している「オーディオの殿堂」は、
どういうやり方をするのだろうか──をあれこれ考えていると、けっこう楽しい。

まず投票方式はどうするのかだ。
投票用紙を兼ねるアンケートハガキをつけるのが、まず考えられる。
けれど、これでは電子ブックで購入している人が投票できなくなる。

電子ブック購入の人も投票できるように、となると、インターネット投票となるのか。
その場合、一人が何回も投票できるようにしてはまずい。
一人一回の投票のシステムをどうするのか。

うまいやり方があったとして、今度は、投票率をどれだけ高められるかである。
このことに関して書きたいことあるが、いまはまだ書かない方がいいと思っている。
ずいぶん後になったら書くつもりだが、いまのところは触れないでおく。

ただ言いたいのは、投票率を高くすることは、そう簡単ではない。
ステレオサウンドの場合、実際の選挙とは違うのだから、
投票してくれた人に景品を、ということができる。

さらに抽選で豪華賞品が当る、ということもやれる。
そうなるとメーカーや輸入元の協力が必要となってくる。

「オーディオの殿堂」は来年の企画である。
実際、どういう展開で行うのかは、いま考えているところなのかもしれない。

読者投票だけで、「オーディオの殿堂」が決定するわけでもないだろう。
その場合、以前のベストバイのように、
読者アンケートの結果は、それだけの集計結果の発表とするのだろうか。

他にも、どうするんだろうか……、と考えていることはあるが、
それよりも私が一番関心があるのは、
598のスピーカーの殿堂入りはあるのだろうか、である。

殿堂入りの条件がどうなるのかは、まったくわからない。
それでも、あの時代の598のスピーカーという存在は、
殿堂入りしてもおかしくない、というよりも、あえて殿堂入りさせるべきだと考える。

Date: 10月 15th, 2021
Cate:

賞からの離脱(オーディオの殿堂・その1)

ステレオサウンド 220号の染谷編集長の編集後記に、
「オーディオの殿堂」を読者参加で企画している、といったことが書かれてあった。

これを読んで、二つのことをおもっていた。
また、賞を新たにやるのか──、というあきれからくるもの、
そして、五味先生が以前書かれていたことをやろうとしているの──、である。

「オーディオ巡礼」に収められている「ラヴェル《ダフニスとクローエ》第二組曲」、
そこに、こう書かれている。
     *
 モーリス・ラヴェルのものなら、およそ揃ってないレコードはなさそうなのである。店の名前は“Editions Durand & Cie”——もしかすれば有名な楽譜出版者ジャック・デュランの店だったかも知れないが(ディアギレフの依頼で作曲したバレー曲《ダフニスとクローエ》が、当のディアギレフの気に入らず、上演の躊躇されたとき、この曲を賛美し、ぜひ舞台にかけるよう取り計らったのが出版者デュランだったという)でもラヴェルの伝記などほとんど私は知らないし、まして対応に出てくれた品のいい爺さまが、ジャック・デュランの遺族かどうか、たずねようのないことである。店内のレコードを、あれこれ、ただ私は眺め、少なくともラヴェルに関するレコードなら、ラヴェル自身のピアノを弾いた稀覯盤は言うまでもなくステレオの今日にいたるまで、およそ市販されたいっさいのレコードが揃えられているようなのに感動したのだ。
 こういう店は、ラヴェルの育ったパリにならあってふしぎはないようなものの、たとえば鴎外や漱石の暮した東京で、その全著作を(初版本以来)揃えている書店があるだろうか? 岩波あたりになら揃っていそうにも思えるが、揃っているのは全集の底本としてで、多分、他社の出版したもの全てというわけではないだろう。本とレコードでは出版される数がちがう。すべてをそろえよという方が無理かも知れないが、しかし文化の底辺の広がり、その深さといったものを私はこのことに感じた。パリがいかに文化の都であるかという実証を見たおもいがしたのである。
 レコード店は日本の都会にならずいぶんあるだろう。有名店といわれるものも東京だけで三、四ある。だが、たとえばベートーヴェンのものであれば廃盤になったのも含め、すべて揃っているような店があるだろうか。曾てあったろうか?
 レコード屋はレコード・ライブラリでは勿論ない。売れそうな盤ばかり揃えていて結構であるし、稀覯盤に類するものは骨董品的値段がついて売られるのもやむを得ない。だが全国に一店くらいは、その店へ行けば少なくともベートーヴェンの全てのレコードは揃っている——売ってもらえずとも聴くことができる——そういう店があっていいはずなのである。ベートーヴェンでは量が厖大すぎるというなら一人の演奏家のものでもいい。パブロ・カザルス、あるいはジャック・ティボー、フルトヴェングラー……個人で、好きなそういう音楽家のレコードは可能なかぎり入手してきた愛好家はいるはずである。珍重すべきそんなレコードを多分、何枚となく秘蔵する個人はいるだろう。本来なら(個人でそうなら)商売ぬきでそういうレコードを集めているレコード店主がいておかしくないはずである。だがいたためしを私は知らない。また今となっては、集めようにも容易に全てを揃えることは不可能だろう。この不可能さに、パリと東京の、少なくともクラシカル音楽での教養の差、土壌の深さの違いといったものを痛感せざるを得ない。
 同じことがオーディオでもいえそうに思うのだ。
 レコード文化に比して、はるかにオーディオ(弱電技術によるそれ)は歴史が浅い。技術の進歩とともに——レコードとちがい——古いものは先ずクォリティもわるく今日の用をなさない。だがLPとなり、ステレオとなってからもほとんど変りばえのせぬものにスピーカー・エンクロージァがある。ユニットがある。私がタンノイ・モニター15に狂喜したのは昭和二十七年だった。JBLの15吋のウーファー(32オームという変なものだが)を使ったのは昭和三十一年。今もってこれらが音響学的に劣っているとはまったく思えないし、約四十年前のウェスターンのトーキー用スピーカーを入手したいと切望している愛好家を知っている。ウェスターンのスピーカーは今なおオーディオの先哲・池田圭先生宅で群小スピーカーを睥睨するごとき美音を響かせているそうである。
 ちっとも進歩していないのだ。
 まあウェストレックスは今日では手が出ないとしても、せめて、名器と称されたパーツ——マランツ7、マランツ9、マッキントッシュMC275、マランツ10B、エレクトロボイスのパトリシアン、デッカ・デコラ、パラゴン、クリプシュ・ホーン、スチューダーC37、アンペックス300、といったものが、そこへ行けば必ず比較試聴できるオーディオ店が一軒くらい日本にあってもよかったのではなかろうか?
 だがない。新品ならどんどん入って来、どんどん消えて行くが真に名品と世評の高かったものが揃っている店は、ない。
 そういう国で、われわれはドレガイイ、コレハワルイと御託をならべている。何と底の浅いオーディオ文化か。
 各メーカーの製品でなくてもいいのである。せめて、マッキントッシュが素晴しいと思うなら、マッキントッシュの市販したすべてのアンプを今もそろえている店が一軒くらいはなかったのか? JBLを推称するならJBLの全製品をそろえた店——少なくともその大方は店頭に並べられているような店が。
     *
《何と底の浅いオーディオ文化か》と嘆かれている。

「ラヴェル《ダフニスとクローエ》第二組曲」とステレオサウンド 36号に載っている。
36号は、1976年秋号である。
それから45年。

ようやく編集主幹であり、創刊者である原田勲氏は、
五味先生が嘆かれていたことを解消するために動き出すのか。

殿堂入りしたオーディオ機器をすべて集めて、
それらはすでに製造中止になって、そうとうに時間が経ったモノばかりとなるだろうから、
コンディションもすべて整えたうえで、
《そこへ行けば必ず比較試聴できる》場をつくる。

そう期待したいし、そうであるならば、なんと素晴らしいことだ。

ただただ読者の投票によって、殿堂入りのオーディオ機器を決める──、
そんな誰もが考えそうな底の浅い企画ではないからこそ、
事前に染谷編集長が編集後記で予告している、と信じたい。

Date: 7月 28th, 2021
Cate:

賞からの離脱(オリンピックがらみでおもうこと・その2)

先日、寄った先のテレビで、オリンピックがやっていた。
女子の重量挙げだった。

選手が試技する。
その足下には、オリンピックのエンブレムがある。

それを見ながら、つくづく、このエンブレムでよかった、
盗作騒動の、あのエンブレムだったら──、
頭のなかでイメージを置き換えて、そうおもっていた。

Date: 7月 18th, 2021
Cate:

賞からの離脱(オリンピックがらみでおもうこと・その1)

エンブレムの盗作騒動から始まって、
今回のいじめ(虐待)の件まで、オリンピックがらみで、
こんなにぎりぎりになってまで……、とおもうほど、あれこれ騒動が起きている。

この一連の騒動を通して感じているのは、
「選ぶこと」である。

選ぶということをおろそかにしてきたから、これらの騒動は起ったように感じている。

選ぶ、ということは、選ぶ人たちのことであり、
その選ぶ人たちを選んできた人たちも含まれる。

昔は、もっと真剣に選んでいたのではないだろうか。
こんなに選ぶということをおろそかにするようになったのは、
賞が世の中に氾濫するようになったことと無関係ではないはずだ。

Date: 1月 26th, 2021
Cate:

賞とショウ

春のヘッドフォン祭の中止が発表になった。
オンラインでの開催のみである。

OTOTENがどうするのか、春ごろには発表になるであろう。
OTOTENも中止になっても驚く人はいないであろう。

いまの状況からすれば、今年もオーディオショウの多くは中止になってもおかしくない。
コロナ禍でオーディオショウは、こういう状況である。

けれどオーディオ賞のほうは、昨年の暮も、
恒例行事のように、各オーディオ雑誌で行われた。

ショウと賞。
違うものであっても、どちらも惰性で行われていると感じてしまうところがある。

オーディオショウは、昨年に続き今年も中止が続けば、
再開するにあたっては、これまでの惰性から脱却し始めるかもしれない。
そんなことを期待している。

けれど賞のほうは──、書くまでもないだろう。

Date: 12月 11th, 2020
Cate:

賞からの離脱(ステレオサウンド 217号)

ステレオサウンド 217号が書店に並んでいる。
特集は、冬号恒例のStereo Sound Grand Prix。

今号から、Stereo Sound Grand Prixの誌面構成が変った。
座談会ではなく、書き原稿になっている。

どちらがいいとは一概にはいえない。
座談会がいいこともあるし、書き原稿のほうがいいこともある。

座談会では、メンツが鍵をにぎっている。
どんな人たちが参加しているのか。
メンツ次第では、流れにまかせきった内容に終ってしまう。

以前は、井上先生の存在があった。
井上先生の、ぼそっとの一言が、内容を引き締めていた。

井上先生は二十年前に亡くなられている。
代りになる人なんて、一人もいない。

菅野先生も、途中から登場されなくなった。
そうなるとStereo Sound Grand Prixの座談会は、
ぴりっとしたところがまったく感じられなくなった。

そう感じていたから、やっと書き原稿になったか、とまず思った。
一機種につき、三人が書いている。
なので機種によって書いている人は違ってくる。

選考委員全員に書いてほしいところだが、誌面構成からいって、
全員に書いてもらうと、一人あたりの文字数がかなり少なくなる。
三人あたりが、いいところだろう。

それでもゴールデンサウンド賞に選ばれた機種。
今年はアキュフェーズのC3900である。

C3900は無線と実験でもオーディオアクセサリーでも、
いちばんといえる評価(賞)を得ている。

聴いていないのでC3900については何も書けないが、
それだけのC3900なのに、そしてゴールデンサウンド賞なのに、
ほかの機種と同じ構成なのか、とよけいなことをついいいたくなる。

C3900だけは、選考委員全員に原稿を依頼したほうがよかった、と思う。

Date: 9月 10th, 2020
Cate: オーディオ評論,

オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」(賞について・その4)

一冊のオーディオ雑誌に、複数の記事が載る。
世の中には、複数のオーディオ雑誌がある。

一年間で、何本の記事がオーディオ雑誌に載ることになるのだろうか。
数えたことはないけれど、かなりの数であり、
いまではインターネットで公開される記事もあるから、そうとうな数になる。

いまもだが、昔も、掲載(公開)された記事を検証する記事はあっただろうか。
これまでさまざまな記事があったが、
オーディオ雑誌にないものとは、記事の検証記事ではないだろうか。

なにもすべての記事を検証すべきとは思っていない。
それでも、なかには検証したほうがいいのでは? とか、
検証すべきではないのか、と思う記事がある。

記事もだけれど、オーディオ機器の評価に関しても、
このオーディオ機器の評価は検証したほうがいいのでは?、
そう思うことがなかったわけではない。

賞は、実のところ、検証の意味あいを担っているのではないだろうか。

一年間に、けっこうな数の新製品が登場する。
それらが新製品紹介の記事や、特集記事で取り上げられる。

新製品の記事で、その新製品を紹介するのは、
ステレオサウンドの場合は一人である。

以前は、井上先生と山中先生が、新製品紹介の記事を担当されていて、
海外製品は山中先生、国内製品は井上先生という基本的な分け方はあっても、
注目を集めそうな新製品に関しては、対談による評価だった。

一年のあいだに、ある製品について何かを書いている人というのは、意外に少ない。
個人的に関心の高い新製品を、この人はこんな評価だったけれど、
あの人はどうなんだろうか、と知りたくても、載っていないものは読めない。

そういうもどかしさは、熱心に読めば読むほど募ってくる。

Date: 11月 27th, 2019
Cate:

賞からの離脱(BCN+Rの記事・その4)

ベストバイもステレオサウンドグランプリも、
選ぶ人がいて選ばれる機種があるという点で、
ベストバイには「賞」とはついていないが、私はベストバイ賞という認識でずっといる。

他の人はどうなのかはなんともいかないが、
少なくとも、私にベストバイの選考にあたって、
選考者であるオーディオ評論家が、ベストバイ選考のための試聴をやっている──、
そう思っていた人たちは、ベストバイを賞を捉えていたのではないのか。

以前書いているように、ベストバイは、編集者の体力的問題もあって生れた企画である。
スピーカーやアンプなどの総テストは、聴くオーディオ評論家も大変だが、
裏方の編集者の体力的にもしんどい作業である。

すべての号で総テストを行っていては、編集者の身体がもたない、
肉体的に休める必要もあってもベストバイという企画である。

ベストバイは、つまり最初から試聴を行わないことを前提としている。

私はこのことに批判的ではない。
現実的に無理なのだ、ベストバイ対象機種の総試聴というのは。

ベストバイの選考対象となる機種は、
前年のベストバイで選ばれた機種に、その一年で登場した機種すべて、ということになる。
それらをすべて一箇所に集めて、選考者全員に試聴してもらうことを考えてみてほしい。

試聴する時間もたいへんなものになるが、
それ以上に困難となるのが、例えばスピーカーシステムの試聴を行うとして、
対象機種を一度に集められるかということだ。

メーカー、輸入元に連絡をとって、日程調整をしなければならないが、
まずこれがたいへんなことである。
それをなんとかしたとして、集められたスピーカーシステムすべてを置く場所の確保が問題となる。
現在のステレオサウンドの試聴室および倉庫の広さがどの程度なのかは知らないが、
それでも無理だとは断言できる。

Date: 11月 14th, 2019
Cate:

賞からの離脱(BCN+Rの記事・その3)

ベストバイという特集記事がある。
私にとって、最初のベストバイは、43号だった。
35号が、ステレオサウンド最初のベストバイの号である。
1975年の夏号だから、49年前のことだ。

ステレオサウンドで働くようになって、
辞めてからもそうなのだが、これまで何人かの方に、
ベストバイって、大変なんでしょうね、そんなことをいわれた。

そんなふうにきいてきた人たち皆、
ベストバイの選考にあたって、
オーディオ評論家は、ベストバイの対象となっているオーディオ機器すべてを、
スピーカーやアンプの総テストと同じように聴き直している、と思っていた。

そう思っている人がいるのか、と逆にこちらが驚いた。
43号を手にしたとき、私は中学三年だった。

43号の前に、42号と41号を読んでいた。
42号はプリメインアンプの総テストであた、
特集の巻頭には、試聴方法のページがあった。

43号のベストバイの特集には、各筆者によるベストバイ定義についての文章はあったが、
試聴方法については、当然ながらなかった。

だからというわけでもないが、ベストバイはあらためて総テストをしているわけではない、
そう理解していた。

総テストや新製品の試聴、メーカーや輸入元での試聴、
自宅の試聴、そういった機会の積み重ねから選んでいる──、
そのころからそう思っていただけに、
ベストバイの選考のために試聴をやっている──、
そう思っている人がいたのは意外でもあった。

けれど、そう訊いてきた人たちの考えていることもわかる。

Date: 11月 12th, 2019
Cate:

賞からの離脱(BCN+Rの記事・その2)

BCN+Rの記事の最後には、
《しかし、一番厳しい目は消費者の購買行動そのものだ。市場の洗礼を受ける前に専門家だけで製品の序列を決めてしまうことには、やはり大きな疑問が残る》
とある。

これが消費者不在のグランプリを容認してしまう、ともある。

そのとおりといえば、そのとおり、である。
でも、考えれば、市場の洗礼を、すべての製品が等しく受ける、ということはあるのだろうか、
という疑問がわいてくる。

例えば新製品が、12月とか4月とか、決った時期に各社から一斉に発売されるのであれば、
まだわからなくもない。

実際はそうではない。
1月に出る新製品もあれば、夏ごろとか秋が過ぎて、とか、
さらには12月ぎりぎりに登場したりする。

1月の新製品と12月の新製品とでは、一年近い差があるわけだ。
2019年に発売になった新製品を、
2020年に評価するとしよう。

それで市場の洗礼を受けたことになるだろうが、
1月の新製品と12月の新製品とで、市場の洗礼が等しい、とは誰も思わないだろう。

それに新製品を出すメーカーとしては、
早くに新製品を出したメーカーにすれば、発売後約一年後に賞という形で評価されるのを、
どう思うだろうか。

BCN+Rの記事は、そのへんの事情をどう考えているのか。
雑誌の、現在の賞の在り方が、いまのままでいいとはまったく思っていないが、
だからといって、BCN+Rの記事は現状を無視しているだけでなく、
どこかケチをつけるためだけの記事のようにも思えてくる。

Date: 11月 5th, 2019
Cate: オーディオ評論,

オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」(賞について・その3)

昨晩はAさんと秋葉原にいた。
万世橋の肉の万世の五階で食事をしていた。

窓際の席だったから、秋葉原がよく見える。
Aさんはハタチ前後のころ、秋葉原の光陽電気でアルバイトしていた人だから、
そのころの秋葉原をよく知っている。

私もそのころは秋葉原に足繁く通っていた。

いま秋葉原は街全体の雰囲気が、
ラジオの街からオーディオの街に変り、
そこからパソコンの街、いまではすっかり様変りしている。

それだけでなく、ビルも建て替えられている。
ヤマギワ本店もとっくになくなり、新しいビルが建っている。
石丸電気本店のところもそうだ。

Aさんと二人で、あのころは石丸電気のレコード専門店があって……、
という話をしていた。

ポイントカードなんてなかった時代だ。
石丸電気はポイント券を配っていた。

肉の万世を出て、交叉点のあたりで、また石丸電気のレコード店の話になった。
1981年の12月、この石丸電気の雑誌コーナーで、レコード芸術の1月号を手にした。

石丸電気は、一般の書店よりも音楽、オーディオ関係の雑誌は早く発売されていた。
レコード芸術を手にとって、衝撃を受けたことは、以前に書いている。

瀬川先生が亡くなったことを、当時、新聞をとっていなかった私は、
レコード芸術の記事で知った。
石丸電気で知った。

そのことを思い出しながら話していた。
11月7日が、今年もやってくる。

その2)で、瀬川冬樹賞があるべきではないか、と書いた。
いまもそう思っている。

Date: 11月 5th, 2019
Cate:

賞からの離脱(BCN+Rの記事・その1)

iPhoneにイスントールしているGoogleのアプリが、
こんなニュースがあります、と報せてくれたのが、
発売前のカメラがグランプリ受賞? 消費者不在の「賞」に意味はあるのか」だった。

ニコンのデジタルカメラZ50が、音元出版主催のデジタルカメラグランプリ2020で、
総合金賞〈ミラーレス〉を受賞しているが、
Z50は、まだ発売されていない。

デジタルカメラグランプリ2020は発表済みの製品を対象しているのだが、
発売前の製品に賞を与えるのは、消費者不在ではないか、と疑問をなげかけている。

BCN+Rのサイトには、今回初めてアクセスした。
何かあったのかなぁ、と少し勘ぐった読み方をしてしまった。

記事については、これ以上書かないし、
読まれた方がそれぞれ判断すればいいことだ。

発表済みか発売済みか。
この種の賞では、微妙な問題となることもある。

ステレオサウンドの場合、
私がいたころは、年内発売の製品となっていた。
つまり、賞の選考日に発売されていなくても、
年内発売が決っていれば選考対象となった。

おそらく、現在のステレオサウンドグランプリ(Stereo Sound Grand Prix)も同じであろう。

音元出版のデジタルカメラグランプリを消費者不在とするならば、
ステレオサウンドグランプリも消費者不在ということになる。

Date: 1月 5th, 2019
Cate:

賞からの離脱(ステレオサウンド 209号)

ステレオサウンドはこれから先どうなっていくのだろうか……。
そんなことを毎号、思っていたのだが、
いま書店に並んでいる209号をパラパラと見ていて、
いままで以上に、大丈夫だろうか……、と思ってしまった。

特集のStereo Sound Grand Prix。
毎回、選考委員が会議室と思われる部屋での集合写真が載る。
今回も載っている。
けれど、ステレオサウンドの社屋を背景にした写真であった。

会社案内のパンフレットにでも載せる写真か、と思う。

記憶違いでなければ、前回のStereo Sound Grand Prix(205号)では、
会議室での集合写真だった。

どうしたんだろうか。
こんな写真を撮ってまで載せる理由はなんだろうか。
選考委員の誰一人として、こんな写真を撮るの? と疑問に感じなかったのか。

強い違和感をおぼえた。
そう感じる私のほうが、おかしい感覚になってしまっているのだろうか。
それとも、臆面もなく、こんな写真を掲載する感覚が、とっくにおかしくなってしまっているのか。

そんなことを年末に、ぼんやりとおもっていた。
数日前、ステレオサウンドが移転することを知った。

2月に新しい事務所に引っ越すらしい。
そういう事情があって、社屋を背景とした写真だったのか、と一応の理解をしつつも、
それでも違和感を拭い去ることはできない。

今年の12月に出る213号では、どんな集合写真なのだろうか。