Date: 10月 15th, 2021
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賞からの離脱(オーディオの殿堂・その1)

ステレオサウンド 220号の染谷編集長の編集後記に、
「オーディオの殿堂」を読者参加で企画している、といったことが書かれてあった。

これを読んで、二つのことをおもっていた。
また、賞を新たにやるのか──、というあきれからくるもの、
そして、五味先生が以前書かれていたことをやろうとしているの──、である。

「オーディオ巡礼」に収められている「ラヴェル《ダフニスとクローエ》第二組曲」、
そこに、こう書かれている。
     *
 モーリス・ラヴェルのものなら、およそ揃ってないレコードはなさそうなのである。店の名前は“Editions Durand & Cie”——もしかすれば有名な楽譜出版者ジャック・デュランの店だったかも知れないが(ディアギレフの依頼で作曲したバレー曲《ダフニスとクローエ》が、当のディアギレフの気に入らず、上演の躊躇されたとき、この曲を賛美し、ぜひ舞台にかけるよう取り計らったのが出版者デュランだったという)でもラヴェルの伝記などほとんど私は知らないし、まして対応に出てくれた品のいい爺さまが、ジャック・デュランの遺族かどうか、たずねようのないことである。店内のレコードを、あれこれ、ただ私は眺め、少なくともラヴェルに関するレコードなら、ラヴェル自身のピアノを弾いた稀覯盤は言うまでもなくステレオの今日にいたるまで、およそ市販されたいっさいのレコードが揃えられているようなのに感動したのだ。
 こういう店は、ラヴェルの育ったパリにならあってふしぎはないようなものの、たとえば鴎外や漱石の暮した東京で、その全著作を(初版本以来)揃えている書店があるだろうか? 岩波あたりになら揃っていそうにも思えるが、揃っているのは全集の底本としてで、多分、他社の出版したもの全てというわけではないだろう。本とレコードでは出版される数がちがう。すべてをそろえよという方が無理かも知れないが、しかし文化の底辺の広がり、その深さといったものを私はこのことに感じた。パリがいかに文化の都であるかという実証を見たおもいがしたのである。
 レコード店は日本の都会にならずいぶんあるだろう。有名店といわれるものも東京だけで三、四ある。だが、たとえばベートーヴェンのものであれば廃盤になったのも含め、すべて揃っているような店があるだろうか。曾てあったろうか?
 レコード屋はレコード・ライブラリでは勿論ない。売れそうな盤ばかり揃えていて結構であるし、稀覯盤に類するものは骨董品的値段がついて売られるのもやむを得ない。だが全国に一店くらいは、その店へ行けば少なくともベートーヴェンの全てのレコードは揃っている——売ってもらえずとも聴くことができる——そういう店があっていいはずなのである。ベートーヴェンでは量が厖大すぎるというなら一人の演奏家のものでもいい。パブロ・カザルス、あるいはジャック・ティボー、フルトヴェングラー……個人で、好きなそういう音楽家のレコードは可能なかぎり入手してきた愛好家はいるはずである。珍重すべきそんなレコードを多分、何枚となく秘蔵する個人はいるだろう。本来なら(個人でそうなら)商売ぬきでそういうレコードを集めているレコード店主がいておかしくないはずである。だがいたためしを私は知らない。また今となっては、集めようにも容易に全てを揃えることは不可能だろう。この不可能さに、パリと東京の、少なくともクラシカル音楽での教養の差、土壌の深さの違いといったものを痛感せざるを得ない。
 同じことがオーディオでもいえそうに思うのだ。
 レコード文化に比して、はるかにオーディオ(弱電技術によるそれ)は歴史が浅い。技術の進歩とともに——レコードとちがい——古いものは先ずクォリティもわるく今日の用をなさない。だがLPとなり、ステレオとなってからもほとんど変りばえのせぬものにスピーカー・エンクロージァがある。ユニットがある。私がタンノイ・モニター15に狂喜したのは昭和二十七年だった。JBLの15吋のウーファー(32オームという変なものだが)を使ったのは昭和三十一年。今もってこれらが音響学的に劣っているとはまったく思えないし、約四十年前のウェスターンのトーキー用スピーカーを入手したいと切望している愛好家を知っている。ウェスターンのスピーカーは今なおオーディオの先哲・池田圭先生宅で群小スピーカーを睥睨するごとき美音を響かせているそうである。
 ちっとも進歩していないのだ。
 まあウェストレックスは今日では手が出ないとしても、せめて、名器と称されたパーツ——マランツ7、マランツ9、マッキントッシュMC275、マランツ10B、エレクトロボイスのパトリシアン、デッカ・デコラ、パラゴン、クリプシュ・ホーン、スチューダーC37、アンペックス300、といったものが、そこへ行けば必ず比較試聴できるオーディオ店が一軒くらい日本にあってもよかったのではなかろうか?
 だがない。新品ならどんどん入って来、どんどん消えて行くが真に名品と世評の高かったものが揃っている店は、ない。
 そういう国で、われわれはドレガイイ、コレハワルイと御託をならべている。何と底の浅いオーディオ文化か。
 各メーカーの製品でなくてもいいのである。せめて、マッキントッシュが素晴しいと思うなら、マッキントッシュの市販したすべてのアンプを今もそろえている店が一軒くらいはなかったのか? JBLを推称するならJBLの全製品をそろえた店——少なくともその大方は店頭に並べられているような店が。
     *
《何と底の浅いオーディオ文化か》と嘆かれている。

「ラヴェル《ダフニスとクローエ》第二組曲」とステレオサウンド 36号に載っている。
36号は、1976年秋号である。
それから45年。

ようやく編集主幹であり、創刊者である原田勲氏は、
五味先生が嘆かれていたことを解消するために動き出すのか。

殿堂入りしたオーディオ機器をすべて集めて、
それらはすでに製造中止になって、そうとうに時間が経ったモノばかりとなるだろうから、
コンディションもすべて整えたうえで、
《そこへ行けば必ず比較試聴できる》場をつくる。

そう期待したいし、そうであるならば、なんと素晴らしいことだ。

ただただ読者の投票によって、殿堂入りのオーディオ機器を決める──、
そんな誰もが考えそうな底の浅い企画ではないからこそ、
事前に染谷編集長が編集後記で予告している、と信じたい。

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