オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」(賞について・その3)
昨晩はAさんと秋葉原にいた。
万世橋の肉の万世の五階で食事をしていた。
窓際の席だったから、秋葉原がよく見える。
Aさんはハタチ前後のころ、秋葉原の光陽電気でアルバイトしていた人だから、
そのころの秋葉原をよく知っている。
私もそのころは秋葉原に足繁く通っていた。
いま秋葉原は街全体の雰囲気が、
ラジオの街からオーディオの街に変り、
そこからパソコンの街、いまではすっかり様変りしている。
それだけでなく、ビルも建て替えられている。
ヤマギワ本店もとっくになくなり、新しいビルが建っている。
石丸電気本店のところもそうだ。
Aさんと二人で、あのころは石丸電気のレコード専門店があって……、
という話をしていた。
ポイントカードなんてなかった時代だ。
石丸電気はポイント券を配っていた。
肉の万世を出て、交叉点のあたりで、また石丸電気のレコード店の話になった。
1981年の12月、この石丸電気の雑誌コーナーで、レコード芸術の1月号を手にした。
石丸電気は、一般の書店よりも音楽、オーディオ関係の雑誌は早く発売されていた。
レコード芸術を手にとって、衝撃を受けたことは、以前に書いている。
瀬川先生が亡くなったことを、当時、新聞をとっていなかった私は、
レコード芸術の記事で知った。
石丸電気で知った。
そのことを思い出しながら話していた。
11月7日が、今年もやってくる。
(その2)で、瀬川冬樹賞があるべきではないか、と書いた。
いまもそう思っている。